光がテーマのテート美術館展。1700年代から現代までの絵画や造形アートなど。ターナーやモネ、ピサロやカンディンスキー、草間彌生の鏡の箱も。
現代アートも。インパクトがあったのはジェームズ・タレル《レイマー、ブルー》 (撮影不可)
青い光に満たされた部屋に入る。壁の向こうから入る光は心地よく身体を包む。しばらく佇んで振り返ると、黒い床や壁が、赤く見える。いきなり夕焼けになったように赤い幻影が周囲に。この感覚が面白くて3回くらい出入りした😎
上2つ、
ゲルハルト・リヒター《アブストラクト・ペインティング(726)》
ウィリアム・ローゼンスタイン 「母と子」
の絵はがき買って帰りました😊
◼️トーベ・ヤンソン「誠実な詐欺師」
壊れたもの。周到、切れ者、感情を表さない姉カトリ。小説らしいストーリー。
ムーミンシリーズの作者としてつとに有名なトーベ・ヤンソン。1970年にムーミンシリーズを完結させたヤンソンは1980年代に長編小説をいくつか書いている。今作はその1冊。
カトリは25歳で10歳下の弟・マッツと雑貨店の2階に住んでいる。利口だが無愛想、いつもシェパード犬を連れて歩いている。店主の下心ある誘いを断ったため店の帳簿係の職を失い、やがて住まいもなくなる。
カトリは通称「兎屋敷」に独りで住んでいる絵本画家、アンナ・アエメリンに目をつけた。雑貨店の使いなどで頻繁に通い、偽の強盗騒ぎを起こして、マッツと共に、兎屋敷に住み込むことに成功する。
数字に才能のあるカトリはアンナの家の支払いを調べ、多く取られ過ぎている分を是正し、絵の権利料の交渉などを行って着実にアンナの収入を増やし、自分の取り分を貯めていく。それは、船を愛し、設計の修行をしているマッツへのプレゼントのためだった。
カトリは家を片付け、壊れたところがあればマッツと修理し、冷蔵庫もすべて食材ごとにタッパへ分けるなど完璧にアンナのための家事を行った。しかし両親の遺産のおかげもあり、これまでお金に頓着しない生活を送り、細かい交渉ごとをしたことのなかったアンナはこの生活を窮屈に感じる。
周囲の目、アンナの反発、マッツの感覚・・誠実な仕事をして正当な報酬を得ようと、必要なことだけを完璧に行うカトリ。彼女に従う犬。しかしやがて、この関係性も壊れる時が来るのだったー。
物語はいくつもの起伏があるけれども、極端ではなくむしろ淡々として、微妙で、複雑だ。アンナはカトリの無機質さに反発しながらも、自分が気づかなかった周囲からの見られ方を悟りカトリの色に染まっている面がある。
映画「眺めのいい部屋」ではボーイフレンドの主張に反発したすぐ後、別の者に彼の主張そのままに意見を言う、というシーンが確かあった。関係性はやがて壊れるものだが、そこに衝突と反発だけではない微妙なものを含ませ表している。村ではうすのろと思われているマッツが独特の感性と能力を有していること、マッツが通っているボートの作業場の男が、村で魔女と呼ばれるカトリの能力を認めているのもおもしろい。
自分でも何かをしよう、抜け出そう、というアンナの動きは結局無邪気さに支配されており、カトリと決定的に衝突する結果を招く。一方自分のやり方に疑問を感じていたカトリは・・。
なんかアンナって太宰治「斜陽」の主人公に似ているなと。
ヨーロッパ映画のような話だな・・と思ったりする。ヤンソンはムーミンを終えて以降、小説世界では児童もの、児童が主人公のものは書かず、初老以上の登場人物が多いそうだ。今回アンナは老境に差し掛かっている設定だが、主人公としてはカトリは珍しく若い、ということだろうか。
なんだか極端でプロフェッショナルな仕事人、というカトリが少々マンガっぽく極端にも感じたりもする。でも構築している小説世界は人間っぽく、作風は戯曲のようでもある。カトリの孤独に思いを馳せ、アンナへの告白はどこまでが真実か?という疑問を抱きながら読み手は読了する。
息苦しくも、おもしろい思索読書だった。ヤンソンの短編集も読んでみたいな。
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