◼️ 安野光雅「絵の教室」
展覧会でゲット。絵を描くとは、を掘り下げる。折々の言葉に感銘を受ける。
いま開催されている安野光雅さんの展覧会で買ってきた。大ファンというわけではないが、愛読するちくま文庫のシェイクスピアシリーズの表紙カバーは安野さん。気がつけばあちこちで挿絵や表紙絵を見受ける人。
タイトルの通り、絵の描き方について考察している。最初は授業調。課題が出される。
想像上の島のアウトライン、山の稜線、石垣、木目、古くなったガーゼ、いろいろな顔、等高線を想像で描いてください、というお題が出て、短い解説がなされていく。時折、
「(山の複雑な)稜線を描いたとします。するとそこに抽象絵画と区別できない意味が現れるところは、注意していいことだと思います」
という、ん?という説明が入る。ようは山の稜線は実物を見ながらでないと描けない、ということのようなのだが、この本、こういった芸術家ならでは?の表現がところどころにあって、その度に立ち止まって考えるから読了までちと時間がかかった。
絵の真実とは、写実か、絵の意図、光と影などを美術史に沿って説明していく。さらに遠近法の章では実際に縦横に糸を張ってマス目状にした木枠と覗き穴を使って描いていく過程を写真付きで展開している。
「よく見て描く」の章では私もかつて映画館で観た、巨匠ビクトル・エリセ監督の「マルメロの陽光」が長々と取り上げられる。画家アントニオ・ロペスが庭のマルメロの実に映える光を描こうとする一部始終を撮ったドキュメント映画。食い入るように見て描く、しかし写実ではない。微妙なニュアンスを語っている。
SLを描く、という項目では実際に利用していた世代ではない人たちが魅力を感じるのはなぜか、と考察していく。鉄で出来ているからでは、という面白い方向の考えを述べたあと、
「機関車が町を去ってトンネルに入るとき長くこだまする汽笛の声を聞くとなんだか涙がでそうになるのです」
という一文には納得感があった。私はモダン建築を見るのが好きで、でも欧米にはふつうにあるもの、この100年で多く造られたレンガや石材の西洋風建物に惹かれるのはなぜだろうとたまに考える。それは、見るだけでいわく言い難い感慨が湧いてくるから、というのも絶対に間違いのない正解の一つだろうと思う。
著者が自画像に大いに迷ったところを述べていく章では人の顔を描く難しさ、が長めに語られる。
終わりの方は、おそらく心酔しておられるゴッホの、南フランスでの足跡をなぞっている。皆に好かれるゴッホ。同様の映画も観たことがある。ゴッホの作品を見ながらその活動エリアを追っていく。ゴッホ愛が溢れている。
さすがというか、一筋縄では、いくようでいかない。絵を描く、ということを微妙な、アーティスティックな言葉で一つずつ整理、考察していっている。独特のアプローチはさすが深い、と思わせる。他の著作も良いと聞いたのでまた読んでみようかな。
まずまず楽しかった。安野光雅展の「ふしぎなさーかす」という不思議絵のチラシを折ってブックカバーに、チケットを栞に読みました。
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