最近宮沢賢治づいてるというか、読んでる本に宮沢賢治「銀河鉄道の夜」評が出てきて、チェロ弾きの物語を読んで、図書館ではいい感じの宮沢賢治の童話と解説の本と目が合って借りてきて、新しく出来た古書店のlandlady店主さんは宮沢賢治がご専門の講師さんで楽しく話して・・と続いてました。
本日ふと地元のホールの予定を見ると、なんと宮沢賢治をテーマに合唱、朗読、合唱劇があるというので童話解説の2巻めを持って外出。若干枚のみ、という当日券をゲットして観てきました。
宮沢賢治の物語、詩には、林光さんという作曲家が曲をつけたものも多いそうです。
「わたしたちは氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」
で始まる「注文の多い料理店」の美しい序詞の歌に引き込まれ、賢治が作詞作曲した「星めぐりの歌」の生歌には本当に感動しました。
途中ソロや目立つ部分を歌うときなどは前に出て、また戻る、ソプラノリコーダーや指揮者さんのピアニカも良かった。
ピアノ伴奏と、賢治だし、もちろんチェロも出演。
指揮者さんの朗読、独唱を経て、クライマックス「よだかの星」。セリフあり、歌あり、ソロもふんだんにあって盛り上がりました。
もう一度「星めぐりの歌」
そして毎回のエンディング曲だという谷川俊太郎作詞の「ころころ コロコロリートの歌」
パンフの曲解説は宮沢賢治学会員だという団員さんが執筆、デザインも内作ということで手作り感満載。女声は優しかったり、内気だったり、凛としていたり、男声の伸びは素晴らしく響きました。
コロコロリートのみなさん、とても、とっても楽しめましたよ。すばらしいステージでした。復習でまた賢治を読むことにします。
夏の終わり、良き感じでしまった週末。満足。
◼️草山万兎「宮沢賢治の心を読む」Ⅱ
4巻シリーズ、動物がテーマの童話。
ちょっと黒いものも入ってます。
気分の流れがいま宮沢賢治。どこからか、と思い返す。鯨統一郎「文豪たちの怪しい宴」で「銀河鉄道の夜」が取り上げてあり、絵本の原画展に行って賢治を思い出し、図書館に行ってこの本を発見し、地元に出来た古書店の店主さんが宮沢賢治がご専門の講師さんで、当然宮沢賢治コーナーがあり、楽しいお話をした。で、続く日曜日に地元のホールの予定を見ていたところ、宮沢賢治の作品をテーマにした合唱劇があるとのことで、当日券で観てきた。
で、2巻め。ステージが始まる1時間前に読了。
「どんぐりと山猫」
「狼森と笊森、盗森」
「さるのこしかけ」
「林の底」
「洞熊学校を卒業した三人」
の5篇。いずれも再読。前の2篇はほんのりとおもしろい。山猫って日本にいないから、この時点では想像上の動物だ、という論になるほど、と。後半は長めの童話で、かなりな悪意が入ってくる。
「林の底」は古来鳥はみな真っ白で、とんびが染物屋を開業し、大変儲けて傲慢になり・・、という話。これは民話にも同様のものが伝えられ、おおむね最後にカラスが絡むとか。
宮沢賢治では梟が、とんびが染物師でね・・と話す。聞き手の人間は梟の話をホラ話と思っていろいろとつっこむ。メジロやホオジロは白の染め残し、と言う梟に、でもそれっておかしくない?とか。
ただこの話は色彩感覚がよく、色鮮やかな鳥の模様を思い浮かべてなんとなく納得したりする。ニワトリも聞いてみたかったな。
ラストの「洞熊学校を卒業した三人」はなかなか黒い。草山氏の解説では、洞熊学校というのは人を出し抜くことを教えるところだとか。
その通り、蜘蛛は慈悲なく獲物を殺し、なめくじや狸は口八丁で訪ねてきた虫や動物を食べてしまう。狸なんか狼を食べてしまう。フィクションですねー。でもそれぞれ、しっぺ返しのような形で破滅する。
賢治は、過度の競争社会、自分のことしか考えなかったり、驕ったりする風潮を嫌う。「注文の多い料理店」の寓話のテイストをより先鋭化した感じですね。
再読に新たな解釈の光。しかし何回読んでも宮沢賢治は楽しい。次も楽しみだ。
山猫の裁判、衣装が黒い繻子の着物の下に陣羽織ってどういうことよ、と心でツッコむ。危険を感じていたのか気概か、山猫に陣羽織を着せるのが単におもしろかったのか。
狼をオイノ、の読む語感が心に残る。
◼️ 京極夏彦/町田尚子「いるのいないの」
いそうな気がして・・古い家と暗さ。
怪談えほんシリーズ3冊め。ここまで宮部みゆき「悪い本」佐野史郎「まどのそと」と読んできた。
「MOE 絵本屋さん大賞2012」にて、第3位に入りコワイとウワサの京極夏彦作。さてさて?
ぼくはおばあちゃんの家で過ごすことになった。おばあちゃんの家は古くて大きくて、おとながはしごをかけても届きそうにない高い天井には太い梁が何本もある。梁の付近は暗くて、明かり取りの小さな窓がある。
ぼくが窓の付近を眺めるとー、見えた。
大きな古民家。高く大きな梁の部屋は異世界のよう。そこここに、古そうだが現代的なキッチンや新しそうなゴム手袋など、古民家と現実の生活とのミックスされている場面が見える。逆にそれは古民家の異世界感を強調している。現実と幻想とのあわい。
建築関連の本で読んだことがあるし、はたまた谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」でも触れられていたと記憶している。昔の日本家屋は暗い。暗さ前提に造ってある。明かり取りの窓は脱出点、異世界からの出口か、さらなる異世界への入り口か。この物語では後者かも。他元宇宙論、マルチバースなんか思い浮かべてしまったりして。
自分も子どもの頃、いい田舎の祖父母の家に行って古い家に泊まっていた。もとは商家だけあって台所は土間で、石臼があり、長い廊下と中庭、皆で寝る2階の畳の広間も古かった。しかし蚊帳を吊って皆で寝ていたし、田舎遊びは楽しかったしで怖かった覚えはまったくない。
今作はのっけから、なにかただならぬ雰囲気。男の子が独りで、おばあちゃんの家で暮らすことになる。暗い事情がありそうなスタート。彼が見たものについて、おばあちゃんは知っている。日常のひとつで、詳しい説明をすることはない。
パースペクティブな手法を用い、広い絵が多い。子どもの表情、瞳などは写実的でデフォルメはあまりない。そしてこの家、めっちゃ猫が多いところがおもしろい。
さて、怖いか、というと、想像力かと。
暗さ、には魅力があり、今作も高い天井の暗さと窓の白さの対比がある。暗い、と思ったのは、善光寺のお戒壇巡りか、東京・国立天文台の庭か。子どもには家の中が暗い、ということ自体が珍しく、怖いというよりは興味を惹かれているんじゃないだろうか。まっくろくろすけがいる、みたいに。
怪談えほん、興味がわくのもコワイのうち。ふむふむ、という感覚だった。
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