2022年5月29日日曜日

5月書評の8

番号を付け間違えた。前回のは5月書評の「7」です。すんません。

先週は「シン・ウルトラマン」今週は巨匠チャンイーモウの新作「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観に行ってきた。

ウルトラマンは子供の頃と、子育てで追体験した思い出、チャン・イーモウはいわば若い日の思い出。片方はオマージュ、もう一方は手法が若い頃とあまり変わらないけれど、正直キレがなくなってた。フレーミングのきれいさや細かい仕掛けはさすがだったけども、色彩感や、なんつっても芯の面白さが欠けてたかなと。若い日のキレには戻れないものだ。



◼️ オルハン・パムク
「パムクの文学講義 直感の作家と自意識の作家」

ちょっとクセはあるが、パムクの文章にはホントに独特の魔力がある。

トルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクが小説とは、純文学とは、ということを分析的に語る本。ハーバード大学で行った講義の翻訳である。原題は「THE NAIVE AND THE SENTIMENTAL NOVELIST」で作中では「ナイーヴ」は直感的、「センチメンタル」は自意識的と訳出されている。

小説を読む時に頭の中で起こっていること、作家の実体験と小説の関連、キャラクター、プロット、時間などについて語る語る。時に観念的でやや難解。本の中で、自分は論理的に小説を捉える方だ、と書いているが、小説論、そのものの意味付けや分析、暗喩などに造詣が深く、学問というよりは、その筆致によりめっちゃ好きなんだなというのがよく分かる。まるで熱中している物事を話す少年のようだなと思う。

第一講で本を読む際に頭の中で行っていることが示され、それが第二講以降のテーマとなっている。さまざまな論を展開しているが、最も力を入れているように見えるのは「中心」だ。

「私たちは細心の注意を払って小説の隠れた中心を探し求めます。ナイーヴ(直感的)に無自覚な場合でも、自意識的(センチメンタル)に思索的な場合でも、私たちが小説を読む際には、頭のなかでこの作業をしていることがもっとも多いのです」

「小説の価値は、直感的に世界に投影することもできるような中心の追求へと人を駆り立てる力にあります。わかりやすく言うと、その価値の実際の尺度は『人生とはまさにこのようなものだ』という感覚を呼び起こす力をその小説が持っているかどうかです」

隠れた中心・・魅力的な言葉だと思う。おそらくそれは、ドラゴンボールのようにこれだと発見して握れるものではないし、確固とした形もしていないかも知れない。「中心」を強調する一方でキャラクター造形を中心とする書き方には率直に反論を述べている。本やマンガの解説などでも時折目にする、主人公のキャラクターにより物語が勝手に転がりだす、ということには違和感があるようだ。

パムクはポストモダンの作家とされている。この本では純文学というものを愛しているのがよく分かる。


パムクは22歳まで画家を目指して絵を描いていた。小説に関しても視覚的なフィクションと捉え、言葉で絵を描くことをイメージしているという。小説を、具体的に魅力的なことばで説明していくのは、カタさを通り越して楽しい。

例えば時間の共有のテクニックや、絵は凍結された瞬間を意味し、小説は何千もの凍結された瞬間を提示して時の点を視覚化し、空間に変換することなどなど。また19世紀、ヨーロッパが富の増大による物質的な飽和状態を迎えたことにより人々は全体像を見失ったと感じ隠された意味を求めるようになり、小説芸術の進展につながったとする考察も興味深い。

中心が明瞭であるというジャンル、どうやらSFやミステリーなどの類は好きではないようで、フィリップ・K・ディックなど一部の独創的な作品は除いて、ともあってホッとするが、少々クセがあるな、という印象はあった。その偏りにもどこかおもしろみを感じる。だって「私の名は赤」だってミステリじゃない、とか。

作中ではトルストイ、スタンダール、バルザックほかほか多くの文豪の作品や小説論が紹介される。とりわけ「アンナ・カレーニナ」で、雪の中を走る列車内、アンナが読書に集中できないでいる場面について繰り返し語られる。恋の予感に襲われるアンナ。その心情が光景描写として表わされていることに心酔しているかのようだ。この長い小説を読んでみようかと心を動かされる。

こうして書評を書いて読み返していてもそれぞれの細部が楽しめる。巻末に訳者が翻訳出版されている作品を紹介している。10作品のうち7作品は読了。テーマが浮かび上がってくるように提示されるパムクの作品はやはり文芸的だな、と思う。魔力がある。

「雪」「新しい人生」「赤い髪の女」が好きかな。疑問を感じたり、読むのが難儀だったりもするけれど、いい具合に無理なく押し切られる。読んだ時の感触を思い出すな。未読の「無垢の博物館」も読む気になる。楽しみだ。

良い読書で、この本、今後も見返したくなった。


◼️ コンラート・ローレンツ「ソロモンの指環」

ノーベル賞学者さんの動物行動学の本。この道のバイブル的なイメージを感じる。

ドイツの人ローレンツは動物行動の観察という、軽視されていた手法を厳密に用い、近代動物行動学を確立したうちの1人だそうだ。

さて、水棲生物や鳥、犬との共同生活での観察による行動研究と、そこから導き出される考察、例えばどんな動物を飼えばいいのか、飼育されている動物はどういう状態なのか、犬の忠誠心とは、動物を笑う、とは、そして戦争の体験からくる、動物の争いの抑止力とは、という話など、それぞれ短い12の章から成る本。

1949年にドイツで書かれたこの作品、第2章にあるアクアリウムの作り方、ポンプや濾過装置を用いない水槽のシステムはかなり有名になったとか。魚の章ではトゲウオの生殖の際の体色の変化や行動、トウギョの夫婦研究など興味深かった。

「旧約聖書の述べるところにしたがえば、ソロモン王はけものや鳥や魚や地を這うものどもと語ったという。そんなことは私にだってできる」という一文で始まる「ソロモンの指輪」という本のタイトル名の章では動物の「語彙」について述べられる。ヨウムやインコの人語の学習の話やコクマルガラス、ワタリガラスの、鳴き声と仕草による伝達は興味深い。最後のワタリガラスが著者に向かって注意を促す時、鳴き声ではなく人間の言葉で「ロア」という自分の名前を口にしたというエピソードはなかなか感動的だった。

トムとジェリーでもあったような、ヒナに親と思い込まれる話なども興味深い。犬の忠誠心の考察は動物をたくさん飼っていた川端康成もエッセイで触れていたなと思いつつ読んだ。私も犬を長年飼ってるし。

しかし動物行動学研究を実践する学者さんはとても多くの種類の動物と暮らしながら観察するんだなあと。夢はあるし面白い。思い切ってやってみても楽しそうではあるが、でも今は話を聞くだけにとどめたいなと思ふ。

いい読書でした。

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