だいぶ更新をサボってしまった。寒波からは穏やかで難はない。来年と同じ、寒すぎないくらいの冬。
◼️ オルハン・パムク「無垢の博物館」上
読みやすいけど、さて、どこへ向かうのか?1970年代の昼メロ的愛憎。
オルハン・パムクは好きだけど、決して読みやすい、理解できるものばかりではない。
「私の名は赤」は中世のミステリ仕立てでおもしろい設定、流れだった。「雪」はミステリでいうクローズド・サークルの中、政治的な色合いの濃い、サスペンス的な話だった。あと「新しい人生」は読みにくい、「赤い髪の女」は先が読めてしまう物語だったけど両方ともテーマが明確で、納得できるものがあった。
逆に「白い城」「黒い本」あたりはなかなか難しかった。って、整理してたら「ペストの夜」というのが新刊で出ているのに気がついた。後で調べよう。
だいたい作品の中で共通しているのが、おおむね男性の主人公が女にだらしないこと。この状況でそれ考えるか、という場面もあったりした。でもかえって、男として、女としての人間臭さを醸し出しているような気もした。
さて、今回は、読みやすいけど、進まない部分があった。やっぱり、女にだらしがないボンボンの主人公。
30歳のケマルは工場経営者である父の次男で、父の会社でポストを与えられ、裕福な暮らしをしている。彼は上流階級の娘・スィベルと結婚することになっており、すでに日常的に身体の関係を持っていた。
ケマルは親戚の娘でブティックに勤め、大学受験を控えている18歳のフュスンの美しさに惹かれ、母が借りていた部屋で男女の仲となってしまう。ケマルはフュスンとの愛欲の日々に陶酔してしまう。やがてスィベルとの婚約パーティーが催され、招待されたフュスンはその日から消息を絶つ。ケマルは傍目にもおかしいほど変調を来たし、スィベルに心配されるがー。
純文学な路線で男女の愛を人間臭く描きたいのかな、と思う。設定の年代は、まだまだ女性の純潔を守らなければならない、という風潮の中で、スィベルやフュスンに「進歩的な」女性の存在を象徴させていると思われる。テロも頻繁に起こる、世相穏やかならぬ中の微妙な恋愛状況をベースとしている。
んー、この裏切りの中でうまく立ち回ろうするがやはりカタストロフィがら訪れ、その余波もある。フュスンに入れあげたおかげでどんどんまずい立場になっていくケマル。さらに、少々変態的に愛の残滓に浸り、どうしようもなく抜け出せずダブルの破局を迎える。
友人の女性が、男も女も若い時は恋愛でみっともないことをしている、と言っていた。当の本人にもあったのかな、などと思いつつ、自分に照らすと、やっぱりある。この上巻の最後の方、フュスンとその家族の前で支離滅裂になってしまうところなどは、誇張されてはいるが、どこか分かるような気もするんだよね。確かに人間臭いといえばそう。
ちょっと予測できる大きな流れ、ひとつひとつの場面で細かい描写を積み重ねるのも非日常をある一定数出すことで生の人間性を浮き彫りにしようとしていると思える。だから長くてダイナミックさが薄くなりがちなのかも知れない。
著者が青春時代を過ごしたであろう1970年代のトルコの猥雑ぶりや食べ物、飲み物にいたるまでの社会風俗の描写には興味をそそられるし、何かと不自由な社会生活はすでにレトロっぽい感覚を呼び起こす。味があるな、と思う。そして身分、金持ちの娘と店員の女の違い、は心理的に大きく反響する。ヨーロッパとアジアの中間、かつて西洋世界と渡り合ってきたトルコの地名は知的好奇心を刺激する。
メロメロドラマの様相を呈している上巻。下巻を読むのはちょっと先になりそうだけれど、ある程度流れはキリまできた。ここからどうなるのか、さらなる破滅型か。どうなのか。さてさて。
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