台風11号は大型で強い勢力を保ったまま、もうすぐ対馬海峡を通過する。福岡は暴風域危険半円近く。台風は北東に遠ざかるため、近畿は暴風警戒域からは外れているが、強風域の危険半円付近の兵庫は雨風ともに強まる予想。
いまのところ雲は出ているがその兆候は見えずいまひとつ現実感はない。まあいきなり強くなるものだよね。で、テレワークにした。大阪〜姫路間で新快速休止するとのこと。
新快速休止→快速と普通に人が集まる
雨風と休止の影響でダイヤ乱れる
ダイヤ乱れに天気が荒れては山には帰りにくいことこの上なし、で家にいます。それにしてもひどくなるとは思えないな〜。
9月の冒頭はひさびさの川端康成。先日読んだ学者の川端作品評がひどすぎて・・なんでも見えて理屈が通るのが小説ではない。読み物において長い文章は大谷崎以外に書く資格はない。学者さんこそは、平明な分かりやすい文章を書くべきでしょう。一般読者に読ませなければならないんだから。たまには思い切ったことを言ってもいいでしょう。
父親から送ってきた日田の梨が美味すぎる。
◼️「川端康成異相短編集」
大きな流れと、完璧な表現と、説明の割愛。異界ものでは際立つ気もする。
ひさびさにゆっくり川端康成を読んだ。最近読んだ文学者の本では川端は文章が下手だ、なんて書いてあり違和感があった。しかしクセはあれどやっぱり天才の煌めきがあるな、と再認識。
超自然的なことがあったり、ポンっと幽霊を出したりの話、中には怪異がないものもある。数ページから70ページくらいまで16篇の短編小説と3つのエッセイ。なあんか、こういうコワイ短編に川端の特質って、さらに響く気もした。
「白い満月」
肺病で療養中の男が身の回りの世話に雇った17才の娘、お夏。雑事は普通にこなすが、自分は死んだっていい人間、などと口にしたり、父親の死にまつわる夢を見るなど不思議な少女。お夏が言う。
「河鹿の声は、こうお月さんの光に浮いているように聞こえますでしょう。それが時々地の底へ沈込むように聞こえるんです」
河鹿の鳴声って、と調べたら、ルルルル、と鳥の囀りのように、清流の爽やかさに合う、きれいな音で鳴く。月夜はさぞかし、と感じ入る。
物語は男の2人の妹の確執と死など目まぐるしく動く。話としては、なかなかドロドロで、怪しい、山里のドラマ。身内の事情を錯綜させるのはちょっと川端らしいかな、なんて思う。そんな部分にも源氏物語の影響を感じたりして。ただ、冒頭の河鹿が鮮烈で、読み終わりまで音として気になっていた。地味だけどもこのセンスには反応してしまう。
川端は若い頃、カフェの女給・伊藤初代に激しい恋をし、初代の父親の承諾を得ようと勤め先の岩手県の小学校に押しかける。やがてこの恋は初代の「私には或る非常があるのです」という手紙をきっかけに破談となり、後に川端は関東大震災の際、初代を当てもなく探して東京の街をさまよった。
「離合」は父親との邂逅を発展させた話に思えて興味深い。一連のエピソードとの関連が見えた篇はもうひとつ入っていた。
「朝雲」
美人で取りすました先生に、熱烈に憧れる女学生。話すげない別れへと続く。その中で
「海色がかった紺の洋服に白い帽子」
と先生を鮮やかに印象付ける衣装の表現には唸った。
「死体紹介人」は学生の男が乗合バスの車掌の娘・ユキ子に気を引かれたところ、たまたまユキ子が住む部屋を、本人が不在の間勉強部屋に使うことになった。ほどなくユキ子は肺病で死に、身寄りがないと思われたユキ子の死体は友人の医師助手からの求めに応じ男の内縁の妻ということにして解剖室に売ってしまう。ところがユキ子の妹が既にない遺骨を引き取りに現れ、東京にいる間男と同居、姉と同じように車掌となるが、男が姉と同じ肺病で急逝、男は死の2日前に婚姻届を出したー。
男女の出逢いと死別を不思議に絡ませた怪しい話。なかなかこんがらがった構成の中微妙な機微を浮き立たせている。ここも、
「透き通った飴を思わせるような瞼」
とのちのちまで透徹するようなユキ子の顔立ちの表現にはエッジが効いている。
「毛眼鏡の歌」
想い人・きみ子の長い髪の毛を想い出の場所に結ぶ、さらに髪を輪にして眼鏡様のものを作る。きみ子の幻を見ようとその毛眼鏡でのぞくという話。ちょっと思い入れ深すぎだけども、表現も解放されている、詩的な文章。幻想と感傷。
「たまゆら」
故人の治子が首にかけていた翡翠の曲玉の飾り、玉が触れ合って出るかすかな音の暗示。静かに夢見るような小鳥のさえずりの音。治子はこの音をたまゆら、と呼んで好み、死の直前にも聞いていたー。
語り手の男の想像がエロい。ただ、音、翡翠の色、鉱石の魅力、そして男女。生と死のあわい。小道具と重曹的な効果がコンパクトな小篇の性格づけを強くする。再読で、また読んで良かったと、私的には傑作かと思う。
エッセイでは「人間の心に宿る運命観は、結局はただ甘さである」と一文にちょっと共感したかな。
川端は、特に会話において、直接的な言い方をしないことが多い。「雪国」ほかでも多々見られることで、物語の中心を文でさらけ出すのではなく、芯をくるむような言葉を口から発する手法を確信的に使う。トルコのノーベル賞作家オルハン・パムクも同じようなことを書いていた。そこが作品の解釈を難解で複雑にしている原因のひとつだと思う。逆に気持ちが触れ合う場面のリアリティともとれる。収録されている物語にもそのような場面がある。
川端シンドロームの私は、これらの短編を読んで、どういうふうに川端らしいか、特徴が出ているか考えたり、独特のきらめくような表現を探したりするのが常。
その暗示しようと試みているもの、を読み取ろうとする、気に入っている作業に没入できて今回も満足した。
解説がくどめかな。こんなに長い文章を読み物として書いて許されるのは谷崎潤一郎だけ?なあんて不遜にも思っちまいました。
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