2022年5月6日金曜日

5月書評の2

甲子園のショップでライオンズのグッズ。息子が喜び、翌日の外出にキャップをかぶり、バレー部の練習にタオルを持ってった。

ビゴの店でミルフィーユクリームサンドクッキー風美味かった。

◼️ 森雅裕
「モーツァルトは子守唄を歌わない」

苦虫を13匹くらい噛みつぶした顔のベートーヴェン、生意気ざかりのチェルニーがモーツァルトの死の真相に挑む。

前に読んだピアニスト青柳いづみこさんの「ショパンに飽きたら、ミステリー」で面白そうだなとメモしておいた本を早速探して借りてきた。初読みの作家さん。

モーツァルトが死んで18年後のウィーン、1809年、ハイドンの追悼式の日。都の有名人ベートーヴェンはモーツァルトの落とし胤ではと噂されているシレーネと出会う。シレーネは楽譜屋のトレークと揉めていた。

ベートーヴェンは新しいピアノ協奏曲第5番を弟子のチェルニーの演奏で披露することになっていた。その練習を行っている最中、ホールの貴賓席で、楽譜屋トレークが焼死体となって見つかるー。

シレーネの父フリースは、モーツァルトの死の翌日に自殺していた。そのフリースが書き遺した子守唄の楽譜が発端となり、大きな陰謀があるとにらんだベートーヴェンは宮廷楽長サリエリがモーツァルトを毒殺した噂の真相についてチェルニーやシレーネとともに探索を始める。するとベートーヴェンの食べ物やワインに毒が盛られ、状況は緊迫感を増していく。時あたかも、ウィーンにはナポレオン率いるフランス軍が入場していた。


13匹の苦虫を噛みつぶしたキャラのベートーヴェンと生意気盛り、18才のチェルニー、同年代のシレーネ、さらには少年のシューベルトも登場、次々と刺激的が場面が展開されていく。しかしベートーヴェンとチェルニーの会話を筆頭に、特に会話部分はユーモラスでテンポが良い。著者は大学で音楽教育を受けている方で、登場する用語もかなり専門的。歴史的な造詣も深そうだ。

ネタの大事な部分は意味を噛み砕くことなく結果だけを見てしまったが・・ドイツ語のみの章タイトルと同じく、も少し優しくあればなお良いというところかなと。

ピアノ児童たちを悩ませる練習曲のチェルニー、その大先生の権威をものともしない軽妙な口調が良いアクセントを与えている。ややマンガ的か。

最後まで楽しめるエンタテインメントでした。


◼️ 中川右介「阿久悠と松本隆」

歌謡曲史を作詞家という視点で切り取る。キラ星の様な歌手と曲。すごい時代だなあと。

レコード大賞や紅白の求心力がなくなって幾星霜。よく思うけれども、幼少時から思春期にかけてはテレビでみんなが同じものを観ていた時代だった。歌番組の全盛期でもあったと感じる。

松本隆は阿久悠の12歳年下。ひと回り違いの2人の時代は重なりつつそれぞれにピークが見える。その入れ替わりは劇的だなと。

「スター誕生!」の番組企画から関わった阿久悠は第一アイドル時代とも言える時期、多くの歌手の曲に詞を書いてきた。キャンディーズが7月に引退を発表しピンクレディーが大ブレイクした1977年の年間チャート10位以内には阿久悠の曲が6つも入っている。

レコード大賞の沢田研二「勝手にしやがれ」ピンクレディー「渚のシンドバット」「ウォンテッド」「カルメン'77」「S.O.S」森田公一とトップギャラン「青春時代」で、30位まで広げると都はるみ「北の宿から」石川さゆり「津軽海峡・冬景色」も入る。1年は52週とされるが、うち38週で阿久悠作詞の曲が1位だった。


翌1978年、4月にキャンディーズが引退、「UFO」「サウスポー」「モンスター」と売れたピンクレディーは「透明人間」で早くも翳りが見える。

この年のレコード大賞はオジサン的には壮観だ。新人賞ノミネートは石野真子「失恋記念日」さとう宗幸「青葉城恋唄」渋谷哲平「Deep」中原理恵「東京ららばい」ツイスト「銃爪」渡辺真知子「かもめが翔んだ日」で渡辺真知子が最優秀新人賞、レコード大賞ノミネートは「UFO」研ナオコ「かもめはかもめ」野口五郎「グッド・ラック」桜田淳子「しあわせ芝居」岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」大橋純子「たそがれマイ・ラブ」八代亜紀「故郷へ・・・」西城秀樹「ブルースカイブルー」山口百恵「プレイバックPart2」沢田研二「LOVE(抱きしめたい)」である。

子どもだった私は、年末の買い物時、大型ショッピングセンターの駐車場で父から「レコード大賞はピンクレディーと沢田研二のどっちだと思う?」と訊かれ、沢田研二にとって欲しいけど、ピンクレディーじゃないかな、と答えた覚えがある。もう国民的大注目事だったと思う。沢田研二は大賞でなく最優秀歌唱賞となり「そうですね、喜び、たいと思います」と心持ちを表現した、と思う。

ノミネート10曲のうちピンクレディー、岩崎宏美、大橋純子、西城秀樹、そしてジュリーの5曲が阿久悠だった。この年、「ザ・ベストテン」がスタートした。

キャンディーズが引退し、ピンクレディーの人気が凋落し、さらには1980年山口百恵が21歳で引退、アイドルの空白地帯が出来たところへ登場したのが松田聖子とたのきんトリオだった。

1981年、「ルビーの指輪」を書いた松本隆は「白いパラソル」で松田聖子に関わることとなる。近藤真彦の楽曲も作詞していた。聖子のデビュー曲「裸足の季節」を聴いた松本は、「この人の詞は僕が書くべきだ」と思っていたという。この年52週のうち、28週のチャート1位が松本隆の作品。「ルビーの指輪」近藤真彦「スニーカーぶる〜す」「ブルージーンズメモリー」松田聖子「白いパラソル」「風立ちぬ」イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」。懐かしい。阿久悠の作品は週間チャート20位に1つも入らなかった。

この年私の学校の修学旅行の出し物で「白いパラソル」と「ハイスクールララバイ」が旅館のステージで披露された。イモ欽トリオの物真似がフルコーラスぶん完璧で、大爆笑だった。松本隆とは関係ないが、旅の栞にユーミンの「守ってあげたい」が入っていた。


ドラスティックなこの時代を、私はリアルタイムに体験している。高校になるとレコードとCDの端境期となり、レンタルレコード、レンタルビデオという商売が出てきた。当初のレンタル料金はめっちゃ高かった。


著者の本では「カラヤンとフルトヴェングラー」というのを読んでいたのでクラシックの人と思い込んでいたが「松田聖子と中森明菜」ほか他ジャンルに多くの著書があるようだ。

俯瞰して総括してみるとなるほど面白い。懐かしい曲は多く出てきたし、これ意外に売れてなかったのか、と思ったり、デビュー、ヒット裏話にはほう、というエピソードも多かった。

ちょっと強引さも感じたりするし、短い期間ではあれヒットチャートをずーっと追いかけてるこももあって読むのに時間がかかったけども、まずまず楽しかったかな。

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