2022年9月25日日曜日

9月書評の8

誕生日を迎え、55歳。信じられないねホント。参るわー。

後半の3連休、初日は強くない台風15号で雨が降る。翌土曜日は多少の買い物。

シルバーウィーク最後の日曜日、空を飛びたくなって・・?😎

新神戸からロープウェイで神戸ハーブ園へ。下りは布引ぬのびきダム、布引の滝を見る1時間半の山散歩コース。新神戸から北野の異人館街をひさびさに散策、北野坂から西に歩いてトアロードを下って、オシャレなトアウエストなんかものぞいて、にぎわう高架下商店街を歩く神戸山側周遊コース。

山は涼しく気持ちよく、ホームの神戸を歩き回って元気を充電しました。

脚がちと疲れたけれど、森林浴に最適の季節、楽しみました。さあ、バスケ🏀とバレー🏐の女子世界選手権観なくては。

この3連休もバスケ沼部で高校トップリーグ、天皇杯と充実😆

台風に翻弄されたシルバーウィークも良い終わり方でした。


◼️ フランツ・リスト「フレデリック・ショパン」

リストの題材はショパン。天才を、天才の友人が描く伝記。

リストの生の言葉は、重く心に沈み込み、沁みわたる。冷静でありながら、ショパンへの尊崇の念と愛情に溢れている。

フレデリック・ショパンは1810年に生まれ、1849年に多くの友人に見守られながら世を去った。1つ年下のフランツ・リストは、他の芸術家仲間らと共にショパンと親しくしていた。

そしてショパンが亡くなるとすぐに筆を取り、1851年にはこの伝記を発表している。

1「ショパンの音楽とその様式」
2「ポロネーズ 」
3「マズルカ」
4「ショパンの演奏」
5「芸術家の生活」
6「ショパンの生い立ち」
7「サンド夫人」
8「ショパンの最期」

の8章となっている。年代記的に綿密な分析・検討を重ねた記録的伝記ではないし、ポロネーズ やマズルカの章は特に、詩人のように長く散文的、想像的な賛美の言葉が続く。しかしショパン音楽論、時代の証言、親しい友人として見たショパンのこと、加えて天才の筆致。

72年ぶりの新訳とのことだが、今これを読むことができる感謝とともに、価値の重大さに比してあまりに長い期間放っておかれた損失に疑問を感じざるを得ない。音楽界はなにやってたのか。

「分散和音(アルペジオ)や反復奏法(トレモロ)を駆使した和音の拡張、うねるような半音階の連続、そして音型という複葉の上から真珠色の露が滴り落ちていくような美しい装飾音。これらはもはや今日のピアノ音楽には欠かすことのできないものだが、もとをたどればショパンの作品に負うところが大きい」

リストはショパンの洗練された美しさ、斬新な表現手法、独創的な和声進行、それでいて無秩序にならないといった構成的特徴、そして聴く人の心にたちまち強い共感を呼び起こしたその不思議な魅力について、手放しで褒めている。

特に第1章で取り上げているのは、ショパンがこよなく愛して頻繁に演奏していたというピアノ協奏曲2番の第2楽章。緩徐楽章、ゆっくりとしたアダージョを辻井伸行と、先のショパンコンクールでコンチェルト賞を取ったマルティン・ガルシア・ガルシアで聴きながら読む。喜びを曇らせながらも悲しみを和らげる神秘の響き。異なる性質の音を巧みに混ぜ合わせて、不調和を起こさず最後まで美しく広げる。

うーむ、たまりませんね。スーパー巨匠のリストの文章と相俟って、最大限の浸り方を楽しむことができます。

そしてソナタの2番に挿入された葬送行進曲。「トムとジェリー」などのアニメをはじめとして様々な作品のシーンで覚えている、悲痛で陰鬱なフレーズ。しかしそれに続く、天からの神々しい光が射した情景のような短いメロディに、救いと敬虔さを強く感じる。ソナタ賞アレクサンダー・ガジェヴで聴く。悲しみの中でもがんばれ、という意味が含まれているように思えてならない。この曲はショパン自身の葬儀でも、オーケストラによって演奏されたとのこと。

リストは、おそらくショパンが亡くなった後、ポーランドヘ赴き、ポロネーズ やマズルカについての取材をしているようだ。


「ショパンのポロネーズ を聴くたびに、そこに、強硬としたーいや、強硬という言葉では足りないような、重く、決然としたー男たちの靴音を聞く」ポロネーズ は雄々しく重厚、華麗なる男性美のもの。


そしてマズルカは「パリの貴婦人のように優美で教養高いのに、東洋の踊り子のような物憂げな情火を帯びている」ポーランド婦人の魅力を知っている者にこそ深く共感される情緒を含んでいるそうだ。軽快、いたずらっ気な面があり魅惑的。それぞれの章でリストは熱弁を振るっている。いやいや、やはり詩的な表現はヨーロッパって多彩で、リストの学識の豊かさにも舌を巻く。ポロネーズ 、マズルカの性格づけについて、私はリストの説明でストンと落ちた。これまでは民族舞曲、とだけしか捉えてなかった。リストは両ジャンルの背景まで解説してくれていて、分かりやすい。

現代でもポーランドの国民的楽曲とも聞く、いわゆる英雄ポロネーズは、先に作られたウェーバーの作品と類似する部分があるそうだ。リストがもっとも迫力のある作品の一つという、5番の嬰ヘ短調の大ポロネーズ。マズルカをも内包するというこの曲はコンクールで、ファミリーネームのアルファベットの関係で小林愛実と近かったキム・スーヨンのテクニカルな演奏で。また、マズルカはマズルカ賞のポーランド人ヤコブ・クーシェリック、作品30を。角野隼斗のマズルカ風ロンドへ長調も良かった。


ショパンはめったに公衆の前で演奏をしなかった。ある夜、芸術家仲間がショパンの住まいに押しかけたことがあった。数本の蝋燭に照らされたプレイエル製ピアノの演奏に魅せられた者たちの中には、詩人のハイネ、画家ドラクロワ、そしてジョルジュ・サンドがいた。この夕べをリストは忘れることができないと書いている。なんて美しく偉大な夜。

ショパンはいつも親切で、物柔らかで、落ち着いていて、どこか楽しげに見えたという。しかし無数の捉えがたい陰翳が次々に入り交じり、交錯し、矛盾し合い、あざむき合う面を抱えていたとリストは言及している。

ポーランドもフランスも、世情いまだ騒がしい頃、またモーツァルト、そして1827年には楽聖ベートーヴェンが亡くなり旧世代から新世代への移り変わりについてロマン主義論争という摩擦が起きていた。その中で、ショパンはポーランド人の家族、同胞との付き合いを大事にしていた。

「ポーランドの人々の情緒を理想化し、気高く高尚な形で再現すること」リストいわく、どの曲も国民感覚にあふれているという。

そして「情熱的でありながらも落ち込みやすく、傲岸不遜でありながらも心に深い傷を負う民族だけがもつ、あの優雅でありながらも神経質な感受性」は言語では伝えられない、ショパンの音楽は言葉で表現できない、と説く。

アンビバレントな心象、それはショパンの音楽でこそ同時に表されるー。この本で打たれてしまった言葉だった。その通りだ、と。優雅に、重く軽く、可愛く、ユーモラスに、蠱惑的に。ショパンは雄弁すぎる。

「ショパンは、ゆっくりと、自らの才能という焔に焼かれていった」

死の床でショパンは聖母マリアの讃歌を伯爵夫人に歌うようにせがみ、なんて美しいんだろう、と感動していたという。そして友人の肩に寄りかかったまま逝ったー。葬儀では本人が希望したモーツァルトのレクイエム、さらに彼のプレリュードから2曲、そして葬送行進曲が演奏された。

じっくりと時間をかけて読んだ。この本にはやられてしまった。ピアノの詩人の伝記を、最愛の友であるピアノの魔術師が書く。リストの言葉は大仰だが、生の感性が伝わってくる。

ショパンはシェイクスピアを愛したそうだ。自分も好きだから、ちょっと嬉しくなったりする。さて、余韻に浸りつつ「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 」でも聞こう。最後に、1851年時点での、リストの予言。

「だから、ショパンの作品が現時点でどれだけ大きな名声を得ていようとも、後世の人々は、間違いなく、それよりもはるかに高く重大な地位を彼の作品にあたえるはずである」

見せてあげたいよ。リストにもショパンにも。

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