2022年5月29日日曜日

5月書評の8

番号を付け間違えた。前回のは5月書評の「7」です。すんません。

先週は「シン・ウルトラマン」今週は巨匠チャンイーモウの新作「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観に行ってきた。

ウルトラマンは子供の頃と、子育てで追体験した思い出、チャン・イーモウはいわば若い日の思い出。片方はオマージュ、もう一方は手法が若い頃とあまり変わらないけれど、正直キレがなくなってた。フレーミングのきれいさや細かい仕掛けはさすがだったけども、色彩感や、なんつっても芯の面白さが欠けてたかなと。若い日のキレには戻れないものだ。



◼️ オルハン・パムク
「パムクの文学講義 直感の作家と自意識の作家」

ちょっとクセはあるが、パムクの文章にはホントに独特の魔力がある。

トルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクが小説とは、純文学とは、ということを分析的に語る本。ハーバード大学で行った講義の翻訳である。原題は「THE NAIVE AND THE SENTIMENTAL NOVELIST」で作中では「ナイーヴ」は直感的、「センチメンタル」は自意識的と訳出されている。

小説を読む時に頭の中で起こっていること、作家の実体験と小説の関連、キャラクター、プロット、時間などについて語る語る。時に観念的でやや難解。本の中で、自分は論理的に小説を捉える方だ、と書いているが、小説論、そのものの意味付けや分析、暗喩などに造詣が深く、学問というよりは、その筆致によりめっちゃ好きなんだなというのがよく分かる。まるで熱中している物事を話す少年のようだなと思う。

第一講で本を読む際に頭の中で行っていることが示され、それが第二講以降のテーマとなっている。さまざまな論を展開しているが、最も力を入れているように見えるのは「中心」だ。

「私たちは細心の注意を払って小説の隠れた中心を探し求めます。ナイーヴ(直感的)に無自覚な場合でも、自意識的(センチメンタル)に思索的な場合でも、私たちが小説を読む際には、頭のなかでこの作業をしていることがもっとも多いのです」

「小説の価値は、直感的に世界に投影することもできるような中心の追求へと人を駆り立てる力にあります。わかりやすく言うと、その価値の実際の尺度は『人生とはまさにこのようなものだ』という感覚を呼び起こす力をその小説が持っているかどうかです」

隠れた中心・・魅力的な言葉だと思う。おそらくそれは、ドラゴンボールのようにこれだと発見して握れるものではないし、確固とした形もしていないかも知れない。「中心」を強調する一方でキャラクター造形を中心とする書き方には率直に反論を述べている。本やマンガの解説などでも時折目にする、主人公のキャラクターにより物語が勝手に転がりだす、ということには違和感があるようだ。

パムクはポストモダンの作家とされている。この本では純文学というものを愛しているのがよく分かる。


パムクは22歳まで画家を目指して絵を描いていた。小説に関しても視覚的なフィクションと捉え、言葉で絵を描くことをイメージしているという。小説を、具体的に魅力的なことばで説明していくのは、カタさを通り越して楽しい。

例えば時間の共有のテクニックや、絵は凍結された瞬間を意味し、小説は何千もの凍結された瞬間を提示して時の点を視覚化し、空間に変換することなどなど。また19世紀、ヨーロッパが富の増大による物質的な飽和状態を迎えたことにより人々は全体像を見失ったと感じ隠された意味を求めるようになり、小説芸術の進展につながったとする考察も興味深い。

中心が明瞭であるというジャンル、どうやらSFやミステリーなどの類は好きではないようで、フィリップ・K・ディックなど一部の独創的な作品は除いて、ともあってホッとするが、少々クセがあるな、という印象はあった。その偏りにもどこかおもしろみを感じる。だって「私の名は赤」だってミステリじゃない、とか。

作中ではトルストイ、スタンダール、バルザックほかほか多くの文豪の作品や小説論が紹介される。とりわけ「アンナ・カレーニナ」で、雪の中を走る列車内、アンナが読書に集中できないでいる場面について繰り返し語られる。恋の予感に襲われるアンナ。その心情が光景描写として表わされていることに心酔しているかのようだ。この長い小説を読んでみようかと心を動かされる。

こうして書評を書いて読み返していてもそれぞれの細部が楽しめる。巻末に訳者が翻訳出版されている作品を紹介している。10作品のうち7作品は読了。テーマが浮かび上がってくるように提示されるパムクの作品はやはり文芸的だな、と思う。魔力がある。

「雪」「新しい人生」「赤い髪の女」が好きかな。疑問を感じたり、読むのが難儀だったりもするけれど、いい具合に無理なく押し切られる。読んだ時の感触を思い出すな。未読の「無垢の博物館」も読む気になる。楽しみだ。

良い読書で、この本、今後も見返したくなった。


◼️ コンラート・ローレンツ「ソロモンの指環」

ノーベル賞学者さんの動物行動学の本。この道のバイブル的なイメージを感じる。

ドイツの人ローレンツは動物行動の観察という、軽視されていた手法を厳密に用い、近代動物行動学を確立したうちの1人だそうだ。

さて、水棲生物や鳥、犬との共同生活での観察による行動研究と、そこから導き出される考察、例えばどんな動物を飼えばいいのか、飼育されている動物はどういう状態なのか、犬の忠誠心とは、動物を笑う、とは、そして戦争の体験からくる、動物の争いの抑止力とは、という話など、それぞれ短い12の章から成る本。

1949年にドイツで書かれたこの作品、第2章にあるアクアリウムの作り方、ポンプや濾過装置を用いない水槽のシステムはかなり有名になったとか。魚の章ではトゲウオの生殖の際の体色の変化や行動、トウギョの夫婦研究など興味深かった。

「旧約聖書の述べるところにしたがえば、ソロモン王はけものや鳥や魚や地を這うものどもと語ったという。そんなことは私にだってできる」という一文で始まる「ソロモンの指輪」という本のタイトル名の章では動物の「語彙」について述べられる。ヨウムやインコの人語の学習の話やコクマルガラス、ワタリガラスの、鳴き声と仕草による伝達は興味深い。最後のワタリガラスが著者に向かって注意を促す時、鳴き声ではなく人間の言葉で「ロア」という自分の名前を口にしたというエピソードはなかなか感動的だった。

トムとジェリーでもあったような、ヒナに親と思い込まれる話なども興味深い。犬の忠誠心の考察は動物をたくさん飼っていた川端康成もエッセイで触れていたなと思いつつ読んだ。私も犬を長年飼ってるし。

しかし動物行動学研究を実践する学者さんはとても多くの種類の動物と暮らしながら観察するんだなあと。夢はあるし面白い。思い切ってやってみても楽しそうではあるが、でも今は話を聞くだけにとどめたいなと思ふ。

いい読書でした。

5型書評の6

会話のきっかけでありし日の平和台球場の写真を再撮した。小学校3〜4年から通っていた。西鉄福岡駅から新天町、西鉄グランドホテルの前を通って、福岡城址、柳が揺れるお堀端、球場への登り坂を歩くのが好きだったなと。


仙台に行った時、楽天のスタジアムが仙台駅から歩いて20分くらいで、ファンが楽しそうに向かっているのを見たとき、当時のことを思い出したことがあった。


いやー懐かしい。1回でも戻りたいね。


◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Adventure of the Mazarin Stone(マザリンの宝石)


ホームズ原文読み20作め。これまた舞台の芝居のようなお話。


たまたまなのですが、前回の「瀕死の探偵」に続き、今回もベイカー街の部屋でストーリーが繰り広げられる、舞台演劇のような物語です。第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿」よりの一篇。これまでも述べたように、晩年のドイルはホームズの独り語りなど実験的な作品を書いています。この話も特殊で、いつものワトスンくんのモノローグではなく、ホームズものでは珍しい三人称です。三人称ではホームズやワトスンがいないところでの描写が可能になり、その特徴を活用したストーリーになっています。


さて、天気のいい夏の日の午後7時、ワトスンくんがひさしぶりにベイカー街の部屋に旧友ホームズを訪ねていくと、給仕の利発な少年、ビリーが出迎えます。事件を抱えたホームズはまたまたハドスンさんを困らせているらしいのです。シャーロッキアン的にちょっと有名なセリフが出ます。ビリーによれば


He gets paler and thinner, and he eats nothing. 

「ホームズさんはどんどん痩せて、顔色が悪くなってます。なにも召し上がらないんです」


'When will you be pleased to dine, Mr. Holmes?' Mrs. Hudson asked. 

'Seven-thirty, the day after to-morrow,' 

said he.


「『食事はいつにしたらいいでしょう』ってハドソンさんが尋ねたら、ホームズさんは


7時半、あさっての』


なんて答える始末なんです」


ワトスンくんは慣れています。事件に熱中してるときのホームズはしばしばこうなるんですね。この後ホームズはどうして食べない?とワトスンに訊かれこう答えています。


Because the faculties become refined when you starve them

「空腹だと頭が冴えるからさ」


in the way of blood supply is so much lost to the brain

「消化に血液の供給をしなければならないことは頭脳にとって損失だ」


I am a brain, Watson. The rest of me is a mere appendix. 

「ぼくは頭脳だ。ワトスン、それ以外は単なる付属物だよ」


この辺はホームズの紹介、解説本でも取り上げられることがありますね。


ホームズがまだ寝室にいる時にしゃべったビリーによれば、巷を騒がせている王冠のダイヤモンド盗難事件で、ホームズのもとに首相、内務大臣、高位の貴族のカントルマー卿の3人が依頼に訪れたとのこと。以来ホームズは変装をして調査によく出かけたりしていると。


さらに部屋には仕掛けがありました。


Billy, what is that curtain for across the window?

「ビリー、窓を仕切って掛けてあるカーテンはなんだ?」


出窓のところ、いわゆるアルコーブのところが見えないような形でカーテンが引かれてました。ビリーがカーテンを開けると驚いたことに、そこにはホームズの人形がアームチェアに座っていたのです。以前に書評を上げた「空き家の冒険」でも空気銃に狙われたホームズが人形を用意しました。今回は首が外れて角度を変えられるようになっていました。


外に見張りがいますよ、とビリーに言われて窓に行こうとした時、寝室からホームズが出てきてさっとブラインドを下ろしました。


危ないやんかビリー、と注意した後、何の危険なんだい?と訊くワトスンにホームズは


殺しだよ、


と穏やかならぬことを告げます。しかも今夜なんらかの動きがある、と。そして黒幕の名はネグレット・シルヴィウス伯爵と分かっていました。身体の大きな元ボクサーのサム・マートンという手下と動いていて、逮捕しようと思えばできるけれども、宝石のありかが分からないために泳がせているようです。


ホームズはこの日の午前中、老婆に変装してずっと伯爵に張り付いていて、伯爵は気付かずに


By your leave, madame

「お忘れですよ、マダム」


と日傘を拾ってくれたとか。この変装についてホームズは


I was never more convincing. 

「これ以上なく真に迫った変装だった」


と自画自賛しています。実はこの点疑義を呈するシャーロッキアンもいます。ホームズの身長は6フィート(183cm)以上であり、おばあさんに化けるのはムリがありすぎると。まあその通りですよね。ホームズ物語にはほかにいくつもおかしな点はありますが、評価に影響を与えることはまったくないというのが私の見解です。もはや疑問点すら楽しみの世界。


さて先を急ぎます。シルビウス伯爵は狩猟の名人で、ホームズがつけて行った先は空気銃の工房でした。ひょっとして、とホームズは「空家の冒険」の人形を用意したと思われます。そうこうしてるうちになんと本人がベイカー街を訪ねてきます。


待たせておいて、作戦。ひょっとしてホームズを殺しに来たのかも知れません。ホームズは、君と一緒にいる、というワトスンを説き伏せ、警察を呼びに行ってもらい、自らは寝室に身を潜めます。


色が浅黒く、恐ろしい口髭を生やし、高い鼻、残忍な唇の男、シルビウス伯爵が入ってきました。誰もいない部屋に罠はないかと慎重なようす。俯いて肘掛け椅子に座っているホームズを見つけ、一瞬ギョッとしますが、どうやら眠っているようなのを見て、後ろから鉛を仕込んだステッキで殴り殺そうとします。


Don't break it, Count! Don't break it!


ホームズが寝室から出てきて声をかけました。伯爵はびっくりです。人間と思ったものは人形でした。


さてこの物語はここから交渉シーンです。


Would you care to put your revolver out also?

「拳銃は出しておいたらどうだ?」

Your visit is really most opportune, for I wanted badly to have a few minutes' chat with you.

「来てくれるとは絶好の機会だ。少し話したいと思っていたのさ」


I, too, wished to have some words with you, Holmes. That is why I am here. I won't deny that I intended to assault you just now.

「おれもだ。たった今お前を襲おうとしたことは認めるが、話したいから来たんだ」


ぶっそうなうえに、ふてぶてしい。しかし緊迫の場面のはずが、どこか呑気な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。さて、何の話か?ホームズが水を向けると


Because you have gone out of your way to annoy me. Because you have put your creatures upon my track.

「お前がでしゃばるからだ。手下に俺をつけさせるからさ」

My creatures! I assure you no!

「手下!そんなもものはいないと請け合おう」


そんなはずはない、と昨日は遊び人風の年寄りの男、きょうは老婆、やつらは一日中俺を見張っていやがった、と抗弁する伯爵。


what the law had gained the stage had lost. 

警察が得をした分、演劇界は損失を被ったと言われたことがある、あれは自分だ、とネタバラシ。


It was you – you yourself

あっけにとられる悪党。そしてむかつきます。この後丁々発止のやりとりをしながら本題に入ります。


分からないのは

Where the Crown diamond now is.

だと。


伯爵はとぼけます。まあそうですね。すんなり話す悪党はいません。そこでホームズは引き出しからノートを取り出します。


It's all here, Count. The real facts as to the death of old Mrs. Harold, who left you the Blymer estate, which you so rapidly gambled away.

「すべてここにあるよ、伯爵。ハロルド夫人の死に関する真実、ブリマの屋敷を遺してもらったのにギャンブルで手放したとかね」


さらにホームズは豪華列車での窃盗事件、偽小切手事件、と伯爵の犯罪歴を言い連ねます。そして、この王冠ダイヤモンド事件でも、伯爵とその相棒の不利な証拠を握っていると告げます。ホワイトホール行き帰りの御者の証言、宝石をカットするのを断ったアイキー・サンダースも口を割ったと。


and the game is up 

「だから、もうおしまいだ。」


宝石を出して、今後もおとなしくしているなら、今回拘束しないでやってもいい。サム・マートンとも話し合え、とビリーを下に呼びにやります。


瞬間、シルビウス伯爵は拳銃を取り出そうとし、ホームズはガウンの下から何かを突き出します。


You won't die in your bed, Holmes.

ベッドの上では死ねないな、ホームズ。


I have often had the same idea. Does it matter very much? 

「自分でもよくそう思うよ。そんなに大事なことかな?」


サム・マートンと2人で話し合ってくれ、自分はホフマンのバルカローレでも弾く、5分したらファイナルアンサーを聞きに戻ってくる、とホームズは寝室に入ります。やがて寝室のドアの方からヴァイオリンの音が聞こえ出します。


バルカローレは舟唄のこと。ショパンコンクールでもよくバルカロールを聴きました。


さて、部屋に来たサム・マートン。少々知恵が回らない役目柄。人形にぎょっとしますが、武闘派らしくこう言います。


He's alone in there. Let's do him in. If his light were out we should have nothing to fear.

「やつはあの部屋で1人きりだ。やっちまおう。もしやつがいなくなれば怖がるものはなくなるぞ」


伯爵は却下。


He is armed and ready. If we shot him we could hardly get away in a place like this. Besides, it's likely enough that the police know whatever evidence he has got

「やつは武装している。撃ったらとても逃げきれるものじゃない。奴が手に入れた証拠はなんでも警察と共有してるはずだ」


伯爵は何かの物音に気付きますが、外の音だろうと忘れます。


さて悪賢いシルビウス伯爵は、ホームズに宝石を返すと言って間違った情報を追わせ、そのスキに高飛びして海外でダイヤモンドをカットしてしまうという策略を考えます。


That sounds good to me!「よさそうだな!」 


伯爵がホームズに、宝石はリヴァプールにあると吹き込んで、マートンはカットする仲間の業者のところへすぐ出発するよう促しに行く、という算段です。策が固まると、伯爵はおもむろに、


Here is the stone.「宝石はここにある」とポケットから宝石を出します。サム・マートンはびっくりして


I wonder you dare carry it.

「よく持ち運んだりできるもんだ」と感心。伯爵は、これがいちばん安全だ、と教えます。


出るとよく見たくなるのが人情、サム・マートンは手を伸ばしますが伯爵は渡しません。マートンが気を悪くしたのを見て、釈明した伯爵は、いいか、よく見ろよ、と宝石を出して窓の光に翳します。その時でした。


Thank you


人形が座っていたところからホームズが跳ね出て、宝石を掴み、片方の手は伯爵にピストルを突きつけていました。


No violence, gentlemen – no violence, I beg of you! Consider the furniture! It must be very clear to you that your position is an impossible one. The police are waiting below.

「暴力はなしだ!紳士方、暴力はなし。よろしく頼む。どうなっても知らんぞ。君たちの立場がどうにもならないというのは明白だよ。警察が下で待っている」


あっけに取られる伯爵。ホームズの寝室から出窓のアルコーヴに出るドアがあったんですね。ホームズはそっとアルコーヴに忍び込み、人形と入れ替わったというわけです。


伯爵は呆然としていました。


We give you best, Holmes. I believe you are the devil himself.

「参ったよ、ホームズ。お前は悪魔そのものだ」


Not far from him, at any rate

「まあ、遠からずだな」


what about that bloomin' fiddle! I hear it yet.

「あのいまいましいヴァイオリンはどうなってる?まだ聴こえてるぞ」


These modern gramophones are a remarkable invention.

「新しい蓄音機っていうのは素晴らしい発明だよ」


ワトスンが呼んできた警察の一群が部屋に入ってきましたー。


ホームズが人形と入れ替わる音を聞いた時、伯爵はヴァイオリンの音がしていたから、まさかホームズが寝室から出たはずはないと思い込んだんですね。晩年の作品には電話も、そして自動車もたしか出て来ます。時代の進歩を象徴する小道具ですね。ヴァン・ダインの「カナリヤ殺人事件」でもレコードがトリックのカギになっています。


この後には高慢ちきな依頼者カントルマー卿をやりこめるシーンが残されているのですが、少々まどろっこしいですし、同様の場面は「名馬シルヴァー・ブレイズ」など他の物語でも出てくるので割愛します。


さて、ホームズ作品としては・・あまり人気のあるものではないですね。日本語で読むのと違って、英文を読むときは概ね一語、one wordも漏らさず見ていることもあり、著者ドイルがいろんなことに気を配っているなと改めて気づいたりします。


しかし宝石を持っていて折よく光にかざすのはいくらなんでも児童小説的で、ホームズが先に、誘導しているサム・マートンを抱き込んでいたんだっけとさえ思っちゃいました。また、寝室のドアがアルコーヴに通じているのも、一般的にも無理があるんじゃないかと思ってしまいますし、これまでのベイカー街221Bの描写でもなかったようです。


ちなみにこの寝室がアルコーヴに直結している問題、最近出た「シャーロック・ホームズの建築」では、テラスハウスの隣を買い取ってベイカー街221Bの部屋を増床したリフォーム後」として解決しています。思わず微笑んじゃいますね。


シャーロッキアン的な面白さは含んでいますし、舞台劇風のベイカー街ものという発想は嫌いではないですが、まあツッコミどころの多いストーリーと言えるでしょう。






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2022年5月20日金曜日

5月書評の6

今年も咲いた薔薇。妻によれば、近所の人からお礼を言われるそうだ。散歩中に目もあやな花たちを見ると心が洗われる経験はコロナ初年度の散歩のときに経験がある。

通勤時、近くに住む後輩と久しぶりに会って、いろいろ話をした。いつも電車では本を読んでるからたまには気分が変わっていい。

私の書評を読んでくれてるそうで、長さを指摘された。やっぱりそうかな^_^よく読んでる、いいと思ったの買ったりしてる、などと言われる。実は読者のことは考えないで書いてたりする。たまにこういう刺激があると身が引き締まる。


◼️ 多和田葉子「容疑者の夜行列車」

夜行列車の旅をモチーフにした不思議な短編集。

パリ行きに始まって、ヨーロッパ各地、東欧、ロシア、シベリア、チャイナ、インドと、すべて各地の夜行列車での移動を中心とした物語集。

主人公は、どうやら前衛的なダンサーの女性らしい。各地での危なそうな誘いに対してフラフラと乗ってしまったり、キッパリと断ったり、周囲に助けてもらったりしながら旅をする。

エキゾチックで、怪しく不思議なできごと。中には男女を見て主人公が想像を膨らませ、現実とのギャップがポイントの話や、麻薬の密輸に手を貸したり、部屋で売春があって男が転落死したりという展開もある。全体的にはどこか淡々としている。

シベリア鉄道で未明にトイレに行こうとして列車から転落、厳寒のなかパジャマ代わりのジャージのままなんとか民家に辿り着く。壮年の男性に優しくもてなしてもらうが、風呂に入る段になって、主人公にも住人も両性具有の様相が見える、なんてストーリーもある。

表現も、多和田葉子ならでは、というか、寝台車のベッドを手術台に見立てたり、おそらく意図的なことばの重複があったり、その発想の方向性にぼちぼち慣れて、出遭うたびニヤリとするようになってきた。

大きな特徴としては、二人称であること。すべての短編が「あなたは〜する」という書き方で統一されている。二人称というと有島武郎の「生まれいづる悩み」を思い出すかな。ググってみると、面白いのもありそう。描写に関しては正直三人称とさして違いは感じないが、視点がこちらから、という特殊感、親友を見守っているような効果は多少あるかなと。

ほか、目次が「目的地一覧」になってたり、それぞれの話が「第1輪」「第2輪」になってたりと細かく手が掛けられている。

谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞受賞。小説の楽しみってものを引き出しているようにも感じる。短編集はやはり、小粋なものだ。


◼️ 中村桃子「女ことばと日本語」

「てよだわ」はどこからきたのか。興味深い題材と洗練された説明。

恩田陸を読むたびに、この本で言えば「てよだわ言葉」のだわ、が目立つなと思っていた。正直女性との会話で出てくることはほとんどない。違和感とまでは言わないが、不思議な、でも正直ちょっと魅力も感じる、いわゆる女ことば。先に読んだ多和田葉子「言葉と歩く日記」に紹介されていて、さっそく探した。

鎌倉時代から女性の振る舞い、言葉遣いなどについて戒める「女訓書」のたぐいは明治時代まで盛んに書かれた。あまり話すな、漢語を使うな、等々で、それは慎み深さや良妻賢母であるための徳目となり、形を変えて現代にも続いていると思われる。

室町時代には例えば例えば豆腐を「かべ」、足を「おみあし」、酒を「くこん」などと言い換える「女房詞(ことば)」が出てくる。宮中の女官たちが使い始め、隠語のような形の女房詞(ことば)が武家の娘たち、奉公へ上がる町人の娘たちへと広がり、粋な感じもあったのか男も遣うようになったが、やがて男には好ましくない、という風潮になっていった。これらの言葉は狂言などにも残されているとか。いかに流行ったかがよく分かる。

女性の立場とことばのトピック。そもそもの土壌をめぐる研究は後半への布石となる。

さて、近代、明治維新以降、標準語を制定しようという動きが早々に始まる。言文一致運動も起こる。また学制も整備が始まり、男子と同じ袴を履いて学校に通う女子学生が現れた。激動の時期に「てよだわ」を代表とする女ことばは翻訳、小説といったメディアによって敷衍し、その扱いも変遷してゆく。特に戦時戦後の国の成り行きによって評価がドラスティックに変わってゆく様が読みどころで非常に興味深い。おもしろい。

女ことばは日本語から自然発生してきた言葉で好ましい、と感じるのはなぜか。果たして歴史と伝統から生まれてきた、のか?

女性の従属的な位置、また戦争による固定的な位置付けや女ことばへの反発などセンシティブな要素を扱いながら、筆者は慎重で冷徹な姿勢を貫いていて、説明としてリーダビリティの高い仕上がりとなっていると思う。

筆者は言語とジェンダーの研究を希求し、先に書いた本により大きな反響を得たという。そしてさまざまな洗練を経て、この本が出来上がった。「おわりに」は悦びに満たされていて、筆者の謙虚な性格も見え、いい気分になる。

私的には、ませ、とかかしこ、の効果も好きだ。知的好奇心を満足させてくれる、いい読み物でした。

5月書評の5

鎌倉紅谷のクルミッ子。妻が梅田のフェアで買ってきた。有名なんだね〜知らなかった。

ここのところちょっとスイーツ充実やね。

暑くなってきた。でもまだ湿度が低くて乾燥注意報まで出ているから、朝晩は少し寒い。寝る時は暑めで朝は寒いからよく起きてしまう。

◼️泉鏡花「紫陽花」

強烈な暑さと草いきれ、氷と美少年と貴女、そして紫陽花。

先日テレビで、美人画の鏑木清方は泉鏡花の挿絵画家だった、というのを観て、そういえば泉鏡花の紫陽花読みたかった、と青空文庫をのぞいた。 

にじんだような、フォーカスが甘いような幻想の世界。ごく短い話だが、なかなか気になる要素をうまく散らして、えっと思う耽美的な色合いで締めくくっている。

暑い日、まだ幼い美少年が氷を売り歩いている。黒髪の神様がいたという社の裏の木陰から貴女とその腰元の2人の女が現れる。

「あの、少しばかり」
注文を受けた少年はノコギリで氷を切るが、なんと真っ黒に。意地悪な継母が炭を挽いたノコギリをそのまま持たせたのだ。何度切っても、氷は黒い。

「お母様(おっかさん)に叱られる」
半泣きの美少年を腰元は可哀想に思うが、貴女は
「さ、おくれよ。いいのを、いいのを」
と強く促し、しまいに切っていない氷をぜんぶあげる、と差し出した少年の手を振り払う。氷は砕けてしまう。

頬を紅潮させた少年は、氷を拾い、強引に貴女の手を引いて小川のあるところまで連れて行く。貴女は細腰を柳のように捩れさせつつされるがまま。

少年は氷を小川で洗い、大きな豆粒くらいになった氷、水晶のように透きとおった氷を差し出し震える声で
「これでいいかえ」

貴女は具合が悪くなり、みるみるうちに衰える。
「堪忍おし、坊や、坊や」
少年は貴女の口に氷を含ませる。氷はゴクリと喉を通り、その笑顔に紫陽花が映った。

もしも誤訳があったらすみません。何せ文章が古文風。正しく意味がとれてないところがあるかも。

暑く草いきれのする中で清々しい氷に美少年。社は昔黒髪の神がいたと言われるところ。少年を理不尽にいじめる貴女。そして手を引かれたときよろめきながらも好きにさせてやんなさい、と腰元をとどめる。なぜかいきなり体調が悪化して緊迫感を高め、氷が「がつくりと喉を通りて」物語は終わる。

この美しさ、妖しさはなんだろう。氷や小川、黒さと頬の赤さ、紫陽花。堪忍、ということばや体調の悪化には実の子に出会ったことに気がついたのでは?という憶測も胸をかすめる。

貴女の腰が柳のように捩れたり、ゴクリと飲み干す喉の動きが耽美的でもある。

短い話だが雄弁、色彩的、心地よいホラー感を抱かせ想像力を刺激する。泉鏡花の短編を、だんだん好きになってきた。

◼️ 髙田郁
「あきない世傳 金と銀十二 出帆篇」

物事のおおもとについて考えることは大切と再認識する巻。

7年前、江戸の仲間組合を除名され絹の呉服商いが出来なくなった五鈴屋。綿を中心とする太物仲間に加わり商いを続けてきた。藍染の技術を共有し、仲間の店たちと一斉売り出しが出来る体制を整えて、前巻では勧進相撲興行に合わせた、力士の名や手形入りの浴衣のセールスで成功を収めた。

今巻では難題を解決し、仲間の店たちと共に再び呉服の商いが出来るようになる。五鈴屋の評判が上がるとともに武家の利用も増え、高価な嫁荷などの発注も出てきた。また人手が追いつかないほどの繁盛となり、吉原から衣装競べ参加の声もかかる。

呉服商がぜひとも食い込みたい高貴な武家、吉原との関係が発生し商売は好調すぎるほどだったが、格差のため一般庶民が店に入りにくい雰囲気も生まれていた。

五鈴屋の女店主・幸は、吉原の大掛かりな衣装競べに声がかかったことをきっかけに、今の商売のあり方について深く考えるー。

髙田郁は「みをつくし料理帖」の頃から愛読している。このシリーズも商売そのものがそんなに上手く転がるわけはないと思いつつ、仮想敵がちと一方的とも感じつつ、やはり時代の考証から言葉、知識、ストーリーの成り行きまで芳醇なものを思わせる巻だった。

太物を扱うようになったことで、庶民の喜びを深く知り、再び呉服を扱い、店の名が上がって別の悦びと格差を目の当たりにする。波のような時間の経過の中で立ち止まって考える姿にどこか共感が湧く。

日食や女ならではの生きにくさなども散らして、五鈴屋の商売のみならず充実の巻となっているような。

幸も四十路を迎えた。また今後の展開を楽しみに。

2022年5月13日金曜日

5月書評の4

GW最終日は母の日ということで、ケーキ。Eテレの「グレーテルのかまど」で知ったサヴァランが食べたくなって一緒に買ってきた。

ブリオッシュの部分にリキュールじゅくじゅくでオトナ味でした。

昔神戸で食べて、こ、これは違う!と思ったケーキのイデミ・スギノがついに閉店。もう1回食べたかったなあ。ブログで「イデミ・スギノとそれ以外」と書く人もいた。東京での成功も素晴らしい。純粋に味で勝っていると思う。願わくば、もう1回神戸に来てくれないかな。


◼️ 多和田葉子「言葉と歩く日記」

エクソフォニーの多和田葉子の「言語観察日記」。たくさんの朗読。

エクソフォニー、とは母国語の外に出た状態のことらしい。著者はドイツ在住で日本語とドイツ語で小説を書き、日本では芥川賞、ドイツでゲーテメダル、さらに「献灯使」で翻訳部門の全米図書賞を受賞している。

通常の日記とは別に、2013年の年始から4月半ばまで書かれた言語観察日記だそうだ。ちょうどこの時期は、日本語で書いた小説をドイツ語に翻訳したことがなかった著者が「雪の練習生」で初めてチャレンジする期間にあたっていたとのこと。忙しく各国を行き来する日々の中、日本語、ドイツ語ほかの、ことばに関する考察がなされている。ドイツ語は大学1年の教養課程までなので分からないところもある。男性名詞、女性名詞、格、日本語が難解だということはよく聞くが、ドイツ語もめんどくさい、表現に影響が出るという視点はなかなか新鮮だった。

ニュアンスというのは考えだすと難しい。著者は「公園に行くと、野良犬がいた」で考える。

主語をわたしとすると、わたしは犬がいると期待して公園に行ったわけではない。また例えば「豆腐を押してみると、意外に硬かった」といったように公園に行った結果、期待を裏切られたことがあったわけでもない。「カーテンの色を白に変えてみると、急に部屋が明るくなった」のように、何かを働きかけてその結果こうなった、というわけでもない。

ドイツ語に訳す際、「わたしが公園に行った時、公園には野良犬がいた」「わたしは公園に行き、そこに犬がいるのを発見した」としてしまうと、「無数の偶然からなる渦に巻き込まれて、かたちのない期待やかすかな驚きを味わいながら、次に何が起こるかわからないけれど、多少のんびりかまえている、という感じが出ない」そうでやっぱり「公園に行くと、野良犬がいた」が肌にぴったりくるそうだ。これとは別に、「リアリティ」という言葉がドイツ語に訳しにくい、という話もふむふむ、となったりした。

源氏物語を与謝野晶子訳で読んだ際、一文が長くて訳しにくすぎる、というのが伝わってきた覚えがある。源氏はむしろ外国語に訳した方が読みやすく意味を取り易い、と外国人の誰かが書いていた。そうかもしれない。先行の訳もあり、たとえ意味がその通りであれ飛躍した表現や思い切った省略がしにくいかも。

ただ著者の悩みはもっとミニマムでニュアンスが細かい。こういうことが難しいからこれまで日本語訳してこなかったのかも。でもこのチャレンジで何かの殻を破りたかったのかもしれない。かも、かも。

それにしても驚くのが、ドイツ各地はもちろん、頻繁に各国のイベントに招かれること、さらには自作を自分で朗読するという企画の多さである。著者の場合は日本語、ドイツ語のいずれか、もしくは両方で朗読している。朗読の形を変えて何回もやったり、ダンスを組み合わせたり、学生とのワークショップがあったり、にぎにぎしく頻度が多い。

本の中でもアメリカ、トルコ、ルクセンブルク、イタリア。ヨーロッパは距離が近い。小さい自治体でも外国から作家を招いて朗読会やワークショップをやる。そんな文学フェスティバルは海外の文化なのだろうか。日本で文学のイベントというと講演、みたいなイメージがあるけども、私が見逃してるだけ?日本でも開催されてるのか?なんて思ってしまった。楽しそうだ。

読書量も多く、映画も演劇も良く観ているようだし、トピックも豊富。考えもあちこちに跳ぶし、言語学の理論的な話があるかと思えば、文学賞の受賞で帰国した際、東京モノレールの駅名に想像力を広げたり。ここは私も初めて東京に行った時のことを思い出した。天空橋や昭和島にはジブリとかガリバーとか考えるし、整備場、流通センターってえらい粗い駅名だし。天王洲アイルはまだなかったかな。

その他、ドイツでは夏目漱石はほとんど知られておらず井上靖の評価が高いとか、日本語にはわかる、と不安、が多いという話、またドイツの1人称はichしかなく、「『あたし』とか『俺』など社会のしがらみの中で体臭を放つ日本語と比べて」無色透明である、などというくだりは表現も含めて面白かった。

こだわりすぎてるかな、なんて思う部分も含め多彩な話題でそこそこ楽しめた。多和田葉子氏には興味を惹かれつつも、ちょっと距離を置いて付き合いたい、という感覚である。なんとなく、だが。今回は先に読んだ「地球に散りばめられて」でかつての日本語を話す人を探し求めるHirukoと著者の姿が重なった。

日本語オンリーだけれど、言語学には興味がある。ふむふむ、という本だった。

◼️ 長野まゆみ「兄弟天気図」

キリリンコロンー狗張り子の鈴の音とともに。数十年前の日常と不思議。

東京・水天宮の近くに住む三姉弟。末っ子の弟史(ちかし)は中学生の兄・兄市(けいいち)と近所がすべて知り合いのにぎにぎしい界隈で暮らしている。出産を控えた姉の姉美(えみ)や友だちにはもう「ちぃ坊」と呼ばれたくない年頃だ。安産祈願で戌の日の水天宮に行った時、姉美が兄そっくりの少年を見かけ、弟史がまだ生まれる前に幼くして死んだ弟介(だいすけ)だと言い出す。「キリリンコロン」やがて弟史も狗張り子の鈴の音とともに、少年と、死んだ祖母の姿を目にするようになる。そしてある日、兄市が行方不明となり、弟史は鈴の音を聞くー。

下町は、湯屋、銭湯が社交場、甘味屋の小父さん小母さんも小さい頃からの顔なじみ。蜜豆、心太、夏蜜柑、枇杷に紅強飯(おこわ)。明治生まれのおじい、おばあが普通にいて子どもにも話しかける。

湯屋の番台には兄市の同級女子の知波、弟史の友人は父親が子どもの名前を真実一路としたかったがために「まみ」とからかわれる真実(まこと)は幼い弟、一路(かずみち)の面倒を見る。

火事、不思議な幽霊、神隠しー。

昭和生まれも元号3つめを迎えてしばらく。やがてほら、あの人はさ、昭和生まれだからさ、とか言われだすんだろか。確か小さい頃、日本最高齢の方は最後の幕末生まれ、という記事を見たような気がする。

あとがきにかいてあるけれども、著者の描きたかった世界は追想の中の子供時代のことだと思う。なんということはない話に100ページほどの物語にしっとりした風情と長野まゆみ風エッセンスが詰まっていて久しぶりに味わった。

長野まゆみは「少年アリス」以来飛ばしまくってた気がするのだが、名前も小難しい漢字も少し抑え気味かな、という感じもする。今回は意味をつけてるからで、それでも変わっているといえばそれまでだけども。蜜蜂とか銀色とか銅貨、黒糖蜜、ほどのインパクトはないかなと。

美少年路線の頃は女性じたいあまり出てこなかった。泉鏡花賞、野間文芸賞を取った「冥途あり」はまた別種の独特さに筆力の抽斗の多さ深さを感じたものだ。

今作は90年代の作品。でも少し変化の兆しが出てるのだろうか。

長野まゆみはおもしろい。折に触れ読みたい作家さんだと思う。

5月書評の3

GW唯一のお出かけ、大山崎山荘美術館に行ってきた。

いま何やってるかな〜とHPを見ていたら、先日読んだ、ルーシー・リーの展覧会の図録表紙の青い鉢があると。こりゃ行かな!となりました。

もともとテューダー様式の建築に注目していたけども、入ってすぐに表紙の鉢があり、ルーシー・リーと河井寛次郎、濱田庄司、そしてバーナード・リーチの陶芸、安藤忠雄設計で建て増した部屋にはモネやシニャック、クレー、ヴラマンクなどの絵画があり、建築も見て、リーガロイヤルホテルの「ルオーのステンドグラス」というケーキを食べてと頭をめぐらすのに忙しかった。

入り口の近くの革張りのソファがめっちゃ気持ち良かったd(^_^o)

◼️ ジョルジュ・シムノン
  「紺碧海岸のメグレ」

シムノンが散らす対比と人間的な動機への帰結にうまいなあ、と感じる作品。

紺碧海岸と書いてコートダジュールと読みます。冬服でパリから来た殺人の捜査に来たメグレはリヴィエラの地の太陽とバカンスの地独特の雰囲気にあてられてしまう。なんかこのへん「異邦人」なんか思い出しちゃいます。

背中をナイフで刺された死体を放っておいて、有り金持って逃げようとした同居の女たち、さらに被害者の男が身を落ち着けていた「リバティ・バー」にいる肥満の元娼婦と若い娼婦を、メグレは違和感を覚えつつ調べる。

被害者はオーストラリアの富裕な実業家で、コートダジュールに来てから母国に戻らず、親族たちと揉めていた。女たち、親族、彼が死んで得をするのは?

調べていくうちに、それぞれひとクセもふたクセもある登場人物たちが、いよいよ怪しくなっていく。そして、この地で起きる人間の営みが、メグレにとっても読者にとっても、距離感のある異世界での出来事のように思える。そう、セオリーを追っていくけれど、セオリーではない空気感、暑い、退廃的、享楽的な匂いが心に広がっていくような感覚になる。

そこで、動機は一種意外だけれど、納得できるもの、という素早いオチがあり、異世界を脱出したメグレが自宅で夕食を食べながら、妙に明るく噛み合わず、でも底抜けにアットホームでユーモラスな会話を妻と交わす場面にホッと笑って終わり。

メグレは心理的、と読み始めた当初から思っている。細部に回収していないかもという点もよく見られるけれども、今回は設定がとても技巧的で面白かった。シムノンの作品を折に触れ読むのは、私の貴重な愉しみだ。


◼️ 小林朋道
「先生、大蛇が図書館をうろついています!」

ヘビ大好きな学生のWkくんにMVP!^_^

1年に1冊出ているというこのシリーズ、いまのところ1年ずつ遡っている。今回は2020年の春に出たもの。

プロローグ、先日読んだこの次の巻の一章となった子モモンガとの出会いが語られる。何回見ても可愛いねー。

次巻よりも学生の活躍が多くてこれが楽しい。ヘビ好きな2人の卒業生は学内のヘビ部屋という施設で卒業研究をした。アオダイショウとシマヘビでは支柱の登り方は違うのか、また登り方の特徴は?など生態行動の観察、また霊長類にあるというヘビニューロン(ヘビの姿に激しく反応する神経)に関する実験など興味深い。ヘビはダントツに怖がられている生物なんですね。

うち1人のWkくんはヘビが好きすぎて、住んでいるアパートにニシキヘビを含む数種のヘビとヤモリ、トカゲ、そしてそれらの餌の昆虫類を飼育していたとか。大学のある鳥取から山形の実家に帰るときは持てるだけの子たちを連れて行く笑が、全部は無理。どうするかというと、その交友関係作りの巧みさで、家族とともに住める造りの交番のお巡りさんやその家族に預けるのだとか。

さらに、爬虫類と触れ合うイベントでは上手な解説で、来訪した小学生の警戒心を解き、さわりたいと思うところまで持っていくのだそう。自治体のイベントに呼ばれたり、テレビまで取材に来たりと大人気のWkくん。イベントでの、顔出しの写真も掲載されているが、これがまあなんとも親しみやすい表情で、読んでて微笑んでしまいます。

ニホンアナグマの溜め糞の実験やユビナガコウモリのルースト(洞窟内でぶら下がって休憩すること)の優位性の実験に関する解説も好奇心を刺激した。

私の自宅にも、春から初夏に青色が鮮やかなイソヒヨドリが来て気持ちよさそうに囀る。イソヒヨドリの短い救助日記もほのぼのとしてGOOD。

コンパクトに動物行動のおもしろさが味わえる。もっと遡って読もうかな。

2022年5月6日金曜日

5月書評の2

甲子園のショップでライオンズのグッズ。息子が喜び、翌日の外出にキャップをかぶり、バレー部の練習にタオルを持ってった。

ビゴの店でミルフィーユクリームサンドクッキー風美味かった。

◼️ 森雅裕
「モーツァルトは子守唄を歌わない」

苦虫を13匹くらい噛みつぶした顔のベートーヴェン、生意気ざかりのチェルニーがモーツァルトの死の真相に挑む。

前に読んだピアニスト青柳いづみこさんの「ショパンに飽きたら、ミステリー」で面白そうだなとメモしておいた本を早速探して借りてきた。初読みの作家さん。

モーツァルトが死んで18年後のウィーン、1809年、ハイドンの追悼式の日。都の有名人ベートーヴェンはモーツァルトの落とし胤ではと噂されているシレーネと出会う。シレーネは楽譜屋のトレークと揉めていた。

ベートーヴェンは新しいピアノ協奏曲第5番を弟子のチェルニーの演奏で披露することになっていた。その練習を行っている最中、ホールの貴賓席で、楽譜屋トレークが焼死体となって見つかるー。

シレーネの父フリースは、モーツァルトの死の翌日に自殺していた。そのフリースが書き遺した子守唄の楽譜が発端となり、大きな陰謀があるとにらんだベートーヴェンは宮廷楽長サリエリがモーツァルトを毒殺した噂の真相についてチェルニーやシレーネとともに探索を始める。するとベートーヴェンの食べ物やワインに毒が盛られ、状況は緊迫感を増していく。時あたかも、ウィーンにはナポレオン率いるフランス軍が入場していた。


13匹の苦虫を噛みつぶしたキャラのベートーヴェンと生意気盛り、18才のチェルニー、同年代のシレーネ、さらには少年のシューベルトも登場、次々と刺激的が場面が展開されていく。しかしベートーヴェンとチェルニーの会話を筆頭に、特に会話部分はユーモラスでテンポが良い。著者は大学で音楽教育を受けている方で、登場する用語もかなり専門的。歴史的な造詣も深そうだ。

ネタの大事な部分は意味を噛み砕くことなく結果だけを見てしまったが・・ドイツ語のみの章タイトルと同じく、も少し優しくあればなお良いというところかなと。

ピアノ児童たちを悩ませる練習曲のチェルニー、その大先生の権威をものともしない軽妙な口調が良いアクセントを与えている。ややマンガ的か。

最後まで楽しめるエンタテインメントでした。


◼️ 中川右介「阿久悠と松本隆」

歌謡曲史を作詞家という視点で切り取る。キラ星の様な歌手と曲。すごい時代だなあと。

レコード大賞や紅白の求心力がなくなって幾星霜。よく思うけれども、幼少時から思春期にかけてはテレビでみんなが同じものを観ていた時代だった。歌番組の全盛期でもあったと感じる。

松本隆は阿久悠の12歳年下。ひと回り違いの2人の時代は重なりつつそれぞれにピークが見える。その入れ替わりは劇的だなと。

「スター誕生!」の番組企画から関わった阿久悠は第一アイドル時代とも言える時期、多くの歌手の曲に詞を書いてきた。キャンディーズが7月に引退を発表しピンクレディーが大ブレイクした1977年の年間チャート10位以内には阿久悠の曲が6つも入っている。

レコード大賞の沢田研二「勝手にしやがれ」ピンクレディー「渚のシンドバット」「ウォンテッド」「カルメン'77」「S.O.S」森田公一とトップギャラン「青春時代」で、30位まで広げると都はるみ「北の宿から」石川さゆり「津軽海峡・冬景色」も入る。1年は52週とされるが、うち38週で阿久悠作詞の曲が1位だった。


翌1978年、4月にキャンディーズが引退、「UFO」「サウスポー」「モンスター」と売れたピンクレディーは「透明人間」で早くも翳りが見える。

この年のレコード大賞はオジサン的には壮観だ。新人賞ノミネートは石野真子「失恋記念日」さとう宗幸「青葉城恋唄」渋谷哲平「Deep」中原理恵「東京ららばい」ツイスト「銃爪」渡辺真知子「かもめが翔んだ日」で渡辺真知子が最優秀新人賞、レコード大賞ノミネートは「UFO」研ナオコ「かもめはかもめ」野口五郎「グッド・ラック」桜田淳子「しあわせ芝居」岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」大橋純子「たそがれマイ・ラブ」八代亜紀「故郷へ・・・」西城秀樹「ブルースカイブルー」山口百恵「プレイバックPart2」沢田研二「LOVE(抱きしめたい)」である。

子どもだった私は、年末の買い物時、大型ショッピングセンターの駐車場で父から「レコード大賞はピンクレディーと沢田研二のどっちだと思う?」と訊かれ、沢田研二にとって欲しいけど、ピンクレディーじゃないかな、と答えた覚えがある。もう国民的大注目事だったと思う。沢田研二は大賞でなく最優秀歌唱賞となり「そうですね、喜び、たいと思います」と心持ちを表現した、と思う。

ノミネート10曲のうちピンクレディー、岩崎宏美、大橋純子、西城秀樹、そしてジュリーの5曲が阿久悠だった。この年、「ザ・ベストテン」がスタートした。

キャンディーズが引退し、ピンクレディーの人気が凋落し、さらには1980年山口百恵が21歳で引退、アイドルの空白地帯が出来たところへ登場したのが松田聖子とたのきんトリオだった。

1981年、「ルビーの指輪」を書いた松本隆は「白いパラソル」で松田聖子に関わることとなる。近藤真彦の楽曲も作詞していた。聖子のデビュー曲「裸足の季節」を聴いた松本は、「この人の詞は僕が書くべきだ」と思っていたという。この年52週のうち、28週のチャート1位が松本隆の作品。「ルビーの指輪」近藤真彦「スニーカーぶる〜す」「ブルージーンズメモリー」松田聖子「白いパラソル」「風立ちぬ」イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」。懐かしい。阿久悠の作品は週間チャート20位に1つも入らなかった。

この年私の学校の修学旅行の出し物で「白いパラソル」と「ハイスクールララバイ」が旅館のステージで披露された。イモ欽トリオの物真似がフルコーラスぶん完璧で、大爆笑だった。松本隆とは関係ないが、旅の栞にユーミンの「守ってあげたい」が入っていた。


ドラスティックなこの時代を、私はリアルタイムに体験している。高校になるとレコードとCDの端境期となり、レンタルレコード、レンタルビデオという商売が出てきた。当初のレンタル料金はめっちゃ高かった。


著者の本では「カラヤンとフルトヴェングラー」というのを読んでいたのでクラシックの人と思い込んでいたが「松田聖子と中森明菜」ほか他ジャンルに多くの著書があるようだ。

俯瞰して総括してみるとなるほど面白い。懐かしい曲は多く出てきたし、これ意外に売れてなかったのか、と思ったり、デビュー、ヒット裏話にはほう、というエピソードも多かった。

ちょっと強引さも感じたりするし、短い期間ではあれヒットチャートをずーっと追いかけてるこももあって読むのに時間がかかったけども、まずまず楽しかったかな。

5月書評の1

甲子園の近くの図書館支所へ。ひさびさ。他球団やメジャーのグッズショップもできてた。帰りにエリア人気の和菓子屋でウワサのいちご大福をゲット。熟したあまおうが美味かった!


◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Adventure of the Dying Detective

                                            (瀕死の探偵)


ベイカー街の部屋で進行する物語。なんだかそういう舞台か映画のよう。


ホームズを原文で読もう19作品めは第4短編集「最後の挨拶」から。リードで書いたとおり、最初にワトスンの家、途中にも別の場所での展開はあるものの、主要な部分はすべてベイカー街221Bの部屋で進む短めの物語。


工夫すれば一幕の舞台ものとしてできそう。また映画にもヒッチコックの「裏窓」という、隣のビルからある部屋を視点を変えずずっと見る、という作品があり、ちょっとだけ思い出しました。


さてホームズ宅のlandlady、大家さんのハドソン夫人がワトスンの家に駆け込んできます。いわく


He's dying, Dr. Watson,

「ホームズさんは死にかけています。ワトスン先生」


この3日間飲まず食わずで衰弱しているとのこと。ワトスンくんは大急ぎで古巣の部屋へ。ホームズ部屋はひどいありさまで、やつれて痩せ衰えた顔がベッドから見ていました。手は震え、声もまたしわがれていました。


おおだいじょぶかホームズ、と近寄ろうとしたところ、


Stand back! Stand right back!

「下がれ!すぐに下がるんだ!」


自分は伝染性が強く、死に至るアジアの病にかかっているから近寄るな、と頑として譲りません。君も医者だが専門ではない、と。


んじゃ専門医の博士を連れてくる!とワトスンが出ようとすると、


Never have I had such a shock! In an instant, with a tiger-spring, the dying man had intercepted me.

「私はこんなショックは初めてだった。まるで虎のような突進で、瀕死の男は一瞬で私を阻止した」


出るな、とホームズは鍵をかけます。6時になるまで行くな、と。そして


You will seek help, not from the man you mention, but from the one that I choose.

「君が助けを呼びに行くのは、君が言った男じゃなく、僕が選んだ人物だ」


急に動いたホームズはよろよろとベッドに戻って寝入り、手持ち無沙汰なワトスンはつい、マントルピースの上にあった象牙の小箱に触ろうとしたその時!ホームズは恐ろしい叫び声を上げます。


Put it down! Down, this instant, Watson – this instant, I say!

「それを下ろせ!いますぐ、いますぐだ!ワトスン、言っているだろう!」


そしてまた寝るホームズ、むかつきながらもワトスンは待ち、6時が過ぎます。


半クラウン金貨を何枚持ってる?とホームズが訊いてワトスンが5枚、と答えると


Ah, too few! Too few! How very unfortunate, Watson! However, such as they are you can put them in your watchpocket. And all the rest of your money in your left trouserpocket. Thank you. It will balance you so much better like that.


「ああ、少なすぎる、少なすぎる!なんと不幸な、ワトスン!しかしそれなら君はそのコインを右のポケットに入れたらいい。残りの金は全部左のズボンのポケットに。それではるかにバランスが良くなるだろう」


もはや、精神錯乱かとワトスンは思います。ホームズは、カルバートン・スミスという、自分の病気に詳しい農場主を連れて来てほしいとワトスンに頼みます。6時からしか書斎にいない、とのこと。自分とスミス氏の関係はよくなく、悲惨な死に方をした氏の甥のことで不正行為の疑いを持ち、そのことでスミス氏はホームズに恨みを抱いているとのこと。なんとかしてなだめて連れてきてほしい、その際別々に、先に戻ってきてほしいと言います。


もはやあえぎながら言葉は途切れ途切れで、目はギラギラとし、額には冷や汗。なぜ海底は繁殖力旺盛なカキで埋め尽くされないのか、などと口にします。


かくしてワトスンはスミス氏を呼びに行きます。途中霧の中で、旧知のスコットランドヤードのモートン警部と行き合い、会話を交わします。


スミス氏は背の低い不機嫌そうな顔の男で、背中と腰が曲がっていました。取り継いだ執事に最初は追い返せ、と言っていました。しかしワトスンが書斎に押し掛け、ホームズの名を出すと、とたんに変わります。彼の容態をワトスンに詳しく尋ねて、悪意に満ちた、不快な笑みを漏らし、行くと言います。


ワトスンはホームズの指示通り先に帰ってきました。ホームズはワトスンの手際の良さをほめ、こう言います。


I have reasons to suppose that this opinion would be very much more frank and valuable if he imagines that we are alone. There is just room behind the head of my bed, Watson.


「僕には僕が1人だと思えば、その意見はより率直で価値があるだろう、僕のベッドの頭側には隙間があるよ。(ここに隠れていないか?)


とワトスンを隙間に押し込みます。


やがてスミス氏登場。しばしの沈黙の後、会話が始まります。


Holmes

Can't you hear me,Holmes


スミス氏がホームズの肩を揺さぶるような音がしました。ワトスンくんは隠れているため場面が見えません。音だけで表現するのは巧みです。挿絵もあるので読者は困らないのですが、ここは挿絵が無いほうがおもしろかったかもですね。


Is that you Ms.Smith?


ホームズは目を覚ましたようでした。スミス氏とホームズの間柄は良くないと聞いていたものの、スミス氏は笑っているようです。


Do you know what is the matter with you?

「自分に何が起きたか知っているか?」


ホームズは答えます。The same「同じだ」


Poor Victor was a dead man on the fourth day

「哀れなビクター(スミス氏の甥」は4日めに死んだ。」


very surprising that he should have contracted an out-of-the-way Asiatic disease in the heart of London – a disease, too, of which I had made such a very special study.

「驚くべきことに、ロンドンのど真ん中で、アジアの奇妙な病気にかかって。そしてそれは私が専門的に研究している病気でもあった」


Very smart of you to notice it, but rather uncharitable to suggest that it was cause and effect.

「お前がそれに気づいたのはさすがだ。しかし因果関係があると示唆したのは言いがかりに過ぎないね。」


I knew that you did it.

「あなたがやったのは分かっていた」


Well,you could't prove it,anyhow.

「ふん、ともかくお前はそれを証明できなかった」


なんだか、話が見えてきましたね。スミスは甥のビクターを自分が研究している病気で殺した、と告白しています。ホームズはそれを指摘したものの、立証できなかったということでしょうか。


苦しむホームズはLet bygones be bygones水に流すから助けてくれ、忘れるから、と。スミスは何を忘れるんだ?と訊きます。


about Victor Savage's death. You as good as admitted just now that you had done it. I'll forget it.

「ビクター・サビジの死のことだ。たった今自分がやったと認めたもの同然だ。それを忘れる」


スミスは、覚えていようが関係ないさ、証言台(witness-box)には立たないし、お前を待ってるのは別の箱さ、甥じゃなくてお前のことだ。どうやってこの病気にかかったか分かるか?と瀕死のホームズを問い詰めます。


ホームズは、分からん・・もう意識が遠くなってきた、とうめきます。


スミスはホームズを揺さぶり、水曜日に象牙の箱が届かなかったか?と追い討ちをかけます。


I remember,

The springIt drews blood.This box

「思い出した。バネだ!血が出た。この箱だ」


And it may as well leave the room in my pocket. There goes your last shred of evidence. But you have the truth now, Holmes, and you can die with the knowledge that I killed you. You knew too much of the fate of Victor Savage, so I have sent you to share it.


「この箱はポケットに入れて持ち出した方がいいだろう。これで残る最後の証拠が消える。これで真実が分かっただろう、ホームズ。私がお前を殺したと分かって死ね。お前はビクター・サビジの死について知りすぎた。だからお前にも死んでもらう」


あとはホームズの最期を見るだけ。ホームズはブツブツと呟きます。ガス燈を明るくしてくれ、と。スミスはその通りにします。 


サディスティックな悦びに浸っているスミスはさらに話しかけます。


Is there any other little service that I can do you, my friend

「なにか他にして欲しいことがあるかな?我が友よ」


すると突然、はっきりとした言葉が


A match and a cigerette.

「マッチと煙草を」


長い沈黙の後スミスは「どういうことだ?」


The best way of successfully acting a part is to be it I give you my word that for three days I have tasted neither food nor drink 

「うまく演技をする一番の方法はなりきることだ」

「僕は3日間飲まず食わずだったのさ」

(煙草に火をつけ)

That is very much better. Halloa! halloa! Do I hear the step of a friend?

「これで生き返ったよ。あれあれ?あれは友人の足音かな?」


入ってきたのはモートン警部でした。ワトスンがスミスのところへ行きしなに出会ってましたね。


All is in order and this is your man

「すべて予定どおりでこちらが犯人だ」


モートンは


I arrest you on the charge of the murder of one Victor Savage

「ビクター・サビジ殺害容疑で逮捕する」


シャーロック・ホームズ殺人未遂も付け加えていいかな。右のポケットに小さな箱を持っている、慎重に扱って。裁判で役に立つかも、と機嫌良くしゃべります。


逃げようとしてモートン警部に押さえ込まれ手錠を掛けられたスミス、こうわめきます。


It will bring you into the dock, Holmes, not me.

「これでお前は被告席送りだ、ホームズ、私ではない」


どういうことでしょう。


He asked me to come here to cure him. I was sorry for him and I came. Now he will pretend, no doubt, that I have said anything which he may invent which will corroborate his insane suspicions. You can lie as you like, Holmes. My word is always as good as yours.

「私はやつに治療を頼まれてここに来た。哀れと思ったのさ。やつのおかしな疑惑を裏づけようと、間違いなく嘘を言うだろう。私が何か言ったと。好きなように嘘をつけばいいさ、ホームズ、私とお前の証言能力は同じなんだ」


ビクター・サビジのことを話していたくだりは自分とホームズしか聴いてない、警部はいなかった、と計算してのことですね。


Good heavens!こりゃしまった!とホームズ。


I had totally forgotten him. My dear Watson, I owe you a thousand apologies. To think that I should have overlooked you! I need not introduce you to Mr. Culverton Smith


「完全に忘れてたよ、ワトスン。君のことを忘れてるなんて、ホントにすまなかった。カルバートン・スミス氏に紹介する必要はないよね」


証人はいるよ、とスミスにバラすわけです。強烈なカウンターパンチですね。


スミスは引っ立てられて行き、クラレット(ボルドー産赤ワイン)とビスケットでひと息ついたホームズ。嘘ついてゴメンね、とまでは言いませんが、ハドソンさんに死にそうだと信じこませることで彼女がワトスンを連れてくる、ワトスンをコントロールすることでスミスを連れて来る、スミスは必ず自分の小細工の確認に来る、という正確な予測の構図で皆を操ってたんですね。


額にワセリンを塗り脂汗でテカってるように見せ、熱っぽく見えるよう頬紅を、かさぶたに見えるよう口紅に蜜蝋を使ったと。あとは半クラウン金貨とかカキの増殖とかテキトーに言っとけばOK


But why would you not let me near you, since there was in truth no infection?

「しかしなぜ君は僕を近づけなかったんだ。感染なんてしないのに?」


Can you ask, my dear Watson? Do you imagine that I have no respect for your medical talents?

「それ訊くー?医者の才能に敬意を払ってないわけないやん」


まあ直訳しちゃいましたが、ホンモノの医者が、というか医者じゃなくても近くに寄れば違和感を抱くであろうと。近寄るな!と言ってたのはけっこう必死だったわけですね笑。スミスは自分に酔ってたし、あまり近づくと感染すると思いこんでいた、でも特にホームズを心配する人はふつう近づいてじっと見ますわね。いわんやドクターにおいておや、ですね。


詳しくは書いてませんが、スミスはビクターへの復帰財産を手中にするため病気に感染させた、証拠がないから自白を引き出したかった、と。象牙の箱は尖った部分がバネで飛び出す仕掛けで、自分宛ての荷物にいつも気をつけているホームズは見抜いていたというわけです。


When we have finished at the police-station I think that something nutritious at Simpson's would not be out of place.

「警察での仕事が終わったら、シンプソンズで栄養のあるものを食べるのも悪くないな」


ホームズシリーズでは、あのコンサートを聴きに行こう、とか、おなじみのレストラン、シンプソンズに行こう、とかいう締めくくりがたまにあります。私はこのパターンが大好きです。難題を解決して、次はロンドンの大都会へ大人の愉しみに飛び出していく、小粋な感じがしますよね。


さて、舞台の台本のような小物語、植民地の病気とのことで、ここにもホームズものの特徴的であるイギリス帝国主義時代の要素が出てますね。第4短編集「最後の挨拶」、最後の短編集「シャーロック・ホームズの事件簿」でドイルはさまざまな実験的作品を書いていますが、ほぼベイカー街の部屋だけで事が進み、ダイナミックな展開がないのはその一環とも言えます。モートン警部を先に出したり、話のプロットをうまく組んだりするのはさすがといえるでしょう。


ハドソンさんやワトスン、さらには犯人までもがホームズの「天の手」によってその意図通りに動かされたり、本当にホッとした種明かしの時間があるのもいい風情の一篇でした







2022年5月2日月曜日

4月書評の10

神田神保町で好きだった店、欧風カレー「ボンディ」の味がレトルトになったという情報をゲット、さっそく買ってきて食べた。んー濃厚で思い出すものがある。ライスにとろけるチーズ、もれなくほこほこの小ぶりジャガイモ2つ付き。また行きたいなあ〜。

4月は17作品15冊。この2か月ほど多くなっている。興味が持てるものをさくさく読んでいる。一時期は物語だけだったけども最近は情報・知識系も多い。

まあまだ、今年は世界の名作系も少し入れていきまいな、と思いつつまだまだなのでした。

◼️北杜夫「幽霊」

生い立ちと青春。なにが「幽霊」なのか。

1954年に自主出版したという、北杜夫のデビュー作にして自伝的作品。

父母に姉、肉親を亡くし、戦争を経て成長する少年の私。昆虫に興味を抱き、自然を観察し、病に臥せる。幾人かの女性に興味を惹かれるが、それは生い立ちと分かち難くつながっていた。そして、単独で日本アルプス、槍ヶ岳で過ごして、何かに出逢う。

まず思ったのは、一文一文の表現に意匠が凝らしてあるということだ。文豪たちよりはやはり現代に近い文体で、言葉が知的で美しい。すべての文に力が入りすぎていてやや読むのに肩が凝る気もするが、どこか純粋さが見て取れる文調だ。

惹きつけられたのは、おそらく10歳くらいのころ、1人で図画教室に残り百合の絵を描く場面。百合の花弁が、暮れゆく陽の光にさゆらぐその陰翳を捉えたくて暗くなるまで熱中する。この年代よりも幼い頃、目に映る植物や虫、蝶や黄金虫などの甲虫の表現が、硬質で色彩的だった、と思い返し、その感性をここでぶつけている、と悟った気になった。

作中に紹介されている蝶たち、「風の精かともまごうこの上品な白い服をもつ天使」クモマツマキチョウや「太い黒帯を黄の衣装に対照させ」ているミヤマモンキチョウ、「素晴らしい眼紋と光輝とにつつまれて」いるクジョクチョウ、そして幼少の「ぼく」が夢中になったウラギンシジミなどの画像を調べながら読むのも楽しかった。

槍ヶ岳の夜、幽霊に向かって、「ぼく」は何という言葉を呟くのか。それにしても寒い槍ヶ岳の山小屋にたった1人、3000mの美しい月の夜の光景なんて見たら、人生変わるだろうな、と。

北杜夫はこのあと「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり「夜と霧の隅で」で1960年に芥川賞を受賞する。

びっくりしたのは、氏が亡くなった病院が東京にいた時代の家の近くの病院で私が住んでた時期だったということ。あまり読んでなかった作家さんだけども、また読んでみようかな。