2023年2月11日土曜日

2月書評の4

ピカソ展はごくわずかのNG作品以外、オール写真OK😁。だんだん変わってきてるのかな。
しばらくはピカソ展の作品シリーズです。


◼️ 林望「夕顔の恋」

読み終わりたくないな・・という感慨。光源氏の理想の愛人、夕顔の解題。物語としての深み。

源氏物語の序盤、第一帖「桐壺」に続く箒木三帖、「箒木」「空蝉」「夕顔」。その中から主に「箒木」の「雨夜の品定め」、そしてつとに有名な「夕顔」との出逢いから別れまでを取り上げて解説している書。空蝉も少し出てきます。

序盤のクライマックスともいえる場面、そして光源氏の理想の愛人、恋人として知られる儚げな夕顔の人となり、17歳の光源氏の態度、心持ちはもちろん、物語としてのゆかしさ、深みをじっくりと、かつ分かりやすく述べている。成り行きは知っているからなおさら読み終わりたくない気分に襲われた。やっぱ源氏物語、好きですね。。

「夕顔」にまつわる著者の話は、2帖前の「箒木」に始まります。五月雨の夜、光源氏とライバルで竹馬の友、頭中将、そして身分は低いけれどもおそらく心安い友人の左馬頭、藤式部丞の4人が集まりどんな女性がいい、どんな妻がいい、とメンズトークが繰り広げられる、これまたよく知られる場面です。主に多弁な左馬頭が話し、光源氏は聞き役に回っています。

その中で身分は高くなく、つまり地方国司や没落したもと上流貴族の女に、あばら家など意外なところで出くわすと興味がそそられる、という話が出てきます。光源氏はクールに聞いていましたが、この話が夕顔のくだりの伏線になっているとのこと。ふむふむ。

そして頭中将は涙ながらに、かつて通っていた女で娘まで産ませたけれども、自分の妻の恨みを買い、その後姿を消した「常夏」のことを語ります。

光源氏は六条御息所と行き逢っていたころ。また人妻である空蝉に猛アタックを仕掛けてフラれるという恋愛的スリリングな帖も挟み、夕顔との出逢いに進みます。

光源氏は六条御息所のところ(ここでは明示はされておらず、後に出てくる)へ行く途中、道中の中休みを兼ねて乳母が病だというので五条付近にある家へと出かけます。乳母は光源氏の従者惟光の母でした。

惟光宅の隣に、若い女が何人かいる気配の、荒れた邸があり、垣根には蔓草、夕闇に白い夕顔の花が咲いていました。光源氏が取りにやらせたところ、黄色い袴の女の童が出てきて、香を焚きしめてかぐわしい香りのする真っ白な扇を差し出して、これに置いて、その花を差し上げなさいませ、と渡します。

乳母の家に持って入ると、使っている人の袖の香りが移っているようで、女らしい良い香りが広がります。そしてよく見ると扇には達筆で歌が。

心あてにそれかとぞ見る白露の
光そへたる夕顔の花

女官、女童らは、蔀しとみのすき間から外を窺っている様子。光、というのはもしや有名人の光源氏では、という暗示でしょうか。浮かび上がる儚げな白とともにしみわたるようなメッセージを発する歌です。

そしてこの場面は彩り豊かです。夕闇、蔓草の緑、白い夕顔の花、黄色の袴、女童の黒髪や幼い肌の白さも浮かぶよう。決め手のような白い扇からは匂いまで感じさせます。

その後この歌を送った、女主人のような者の姿はなかなか見えずわからず。著者によればそれも興味を喚起する一因だそう。しかし光源氏の思いを遂げるため惟光は邸の女と通じ、その手引きでついに夕顔とねんごろになります。

付き合ってみると、控えめながらもの慣れて、しかし可愛らしさを失わず、男を責めるようなことも言わず、房事もあったのでしょう、光源氏は夢中になってしまいます。

光源氏もあまり目立つ行動はしたくなかったため、顔を隠すなどしていましたが、ある時ついに正体を露わにします。しかし夕顔は最期まで名さえ告げるませんでした。

微服、あまりきれいでない衣服を身につけるなど微服、身をやつして通っていた光源氏、やがてもっと一緒にいたいと、自分の持ち物でかなり侘しい所にある広い家に連れ出します。

理由はつけてあるものの、なんでこんな怖いとこに行くのか、とは単純に思いますよね。私的には夢中の恋、相手が身元不明、尋常ではないシチュエーションで若い光は気持ちに任せて走ってしまったという見方もありかもですね。魅入られた感を強くするものでもあります。

この家で、嫉妬にかられた六条御息所の怨霊と思われる霊が現れて取り憑き、夕顔は死を迎えます。遺体を運ぶ惟光、その時こぼれる長い黒髪、寺に安置された夕顔を見つめる光の嘆き、幻のような恋のエピローグは悲しみに満ちています。

夕顔の世話役の女房で後に光源氏に仕える年配の女性・右近がその身の上を明かします。夕顔の親はもとは三位中将の娘で、親に早く死なれたため薄幸な生い立ちだったこと、頭中将に見初められ娘を産んだこと、頭中将の奥方にひどく脅され、住まいを変えたことなどを話します。光源氏もこの女は頭中将の話に出てきた常夏ではないかとずっと思っていました。

見方を変えると、紫式部が念を入れて撒いていた種がここで結実していますよね。雨夜の品定めで提示された、没落した家の女性との意外な出逢い、六条御息所との関係と嫉妬、相手は常夏。直前の帖で空蝉をギリギリものにできなかったことも要素の1つだと思います。

どこまでも「らうたげ」な女、夕顔。おそらくは多くの男の心を自然に魅了する、魔性とも言えるものを持っていたのでしょう。巡り合った光源氏は若く理想的な恋に夢中になり、それはやはりずっとは続かなくて、滅びた原因も光源氏自身の所業にありました。

なんというか、怪異と周到さ、そして表現、さまざまな要素の見事な散らし方、読み手を引き込む力はやはり素晴らしいものがあると思います。

有名な場面、ゆったりと解説に浸れてとても満足感に包まれました。

川端康成は源氏物語を日本最高の物語でいまだこれを超えるものは出ていない、と評しています。川端シンドロームな私はこの言葉に影響されちゃってる部分もあります。でも、物語の進め方、ヤマの作り方とそのエキセントリックさ、色彩感、音感、場面のバランス、はかなさなどなど、なにより残る印象の強さは読んでいて舌を巻くものがありました。紫式部はすばらしい作家さんです。

おおげさなこと言いますが、読む前と後では、自分が明らかに変わってしまいました。いやー思い込んでますね。

さて、光源氏はこの悲しみの後も、もちろんプレイボーイぶりは衰えません。次の帖は若紫。このタイミングも実にいい。後には夕顔と頭中将の娘が成長し、絶世の美女、玉鬘として現れます。

ああこうやってたまに源氏に浸るのはやめられませんね。解説本あさってしまいそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿