2025年2月28日金曜日

やばいなあ

福岡にもうすぐ帰るのに予定が決まらない。なんとイトカワとリュウグウのサンプル展示があるとか。なんとか観に行けないかなあ、福岡市科学館。

2月書評の10

◼️ 皆川博子「U」

イェニチェリになるべくヨーロッパ東部からオスマンへと送られた美少年たちは時空を超える。

手塚治虫のアニメ「火の鳥」を深夜に放送していていま「太陽編」だ。原作は白村江の戦いから壬申の乱までと未来の物語が交互に描かれて最後に融合する、「火の鳥」の中では私的最高傑作(おそらくアニメは未来パートがない)。その時期にこの小説を読んだことに緩い繋がりを覚える。勝手にだけど笑。

1613年、オスマン帝国によるデウシルメ(強制徴募)により、マジャール人のヤーノシュ、ドイツ人のシュテファン、ルーマニア人のミハイはオスマンへと、多くの少年たちとともに連行される。ヤーノシュは謁見で目をかけられ、宮殿に詰めて皇帝を護る役に抜擢される。ヤーノシュは、後に若くして即位したオスマン二世の側近となり、イェニチェリとなっていたシュテファンとミハイを近くの部隊に移してもらう。

やがてポーランド軍、リトアニア軍との軍事衝突が起き、皇帝自らが赴く。やがて皇帝が最前線で兵を鼓舞することとなり戦乱の最中、ヤーノシュとシュテファンはともに転落するー。

かなり端折っている。少年たちはイスラムへの改宗を強制される。ヤーノシュ、シュテファンそれぞれの、オスマンでの体験が交互に綴られる。さらに冒頭から、一次大戦のドイツ軍の潜水艦Uボートを巡る仲間の救出劇が描かれ、3つもしくは2つの世界が変わるがわる現出する。

壮大な、歴史幻想劇。これだけでも手塚治虫を連想させる。読み手はそれぞれの内容に興味を抱きつつ、いつ、どうなふうに邂逅するのか、物語が融合するのかと期待して読む。クライマックスも明瞭であり、前後も戦時ものとしてワクワクする。私はまた、トルコとキリスト教勢力による中世の争いは、塩野七生さんの著作などで大いに啓発され、興味を持っている。その激しさ、残虐さ、そして特に歴代オスマン皇帝の少年趣味は知っていた。

だから今回イェニチェリにされた少年たちの物語は禁断の領域に踏み込むような気がしたものだ。この絶望感。死ぬまで故郷には帰れない。となるとイェニチェリの少年たちは少しでもよい待遇、出世に向けて必死になる。またもとが遊牧民族だけあって、馬を駆る、操る描写が強調され、そこに安らぎがある、というのも心に響く。カフェの風景も、オルハン・パムクの作品でも触れているが、トルコ風は妙に魅力的で想像力をそそる。

単的にヨーロッパ史ものは多いけれども、イスラム圏の歴史ものは量も少ない気がするし、触れてこなかったということもある。パムクは国内で、トルコの歴史なんて書いて何になるんだ、と言われたことがある、とも読みかじった。

やはりキリスト教側、日本からの視点は免れ得ないけれども、特に中盤以降の進行は穏やかな筆致に比して、スリルがだんだん増してくる。そして暗闇、抜けた世界は・・村上春樹の著作さえ連想させる。

時空を超えたり、非現実的な設定であったりすることは物語の特権だ。それを楽しめるか、腹落ちするかは読み手の受け止め方によるかも。今作はともかく私的に地域、時代ともに興亡と悠久を感じさせる佳作だったかと思う。

巻末には文壇の大ベテランにして読書家のファンが多い皆川氏と綾辻行人、須賀しのぶ、恩田陸との書簡のやりとりが掲載されている。短いながらもそもそもの発想や皆川氏の来し方、愛読の著書などが出てきて興味深い。

その中で「死の泉」が賞をもらった時「日本人が、日本人の登場しない外国の話を、なぜ、書くのか、必然性があるのか」と選考委員に言われたと書いてある。昨今は佐藤亜樹、深緑野分らに代表されるように同様の作品も目立ってきている。他の有名な賞の審査で、必然性とは言わないまでも、同様の疑義を呈する作家さんもいるようだ。リアリティがないということだろうか。

私としてはおもしろければいいんじゃない?と思っている。それが結論。おかしいだろうか。

東洋陶磁美術館

大阪マラソンは10km地点と39km地点へ。2時間ちょっと時間あり。移動は大阪市内で遠くはないし乗り換え含めて5駅でさほど時間はかからない。

てなわけでその時間を使って東洋陶磁美術館に行きました。御堂筋沿いの大阪市役所、その近くにある美術館、マラソンやってるので通行規制が厳しく大回りのアプローチ。ふだんは歩いてすぐなのに、辿り着くのに時間がかかりました。

唐、三国、宋、元、明、清時代の中華と朝鮮の展示が中心。カラフルでデザインの繊細な作品が多かった。その中、かわいいな、欲しいな、と思うのは日本の尾形乾山だったりして。色絵椿文輪花向付、緑に白の椿の器。めっちゃかわいかったのでした。まあ大ぶりの花瓶などが多くて実用的なものは少ないし。

展示の数も多く、見応えがありました。ゆっくり観てたらやべ、移動しないと、という時間となり、もうすこーし居たい気持ちがきざしたものの、ま、いっかひと通りは観れたしと、小ぶりの新しくモダンな美術館を後にしたのでした。

観終わったころには、通行規制も終わってました😊

大阪マラソン

御堂筋を埋め尽くすランナーたち。友人が出走するので観に行った大阪マラソン。初レース観戦は、まずびっくり🫢こんなにたくさんの人が走ってるのかと。仮装ランナーもいれば応援も着ぐるみやくいだおれ人形のコスプレあり。地下鉄で移動、39km地点では苦しそうだったり歩いてしまったり、大声で気合を入れている選手を見て、思わず応援の声が出ちゃいました。

一時バーっと雪が降ったものの風はなく、気温も思ったより下がらず。その上に完全防寒仕様で観戦、合間にホコホコのたこ焼きも食べたしで寒さは気になりませんでした。

終わって打ち上げ🚀走り終えたランナーたちはいい顔をしてビール🍺飲みます。福岡からの参加組が帰った後2次会にも行って、自分は走らない身ながらランナーからあれこれ聞くのもおもしろい。

また行ける範囲に友人が走る時は観に行きたいと思います。

最寄りの駅に着いた時、日祝日は特に本数の少ないバスまで1時間弱あったので2キロの山道を雪の降る中完歩、最後は汗だく。なんか熱気に当てられた感じ。ランナーさんは朝早くから寒い中集合して40km以上走って大変。走ってない私もほぼ1日中出ていた日。楽しかったっす。

2025年2月24日月曜日

スイーツ&パスタ!

東京ミッドタウンのスペシャルフレンチトースト、いつも筋トレストレッチ体幹してるので、出張の時は身体を甘やかす期間😎

東急プラザの地下レストラン街は、ああ会社帰りのオシャレな人たちはこういうとこで1人で晩ごはん食べてるんだ、という感じでした😲私も中に混じって明太子しらす高菜のパスタ。2/22の猫の日にかけてなのか、コンビニの新製品肉球クリームパン🐈🐈‍⬛

2025年2月23日日曜日

エミール・ガレ展

エミール・ガレ展@六本木ミッドタウン。
以前から1度ガレをちゃんと観たいと思っていて、年末の京都の展示に行けなかったので出張時に出かけました。

ガラス器だけでなく陶器も多く手掛けていたり、多彩な昆虫や海の生物を描いていたりとふむふむと鑑賞。また、ジャポニズムの影響を強く受けていて、印象派の画家たちと同じように、19世紀末に活躍した時代人の感覚を持ち合わせ、それを工芸方面に発揮しているんだなと、少し得心しました。

絵画もそうだけどガラス器も様々な工法があり、配色があり、さらに3次元の造形があり、今回触れるものはなかったけどきっと触感もあるんだろうなと・・眼福でした。また観たいですね。

銀座ソニーパーク展

銀座ソニーパークで遊びました。
YOASOBIのコーナーは自分の心音を登録したら画像として表れる、それが床を動き回る仕掛けでした。曲はHeartbeatで音楽とCGショーを楽しみました。水とスクリーンに文字や水滴が乱舞する演出のフロアも。

やさしくしないで♪
Vaundyが旅をテーマに選んだ200曲を貸し出しヘッドホン🎧のジャックを挿し回って聴くコーナーではVaundyさん好きなのかオフコースの曲が多く、ルビーの指環やルージュの伝言まであって、懐メロ探しの旅になっちゃいました😎

ウロウロしたのもあり、入るまで30分、でもその後はスムーズ。1時間ちょっとの訪問でした。ちなみに予約制です。

2月書評の9

◼️ 松岡圭祐「écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅺ 誰が書いたかシャーロック」

ベテランらしい技を効かせたエンタメライトノベルになっている。

「ミッキーマウスの憂鬱」でやるな、と思い、そして「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」の2つでシャーロッキアンものもおもしろい、と感じた。あまり数読んでないけども、著者の印象は良い方だ。

この人気シリーズ11巻めはホームズものと聞いて興味を持っていた

初めて書いた純文学作品で直木賞候補となった杉浦李奈25歳。注目度が上がっていた折、英国文学史検証委員会よりある話が舞い込む。ホームズもの長編「バスカヴィルの犬」はドイルと仲の良かった作家フレッチャー・ロビンソンの作ではないかという疑惑がずっとあったが、このほど彼が書いたとされる同作とほぼ同じ内容の、当時の原稿が見つかったという。聖書の次に読まれていると言われるシャーロック・ホームズ。その代表作は丸写しか?海外の研究者が検証を行っている中で、日本では李奈に原稿の真贋を見極める依頼をしたいという。
そして申し出を受けた李奈の前に巨大な犬がー。

最後に実施したのが2012年といささかデータが古いが、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員による過去3回の人気投票で全て1位を獲得しているのが「バスカヴィル家の犬」だ。「四つの署名」も好きだし、短編に好きな作品も多いけども、私も異論はない。荒寥とした土地、古代人の住居遺跡も残る原野のダートムア。殺人に犬の足跡がからむ。途中の盛り上げも良く、クライマックもまあスリル満点だ。

つい前振りが長くなってしまう。さて、実をいうと、ネタはこれか・・という、どちらかというと乗れない気分だった。シャーロッキアンなら耳にする、言ってみれば盗作説。いかにも事実のように書いた人の文章を、私も読んだことがある。ホームズ物語の穴を突くのは楽しいシャーロッキアン遊びだと微笑ましく見守っている。が、時々なあんか悪意を感じることもある。

ともかく、直木賞候補、そして「バスカヴィル家の犬」の著者がひっくり返るかも、という仕掛けから、なんと魔犬が・・当然イギリスへ。だんだん悪は姿を表し、大ピンチ!となる。間に女性同士の友情や李奈の強さ弱さをはさみ、コミカルな部分も入れる。何よりしっかりとした謎解きが待っている。

シャーロッキアン的な知識も小粋に入っている。そして李奈の口からおそらくは全シャーロッキアンが思っているであろう言葉が出てクライマックス締めとなる。アンチも結局はファンだし、そもそも100年以上も前の創作。本質を研究することは大切だが、断定できないものには夢を抱いてもいい。私の乗れない気分をある程度吹き飛ばしてもらった。

たくさんのシリーズをものしている作家さんならでは、熟練の展開、骨組み、という気がする。ラストは凝りすぎです笑読んでのお愉しみ。

大きな流れには関係ないけども、違和感のある部分が。劇中、待て、よし、をしてエサを食べている犬にもう一度待て、で食事を中断させ、エサの入った容器を持って移動するシーンがある。専門的な裏付けはないが何十年も犬を飼った経験で言えば・・犬は現金だ。ご飯のために待てと言われれば飼い主以外の命令も聞くかもしれない。しかしいったんよし、をかけてしまうと食事を中断するのは難しい。待て、もきかないだろう。それこそ飼い主でもない人の命令だし。ましてやエサの容器を動かそうとすると自分のぶんの食べ物を取り上げられまいと攻撃的になることが多いと思う。もちろん私が未熟な飼い主だったからかもしれないからで汗、きちっと訓練された犬には当てはまらない可能性はある。

まあ結局は楽しんでしまうのはやはりホームズもの好きだからでしょう。松岡圭祐の違いをつくる力を、今回も再認識したというところかな。

2月書評の8

◼️ 吉村昭「島抜け」

種子島に遠島刑となった講釈師の数奇な運命。

吉村昭氏の著作はたしか「プリズンの満月」が最初だったと思う。事実の詳細な記録をもとに淡々と述べていくそのスタイルはまさしく大きな特徴をなし、人を惹きつける。

大阪で売れっ子の講釈師だった瑞龍は、反幕府的な講釈をした科で捕らわれ、水野忠邦の改革の余波を受けた形で遠島という重い刑に処せられる。流刑地は種子島。重労働や飢え、厳しい監視もなく、ただこの地で果てるのを待つだけの日々。ある日、受刑者だけの4人で海岸の小舟に乗って釣りをしているうちに逃亡を決意、嵐に遭ってはるか異国・清に流れ着く。

幕府と交易のある清は瑞龍らを丁重に扱い、ついに日本への帰還に希望が開けるが・・

流刑の話はいくつか読んだ。おおむね締め付けは厳しくなく、ただ恩赦などがない限り死ぬまでそこにいなければならない。タイミングの悪さに掛かってしまった瑞龍は逃亡、また逃亡の日々を送る。運命の歯車が噛みちがえた時から数奇な後半生に踏み入ってしまった。たまたまのチャンスが何度も転がってくる。縋って当座うまくいっても、ついて回るものがすでにできてしまっていた。

世相、流刑人の境遇、島の生活から点々と異国の島を回りついに通詞のいる場所へ。著者は記録と取材をもとに詳しく、そしてやはり淡々と語る。もちろん遠い過去のことではあるけれど、このそこはかとなく迫るものはなんだろう。ただリアルさとも違うような、独特のものを感じる。大仰さが微塵もないからか、読み手は信じる、信頼する気にさせられる。

「羆嵐」「破獄」「アメリカ彦蔵」「戦艦武蔵」「高熱隧道」・・もっと読んだかな。それでもまだまだ楽しみがたくさんある。

2025年2月16日日曜日

ケヴィン・チェンリサイタル!

ケビン・チェンのピアノ・リサイタル。2つの国際コンクール出場、優勝しか知らない19歳。今年のショパン・コンクールへエントリーしているのかはまだ判りませんが、期待の大きいピアニスト。ぐるりとすり鉢型に真ん中のステージを席が囲んでいる小ホール。ポツポツ席は空いていたものの、逆に言えば来てるのは彼のピアノを知っている人ばかり。

前半はショパン。バラード4番、今年の大会からファイナルの課題曲となった幻想ポロネーズ 、前回大会の3rdステージで、優勝したブルース・リウが名演との評価を受けたラ・チ・ダレム変奏曲。小品はなし。後半はリストで、リストバージョンのラチダレムで締めでした。

小柄な体躯から、毅然としてゴージャスかつコントロールの効いた演奏を繰り出すプレイヤーに大喝采。アンコールでは私も立ち、隣のおじさんも立ち、360度のスタンディング・オベーションで見送り。

YouTubeで見ている時の音は、ほどよく調整されているので、響きがよく聴こえない時がある。逆に小さな音でもクリアに聴こえる気がする。ちなみに私はそれでも満足はしてます。生で聴くと小さい音は小さいなりに聴こえ、大きな和音なぞは響きで逆にメロディがよく聴こえない気がする。

ただもちろん生のほうが本物だし笑、コンクールで審査員や聴衆が実際聴いている音なわけで、ケビン・チェンの演奏は人を惹きつけて惹き込む力を感じる。この日は高音の魅力にやられてしばらく残っていた。私的には、前回の2次で驚愕の演奏をした小林愛実の幻想ポロネーズ、ブルース・リウのラチダレム、どちらも100回聴いてる2曲がハイライトでした。

サイン会あると知らされ喜ぶ。VERY GOOD!EXCELLENT!!と声をかける。嬉しい。満足と反芻の帰路となったのでした。

リサイタル前は珈琲専門店でホットケーキセット🥞☕︎フィギュアスケート⛸️マンガ「メダリスト」にどハマり中。日曜日は息子20回めの誕生日でツマガリのケーキ。

出張準備、大阪マラソンごくろうさん会の手配などでパタパタもしつつ、ゆっくりする時間も、ピアノに溶ける時間も持てた週末なのでした。

2月書評の7

◼️ 椋鳩十「大造じいさんとガン」

ガンの群れの賢いリーダー、通り名は残雪。動物の雄々しさを描く4篇。

藤岡陽子氏の作品が原作のドラマ「リラの花咲くけものみち」の登場人物の1人が表題作から名付けられた残雪くん。名前の由来が劇中で語られて読みたくなった。

幼少の頃戸川幸夫の直木賞受賞作「高安犬物語」を読んでから、動物と人のふれあいには心をくすぐられるのです。

鹿児島と宮崎にまたがる火山群・霧島連山の栗野岳、裾野の沼地で、大造じいさんは鳥を撃っている。しかし、ここ数年はガンに頭の良い頭領がいて狩人をうまく避けるためじいさんも最近は1羽のガンも仕留めてなかった。頭領は左右の羽に白が混じっていたので、狩人たちから「残雪」と呼ばれていた。

じいさんは工夫を凝らしたわなを仕掛けて1羽を捕らえる。しかし残雪はだまされず、群れを銃の射程外に置き続ける。ついにじいさんは捕らえて飼い慣らしたガンを囮につかう手段に出る。するとー。

賢く雄々しいリーダー。その誇りと知恵。人間の闘い。そして絆。カッコ良すぎる残雪。収録されている屋久島の「片耳の大鹿」も同じくハンターを交わす群れの大将。ただこちらは、いかにも子どもがワクワクしそうな展開だ。

「山の太郎グマ」は病弱な13歳の主人公を空気のきれいなところに住まわせようと、日本アルプスの奥、炭焼きの鎌吉・おかねさん夫婦が引き取る。少年は家の子のやんちゃな勘太と、熊の太郎とともに遊び暮らす。しかし2人と1匹で山に遊びに行った時・・

太郎は野生を思い出し、しかし、帰ってくる。そして弱肉強食の世界が襲う。これは胸を衝かれるなあ。帰ってきてからももう一段階ドラマがある。鎌吉さんのタフさ、すばらしい。

もうひとつは「月の輪グマ」これは長野県と静岡県の境あたり、赤石山脈での話。母熊と2頭の小さな仔熊。その1匹を捕獲しようとする大人の主人公。母熊が離れた岩山の上にいて、仔熊のうち1匹だけが滝壺の近くの川原で遊んでいる。チャンス!するとなんと・・?

もちろん児童用読み物、なのだが、4篇とも、実に魅力的なお話だと思う。「孤島の野犬」も読んでみたくなってきた。

2月書評の6

◼️ エマニュエル・ボーヴ「ぼくのともだち」

不器用、瞬時の感情、思い込み、されどロマンス。マイナス部分は読み手に染み入る。

書評を見て興味を持った。フランスで人気ある作品だそうだ。1924年に出版されている。主人公は第一次世界大戦に兵として出征、腕にけがを負って恩給をもらっている。仕事はない。

国は違えど、シャーロック・ホームズと出会う前のワトソンも軍医として駐留していたアフガニスタンで負傷し帰国、軍からの支給金で暮らしていた。生活が苦しく、部屋をシェアする相手を探していたところ、ホームズに行き着いたことを自然思い出す。短いながらもその際のワトスンくんの孤独感、人生これからといった時の負傷で、寄る辺なき寂寥感が印象深かった。

横道にそれた。彼、主人公のヴィクトール・バトンは貧乏であることに引け目を感じている。万事おとなしい性質ではあるが、心の中では友だちを熱烈に欲している。

やじ馬の人だかりで見ただけのボヤールという男と友人になるべくあれこれと考えて動く。しかし結局はうまくいかない。

裕福な実業家に気に入られたり、自殺志願者の面倒をみたりする。良い結末は来ない。さらには全編に渡って、良きにつけ悪しきにつけ、女が絡んでいる。バトンは惚れっぽくて思い込みが激しく自分を意識していると思い込んですぐ動く。これが長くはない劇中でも意外やロマンスも生まれる。しかしながらこのあだな性質が大失敗の主因になったりする。逆に説得力があるな、という気になる。

全体としては変な考え方、性格、不器用のためにだいじなところでうまくいかないふうな物語ではある。しかし彼のプライド、高慢、そして少しその深淵も見える。見限って立ち去ったり、うまくいっているのに自ら離れたり、食事をおごってマウントをとりたがる。

しかしというか、だからというか、読み手はこのおかしな男を突き放してしまえない。えーこんなふうに思う?どうしてこう動く?なんでかなー?しょーもない、と文面を目で追ってすぐ心で頭をかかえるけれど、独りで行動してるとき、突飛な考えにとらわれて、後で考えれば無駄の多い動きだったな、ヘンなことにこだわってたな、とか恥ずかしくなることも現実でやっぱりある。

そして善良で控えめと強く信じ、しかし社会の下層にあえいでいるバトンのなけなしの自意識には、眉をひそめながらも自分や周囲に投影してしまう感覚を抱かせる。訓戒めいた寓話のようなメッセージをも放つ物語。

ヘミングウェイは「日はまた昇る」で第一次大戦後の若者の退廃感を描いた。この時代のパリにはそんな空気もあったのだろうか、サッカーの日本代表ゴールキーパーに関する記事で、たとえば買い物に行くときでもふだんから判断が妥当で、無駄や迷いがない、という評があったな、なかなかそうはいかないよな、

なんてあちこちに空想を飛ばしているうちにバス停乗り過ごしそうになって慌てて降りた笑。

2月書評の5

◼️ 九段理江「しをかくうま」

読みながら笑ってしまうあばれ馬。さあ、どう書評を書こうか。野間文芸新人賞。

むかし藤沢周の芥川受賞作「ブエノスアイレス午前零時」を読んだ時、芥川賞、純文学ってさっぱり分からんな〜と思ったもの笑。それから純文学、また芸術的映画をいくつも観て、何かしら感じ取れるようになってきたつもりだったが、今回久々に詰まって、苦笑してしまった。

ストーリーも上手く書けない。競馬と馬を異常なほど愛する中堅の実況アナウンサーが主人公で、競馬馬の登録名が9文字から10文字になるというニュースに危機感を覚える。彼はある牝馬に惹かれていて、遺伝子型を登録して最適な掛け合わせで子供をつくることを是とする会社の女を介して、馬主の男に会いに岩手の山奥まで出向くー。

間に別の抽象的な物語が挿入され、ラストはまたこの件とはかけ離れた未来の話が入る。

最初に考えたのは、この人テレビ好きなんじゃないのかな、ということだった。批判的な論調もあるが愛を持って研究対象としているのが垣間見えるような。

競馬にいき過ぎている、ちょっと変わった男。歴史的人物と詩と、建築、言語学的な知識を盛り込み、別次元との対話のようなストーリーが展開される。かなりディレッタント、言葉や人間界のいくつかの事象に長くこだわる。ことば数が多い。

私は、たとえば映画の場合には、ゲージツ的物語的に少々錯綜してても部分もしくは全体で何かを心に残したり、強く印象づけたり、ぜいたくを言えば最後で納得させるような展開などに計算は欲しい、と思っている。この見方をしていれば大体の作品は、小説でも映像でも、受け止めて総括することが可能だ。

その観点で行けば、この作品は、部分的に複数訴えたいようなものが見えてもどうも残るものがなく、面白みを生み出すわけでもない。

でも、苦笑の意味はもうひとつあって、暴れ馬だけど、おかしな世界の理屈をこれだけ滔々と、次々と、長々と語れるのは活気があるな、とも感じてしまう。考えることを、感じるように、自分の筆のままに、マシンガンのように連ねてくるイメージだ。

九段理江は「あの本、読みました?」によく出演してるので「東京同情塔」を読んでみたいなと思っていたらある日図書館でこの本が目の前にあり、思わず借りてきた。なんというか、暴れ馬のように、思うさま書いてほしいと願う作家さんではある。遠慮せずにそのエネルギーで突っ走って、行き着くところまで行ってほしいかな。

・・もうちょっとだけでいいからわかりやすくしてね。

2025年2月12日水曜日

村治佳織さんは超絶ステージ映えのヒト

アンコール時に1分間の撮影OKタイム!後半から真っ赤なドレス。首から左腕の袖部分はオリジナルだそうです。村治佳織&奏一のクラシックギター、バレンタインコンサート、地元の大ホールは超満員🤗

映画「ニュー・シネマ・パラダイス」から「愛のテーマ」、バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、「ひまわり」など耳なじみのいい曲たち。フレットを押さえる手元や弦を弾く位置など気になるけど、何も考えずギターの音色に委ねる。柔らかくて繊細、高く低く、トレモロもアルペジオも、集中して聴く。溶ける、ほぐれる、癒される。いいなクラシックギター。

村治佳織さんをステージで観るのは2回め。ほんっっっとに超絶ステージ映えされてます。莞爾として、笑顔がキマッてました。奏一氏はポスターとイメージ違いましたが、穏やかで、どこかトークの背後にまで音楽を感じる気がしました。ほんまスタイリッシュなご姉弟。

どれも良かったけど、映画「ハウルの動く城」からの「人生のメリーゴーランド」佳織さんのソロ演奏は最高でした。どこまでもにこやかで、良いコンサートでした。

#兵庫村治バレンタイン

寒波

雪は断続的に降るものの、金曜夜から先は積もらず、これで今回の寒波は終わりかな。とはいえ気温は低めなので必殺ヒートテックハイネックに厚いダウン、モフモフのブーツで防寒。帰ってきて、寒い日はハフハフ、ズズっとインスタントラーメン🍜私はこれだけは上手です。

映画1本、名匠ペドロ・アルモドバル監督にティルダ・スウィントンでベネチア映画祭の最高賞・金獅子賞の「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」終末期を過ごす女性の親友同士。

ニューヨークの住まいも、最期の時を過ごすウッドストックの森の家もセンスよく、自然の佇まいも印象的、特にティルダ・スウィントンの衣装、メイク共に色彩感が豊かで目を惹く。彼女はもとNYタイムズの戦場記者で数奇な運命を生きたという設定。なんてバチっとイメージが当たってる役なんでしょ😎付き添うのは人気作家の役のジュリアン・ムーア。

憧憬を呼ぶ雰囲気の中、雪が舞う、のが1つのポイントとなる。ふわっと雪が風に乗って散るように降るのは、なにげない現実でも季節の風情を強く感じる好ましい瞬間だ。演出が際立っていたと思う。

フィギュアスケート⛸️好き、webで人気マンガ「メダリスト」が3巻まで無料だったから一気読み、続きを買っちゃった。今クールアニメもやってるそうなので観よう。図書館、書店特集のCasaでは関西の図書館も多く入っていた。楽しみが増えた🤗

いまは月〜木22:45「バニラな毎日」水23:00「火の鳥」アニメ、土22:00「リラの花咲くけものみち」(3回)23:45「チ。」アニメ。これに当面「メダリスト」が加わる。録画した「翔んで埼玉」も観なくちゃ。

さて!新しい週だ。

2月書評の4

◼️ 泉鏡花「二、三羽――十二、三羽」

小さく可愛い小鳥との触れ合い、愛らしさが余すことなく描かれているが、泉鏡花、それだけでは終わらない。

webで本の情報を拾っているうちに泉鏡花に行き着いた。どうもこの話は佳作らしい。さっそくどれどれとのぞき込むー。

庭の飛び石をふよふよと歩いていた仔雀を捕まえ、ざるで囲った。すると親雀がエサを口に飛び回り、かといって与えるでもなく、出ておいで、とでも言うようにざるの周りをチョコチョコする。仔雀はキイと鳴き縋って、胸毛を震わせ抱きつこうとする。主人公夫婦はしみじみ、いとしく可愛く思う。もちろんざるは開けて放してやった。さらには後日つつじの枝の籠ったところに仔雀が独りでいるのを見つけ、野良猫なんぞに襲われないよう、夜通し見張ってやった。

気にかけて過ごすうちに、やがて仔雀は成長し、群れに紛れて、見分けがつかなくなったがその後も心根優しく雀を観察、幾組もの親子を見る。

「仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴を赤く開けて、クリスマスに貰ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺ゆるがせて、こう仰向いて強請(ねだ)ると、あいよ、と言った顔色(かおつき)で、チチッ、チチッと幾度もお飯粒(まんまつぶ)を嘴から含めて遣る」

雀たちに日がなご飯粒を置いておくようになった家は当然雀の出入りが多くなり、時に手で捕まえて、ぐったりしたのをすわ、ケガしたかと心配すると、居眠りしてただけで飛んで行ったりする。図々しく屋内まで入ってくるのに、明るい色の花が咲いたり、雪が降ったりすると何かを恐れて寄ってこない。仔雀が独りで飛べるようになると親雀がどこかへ姿を消すことに気づく主人。

さて炎天下の季節、散歩に出かけ、語り手の主人が「スズメの蝋燭」と心中で称し子どものころよく摘んだ「ごんごんごま」(ヤブガラシか)を探しに出かけ、でっぷり太った男が住む谷間の一軒家に迷い込む。若くきゃしゃで色白の女もいた。

紅い糸、針、白い肌ー。ここからは鏡花特有の妖の世界。前半の観察眼、描写力もさすが。でもそれだけでは終わらない。いいねえこの組み合わせ。そして関東大震災・・

泉鏡花はおもしろい。題材は足元にいくらでも転がってるよ、と言わんばかりの展開と、ファンタジックを混ぜエロチシズムまで覗かせる。まだまだ楽しめそうだ。

2月書評の3

◼️益田ミリ「心がほどける小さな旅」

身近な旅、も遠くまで行ける。小さくても、喜びの旅。

旅ものエッセイなどで人気の著者がパッと思い立って行く旅。中には東京や近郊もあるけど、北海道も鹿児島もある。仕事に繋がってるんだろうだけど、パッと行くのも大事かも、と思わせる。

最初に行くのは、阪神競馬場笑。桜花賞を見て1つも当たらず戻る。でも桜の季節、競馬場もお楽しみパークのようになっていて気持ち良さそうだ。大阪出身の著者、阪急梅田駅をハリー・ポッターに出てくるキングス・クロス駅みたいだ、と。おお言われてみれば、とおもしろがる。

大声コンテストの鹿児島を描き、人吉へ行く肥薩線に乗る。九州出身の読み手には序盤なじみがいい場所。阪神競馬場電車乗って近いし、肥薩線には父に連れられて国鉄で列車旅をした。でも子どもが喜ぶようなものはなく、駅前のジャスコのフードコートでお好み焼きかなんか食べてすぐ帰った覚えがある。山口の大きな鍾乳洞、秋芳洞もある。懐かしい〜。山口には景清洞、というのもあって、学生時代駐車場で夜を明かした思い出が。

水族館に泊まり水槽の前で寝る企画もいいな、と。京都では大きな本屋に泊まるイベントがあったな。そして興味を引いたのが徹夜で踊り続ける岐阜は群上八幡の盆踊り。多くの観光客が来るらしい。広場なんかではなくて街の四つ辻の真ん中に櫓を組み、路地に進む方向が違う2列で並んで4つの道を回る形。盆踊り踊って朝を迎える爽快感が意外に楽しそう。やるかと言われれば?だけど。

徹夜踊りは数日だけど、盆踊りは30日間もやってるそうだ。すんごいなあ。

一方北紀行も多い。奥入瀬、釧路は夫婦で行ったな〜と。著者は日本海側が好きなようだ。

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」

芭蕉が詠んだ場所、山形の立石寺、真冬の秋田の巨大紙風船上げ、「きらきらうえつ」号での新潟から山形・酒田への日帰り行などなど確かに魅力的。マンガを描く人だからか、文面からビジュアルに訴えるものが多いような。イラスト&文字での旅説明も各話の最後に付いている。

高知の牧野植物園、建築家内藤廣の傑作としてテレビか建築雑誌で見た記憶がある。行ってみたいなあ。日曜市でいも天も食べたいなと。

薄いしあっという間に読めた。1話が短いエッセイ。シンプルな内容だけどもどうしてどうして仕事に疲れた週末、良い気分になれました。

2月書評の2

◼️ ドリアン助川「確かなリスの不確かさ」

少し哲学のスパイスをまぶしたさまざまな児童用動物短編。生態も物語も興味深い、おもしろい。

興味津々で最初の方を少し読んでまず思ったのは、そうだ、この人は悲しい物語を書く人だったかな、と。「カラスのジョンソン」のイメージが蘇った。かつてシートン動物記で「野生の動物が自然死を迎えることは少なく、なんらかの悲しい最期となる」という意味の文章を読んだことを思い出す。

ただ、それも大いなる自然の法則だ。その中でこそ、著者は今回、生態、特徴を辿ったりする中で主人公の動物に考えさせる。各話タイトルにワクワク心が刺激される。各話最初のページにその動物の解説と銅版画が挿入されている。

「確かなリスの不確かさ」タイワンリス
「ボスも木から落ちる」ニホンザル
「コウモリの倒置君」ニホンウサギコウモリ
「モグラの限界状況」モグラ
「バクの茫漠たる夢」アメリカバク
「転がる小さな禅僧」ミツオビアルマジロ
「飛べない理由」コウテイペンギン

ほかで計21話。ツキノワグマやキツネといった日本にも生息する身近な動物からウルグアイのウルグアイの森のオオアリクイやアンデスの高原に住むラクダ科のビクーニャ、ガラパゴスのゾウガメなど世界サイズ。

物語は独創的。グループが過ごす森が高速道路に面しており転落、事故に遭うことを防ごうと「木に登ってゆするな」というルールを厳格に守らせようとする新ボスのボツ、どんぐりが落ちていく場所と落ちる範囲から「不確かさから成る確かさ」を考えるリスのQ青年、暗い洞窟を出て、初めて見たきれいな昼の世界に幸せについて考えるコウモリのトーチくん、バクの夢と悩み・・時折哲学的な要素がからむ。

我が子を探して浅瀬に迷い込んだ母クジラと少年、ネズミとアリクイのユーモラスなコンビ、100歳を超えるゾウガメと人間の世界の時間ー、アルマジロも良かった。冒頭に書いたように大半は喪失ー悲しい死が描かれている。

よく思うが、人間には言葉がある。何かを残せる可能性がある。しかし動物が主人公の時、自然の摂理の前ではその個体の事情などは顧みられないし、遺らない。だからこうして物語となった時に際立つ特殊性を持っている、のかも知れない。

動物たちの会話に突然フランス語や焼き鳥のタレと塩の例えが入ってきたりとクスリとなるのも好ましい。

そして人間たちの脅威と愚かさも多くの篇に表されている。さまざま、楽しめて、知的好奇心をくすぐられ、ん?と考えさせられたり、ああ・・と哀しくなったり。児童用とはいえ、著者の奥深さを感じたのでした。

良い読書でした。

2025年2月4日火曜日

2月書評の1

節分の夜、我が家は太巻きではなく細巻きでした😅

◼️辻村深月「傲慢と善良」

さてベストセラー映画化作品。傲慢で善良な書評をば。恐縮です(ㆆᴥㆆ )テヘッ

辻村深月ファンの方すみません。ちょい辛めです。

婚活で出逢い、結婚目前だった彼女・真実が失踪したー。ストーカーがいると聞いていた架(かける)は婚約者の手掛かりを求めて彼女の実家がある群馬へと向かい、両親や結婚相談所、お見合い相手に話を聞くー。

架はカッコよく恋愛経験の豊富な30代後半の男、真実はひとことで言えば箱入り娘。親の思惑、地域、女ともだち、過去の恋愛・・特に2/3はほんの少しずつ明らかになる真実の過去に評価を与え、周囲を含めたその姿を浮かび上がらせる。なにが善良で、なにが傲慢なのか?

さて、実はあまり読み進められなかった。その、ネタが興味があるかどうかというのと、真実の性格と環境を炙り出すパートでは、再々の「引く」という印象付けが大仰かなと。解説で「解像度を高めて」とある描写が、くっきりさせる分、直接的で明示がすぎる読中感。

もちろん真実の存在を感じながら、架もまた自分を見つめていく、のだが。やがて成長する女性に比べて架がどうしてそういう心持ちに至ったのがないのもどうも腑に落ちなかった。

主人公の名前がしんじつと、架、支える、かけるという意味の他にどうも十字架をイメージしてしまうのは偶然か。この小技?にはちょっとヒヤリとなる。いい意味で。

ブラックホールに吸い込まれるように落ち込み、ホワイトホールに吐き出されるように少し進歩してブレイクスルーを迎える。真実の心の行方は太宰治の「斜陽」をも想像させる。

しかし、こうネガティブめな考えを持ちながらも、ここまで細部に注目し固執してしまっていることにハッとなる。実は著者の思惑通りに自分がなっている気もする。この物語を前にした時、読み手の自分は傲慢かもしれない。そしてコロッと、ある意味騙されている自分は鈍感で善良なのかもしれない、なんて思ってしまう。

やられた、のか結局。まあ良きかな。
(๑́•∀•๑̀)テヘヘ