2025年2月28日金曜日

2月書評の10

◼️ 皆川博子「U」

イェニチェリになるべくヨーロッパ東部からオスマンへと送られた美少年たちは時空を超える。

手塚治虫のアニメ「火の鳥」を深夜に放送していていま「太陽編」だ。原作は白村江の戦いから壬申の乱までと未来の物語が交互に描かれて最後に融合する、「火の鳥」の中では私的最高傑作(おそらくアニメは未来パートがない)。その時期にこの小説を読んだことに緩い繋がりを覚える。勝手にだけど笑。

1613年、オスマン帝国によるデウシルメ(強制徴募)により、マジャール人のヤーノシュ、ドイツ人のシュテファン、ルーマニア人のミハイはオスマンへと、多くの少年たちとともに連行される。ヤーノシュは謁見で目をかけられ、宮殿に詰めて皇帝を護る役に抜擢される。ヤーノシュは、後に若くして即位したオスマン二世の側近となり、イェニチェリとなっていたシュテファンとミハイを近くの部隊に移してもらう。

やがてポーランド軍、リトアニア軍との軍事衝突が起き、皇帝自らが赴く。やがて皇帝が最前線で兵を鼓舞することとなり戦乱の最中、ヤーノシュとシュテファンはともに転落するー。

かなり端折っている。少年たちはイスラムへの改宗を強制される。ヤーノシュ、シュテファンそれぞれの、オスマンでの体験が交互に綴られる。さらに冒頭から、一次大戦のドイツ軍の潜水艦Uボートを巡る仲間の救出劇が描かれ、3つもしくは2つの世界が変わるがわる現出する。

壮大な、歴史幻想劇。これだけでも手塚治虫を連想させる。読み手はそれぞれの内容に興味を抱きつつ、いつ、どうなふうに邂逅するのか、物語が融合するのかと期待して読む。クライマックスも明瞭であり、前後も戦時ものとしてワクワクする。私はまた、トルコとキリスト教勢力による中世の争いは、塩野七生さんの著作などで大いに啓発され、興味を持っている。その激しさ、残虐さ、そして特に歴代オスマン皇帝の少年趣味は知っていた。

だから今回イェニチェリにされた少年たちの物語は禁断の領域に踏み込むような気がしたものだ。この絶望感。死ぬまで故郷には帰れない。となるとイェニチェリの少年たちは少しでもよい待遇、出世に向けて必死になる。またもとが遊牧民族だけあって、馬を駆る、操る描写が強調され、そこに安らぎがある、というのも心に響く。カフェの風景も、オルハン・パムクの作品でも触れているが、トルコ風は妙に魅力的で想像力をそそる。

単的にヨーロッパ史ものは多いけれども、イスラム圏の歴史ものは量も少ない気がするし、触れてこなかったということもある。パムクは国内で、トルコの歴史なんて書いて何になるんだ、と言われたことがある、とも読みかじった。

やはりキリスト教側、日本からの視点は免れ得ないけれども、特に中盤以降の進行は穏やかな筆致に比して、スリルがだんだん増してくる。そして暗闇、抜けた世界は・・村上春樹の著作さえ連想させる。

時空を超えたり、非現実的な設定であったりすることは物語の特権だ。それを楽しめるか、腹落ちするかは読み手の受け止め方によるかも。今作はともかく私的に地域、時代ともに興亡と悠久を感じさせる佳作だったかと思う。

巻末には文壇の大ベテランにして読書家のファンが多い皆川氏と綾辻行人、須賀しのぶ、恩田陸との書簡のやりとりが掲載されている。短いながらもそもそもの発想や皆川氏の来し方、愛読の著書などが出てきて興味深い。

その中で「死の泉」が賞をもらった時「日本人が、日本人の登場しない外国の話を、なぜ、書くのか、必然性があるのか」と選考委員に言われたと書いてある。昨今は佐藤亜樹、深緑野分らに代表されるように同様の作品も目立ってきている。他の有名な賞の審査で、必然性とは言わないまでも、同様の疑義を呈する作家さんもいるようだ。リアリティがないということだろうか。

私としてはおもしろければいいんじゃない?と思っている。それが結論。おかしいだろうか。

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