天気予報が悪く、すんごい入道雲も湧いてたので諦めてたらきれいに見えました中秋の名月。月は球。なぜ太陽と反対に、夏は高度が低く、冬は高くなるのか、なぜ地球にずっと同じ面を向けていられるのか理屈は読んだけども実感として理解できない文系の天文好き。しばしこの日も頭を悩ます。
日中は残暑厳しく、きのうバス停から山道を登ってる途中、突然左足のかかとが痛くなって引きずって歩くはめに。
軽い熱中症かもと思いつつ、家に帰ってサロンパス貼って身体を冷やしたら和らいだけれども、ちょっと年齢を感じたりなんかして。
というわけで、今日はおとなしく。今週はもともとゆっくりする週。身体を休めとかないと、とダラダラしてました。
バスケ🏀は高校のトップリーグ、U18女子アジアカップ、またユーロバスケットの動画なぞ。NBAのトッププレイヤーも出てるからなんちゅーか異次元。この中に日本は切り込むんだなあと。
日本バスケを見てると、サッカーやラグビーの進歩の過程を思い出す。オリンピックでもワールドカップでも1勝もしていない日本男子。これから嬉しい勝利を味わうと思うと、見るのやめられない😆
月に向かって走りましょう🌕 ⛹️♂️ーー🌬
◼️ リービ英雄「英語で読む万葉集」
読みたくなった万葉集。英語表現は新鮮だ。
読み物ラインナップ的にしばらく愛する古代をスルーしていて、気分的に万葉に浸りたくなったタイミングでこの本が目に入った。リービ英雄氏は日米中を往還しながら日本文学を研究し、万葉集を英訳して全米図書賞を取った方。献本の日本文学の本で名前を見て覚えていた。
特に柿本人麻呂に心酔されているようだ。ここは50首のうちいくつかをピックアップしてみます。
春過ぎて夏来たるらし白妙の
衣乾したり天の香具山
Spring has passed,
and summer seems have arrived:
garments of white cloth hung to dry
on heavenly Kagu Hill.
奈良は好きなのでたまに行く。天香具山、耳成山、畝傍山の大和三山はいずれも200m以下の山で、蘇我氏の館があったと言われる甘樫丘や三輪山のふもと大神(おおみわ)神社などの高台から広い風景を見ると「これだけ?」と確かに思う。だからmountainではなくhillにしているのだろう。こう見ると、たしかに丘に衣が翻るほうが清々しいかもしれない。
万葉集は視覚的イメージが伝わるので翻訳しやすいそうだ。ことに持統天皇の有名な歌は絵画的で見事。
リービ英雄氏は夏来たるらし、を表すためにseemを使ったとのことで、思い切って
Summer appears to have arrived
にしても良かったかも、と書いている。「思い切って」の意味がさすがに分かんない。苦笑。
春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の
高座(たかくら)の 三笠の山に 朝去らず
雲居たなびき 容鳥(かほとり)の
間なくしば鳴く
Among the hills of Kasga,
where the spring sun is dimmed
on Mikasa Mountain,
like the crown on a lofty altar,
the crouds trail every morning
and the halcyon's cry never ceases
枕詞は英訳できるのか。著者が万葉集の英訳に取り組んでいたとき、日本人からよく訊かれたという。
私もぬばたまの黒、ちはやぶるの神、あしびきの山など、語感となんとはなしのつながりが好きだけれども説明は難しい。分かるようで分からない、その不透明感が日本人の質問の原因ではないかと著者も分析している。
この例は山部赤人の長歌の一部で、はるひのかすが、高座の三笠、とダブルの枕詞が入っている。
リービ氏ははるひが霞む、という言葉を
the spring sun is dimmed
高座を a lofty altar
と、なんというか、すすっと入れている。
ちなみに草枕の旅は
on a journey,with grass for pillow
と訳している。
草枕の旅、はイメージしやすいものもある。著者はもちろん難しいものもあるとしながらも枕詞は多少無理をしても訳出せよ、と述べている。また枕詞がなければ単なる地名だけになることも多く、枕詞があるゆえに地名が生きる、イメージの魔術だという。さらには、草枕の旅、と同じように、枕詞は言葉の本質を表すと。本質的にあをによし奈良、飛ぶ鳥の明日香、であるそうだ。
妙に、というか、深く納得してしまった。訳しがいもありそう。ダジャレっ気的遊び心までは伝わらないかもだが。
あの時代の逸話を思い出してきたので好きな歌を。
秋の田の穂向きの寄れる片寄りに
君に寄りなな言痛くありとも
As the ears of rice
on the autumn fields
bend in one direction,
so with one mind would I bend to you,
painful the gossip be.
高市皇子の宮にいながら穂積皇子を愛した但馬皇女。世間の噂がうるさくとも、ひとすじにあなたになびきたい、という一心な想い。
earには穂、という意味もあるんですね。
ある時点の自然の動きを厳密に描き、心の中の風景とシンクロさせるのは万葉集、というか和歌全般に多い。著者は、いともたやすく自然界の現象が心の動きの比喩となることに感嘆し、この美しさと、厳密さの前で翻訳せざるを得ない、という気持ちにかられるそうだ。
本筋とは違うかもだが、言痛く、こちたく、の訳にpainfulは必ずしも必要でないかも、などと思ってしまう。この本全般に、逐語的な訳が多い気がした。誠実さと、ちょっとユーモアも感じたかな。
さて、ラストは柿本人麻呂の長歌。
あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま
朝鳥の 通はす君が
夏草の 思ひ萎えて
夕星(ゆふづつ)の か行きかく行き
大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず
挽歌、明日香皇女の殯宮(あらきのみや)の時に作られた歌。恋する皇女が死んで、仲睦まじかった皇子がひどく悲しんで、皇女に片恋し、朝鳥のように通っていた彼が夏草のようにしおれて、宵の明星のように行ったり来たりされ、なすすべも知らない。
調子が良くテクニカルな長歌、その一部。
like the tiger thrush
like the morning birds
like the summer grass
like an evening star
like a great boat
とポイントを押さえてテンポの良い調子を打ち出し整理している。なるほど。柿本人麻呂一流の美しい、これぞ歌、という言葉の流れを英語に直すひとつの手法、かと思った。
東歌はPoem from the Eastland
防人はFrontier Guardsman
guardsmanは近衛兵、衛兵といった意味のようだ。英語の和歌、長歌は正直ピンと来ない。これで英語圏の人にはどう伝わっているのだろう。源氏物語は、一文が長くてしつこいため、日本人が現代語訳した場合、意味に引きずられてなかなかスッキリしない訳になる。外国語に訳すときは省略等思い切ったことが出来るのでむしろ日本語より分かりやすい、と聞いた。万葉集のこの英訳にも我々には見えない語感とか、イメージがあるんだろうか。
リービ英雄は10代のころ、京都から宇治を通って奈良へ、奈良から飛鳥へ歩き通したという。思い入れも見え、なかなか語彙が豊かで文学的で、アツい。その率直な指摘はハッとさせるものがある。
奈良は時がゆっくり流れている、悠久の感じがいい。涼しくなったら、また万葉の里を訪ねようという気になった。
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