永井路子さんの古代、奈良もの好きだった。この紫の背に白の背文字がしぶくて貫禄があって良かった。楽しませていただいて心から感謝申し上げます。合掌。
ミステリマガジン、ジョルジュ・シムノン特集なんてめーーったにないだろうと買っちゃいました。3月に「メグレと若い女の死」の映画あるんですね。最近読んだ!とびっくり。しかも監督はパトリス・ルコント。「髪結の亭主」「仕立て屋の恋」「タンデム」に「タンゴ」「イヴォンヌの香り」「大喝采」「フェリックスとローラ」とか観に行ったなあ。ブームだった。
「仕立て屋の恋」もメグレシリーズ。でもこの映画ではただのワキ役なんだけどね。
◼️ アナトール・フランス「舞姫タイス」
動機、はシンプル。傾倒したという芥川もこの作品読んでたのかな、なんて思う。
理由、動機、は物語にとって大切なことがある。例えばオルハン・パムク「雪」では主人公が恋焦がれた女が裏切る理由はシンプルでストンと落ちる。今作も物語の芯が、自明であったところへ戻って終わり。なんとなく、結局それかーいという感がないでもないけども。
エジプトはナイル川流域、イエスに仕える身として修行に励む修道院長パフニュス。もとは富裕な家に生まれ放蕩な暮しをしていたがやがて宗教の道に入った。パフニュスはかつてアレクサンドリアに住んでいた時に見たタイスー劇場女優にして高級娼婦ーを思い出し、悔悛させ清らかな道へいざなうため旅に出る。
一方タイスは少女のころ、懐いていた黒人の奴隷が信心深く、洗礼を受けていた。その奴隷はのちに殉教し聖人と称えられた。やがて美しさを見出されて踊り子となり、富裕な客に身を任せるようになった。そしてパフニュスは少年の頃、タイスの家の前まで行ったことがあったのだった。
突然訪ねてきたパフニュスを、最初はもの慣れた態度であしらっていたものの、やがてタイスは熱い言葉に打たれ、すべてを棄てて修道院に入る道を選ぶ。
タイスを女性修道院に送り届けたパフニュスの名声は高まっていく。しかし彼は苦しんでいた。悪魔がさまざまな形で、彼を肉欲へと誘惑するのだ。最終的に聖人アントニウスにまみえるパフニュスだったがー。
最初は正直、うわこれ読み通せるだろか、と思った。キリスト教の・・理屈が多い。クソまじめで偏屈なパフニュスが、明らかに過度な思い込みを果たさんとかつての故郷へ向かう。途中で会った者にも自分の意見を押し付け気味。どうもカンチガイっぽく見える。
自分の意見をまくしたてるパフニュスに対し、タイスはもう少し冷たく突き放すかたたき出すかなどと思いきや、その幼い胸に刻み込まれた原風景とも言える体験を経て大人になっていたため説得されてしまう。このタイスの過去くらいからぐっと面白くなり、興味深く読み進んだ。
予想に反してタイスはパフニュスについていく。さあ街のアイドルであるタイスを取られまいと男たちは大騒動。燃える炎に石つぶてが飛ぶ。このへんシェイクスピアのような立ち回り。どこか戯曲っぽくて面白い。
パフニュスは幻影に苦しむ。悪魔に取り憑かれていると思い込む。その現れ方もさまざまで長くて読み応えがある。悩み苦しむ中でパフニュスは不思議な力を身につけて、聖人としての評判が本人の意思と関係なくどんどんと沸騰していくのがコメディみたいでもある。そしてその悩みの正体を、町では愚直で通っていた者が言い当てるー。実に小説的だと思う。
確かに読んでいると芥川龍之介っぽい気もする。一見異常と思える成り行きがわかりやすい理由によって落ちたり、因果応報を含ませているのも似ているか。「羅生門」「藪の中」「南京の基督」なんかを思い出させる。
悪魔の攻め方や舞台の設定なぞがいかにもおどろおどろしく憎たらしく、怪しい雰囲気を出している。
芥川の作品のほか、先に出したパムクと、あとはなぜか窪美澄「ふがいない僕は空を見た」なんて想起した。そこまで長い物語ではないが、場面場面がなんか劇画的ではっきりしており、上手に描き分けて流れを作っているようにも感じられる。
芥川も「舞姫タイス」を読んだのだろうか。どう受け止めたのか、不条理さとシンプルさ、ストーリーの噛み合わせについて考えたのだろうか。
芥川龍之介が訳した「バルタザアル」も読んでみようかな。「タイスの瞑想曲」も聴いてみよう。
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