2022年8月31日水曜日

8月書評の10

失礼、前回と前々回、「3月書評の・・」と書いてしまってるようだ。まあ誰も読まないからいいけどね。

8月は17作品15冊。本屋大賞から人気ミステリ、ヨシタケシンスケ、シェイクスピアに宮沢賢治とバリエーション豊かな月だったかな。

北浜から淀屋橋のモダン建築をプチ散歩。いまやってる大阪の近代建築物をテーマにしたドラマを観て触発され即行動。

芝川ビルはオール見学可能。しぶいスタイルと異国情緒あふれるデザイン。屋上テラスも半円形の出口がトルコあたりのイメージ。中も白亜の壁に風格ある階段と通用口のようなとこの上が角ばってたり細部に工夫があって楽しい。

蔦に覆われた青山ビルの北極星でオムライス食べたい。生駒ビルヂングは残念ながらコロナ対策のため見学は1Fのみ可能で、大阪の街に時を告げたという時計版の近くへは行けず。残念!

北浜は久しぶりに行ったけどやはりカッチョいいですね。秋が深まったころなどまた行きたい。


◼️ 伊与原新「月まで三キロ」

ひさびさに物語を超えた感慨に打たれた。傑作の部類に入るかも。

著者については、書評を見てピンと来るものがあり、図書館で調べたら当時貸出中の本が多かった。東大大学院博士課程修了で地球惑星物理学が専門というふれこみだ。

人気作家、借りることのできた短編集「八月の銀の雪」を読み、いわゆる理系小説、科学ネタを絡ませた、人の心にほわっと迫る話のバランスの良さ、加えて1話は挿入される関西弁の篇で会話のテンポの良さが際立つ。著者は大阪出身だ。今回は「八月」の2年前に出た同様の短編集。


「月まで三キロ」
「星六花」
「アンモナイトの探し方」
「天王寺ハイエイタス」
「エイリアンの食堂」
「山を刻む」

が収録されている。なあんか学問の良い匂いがしますわね。

おおむね科学のベースがあって、その脇にいる主人公が、自分の人生上での大きな問題を見つめ直していく。いい話系のもの。

「月まで三キロ」

運転手が自殺志願の客をえる場所に連れて行く話。夜と月光と絶望と希望。ともかく月の光の表現が効く。むかし息子の寝かしつけに「月は窓から 銀の光を そそぐこの夜」と歌ってやってた歌詞を思い出す。

「星六花」

気象、雪とコンプレックスと恋愛。途中、意外ででもよくあるオチが入る。どの篇も「八月」よりも専門性のある説明が多く、その道に熱中している人が強く描かれる。これくらいでなくっちゃあ、と感じる。専門性を入れるほうが、読む方のバランスが良くなるような不思議な感覚。幕切れは爽やか。

「アンモナイトの探し方」

中学受験を控えた少年の話。キン、キン、キン、夏休み、田舎、山川、石たたき。暗い理由に突っ込みすぎず意地を描く。なぜそんなに好きなのか、人生の大きな流れ。このへんで確信。いい本だ。

「天王寺ハイエイタス」

関西のブルースのおっちゃん、いやもうおじいさん。昔は腕の良いギター弾きでブルースが人生で。しかし今は貧乏で身内からも評判はよろしくない。しかし・・。大阪の土地柄、会話が地の人ならではだと、実感をもって思わせる。昔上司が、関西弁はな、ほんまにええ言葉なんや、と九州出の若い私に向かい控えめに力説していたことを思い出す。科学ネタはおとなしめ。しかし実に良いアクセントの話。エルモア・ジェームス「ダスト・マイ・ブルーム」探して聴いてしまった。

「エイリアンの食堂」

つくばの食堂でいつもノートパソコンを開きながら定食を食べる女史。小学生の娘は宇宙人のプレアさん、と呼び興味を募らせていたこの人についに話しかける。
私も「きぼう」の時間帯を調べてよく見ている。劇中でプレアさんはおーい、と呼びかけているが、条件がいい時など、本当にきれいで、なぜか手を振ってしまう笑。いいことがあったような気になる。筑波というところに著者の経験を見つつ、泣けてしまう一篇。だけでなく、文章から物語を超えた何かがにじみ出る。

「山を刻む」

お母さんが家出?さらに怪しい雰囲気をも匂わせる。古いニコンを持ち高山植物を撮影する主婦。子育ても卒業しているが忸怩たる思いを抱える。山で火山学者と大学院生に出逢い、行動を共にする。

スケールの大きい話で締めくくり爽快な気分にさせる。いいラストだと思う。


秀作、佳作、力作、と言い方はいろいろあるけれど基本的には読む際に、突き放して、というか、漂ってくるイメージを受け止めつつ、感情移入はあまりしないで読んでいる。だから悲しい話でも前向きな書評を書いたりする。ただごくまれに歯止めのきかないこともやっぱりある。

一歩離れて見ると、同パターンの話が多い。でも今回は科学と人情、少々の怪しさ、仕掛け、というもののマッチングが、物語を超えた良さ、何か大きなものの存在を感じさせたと思う。久しぶりに行き当たった感触。


傑作だ。


◼️ ヨシタケシンスケ「ころべばいいのに」

いやあ、ラストに至って、やっぱりヨシタケシンスケってすごいなあ、と感心して終わる。

ヨシタケシンスケ展に行ってから、書店でも気になる人になり、また折よく又吉との共著「その本は」が出ていて、興味を持つ本友もいたりする。

「ころべばいいのに」はもともと興味があったところにそんな本友が読んだというので私も・・立ち読みした笑。展覧会でも原画でストーリーの流れを見たはずが半分忘れている。

どうしてあんなこというんだろう。
じぶんがされたらイヤなことを、どうして、ひとに、できるんだろう。

主人公、赤いランドセルを背負った小学生の女の子は考えます。

ころべばいいのに。

イヤなことがあったとき、嫌いな人がいるとき、人は思い煩います。この悩む時間をなくすには?耐えるとポイントが貯まったり、実はいやなことがあるのは、劇中の一場面だと考える、などなど、著者らしい発想の豊かさで対処法を考え、さらにはどうしてもイヤなことはあるし、嫌いな人はいる、と分析を深めていきます。

ちょっとドラえもんに似てるとこもあるかな、中間まででも完結してしまえそうだな、と思いきや、さすがのコペルニクス的転回とでもいおうか、ただの寓話で終わらせないところに天才性をも感じてしまいます。


幼児的にはおもしろく、大人にとってはナンセンスで、でもクスッと笑ってしまう変化を入れつつ、もとの教訓的な流れをもうまくミックスする。そしてお子さま的な絵本であることと、大人には自分ごととして納得すること、が結果的に見事な両立を見ます。絵本としては長いし、シンプルな絵ながら内容も濃いので、読後に充実感を味わえる作品です。

でもそんなに構えないで基本楽しみましょう、というのがヨシタケシンスケのいいところ。まだまだ読みたいですね。「その本は」も気になる〜。

2022年8月28日日曜日

3月書評の9

この日曜日は風があり、一気に涼しくなって寒いくらい。もう全部窓閉めてあるし。天気も良かった。結局この金土日は買い物にいったくらいで、そんなに動かなかった。まあ先週まであちこ小さい行きまくったしね。


◼️ 草山万兎「宮沢賢治の心を読む」

たまに読み返すと、星屑のような感銘がよみがえる宮沢賢治。動物という切り口で見た児童本。

宮沢賢治の作品たち、今回読み返して、その良さを何度目かの再認識。児童本だけれども、たまに触れなおす機会を持つのは愉しいこと。

草山万兎というのは、河合隼雄さんのお兄さんで世界的な霊長類学者の河合雅雄さんのペンネームだそうだ。まえがきによれば賢治の童話と劇127編には158種類の動物が登場するとか。サルの研究が専門の学者さんが、動物という切り口で読み解く宮沢賢治。

取り上げるのはやはり動物がからむもの。

「雪渡り」
「なめとこ山の熊」
「注文の多い料理店」
「セロ弾きのゴーシュ」

物語が全文掲載してあり、その後著者が児童に話しかけるかのように解説をしている。解説自体はあまり長くない。

「雪渡り」は狐たちとの心温まる交流。

「凍(し)み雪しんこ 堅雪かんこ」
「キック、キック、トントン」

といった言葉がリズムを与える。幻燈会は大盛況。狐を誤解しないで、と。

著者がまず取り上げているように

「雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです」

他にも見られるように、宮沢賢治の情景描写というのは一瞬ハッとさせるくらい抜群だと思う。

「なめとこ山の熊」

熊の胆は高価な良薬とされる。なめとこ山には小十郎という腕のいい猟師がいて熊を殺し、毛皮と胆を捕っている。でもなめとこ山の熊は小十郎のことが好きだという。家族を養うためにこれしかできないという、小十郎の想いや、せっかく取って帰ってきても、荒物屋の主人にぺこぺこした上、買い叩かれているのをまるで解っているかのように。

「木がいっぱい生えている空谷(からだに)を遡っているとまるで青黒いトンネルを行くようで、時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちているところもある」

いつか登った奈良は大神(おおみわ)神社のご神体の山、三輪山を思い出す。風景は見えず、木漏れ陽が神秘的だった。

「月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが丁度銀の鎧のように光っているのだった」

その光を雪だ、霜だ、いや花だ、と母子の熊が話している。小十郎はその光景を見て、会話を聞いて、何かに打たれたかのようにそっと引き返す。結末も神々しさが漂う。

「注文の多い料理店」

どう見ても金持ちで奢っている、イギリス兵の格好をした若者たちを懲らしめるの図。秀作と言われ非常に研究論文が多く、様々な暗喩が示されているようだ。著者はもっと素直に受け取ってよいのでは、と解いてゆく。

「セロ弾きのゴーシュ」

金星音楽団のゴーシュは、町の音楽会に備え第六交響曲を練習している皆の脚を引っ張っていた。楽長に叱られ、家で猛練習をするゴーシュを猫、かっこう、たぬき、野ねずみが訪う。邪険に扱うゴーシュだったが、彼らのおかげで・・

やっぱりチェロという楽器じたい、強く郷愁をそそるところがある。宮沢賢治が実際にチェロを弾き、ベートーヴェンの交響曲6番を愛したことが滲み出る。誰しも、ああそういうことだったのか、悪いことしたなあ、という後悔の経験はある。最後のひと言、ですね。とても効いてます。動物たちにひどいことをしてしまう、そのやりとりもどこか滑稽で、心に残る。

読み返して賢治の物語に集中し浸り、著者の、かんで含めるかのような、穏やかで、まさに先生のような語りを読むと、ストンとまとまりがついて、よい感慨に包まれます。

4巻のシリーズらしいので、ぜひまた読もう。



◼️ ヨシタケシンスケ「ころべばいいのに」

いやあ、ラストに至って、やっぱりヨシタケシンスケってすごいなあ、と感心して終わる。

ヨシタケシンスケ展に行ってから、書店行っても気になる人になり、また折よく又吉との共著「その本は」が出たりして興味を持つ本友もいたりする。

「ころべばいいのに」はもともと興味があったところにそんな本友が読んだというので私も・・立ち読みした笑。展覧会でも原画でストーリーの流れを見たはずが半分忘れている。

どうしてあんなこというんだろう。
じぶんがされたらイヤなことを、どうして、ひとに、できるんだろう。

主人公、赤いランドセルを背負った小学生の女の子は考えます。

ころべばいいのに。

イヤなことがあったとき、嫌いな人がいるとき、人は思い煩います。この悩む時間をなくすには?耐えるとポイントが貯まったり、実はいやなことがあるのは、劇中の一場面だと考える、などなど、著者らしい発想の豊かさで対処法を考え、さらにはどうしてもイヤなことはあるし、嫌いな人はいる、と分析を深めていきます。

と、実は中間まででも完結してしまえるな、ちょっとドラえもんに似てるとこもあるかな、と思いきや、さすがのコペルニクス的転回とでもいおうか、ただの寓話で終わらせないところに天才性をも感じてしまう。

結果的に、この、幼児的にはおもしろく、大人にとってはナンセンスで、でもクスッと笑ってしまう変化を入れつつ、もとの教訓的な流れをもうまくミックスして、お子さま的な絵本であることと、大人には自分ごととして納得すること、いう結果の見事な両立を見ます。絵本としては長いし、シンプルな絵ながら内容も濃いので、読後に充実感を味わえる作品です。

でもそんなに構えないで基本楽しみましょう、というのがヨシタケシンスケのいいところ。まだまだ読みたいですね。「その本は」も気になる〜。

3月書評の8

この本はとても良かった。シェイクスピア好き。

◼️ 小田島雄志「シェイクスピアへの旅」

訳者とともにシェイクスピア劇の舞台をめぐる周遊旅。写真もきれいで、いい旅に浸れました。

イタリア諸都市、ギリシャ、デンマーク、スコットランド、ウェールズにイングランド。シェイクスピアは有名なのはだいたい読んだ。それぞれストーリーと印象を探りつつ未だ見ぬ舞台に思いを馳せ、読んでない戯曲に興味が湧きと、とても楽しい。

「お前もか、ブルータス!」

ローマから入って「ジュリアス・シーザー」。シーザーの遺体が置かれ、アントニウスが劇中の有名な演説をしたという祭壇を見て、暗殺現場の元老院、また実行者たちが集合したというポンペイ劇場の表廊下はどこか探索する。

「ジュリアス・シーザー」はシェイクスピアの中でも気に入っている作品のひとつ。つかみはOK、なにせローマだし、歴史にかかわる観光情報もたくさん。代表的なコロッセオのほか、写真が載っていた長く巨大な水道橋にも感嘆
未読の「コリオレーナス」もローマの話だそうで興味津々。

作品との関連を無機質にただ説明するものではまったくなく、ダジャレの好きな英文学者と含蓄があるのかないのか、の元哲学青年の編集部員、積極過激派(?)カメラマン、イタリアでもイギリスも旧知の在留邦人のナビゲーターとともににぎやかで楽しい旅。とりわけイギリスの武闘派(?)ユリコは勇ましい。

「じゃじゃ馬ならし」のパドヴァ、そして水の都ヴェネツィアは「ヴェニスの商人」「オセロー(第一幕)」さすが写真映えするな。ピアノ曲の舟歌はヴェネツィアのゴンドラをイメージしたもの。ショパン・コンクールで聴いた舟歌、バルカロールをイメージする。聴きたくなってきた。

ひとしきり、物語の話が織り交ぜられる。裁判官に変装したポーシャの大岡裁き。当時のイギリスの世相を反映したとはいえちょっとかわいそうなシャイロック。シェイクスピアは、理屈だけでなく、極めて人間らしい憎悪をも取り入れている。いいなあヴェネツィア。

ぜひ読みたいと思っている「冬物語」にはハーマイオニというシチリア王の妃が出てくる、という話が。おお、ハリー・ポッターのハーマイオニーってひょっとしてここから?と反応。

ヴェローナは「ロミオとジュリエット」。なんといってもジュリエットのバルコニーが観光名所で、別の本でも観たことがある。銘菓は「ジュリエットのキス」だそうだ。徒歩すぐロミオの家、ジュリエットの墓。私も京都で紫式部の墓、というのに行った折に感じたけれども、観光名所でも厳粛な気持ちになるんだろうなと。言及のある「ヴェローナの二紳士」もおもしろそう。

ミラノから空路ナポリへ。シチリアは「冬物語」「間違いの喜劇」。エトナ火山の写真はないが、夜のナポリの古城風景が青く美しい。

ローマに戻り、ギリシャへ。アテネは"恋の三色スミレ"のエキスを妖精が勘違いしてふりかけたためにラブ・てんてこまいとなる「夏の夜の夢」や「アテネのタイモン」。アクロポリスにパルテノン神殿。写真だけで詳細はないが、エジプトにも立ち寄っているのだろうか。なんといっても「アントニーとクレオパトラ」。激動のローマ史。

まだまだ続く。第2部はデンマーク、といえばやっぱり「ハムレット」。
To be,or not to be:that is the question:
小田島氏は
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳しておられるとか。

舞台となるクロンボー城はコペンハーゲンから北へ離れたヘルシンオアの町にある。しかし城も町もまったくハムレットを売り物にしていないところは清々しいくらいだそうだ。ふむふむ。

フランスの聖女ジャンヌ・ダルクもイギリスでは魔女扱いされていた。未読の「ヘンリー六世」で登場するという魔女ジャンヌから、ジャンヌ・ダルクを追う旅。「リア王」で彷徨う王様が身を投げようとしたドーヴァー海峡の白亜の崖の写真からは、やはり宮沢賢治を想像する。イギリス海岸。これで合ってるんだろうか?

そしていよいよグレートブリテン島。イギリスである。

シャーロッキアンだから?多少この島には詳しい。スコットランドは島の北側一帯だ。

「マクベス」

今年の年初に、デンゼル・ワシントン主演の最新の映画を観に行った。映画館で観た、初めてのシェイクスピアだった。

登場の地フォレスに向かう途中馬に乗った3人の美女とすれちがう。実に暗示的。観光のためのサクラだろうか。マクベスは3人の魔女に出逢い、国王になるという予言を信じてしまうー。

Fair is foul,and foul is fair.

坪内逍遥は

清美は醜穢 きれいはきたない
醜穢は清美 きたないはきれい

と訳している。いろんな意味にとれる言葉。でもやっぱ好きだな原文もこの和訳も。

ダンカン王を殺害したマクベスの居城はインヴァネス。ホームズのコートのインヴァネス。ネス湖の近く。当時の古城ではないらしい。

魔女は予言する。

「マクベスは決して滅びはせぬ。バーナムの大森林が、ダンネシーンの丘に立つ彼に向かって大進撃をせぬ限り」

バーナムを訪れ森を見る。劇中では兵士が森の木の枝をかざして進む。ダンネシーンには何もないそうだ。映画でもけっこう荒れ地ばかりのイメージ。

カタストロフィは哀しく虚しい。映像で観たからかもだが「マクベス」はやはりコンパクトで奇怪で黒く人間的で、好きな作品だ。

この後旅はウェールズ、島の南西部からイングランド、ロンドンへと進み、シェイクスピアの生家などを訪ねて大団円へ。

シェイクスピアのヨーロッパ巡り、観光名所も多く、シェイクスピアならではの場所にも行き、作品の一部を紹介したり、背景について考察したり。

浸れましたねー。実はもう40年前の旅なのです。最近のものではないけれど、写真がきれいで内容が充実してそうで、街に新しくできた、こぢんまりした古本屋で買った。店に置いてあった「お気に召すまま As You Like It」人形劇のチラシはがきを栞代わりに、ゆっくり読んで書評も長くなった。

シェイクスピア読みたいね。ヴェネツィアとスコットランド、行ってみたい。

2022年8月27日土曜日

8月書の7

復活なにわ淀川花火大会🎆。時期も後ろ倒しで涼しくずっと観ていた。ビール、が似合いそうだけど、コーヒーにブラックモンブラン様のアイスバーをおともに。

外スイーツはわらび餅黒蜜かけパフェ。長く咲いている百日紅サルスベリは逆三角形のピンク。シェイクスピア劇の舞台を巡る旅本に浸る。

夜の部活動。すでに開催国枠で出場が決まっている、バスケット🏀男子ワールドカップ2023。しかし日本🇯🇵も予選には出場している。アウェーのイラン🇮🇷vs日本🇯🇵戦、25時ティップオフの試合をバスケ沼部でライブ観戦。深夜に歓声を上げるぼくら😆🔥ウチは息子も起きてて2人でやーやー言ってた🤗

翌日はU18アジアカップの準決勝。22時30分からやはり応援。勝って決勝は日韓戦。あす同時刻だ。きょう、3×3の女子U18ワールドカップも観戦。準々決勝、ドイツ🇩🇪に惜しくも敗戦。

雑事買い物をわーっと済ませる。私は安物買いの銭失い的だなあ〜といつも思ったりして。

暑さもひと段落しそう。次週は雨の週とか。きょうも突然降ったし、今年の天気は油断ならないな。


◼️ 今村昌弘「魔眼の匣の殺人」

二重底、三重底・・超能力と奥と消失。

今村氏のデビュー作でありベストセラー「屍人荘の殺人」は「そ、そう来たか」という意外性とトリックの見事さがあって、さらにまた殺人の特徴をベースにした犯人の心情の描写が正気と狂気の境を見せていて、感心したものだ。

この第2作もタイトルと表紙絵がなかなか刺激的。さてどんなものだろうと読み進める。舞台は和歌山県の山奥の集落。

前作のテロに関係が深いと思われる斑目(まだらめ)機関の情報を追い、山奥の集落に向かった剣崎比留子と葉村譲は、バスに同乗した高校生、十色真理絵の、不吉な未来を絵にする予知能力を知る。十色は高校の後輩、茎沢忍ともに葉村らと同じ目的地へと向かっていた。

着いた集落は無人だった。やがてバイク旅行中にガス欠を起こした王寺貴士、車のトラブルのため立ち往生した大学教授の師々田厳雄と幼い息子の純、墓参りに立ち寄った朱鷺野秋子らと出会った葉村たちは、斑目機関の超能力研究所だった「魔眼の匣」と呼ばれる館へと辿り着く。主は老予言者として恐れられているサキミで、世話係の神服奉子が雑事をこなしていた。オカルト雑誌の編集者、臼井頼太も取材のため訪れていた。

「二日間のうちに、男女が二人ずつ、四人死ぬ」

集落に人がいないのは、サキミのこの預言を恐れてのことだった。やがて谷にかかる橋が住民の手で焼け落とされ、葉村たちは孤立無援となる。電話線も切られ、スマホは通じない。サキミの予言は、外れたことがない。男性6人、女性5人、そして死人が出るー

作中にもあるが、不気味な館にグループが閉じ込められるミステリーの黄金パターン、クローズドサークルもの。犯人はこの中にいる。本格だ。

次々と死人が出て、ミステリーにはやや異質な予知能力がからむ。予言は覆せない。異常な状況に置かれた者たちの心理状態が大きな要素となる。

死のいくつかは衝撃的ではある。しかしアガサ・クリスティの名作や綾辻行人「十角館」のような、サスペンスフルな状況、濃い猜疑心まではいかない。

犯人当てがクライマックスというよりは、その動機の推論、またサキミという存在に対する推理など、比留子から機関銃のように連続して織り成される二重底、三重底の謎解きが大きな特徴か。

初作に比してスケールの大きさはあまり感じなかった。やや散漫かな。でも後半の畳み掛けと掘削するように明らかになっていくこと、裏付けはないが推理小説的事実、が連なり事件の深い真相を表していくところには迫力があった。

今回読んでいて引っ掛かりを覚えた部分には後で解答が用意されている感覚、一種の気持ちよさがあった。

論理的な推理もの、ミステリーには超能力は棲息する惑星が違うかのごとくやや異質っぽく映る。しかし・・話の流れでバランスを取っているようにも見える。

と書評を書き終えて、考えてみたら、第一作もありえない設定だったそういえば。超現実的なものとミステリーとの融合を目指しているのかも?

その点含め、次の「兇人邸」も楽しみだ。



◼️ 安壇美緒「ラブカは静かに弓を持つ」

考えている、というのが見える佳作。チェロの魅力、目を惹く表現。

チェロは人間の声、男声に近い、とはよく言われる言葉。高音のヴァイオリンにくらべ、どっしりとしたフォルムは楽器の魅力を伝え、低音をベースにした表現領域の広さは深みを醸し出し、奏でられる音楽の波が心を打つ。聴いていて好ましいからかファンが多いな、と思う。ヴィオラはマイナーで、コントラバスは大きく低すぎる、というのもあるかも。

さて主人公の橘樹(たちばな・いつき)は20代半ば、全日本音楽著作権連盟の職員。町の音楽教室でレッスンの時に管理楽曲が演奏されている実態を押さえようとチェロ教室に生徒として潜入する。練習曲は著作権が消滅しているクラシックでなくポップスを選び、ボールペンに模した機器で毎回のレッスンを録音する。

樹は少年時、5歳から8年ほどチェロを習っていたが、やめるきっかけとなった危険な事件の恐怖から今も不眠に苦しんでいた。

不安がないまぜの中始まったレッスン。樹はハンガリー留学帰り、少し年上の講師、浅葉に出逢い、やがて教室から借りたチェロで熱心に練習に励み、浅葉の生徒たちの食事会のメンバーになる。自分の変化を実感する樹だったが・・

音楽著作権団体がレッスンで管理楽曲が演奏されるたびに著作権料を徴収するー。実際に話題となった事案で確かにそれはやりすぎでしょ・・という第一印象だった。

音楽絡みでインパクトのある設定をベースに、チェロの持つ魅力を引き出し、また取り巻く人々の温かさも加えた、大きな包容とも言えるものに、主人公は癒されていく。ちなみに長身?白皙のイケメンキャラのようだ。

しかし、このままで終わるわけがないのであった。そりゃそうだよね。破綻と、それからー。

周囲の大人ぶりと、外身を冷静、控えめで固めた樹の、成熟していない人間っぽさを出しているところに好感を持つ。心の中で浅羽に敵意を剥き出しにするところであったり、普段は大人しいけれど、しゃべりだしたら止まらず、論理的に見えて、少し常識からずれている部分などにそれが見える。いかにもありそうで、ちょっと怖かったりする。

またやはり、読み手をチェロに引き込む流れは魅力的。出てくるクラシックの曲を聴きたくなる。そして、ところどころにある、目を惹く、良い匂いのする表現が楽しい。

「言われたとおりにドッツァウアーを弾くと、その音は真水のように、柔らかくぬるく澄んでいた。あの日とはまるで響きが違う。古い絵画が色を取り戻していくかのように、その情景は鮮やかだった」

後段の「古い絵画が・・」に感じるものがあった。こう抜き出してみると、平易なフレーズにも思える。しかし流れの中で読むとベストマッチ+αとなる。

「腹が立ったよ。たったそれだけのことすら俺に都合よくできていない、世界ってやつに」

オルハン・パムクが自著の中で、小説について、人生とはまさにこのようなものだ、という感覚を呼び起こす力が大事、という意味のことを書いていた。人生というにはだいぶミニマムではあるけども、共感してしまう。

「夜の河川を望む車窓が、みるみるうちに加速する。光る旋律は海へと潜り、どんどんと下降を続けて、醜い魚が潜む深度まで暗闇の中を突っ切った」

ラブカは「生きている化石」との異名がある、醜い深海魚のこと。作中では映画の中のスパイを指す言葉になっている。物語の主要な舞台となっている東京の二子玉川の商業ビル地域には、在住時、ホントによく行っていた。多摩川のそば、子どもと行くのにいいところ。電車は二子玉川から都心側で地下に潜る。懐かしい感覚もあった。

「その優しい音圧は、深海で放たれるソナー波のように橘の座標を的確に捉え、そのありのままの輪郭をはっきりと浮かび上がらせた」

なるほど上手だな、とニヤリと。

宮下奈都の初期作品「スコーレNo.4」を思い出す。読み出すなり「ずいぶん思い切った表現を使う人だなあ」と、良い意味の異質感があった。

最後まで興味を持ってサクサクと読めた。明るい気持ちにもなれた。

ただ、正直、ですね。出来すぎている感も強かった。まったく私の勝手な思いです。設定もよし、題材もよし、物語の進行もよし、ハラハラ感もちゃんとあり、伏線もうまく回収している。でも、よく出来たテレビドラマのようで、小説的とは言い難かったかも。主人公の生い立ちと現状も、少し弱いかなと思う。よく出来ているから気になるところも出る。

これからたくさんの作品を書かれるだろうと思う。また読むことを楽しみにしている。ラブカってAdoの曲があるらしいので今度聴いてみよう。

2022年8月21日日曜日

8月書評の6

チラシを見て気になっていた絵本の原画展@地元の美術館へ行ってきました。じもぴー市民は割引ありました。

ボローニャで行われる世界唯一の、こどもの本の見本市。イベントで行われる原画コンクールで入選した29カ国78人の作品を全て観ることができます。

各国の絵本を観るのは興味深い。ストーリーや色使いに特徴が表れるから。それに、なにより絵本は自由です。先日かちっとした美術展をハシゴしたから余計にそう思います。

画材にしても、水彩アクリルパステル色鉛筆コラージュはもちろん、刺繍なんてのもありました。そしてタッチと描きこむものもホントに多彩でした。抽象的なもの、日常の幾何学的な部分を取り上げたり、動物は描き方も画面での扱い方も縦横無尽だし、ユーモアやウィットも効きまくりです。

展示最終スペースにはテーブルと椅子、入選作の中で絵本になっているものが並べてあって、日本語訳で出版されているものも多く、貪り読みました😆

韓国の作家さんの、深夜の美術館でピカソのゲルニカに描かれている動物や人が動き出すのは想像が広がって良かった。また、2021年、ただ1人に与えられるSM出版賞受賞、台湾のチュオ・ペイシンさんがオスカー・ワイルド作の「漁夫とその魂」を絵本化した作品も感じるものがありました。

予想以上に楽しかった。喫茶ではアフォガート、ピスタチオアイスに熱いエスプレッソをかけて苦甘美味くいただいて、満足して帰りました。

この日は朝から録り溜めていた「バスケット☆FIVE」「名建築で昼食を 綿業会館編」「題名のない音楽会 反田恭平・ガジェヴ」「クレオパトラ特集」を一気に観た。どれも良かった。。


◼️ 梶尾真治「おもいでマシン」

かるっと楽しく読めます。ショート・ショート。

書評がおもしろそうだったので読んでみた。純粋なショート・ショートって久しぶり。極端かつ特異な設定に小気味良いユーモアや笑いが含まれる感じが良い。

著者は「黄泉がえり」などを書いた人。お初でした。40の作品が入っている。サクサクと読みながら作品によりあれこれと考えたりするのも魅力。やたら熊本や阿蘇が出てくるのでプロフィール欄を見たらやはり熊本出身でいいらした。

「大井川の奇蹟」
起承転結の転が意外で楽しかった。大井川だしね、とニヤリ。

「先輩がミャオ」
これくらい思い切ってくれるとバカバカしくて好ましい。もっといろいろ考えられるよね、と想像してしまう。

「伝説の食堂」
正直にしゃべってしまう店、出前の行き先は?オチが落語のようで秀逸です。

「完璧な殺し屋」
ドリフのコントみたい。話にいいスピード感があって笑える。

「おとぎ苑」
おとぎ話の主人公たちが集まる施設。やはり懐かしいその後もの。

「根子岳の猫屋敷」

根子岳って阿蘇五岳の1つの火山なんです。頂がギザギザで猫みたいだから根子岳らしいんですが、私的には、見るたびに鬼ヶ島とか魔物の山を想像します。根子岳の猫屋敷、抜け目のなさがポイント。郷土意識もプラスしてナイスでした。

「父を知る」
ホロっとさせるネタが琴線に触れる。これも「転」が最高。好きっすONI。

ちょっと感動するものはいくつか入っていて、
「母の日の思い出」はテクニカルで、
「ママのくるま」はもう最後にこんなの持ってくるのやめてよ泣いちゃうやんか、と思わせて上手に締める。

フンフン♪と機嫌よく読める本でした。梶尾氏がインスパイアされたのは星新一「人造美人」だそうで、こちらも読んでみたくなりました。



◼️ 鯨統一郎「文豪たちの怪しい宴」

最初は北村薫かなと。後で、でも違うかなと。

このシリーズの2作めに川端康成「雪国」が出てくると言うのでいずれ読もうと思っていたところ、図書館で1作めが目に入った。題材も読んだものばかりで興味もあり、手が伸びた。ちなみに最寄りの図書館にはシリーズ2はなくて市内の別の図書館蔵から取り寄せになる。

東京のバー「スリーバレー」。日本の文学研究界の重鎮・曽根原と20代後半とおぼしき宮田という男、そして美人で気の利くバーテンダーのミサキが、日本の代表的な小説を題材に議論を交わす。

「こころ」「走れメロス」「銀河鉄道の夜」「藪の中」の4つがテーマの連作短編。曽根原はいわば文学研究の常識、壁役。そして宮田が珍説・奇説だけれども根拠のある解釈を披露、その壁に当て、曽根原が時に心の中で、時に口に出して反論する。ミサキは話の促し役、良き合いの手を入れる立ち位置。

「こころ」は「百合小説」で「走れメロス」は「夢」である、などと滔々と宮田が、ちょっと挑発的な調子で話していく。作品に書いてあること、作家の人となりを掘り下げる内容でなかなか知的好奇心に響く。

「銀河鉄道の夜」はまあ常識的な線でてらいはないような。「藪の中」はミステリーで、今回は謎解きの1つですね。こちらはエキセントリックさという点では強くはないけども興味深さがそれを上回るかな。

最初、この文学探偵ぶり、書きようはまるで北村薫じゃん、鯨統一郎って覆面作家らしいけど実は?もとは覆面作家だった北村薫のさらなる覆面とか?とすこーし本気で疑った。共著もあるみたいですね。

しかし「藪の中」の後半あたりから、いや、やっぱ違うかな・・と思えてきた。なんかディテールにはズレがあるような。ちょっと粗っぽいかもと。

ともかくなかなか文学好きに楽しめる内容ではあった。次もいずれ借りてこよう。「雪国」はそもそもがとても不思議な作品。どんな論が待っているのか楽しみだ。

8月書評の5

スコットランド国立美術館展に行ってきた。エル・グレコ、コレッジョ、デル・ヴェロッキオ、ティツィアーノ、ベラスケスにレンブラント、スコットランドらしくターナーにコンスタブル、ルーベンスにコロー、ルノワールなど有名画家の作品たち。これという目玉はなかったけども、ルネサンスからバロックへ、18世紀のパリを中心とした隆盛へ、そして19世紀以降、印象派などによる価値観の変遷へという流れがよく分かった気がした。

宗教画ばかりでなく、貴族から農民への日常、風俗、また広大な風景画も描かれるようになっていたが、やはり写実を中心とした絵が多かった。時代ごとに絵を並べるてみると、ずーっと写実的な、おおざっぱに言えば似た作風で推移してきている。特に近代では常に新しいものが求められる傾向が顕著な中、たしかにサロンの権威もあったと思うけども、モネらが既存の絵画から斬新な芸術へと舵を切りたくなるのも理解できるような。改めてなるほどと思った。

ちなみにシャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ教授が愛してやまないジャン=バティスト・グルーズの作品も1点。「教本を開いた少年」表情と空気感はさすが。似たような絵が多くとも、たとえばベラスケスの作品などにはおっ、と思わせる違いを感じる。

ランチは神戸三宮の老舗洋食屋、グリル十字屋のポークチャップ、六甲ライナーに乗って小磯良平美術館へ。美術館は基本涼しいとこでゆったり出来るのでまさに夏向きの娯楽😆

小磯は、中之島美術館オープニングコレクション展で観た「コスチューム」という作品が良かった。和装、洋装、外国人留学生のモデル、ヌード、バレリーナ、舞妓と、女性の肖像を多く描いている。

今回は水色のワンピースを着て籐の?椅子に座る婦人像がよかった。

さて、ぼちぼち帰ろうかな、という時に喫茶の方を見たらウマそうなパンケーキが。厚焼きにカットされた大きな桃の果実、ナッツ、アイス。一も二もなく食べました。いや美味かったー。

神戸は、どこに何があるか、行き方も分かるし、安心してムダなく回れる。あまり大きな都市ではないけれど、福岡から出てきてから長年のホームタウン。たまにはこんなのもいいな、と思った夏の日なのでした。

◼️ 林望「トッカータ 光と影の物語 洋画編」

図書館で見かけた本。日本画編もあるらしい。

コロー「曲がり道」
ターナー「アイルズワース、ザイオン・フェリー・ハウスー日没」
ホイスラー「スピークホール No.1」
オキーフ「月とニューヨーク」
ルノワール「"大水浴"のための裸婦習作」
チネリー「円い窓と鳥籠のそばで扇を持つ中国人女性」
スランタン「若い娼婦」
ホッパー「ハイ・ロード」
ドゥグーヴ=ド=ヌンク「血の沼」
ロートレック「馬上の人の習作」
コンスタブル「ハムステッドの荒野・遠景に『塩の箱』と呼ばれる家」
ハーゼンクレーヴァー「感傷的な娘」
レンブラント「学者の肖像」

の絵をモチーフに8ページくらいの物語が綴ってあり等の絵がカラーで掲載されている。ストーリーは怪奇物語、といった風情でそれぞれ不思議でおどろおどろしい部分もある。

ただし、絵のことはまったく説明されず、物語と絵の関係にも言及はない。「大人の絵本」というふれこみだ。

由来が分からないので受け取り方にとまどう。ストーリー自体も、正直尻切れで余韻が感じられない。ただの創造も、説明がないのも、遊び心なのかもだが、肝心な部分がないとやはり楽しめないですわね。あちこちどうもうーんというのが目につく本。


スランタン「若い娼婦」の絵から創った「銘『蜻蛉(せいれい』」は日本の鼓を扱っていて、日本人画商、林忠正の名前も出てくる。原田マハ「たゆたえども沈まず」を思い出したかな。

まあよく創り込まれた村上春樹の短編集を読んだ直後だったので、余計に粗さが目についたのかも。


◼️ 村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」

ひさびさに、ハルキの「らしい」短編集。

村上春樹はたまに読みたくなる。読んでなかった本が目に入ったので借りた。少し以前の、阪神大震災を絡めた作品集。

「UFOが釧路に降りる」
「アイロンのある風景」
「神の子どもたちはみな踊る」
「タイランド」
「かえるくん、東京を救う」
「蜂蜜パイ」

が収録されている。それぞれに震災のニュースが出てきて、間接的に影響を及ぼす。

長年の女房が突然冷静に出て行く、自分の空虚さを思う、「かえるくん」は得意の、まったくファンタジックな話。それぞれに事情がある主人公がその人生を振り返る内容となっている。これまで読んだ著作のテイストが繰り返されている向きもある。とても「らしい」といえばそう。

表題作の「神の子どもたちはみな踊る」で宗教団体の信者の母とともに布教していた主人公は、後の作品「1Q84」のNHK集金人の父について行っていた子、という設定を想起させる。踊る場面はなぜか藤沢周の芥川賞作品「ブエノスアイレス午前零時」を思い出したりなんかした。

特にラストの「蜂蜜パイ」は著者の分身である主人公の男がかつての恋愛、そこに欠けていたもの、と10数年の後に邂逅していて、過去のいくつもの作品で見てきたような内容。欠落は、ほんのちょっとしたこと、でも自分が脱皮できなかった部分であり、いい年齢の大人ゴコロをくすぐる。主演グループの女性の顔は最近聴きに行ったヴァイオリニストの神尾真由子をずっと想像しながら読んでいた。

まあその、不思議で、やっぱりちょっと変わっているんだけども、うまく落ち着いている。ただ、これは何を表しているんだろう?と深く考えることはやめとこうかな、といつものように思う。

村上春樹氏が中高生時代を送ったのはいまの私の地元。実は震災を題材とした作品は読まなかった。自分に大した被害はなかったけれどもやっぱり震災の衝撃は生々しい。

物資を送ってくれた人、会いに来てくれた友人、そのすべてに感謝をしながらも、未熟な私はうまく感情を表せなかったり、スタンスを測りかねたりしていた。福岡や東京の友人と震災の話題になってもどう説明していいか分かんないし、暗くなるしとあまり話さなかった。距離感というものを浮き彫りにしたのが震災だったかもしれない。

まあその、25年以上経ったし、大人だしでもはや感傷的にはなれない。逆にその距離感を感じた作品集でもあったかな。

2022年8月14日日曜日

8月書評の4

暑い夏。高校野球は佳境、バスケット🏀は仙台での男女代表4連戦。男子今回は馬場雄大が参加。入ると活躍するのはさすが。馬場ブーンと友人が呼んでいた変形レイアップ、ボールホーク、リバウンドに速攻。


河村は相変わらず入るとディフェンスが引き締まりスピードが上がる素晴らしいシックスマン。須田が3ポイントを連発し、井上宗一郎がインアウトともにがんばる。だんだんと日本代表のコアが出来上がってきた感じだ。スタメンPGの富樫はさすが。


週明けから、すべて解禁予定。やっと終わりだ〜。とりあえず、髪を切ろう。



◼️ いせひでこ「空のひきだし」


絵本作家、挿絵画家さんのエッセイ。求めているものに出会った感覚。パチッパチッと感応しながら読みました。



伊勢英子さんは、献本の絵本学入門書で知り、宮沢賢治の童話を絵本化した「水仙月の四月」で、どこか没入できるものを覚え、今年読んだ「見えないものを見る 絵描きの眼・作家の眼」には感銘を受けた。


そして図書館で見かけたこの本は、ちょっと私的にヤバかったですね〜。


エッセイとメモ入りのスケッチ。子どもたちには、雲に魂を奪われて雲ぼけしているので雲母、と呼ばれているという著者のキーワードはもちろん雲、空、チェロ、宮沢賢治、北海道、やはり絵描きだった父の死、愛犬の死、蜜蜂、スケッチ、色・・そして気分転換と旅。


「日常の生活では描ききれない何かがほこりのようにたまりすぎると、私はキャンバスを注文する」


この時届いたのは、百号の巨大キャンバス。白い溶剤で下地塗りを始める。


「はじめのひと刷毛を滑らせたとき、ざあっと部屋に風が吹いた。冬の凍った空の高みを駈けながら、自らの音に耐えかねてむせぶような風の声にたちすくむ」


やがて、落ち込む。


「雲ひとつない青空にまるで奥行きをみつけられないように、完全に画布と自分とのキョリ感を失っている」


どうする・・?


「白さの向こうからお呼びがかかる瞬間まで、何日でも待とう。私の物語が語れる時まで、私の歌がうたえる時まで」


このエッセイのラスト


「朝が来た。

   私は化粧をしない」


ダイジェストだとなかなか伝わらないかもしれない。昔、あるフィギュアスケート選手がチャイコフスキー「白鳥の湖」をフリーの曲に選び、意気込みを訊かれたとき


「私は氷上の白鳥になりたい」


と言ったとか。表現者、アーティストというのはプロフェッショナリズムと、独特の感性を持っているものだと思う。その人の個性、人生に深く根ざしている。それを文の形に表したものが読みたい、できればその人にしか出来ない表し方で、という気持ちが常にある。


誤解を恐れず私なりの言葉を使うと、アーティストは良いキレ方をしている、普通の人と違うものを持っている。行き過ぎた感性が人間の中にある。それを見たい。


伊勢さんの文章は私の興味のあるものを絡め、期待に応えてくれている。表現だけでなく、読み物としてもとても面白い。


「公園の樹々がいっぺんにパレットになったみたいな広場では空が晴れがましいカオをして何か描かれるのを待っている。キンモクセイのオレンジの粉々を下地に塗り込めましょうか。トチノキとイチョウの黄色のどちらがお好き?赤や白茶や紫(ふじ)色はサクラの落ち葉から昨夜の雨をしぼればすぐに採りだせる。ひまな私はえのぐの調合を考えながら歩く」


読んだり見たり聴いたりしたとき、しばしば自分が感じたものをどう表現するか考えてしまう時がある。終盤「幻日」という珍しい現象を目にしたときの言葉の連なりや、一目惚れして買い大事にしていたフラット3つの金のネックレスの描き方が美しい。


飛行機雲、キリストの言葉「エリ エリ ラマ サバクタニ」、パウル・クレーの「赤いフーガ」、三岸節子、星野道夫の死、個展の作品たち、全てパチッパチッと感応する音がするようだ。


個人的に、今年2頭の愛犬が立て続けに旅立ったこともあり、飼い犬グレイに想いを馳せるところも心に響いた。


思い入れすぎか・・しかし好きなものは仕方がない。理由はない。不思議に心が騒ぐものがそこにある。ブルッフやシベリウスのヴァイオリン協奏曲に浸る時のようだ。


なんか、解放される気がするんだよね。そのまま、自由に書いてほしい。



◼️ 泉鏡花「夜行巡査」


観念小説だとか。タイトルからいろいろ想像しますね。


明治28年、1895年に発表され、こないだ読んで書評を上げた「外科室」とともに泉鏡花の出世作です。どちらも何があるんだらう?といろいろ考えてしまうタイトルですね。


物語は車夫の老人が、扮装みなりが悪いと巡査から咎められているのを見た職人風の壮佼わかものが、後で事情を訊き、口を極めて巡査のことを罵る場面から始まります。セリフの途中に「維新前」と書いて「むかし」とルビをふっているところに時代感が。


その融通がきかなさそうな巡査は八田義延。時は12月の夜更けです。みすぼらしい女が乳飲み子とともに門のひさしの下にうずくまっています。しかし八田巡査は女の懇願にもかかわらず、


「規則に夜昼はない。寝ちゃあいかん、軒下で」

「いかん、おれがいったんいかんといったらなんといってもいかんのだ。たといきさまが、観音様の化身でも、寝ちゃならない、こら、行けというに」


と追い出してしまいます。ひどいもんです。なにせ交番を出て幾曲がりの道を巡り、再び駐在所に帰るまで、歩数約三万八千九百六十二と決めているようなガチガチの規則男です。


さて、場面変わって、皇居お堀端。若い美女と酔っ払った老人が歩いています。美女・お香は老人のことを伯父さんと呼び、おぼつかない足取りを心配しています。


このお香、両親はすでに亡くなっていました。そして、実は八田巡査と恋仲でした。しかし、八田が結婚を申し込んだところ、親代わりのこの伯父に断られていました。


「あいつもとんだ恥を掻いたな。はじめからできる相談か、できないことか、見当をつけて懸

かかればよいのに、何も、八田も目先の見えないやつだ。ばか巡査!」


と息巻く老人、深夜1時ごろです。そこへ、なんと当の巡査が通りかかります。


2人の前で、老人は一緒にさせない理由?条件?ともつかぬことをグダグダとしゃべり、お香をなぶります。結婚させないのはお香を苦しませるのが目的?ついにお香は声を震わして


「そんなら伯父さん、まあどうすりゃいいのでございます」


と問うのでした。それに答えて老人は恐ろしく倒錯的とも言える理由を告げたのでした。


嘆くお香、八田巡査は木像のごとく固まっていました。心の中に絶痛があってもパトロールの職責を果たせねばなりません。歩数すら決めています。


その時、老人のことばに絶望したお香が駆け出し、堀端の土手に飛び乗った。これは身を投げるか、と思った老人は引き留めようと急ぐ。しかし酔っ払っていたために倒れ、横ざまに、薄氷の張ったお堀へざんぶと落ちてしまいます。


駆けつけた八田巡査に、お香は抱きつきます。しばしの後、巡査は


「お退き」


助けてやる、職務だ、職掌だ、とひややかに口にする八田に、お香は蒼くなって


「おお、そしてまああなた、あなたはちっとも泳ぎを知らないじゃありませんか」


「いかん、だめだもう、僕も殺したいほどの老爺おやじだが、職務だ! 断念めろあきらめろ」


お香を振り切った巡査は、職務に殉じました。


後日人はその仁を称えました。しかし生命とともに愛を棄てた巡査、本当に仁だったのか、憐れむべき老車夫や母子に厳しく当たった巡査を誉めそやす人はいないじゃないか、いかがなものだろうか、と作品は締まっています。


後年の幻想小説、奇想の話を思い起こさせた「外科室」に比べ、こちらはなにかを社会に問いかけるような作品です。観念小説というそうです。


維新後の世情、江戸の市井の風情、その中の巡査の性質には度を外れた部分が、老人の理由には狂気が感じられます。そして、ストーリーはなんとも希望のないところで終わっています。


もひとつ泉鏡花のイメージには合わないものの、なにかしらの「ゆがみ」を深夜のシン・東京、皇居近くの片隅で演出してみせる、小さな極端を現出させたこの話は心に残ります。


ミニなお芝居のような作品でした。


芥川「芋粥」やそのモデルとなった「外套」をちょっと思い出すとこもあるかなと。


極めて小さいことを示す「藕糸の孔中/ぐうしのこうちゅう」、よろめき歩くさま、の「蹣跚たる/まんさんたる」、密かにことを企てすると意の「寝刃ねたばを合わす」など調べた。これくらいの量ならちょうどいいかな、初期の小説。




iPhoneから送信

2022年8月9日火曜日

8月書評の3

妻がコロナ陽性となってしまい、在宅勤務。重症化の確率は低いものの、高熱で頭痛がひどく、咳も出てしんどそうである。夜中に一度呼吸が苦しく、手指がけいれん、腰から下に痺れが来たので救急車を呼んだ。受け入れる病院はもはやないとのこと。到着した頃にはやや落ち着いていたので納得はできたが、反発もあるのか、救急隊員の方ではなく、スマホのスピーカーで保健所の方から入院は出来ない、と告げられる。

まあだいじょぶだ。買い物と掃除と洗濯と多少の料理。在宅勤務はそれができるし。私も息子はいまのところピンピンしている。薬なしで解熱してから3日後に濃厚接触者はおしまい。もうすぐだ。


◼️ フランソワ・デュボワ「楽器の科学」

「音色」の違いとは、いわゆる「音響」とは?

最初は理論の多さにちょっと戸惑った。しかしだんだん面白くなってくる。

音は波である。1秒当たりの振動数が多いほど大きく/高く聴こえる。音の3要素は大きさ、高さと「音色」で、理屈的には波形の形が違う、と解説されるが、実際は、楽器による「倍音」の数の違いが1つの原因である。

基音、例えばド、の音の中には整数倍の、2倍音、3倍音・・が含まれている。フルートの倍音は10数個であるのに対し、クラリネットの倍音は30数個。これが音色の違いを生む。

さらに、音色は聴き手の受け止め方、心理空間に左右される。その要因は美しさ、迫力、明るさである。不思議なことに、多くの人の感じ方は大きく外れない。濁った音を澄んだ音、と受け止めることは少ない。

そして音を増幅し、倍音の違いを生むのが「共鳴」。振動しうる物体には、最も振動しやすい周波数がある。たとえばピアノを弾いたら置いてあったコップが鳴る、などの現象は、その物体、ここではコップの固有周波数で振動しているということ。これが共振。共振によって音が聞こえることを共鳴という。

楽器ごとの共鳴の仕組みが説明され、さらに、コンサートホールの設計に踏み込んでいる。音を吸収したり、反射したり、難しい計算によりホールでの音響は成立している。客席や聴衆は音を吸収してしまうので、リハーサル時の音と、本番の音がまったく違うこともありうる。

最後の章では現代の優れた音楽家たちに、
①あなたにとっての良い楽器とは
②あなたとあなたの楽器とのパートナーシップとは?
③コンサートホールにより、素晴らしい、あるいはひどい音響体験は?

という質問をしている。ヴァイオリニスト、チェリスト、ピアニスト、日本人のソプラノ歌手、パーカッションら現代の若い音楽家ごとの分析もなかなか面白い。ヴァンサン・リュカさんというフルート奏者が激賞しているのが日本のムラマツフルート製の作品。知らなかった。

著者はマリンバ奏者。マリンバ、学校の音楽室にあった木琴、鉄琴の下についている共鳴管の、音程により違う長さに見入ってしまう。うーん、いま小学校に戻れれば、もっと楽器いろいろ研究して極めるのに、的な気分になったりする。

何人かは、日本で優れているホールとして、上野の東京文化会館を挙げている。行ったことないんですよねー。ともかく、次に聴きに行く時には気にすることも多そうだ。楽しみが増えたっ。倍音に耳を澄ましてみよう。



◼️ ヨシタケシンスケ「あるかしら書店」

本屋について、本について、想像力を広げる。おもしろかった。

ヨシタケシンスケ展にて購入した本。いやあ、もう、ならではの想像力の広げ方、シンプルな絵、小技を効かせた展開にくすっと笑ったり、単純にいいなあ、と思ったり。

本屋に来る人、おじいさん、学生らしき娘さん、青年、やや年配の女性、お子さまたちが表紙の本屋の主人に尋ねます。

「なんか『ちょっとめずらしい本』ってあるかしら?」

「なんか『本にまつわるイベント』の本ってあるかしら?」

「『本にまつわる名所』の本ってあるかしら?」

「なんか『本そのものについて』の本ってあるかしら?」

主人は表情を変えつつ、おだやかに、時に暗黒街で裏取引をするように?答えます。

「ありますよ!」「そりゃあもう!」
「ゴザイマス」

ナンセンスなものもたくさん。あははは、なんじゃそりゃ、というのもあり、中にはほほう、なるほど、また、あったら楽しそうだなあ〜と思わずこころが明るくなる発想もあり。

100ページちょっとに亘って、いろーんな本、本にまつわるあれこれが連ねてある。

不便だけど楽しそうな「2人で読む本」、穏やかにルナティック「月光本」、古本屋さんが動く本棚でパレードするお祭り、神保町でやんないかな。

「お墓の中の本棚」はホントにあればいいのに。ビジュアル的に映えそう、壮大で美しく儚い「水中図書館」。城ですね。

「本のつくり方」はシンプルで楽しい。「本その後」「本が好きな人々」「ゆっくりめくる本」はクスッと笑える。「ラブリーラブリーライブラリー」シリーズはんっ?と考えちゃうほのぼのもの。

ちょっとメランコリックな時や疲れた時に、腰掛けているベンチに愛嬌たっぷりの「文庫犬」が来たり、窓の外に「文庫鳩」が来たら嬉しいだろうなあ!

実に楽しめる本でした。

8月書評の2

◼️Authur  Conan  Doyle 

 The Adventure of the Priory School (プライオリ・スクール)


長く入り組んだ話。ホームズと高額の報酬、ホームズのお説教!


ホームズ原文読み23作め。第3短編集「シャーロック・ホームズの生還」より「プライオリ・スクール」です。web版のページ構成の場合、これまで1話あたり9ページくらい。「マザリンの宝石」など捜査に出かけないものには6ページで終わったりしていました。しかしこの話は13ページ、しかも殆どのページがかなり長い。気合いちょっと増しで取り組み、なんとかさして遅くならずに読了しました。


ともかく始めましょう。物語の冒頭、ベイカー街の部屋に飛び込んできた高名な学者、ハクスタブル博士が転んで失神、暖炉前にある熊の毛皮の上にのびてしまいます。ワトスンの診断では、空腹と疲労とのことでした。


目を覚まし、緊急事態です、次の列車で私と一緒に戻ってくださいホームズさん!と哀願する博士に、ホームズはこう答えます。


My colleague, Dr. Watson, could tell you that we are very busy at present.

「いまはとても忙しいのです。相棒のワトスン博士もそう言うでしょう」


Only a very important issue could call me from London at present.

「本当に重大な事件でもなければロンドンを離れるわけにはいきません」


ハクスタブル博士はすかさず


Important!と叫びます。


事件は数々の閣僚経験者であり大変裕福なホールダネス公爵の幼い1人息子サルタイア卿が誘拐されたというものでした。


ホームズは興味を示し、さらに


his Grace has already intimated that a check for five thousand pounds will be handed over to the person who can tell him where his son is, and another thousand to him who can name the man or men who have taken him.

「御子息の所在を知らせてくれたものには5000ポンド、誘拐した犯人の名前を知らせたらさらに1000ポンドの小切手を切ると閣下はおおせです」


金額を聞いてホームズ、


It is a princely offer,

「それはまた、豪勢な額ですな」


Watson, I think that we shall accompany Dr. Huxtable back to the north of England.

「ワトスン、北部イングランドへハクスタブル博士とご一緒しよう」


文章を追うと、流れとしては金額を聞いたとたん、まだ詳細も聞いてないのにがらりと気が変わって引き受けることにしたように見えますね。この点は後でも述べるつもりです。ホームズの一般的な姿勢を考えても、いかにも軽い。


まあ忙しくとも依頼を受けることになる、というのは、同じ短編集の1つ前の話、「美しき自転車乗り」でも同じような状況で結局はヴァイオレット・スミス嬢の話に耳を傾けてますから、よくある経緯といえばそうかも知れませんが。


ともかく事件のあらましはこうでした。


ハクスタブル博士は北部のマックルトンという地域にパブリック・スクールに進学する前の学校として、プライオリ・スクールという私立の寄宿学校を設立し、ハイクラスの子息たちを受け入れてきました。


ホールダネス公爵、the Duke of Holdernesseは公爵夫人、the Duchessと別居、奥さんは南フランスへと移りました。母が恋しい10歳の息子はふさぎこみ、ゆえに公爵はプライオリ・スクールへと入れました。しばらくは平穏でした。


しかしサルタイア卿は夜のうちにいなくなりました。服をきちんと着て、そっと出て行ったようでした。ドイツ語教師のハイデッガーが着の身着のままに自転車で追いかけたらしく、彼もまた戻ってきていませんでした。


地元の警察の捜査は進展せず、手がかりといえばいなくなる前に公爵から手紙が来ていたことくらい。話を聞いているうちに列車の時刻が迫りました。


I will do a little quiet work at your own doors, and perhaps the scent is not so cold but that two old hounds like Watson and myself may get a sniff of it.


「ぼくらはあなたの学校で、そっとひと仕事させてもらいます。ワトソンとぼく、老練な猟犬が何も嗅ぎつけられないほど臭跡が薄れているわけではないでしょう」


ちなみに「シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯」でホームズの生誕から死去までを概括したベアリング=グールドというシャーロッキアンによれば、ホームズは1854年生まれ。「プライオリ・スクール」は1900年から1903年に発生したとみられていて、46歳から49歳の時の事件ということになります。たしかに老練な狩猟犬、といった例えがよく似合う年齢かも、ですね。ホームズは1903年にロンドンでの探偵家業から隠退し、サセックス州で養蜂を始めます。


さて、到着は日が暮れてからでした。すぐに高名で裕福な公爵とそのうるさ方そうな秘書、ジェイムズ・ワイルダーと会います。公爵は息子への手紙に、特に心をかき乱す内容は書いてなかった、ワイルダーが手紙を出すよう手配した、と確認します。


捜査はだいぶ長いのではしょりつつ・・ホームズは地図を手に入れ、さまざまな要因から学校の北側、原生林と、その向こうの湿地帯を含む10マイルほどの荒れ地を捜査対象とします。荒地を突っ切った街道沿いには公爵の館ホールダネス館がありました。1マイルはおよそ1.6km、直線距離なら学校から館まで6マイルと記載されているので、公爵父子はそこまで遠く離れた場所にいたわけではなかったんですね。


ともかく、歩くホームズ&ワトスン。


・湿地で自転車のタイヤの跡を見つける。継ぎの当たったダンロップ製のタイヤで、学校の方から来ていた。学校の方へ辿ると、途中で消えていた。その付近には牛の足跡があった。ハイデッガーのはパーマー製のタイヤなので彼の自転車跡ではない。


・さらに周辺を調査すると、パーマーのタイヤの跡を発見。先へ追ったところ、自転車と、ハイデッガーの死体があった。死因は頭部への一撃だった。


・再びダンロップの轍を先へ向かって追いかけた。ホールダネス館の近くでタイヤの跡は消えていた。


ホームズたちは村へたどり着き、宿屋「闘鶏亭」のルーベン・ヘイズという抜け目なさそうな男に話しかけます。失踪したホールダネス公爵の息子に関する知らせを持っていて館に行きたい、と言うとヘイズはめっちゃわかりやすくギクっとします。


ホームズがわざと偽の情報を言うと、ヘイズは見るからにホッとした様子。ホームズはソヴリン金貨を見せ、宿で食事を取ってから馬を借りる算段をします。


なにせずっと荒涼とした土地を歩き回り、死体を発見して、警察に知らせる手配をし、ですからお腹も減っています。2人はゆっくりと腹ごしらえをしました。中庭からは馬小屋と鍛冶場が見えました。そこでホームズは閃きます。


Watson, do you remember seeing any cow-tracks to-day?

「ワトスン、きょう牛の足跡を見たのを覚えているか?」

Yes, several.「たくさん見たな」

Where?「どこで?」

Well, everywhere. 「至る所でさ」


Exactly. Well, now, Watson, how many cows did you see on the moor?

「その通り。じゃあ、ムアで何頭の牛を見かけた?」


I don't remember seeing any.

「見た記憶がない」


ムアは荒れ地、シャーロッキアン的には「バスカヴィル家の犬」のダートムアでおなじみです。to-dayは実によく出てくるので、おそらくコックニー、ロンドン下町なまりのトゥダイかと思ってたのですが、調べても出てきません。ただの強調?どなたかお教えを。


さてともかく矛盾に突き当たりました。興味深い中庭で調査、なんと馬の蹄鉄が打ち直してあることを発見します。さらに鍛冶場に入ったとたん、激怒したヘイズが金属のついた杖を持って


You infernal spies!

「いまいましいスパイめ!」

What are you doing there?

「こんなとこでなにしてんねん!」


借りるはずの馬を見てたのさ、でももう馬はいらないよ、と軽くいなして退散したホームズ。宿が見えなくなってからすぐ、自転車に乗った男がものすごいスピードで近づいてきました。ホームズたちがとっさに身を潜めて見送ったのは公爵の秘書ジェイムズ・ワイルダー、ひどく引きつった顔でした。


ワイルダーの後を追って「闘鶏亭」に戻ったホームズ。しばらく様子をうかがっていると、馬車が来て、一瞬停まった後、猛烈な勢いで去っていきました。玄関にいたワイルダーが何者かを迎え、2人は中に入り、2階の部屋にランプが灯されました。



ホームズとワトスンはすぐ近くまで忍び寄ります。立て掛けてあった自転車のタイヤは継ぎの当たったダンロップでした。

ホームズの背中に乗って2階の部屋をのぞいたホームズはすぐ降りて、帰ろう、と言います。


帰りの道中ずっと黙っていたホームズは、寝る前にワトスンの部屋にやって来て、


All goes well, my friend,

I promise that before to-morrow evening we shall have reached the solution of the mystery.

「すべてうまくいっているよ、ワトスン。明日の夜までにはこの事件が解決していると約束しよう」


さて、ここからまた長いのです。なんとかコンパクトに、謎を網羅するように進めたいと思います。


翌日午前11時、ホールダネス館を訪れたホームズたちは秘書の静止を押し切り、公爵とまみえます。


I should like to have this confirmed from your own lips.

「閣下ご自身の口から伺いたいのです」


ホームズは切り出すと、ご子息の居場所を知らせた者に5000ポンド、さらにかどわかした犯人を教えたらさらに1000ポンド、連れて逃げた者だけでなく、勾留している者たちも含まれますよね、としつこく念を押します。しかも、では、自分の取引銀行の支店名まで口にして、6000ポンドの小切手を切ってくれと要求します。


この段取りには公爵もイライラして、なんの冗談だ、となりますが、ホームズはすでに知っています、と申し述べます。


Where is he?「息子はどこだ?」


昨夜は、ここから2マイルほど離れた「闘鶏亭」にいました、とホームズ。


And whom do you accuse?

「それで、誰を告発する?」


ホームズはさっと歩み出ると公爵の肩に手を置き、


I accuse you,And now, your Grace, I'll trouble you for that check.

「あなたです。閣下、小切手をよろしくお願いします」


決まりました^_^昨夜闘鶏亭に馬車で来たのは公爵だったんですね。


公爵の秘書ジェイムズ・ワイルダーは、実は公爵の息子で、若い頃激しく愛した女性の子でした。しかし女性は公爵の将来を考えて身を退きました。成長して自分の身の上を知ったジェイムズは自分の不当な立場に不満を抱き、異母兄弟であるサルタイア卿、アーサーという名前です、を憎みました。


公爵は表情や仕草に愛しい女性の面影を見て、甘あまに接して来ましたが、今の妻が出て行った後、ジェイムズの憎しみが幼い弟に向くのを恐れプライオリ・スクールに入れたのでした。


さて、事件のあらましですが、ジェイムズは闘鶏亭のヘインズを仲間に引き入れ、誘拐を企てました。目的は取引でした。嫡子だけが財産を相続するのではなく、自分にも遺されるようにするー。その条件を呑ませるための犯行、そこにアーサーに対する異常な憎悪が加わった、というのが公爵の見立てです。


公爵がアーサーに宛てて出した手紙に、自分が書いた手紙を入れる、フランスにいる彼の母の名前を使いました。学校の近く森にジェイムズが行き、母親が会いたがっている、真夜中にもう一度来れば、男が馬で母親のところへ連れて行ってくれる、と説得しました。


計画はうまく行きましたが目撃したハイデッガーに追われ、ヘイズが金属のついた杖でハイデッガーの頭部を殴打、あわれなドイツ語教師は死んでしまい、ホームズの発見で事の重大さに震え上がったジェイムズは公爵にすべてを告白したというわけです。ジェイムズは公爵に3日間だけ時間をくれ、ヘインズを逃すから、と懇願、なんと公爵ジェイムズの破滅を防ぐために、その願いをも呑んで、まだアーサーはヘインズの優しい妻が闘鶏亭で面倒を見ているとのことでした。


最初公爵はホームズを丸めこもうとします。しかしヘインズは逮捕されていました。


ホームズは厳しく公爵を非難します。誘拐という重罪に目をつぶり、殺人犯の逃亡を幇助した、成功していたとしても、その資金は公爵から出ていた。しかもー


Even more culpable in my opinion, your Grace, is your attitude towards your younger son. You leave him in this den for three days.

「もっと咎められるべきは、年下のご子息に対する態度です。あんな巣窟に3日間も置いておかれるなんて」


長くなりますが、もっと行きましょう笑


You have no guarantee that he will not be spirited away again. To humour your guilty elder son, you have exposed your innocent younger son to imminent and unnecessary danger. It was a most unjustifiable action.

「またどこかへ連れ去られないという保証は何もなかったのですよ。罪深いご長男の機嫌を取り結ぶために、罪のない、幼いご次男を無用な危険にさらしてしまわれたのですよ。言い訳のしようがない所業です」



晩年の作品「ソア橋の難問」ではホームズが裕福な依頼人に「金で何でもできると思うな」といった意味の厳しい説教をしています。妻がありながら有利な立場を使って女性に求愛したことを咎めたものでした。ホームズ好きな私の女性の友人はこのシーンが一番好きだと言っていました。


おそらくは人にここまで言われた事のない公爵にズバズバとお説教を食らわせることは、読者にとって胸のすくことだったのだろうと想像できます。ホームズは館の従者に命じてすぐにアーサーを迎えに行かせます。


さて、公爵はジェイムズをオーストラリアへ行かせることにし、別居の夫人とよりを戻すべく手紙を書いていました。懸念といえば絞首刑が確定的なヘイズが何もかもをしゃべることでしたが、ホームズは公爵が「黙っていた方が自分のためだと分からせる」ことが出来ると言っています。ここは正直もうひとつ意味が分かりません。警察の目から見たらヘイズが身代金目当てにアーサーを誘拐したようにしか見えないし、何を言っても信用されず心証を悪くするだけだ、ということでしょうか。ホームズは詳細を警察に教えるのは結局控えました。不当に遇される者はいないと状況を考えたからでしょう。



馬を牛に偽装したのはジェイムズのアイディアで、代々伝わった特殊な蹄鉄を使いました。湿地に残っていたジェイムズの自転車の轍は学校まで行って、森に入り、そこから荒地を突っ切ってホールダネス館に帰った跡だったというわけです。



ワタクシは長い間シャーロッキアンと自称している割に、結論を忘れてしまっている短編がいくつかあります。「プライオリ・スクール」もそのひとつでした。実は。今回通しで原文を読んでみて、これは忘れるかも・・と思ったり。どうもすっきりしない幕切れに、最後のページ、your Grace、公爵の独白の長いこと。捜査は興味深くはあるものの、やはり長くて想像しにくく、退屈です。



この物語は19001903年に発生したと推定されています。1901年にイギリスから独立したオーストラリアへ罪深いジェイムズを行かせたことに関して、国外へ出て恥をすすぐ、というのは「三人の学生」でも出てきます。植民地が話にからむのはホームズ物語の特徴ですね。


また他の話にはないシャーロッキアン的トピックとしては、高額の報酬に対して露骨に興味を示したこと、が挙げられるでしょう。「仕事そのものが報酬」と言ったこともあるホームズ。私的には、「生還」以降のホームズは思慮が浅くなった、とも言われているその原因のひとつが、高額の報酬を貰いクライアントに合わせた結論を取ったこの話にあるのかな、ないのかな?と考えてしまいました。


最後はコミカルにしてあり、ラストに関しては、取るところからは遠慮なくいただく、という姿勢が話の流れとしてムリなく受け取れます。というわけで長い物語、おしまいです。




iPhoneから送信

8月書評の1

夜半はひどい雨、日中は晴れて猛暑、双頭の入道雲が湧き、遠雷の音が聴こえる。雲の上に月。

インターハイ、バスケットボール🏀男子決勝戦は残り5秒、劇的な逆転のスリーポイントシュートで福岡第一が開志国際を降し優勝。いや興奮しました。

上位チームは良い選手が多くいて、高校バスケは今後も群雄割拠。ウィンターカップが楽しみだ。

バレーボール🏐男子は、京都の東山が優勝。準決勝で、優勝候補鎮西に見事なトータルディフェンスで勝った東福岡は頂点に及ばなかった。でもよく頑張ったと思う。こちらも強豪校がひしめく。

バスケット、バレーはインターハイが最初の全国大会で、ここで今季の勢力図が見極められ、各校冬のウィンターカップ、春高バレーに向けて、チームを進歩させていく。

高校野球⚾️も開幕。高校生たちに元気もらっている。頑張るよー🔥


◼️ 奈倉有里「夕暮れに夜明けの歌を」

予感どおり、本読みには好ましい作品でした。

こちらで書評を見かけ、おもしろそうだなあ、読みたいなあと思ったものの図書館になく、書店でも見かけずスルーしてしまっていた。先日本友が「これ読む?」と持ってきてくれた。本読みの指向は似てるんだなと思わず微笑んだ本。かくして読むこととなりました。みなさまもあるのではと思いますが、だいたいこういう直感は外れない。本好きには少ーし深く興味をそそるものではないか、という。どうですかね。

著者が2002年から文学を学びにロシア留学していた頃の生活、友人、恩師、社会情勢、そしてなによりもロシア文学のことを語った本。

まず何よりも、勉強したい、という意欲の強さが素晴らしい。この思い入れと気概と実行力がなにせ叙述力を支えている。文学、文芸が好き、という気持ちの表れが読むほうにも響く、気がする。


ペテルブルク、モスクワの留学生活ではルームメイトや講座の教授にも恵まれ、喜びが活写されている。前半は特に、タイトルとなった「夕暮れに夜明けの歌を」の由来であるアレクサンドル・ブロークの詩に魅了されたこと、親身に教えてくれたペテルブルク語学学校のエレーナ先生の「あなたは絶対にこの瞬間を忘れないわ」という言葉と情景。ぐっと来る。

最初の方にはチェチェン勢力によるひどい地下鉄爆破テロも描かれておりリアルだ。

モスクワの文学大学に移ってからはさらに学問に専心するようになる。ロシアの詩人・作家の作品に絡めた文章が興味をそそる。全体でメモしただけでも、

・マリーナ・ツヴェターエワ「ソーネチカ物語」
・サーシャ・フィリペンコ「理不尽ゲーム」
・ミハイル・ブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」
・トルストイ「クロイツェル・ソナタ」
・ワシーリー・アクショーノフ「クリミア半島」
・アンドレイ・クルコフ「灰色のミツバチ」「ペンギンの憂鬱」「大統領の最後の恋」

「巨匠とマルガリータ」は奇想小説、「理不尽ゲーム」は翻弄されるベラルーシの話、アクショーノフとクルコフはウクライナが題材で、全面的な戦争となる前からロシアとウクライナ間ではさまざまな不穏な事態が続いていて、終わりの方の章はウクライナ情勢に割かれている。

恋愛関係までささやかれたアントーノフ先生との想い出深いくだりは少々理屈っぽくもあるが、純朴でかわいらしさも滲む。通い詰めたという歴史図書館の描写も美しい。

文学を探しにロシアに行く。陶酔とも言えるほどの深い理解と心をくすぐる解説が織り交ぜられたエピソード集は興味深く、心の奥を打つ。予感が当たっていたことが嬉しかった。

ロシア文学はおいおい読んでいこうと思う。

◼️逢坂冬馬「同志少女よ敵を撃て」

スナイパーというものの魅力。

タイトルと表紙の絵のストレートさが印象的。本屋大賞受賞作として評判の本。本友さんに貸してもらった。

1942年、独ソ戦の最中、ドイツ軍に村を襲われ、猟師の母を殺されたセラフィマは赤軍の狙撃手として育てられ、女性狙撃手たちの小隊に入る。スターリングラード攻防戦で、要塞都市ケーヒニスブルクの戦いで、セラフィマは探す。母を撃った、頰に傷のある凄腕スナイパー、ハンス・イェーガーを。

ソ連軍は組織的に女性の兵士を編成、女性の狙撃部隊も実在したことを題材に、少女セラフィマがスナイパーとして戦場に投入され、ついには敵軍から「化け物」と呼ばれるほどの狙撃手になる過程をその葛藤とともに描いている。

ゴルゴ13の例を引くまでもなく、狙撃手、スナイパーというのは特殊な立場を持ち、スキがなく、鍛え上げられたその超人的な能力で戦果を上げる、スーパーで興味を惹く存在だと思う。

加えて史実の詳細、死と隣り合わせの戦闘の激しさ、残酷さ、宿命の対決的ストーリーなどが相まって読ませる作品となっている。良いキャラの仲間が次々と死んでいき、善悪の曖昧さが交錯する、いわば戦場もののセオリーをも踏んでいて、大河ドラマ的。


外国の戦場のストーリーといえば、深緑野分「戦場のコックたち」「ベルリンは晴れているか」を数年前に読んだ。一部から外国の戦場ものを日本人が書くことに批判も出たと記憶している。小説の境界は難しいけれど、私的には最低限の線を外しておらず、おもしろければいいのでは、と思う。日本人は研究熱心だからデタラメはあまりないかなと。今作も専門家に監修を依頼しているようだ。

戦場と性はリアルな問題。ソ連軍侵攻の際、ベルリンの女性は大変な被害を被ったという。軍内部の女性の存在感にも触れられている。


さて翻って正直な感想は、んー、というところもあった。

調べた知識が前面に出ているきらい、どうもストーリーを都合よく引っ張っている気味が気になったかな。人間関係はどうも過剰にお芝居的で、エピローグも長い。


評判の良い作品に構えてしまったりするのは性格の悪さかなあ、と気にしつつ。読ませるのは間違いない。