◼️「ゲスト:アレッポ・トゥ・イスタンブール」トルコ=ヨルダン
【イントロダクション】
シリアのアレッポで暮らしていた8才のリナは爆撃で家族を失い、まだ赤ちゃんの妹を連れ、隣人の美容師、マリヤムとともにイスタンブールへと逃げのびる。しかし早々にホームレスとなってしまうー。
★感想
リナは家族が死んでしまったことを受け入れられず、家へ帰ってママを探したい、と強く望んでいる。リナもそうだが、この物語の中心はマリヤムだ。自分の家での暮らしから、一転して難民となり、国境ではイスラム国勢力とおぼしき武装集団にかどわかされそうになる。保護してあげているリナからは、私の母親はあなたじゃない、遠い国へ連れて行かないで、と反発され、勝手な行動に振り回される。周囲からは「実の娘でもないのに、国境に置いてくればよかったんだ!と散々に言われ倒す。でも、マリヤムにも、リナとその妹しか、もう家族はいない。
難民になる前は、おしゃれで美人な美容師。しかし受け入れ先のトルコではやっかいもの、雨が降った公園で地べたに寝て、着るものは汚れ、恵んでもらったパンを食べる。
観た中では最も悲惨だった。リナも、マリヤムも過酷な環境に置かれ、ポツポツと希望は見えるものの、最後まで明るくはならない。これが現実で、この作品を私のような外国人が見る、すなわち映画の力。
マリヤム役の俳優はヨルダン人、リナは本当に難民の子だとか。
トルコには移民関連の作品が多い。すでに移民・難民をパンパンになるまで受け入れている国家ならではか。
◼️「花嫁と角砂糖」イラン
【イントロダクション】
イラン中央部、ヤズドという古い町でのおはなし。5人姉妹の末っ子、パサンドの婚礼が決まった。相手は海外在住の隣家の息子。婚前式の日、姉妹とその家族、親戚たちが集まってきて大騒ぎ。父親がいないパサンドは、母とともに母の兄、伯父の家で過ごしていた。叔父は猛獣狩りの名手で重鎮的存在。婚前式のための角砂糖を作っていた。その頼りになる叔父が頓死するー。
★感想
ほかの作品に比して、鏡を使った絵作り、トラディショナルなカット割り、照明を使った仕掛け、などを意識させる、本格的な劇映画だと言える。
ベネツィア映画祭最高賞を取ったインド映画「モンスーン・ウェディング」という作品は結婚式に集う人々の人間模様を描く、というものだった。こちら「花嫁と角砂糖」もよく似ている。
にぎにぎしい女たち、子供たち、クセのあるオヤジたち。海外にいる夫からのプレゼント、そして、いかにも従順な末っ子顔パサンドの幸せそうなこと。詩経の
桃の夭々たりその葉蓁々しんしんたり
桃の木々の若々しさよ。 盛んに茂る桃の木の葉よ。 (その葉のように栄える家庭をもつであろう)
嫁ぐ若い娘のみずみずしさを桃に例えた言葉を地で行っている。
加えて、色とりどりのチャドルやヒジャブ、数々の料理や家の調度品が目を惹く。しかし伯父が角砂糖を喉に詰まらせて頓死、慌ただしく葬儀への準備が始まる。与太者と思われていた男が意外に頼りになったり、真面目な聖職者がガン告知を受けて呆然自失したり、故人の妹、パサンドの母が泣かずおかしくなってしまったり。
そんな中、伯父の息子、パサンドの従兄ガセムが父の死を聞いて兵役から帰郷する。もともと伯父はガセムとパサンドを娶せようと思っていて、2人は互いに憎からず思っていた。婚姻の支度が進んでいるのを見てガセムはすぐに帰ってしまう。パサンドは親戚に言う。「四十日間の喪が明けたら結婚のことをはっきりさせる」
なにやら不穏な先行きを匂わせつつ終わり。結婚から葬式、どちらも大騒ぎ。盛りだくさんで、まぎれもない名作でした。
全体としては、ブルカを強制するような原理主義的なものはなく、おおむねみなヒジャブはしているが、服装に関して他はあまり宗教色がない。ラマダンはそっと織り込まれる感じ。また、アキラも8才のリナも、「一時婚はハラール(合法)よ!」というダイアン・キートン似のルブナーさんも、田舎町が舞台の「花嫁と角砂糖」の登場人物たちも、皆スマホやノートPCのテレビ通話を普通に使いこなす。
ちょっとびっくりしたのが、みな外でも寝ちゃうこと。「イクロ」のファウジの父親が深夜に帰ってきて、あーあ疲れたとそのまま玄関前のレストスペースで掛布をひっかぶって寝てしまったり、「花嫁と角砂糖」でも屋上で寝たり、イスラム圏に蚊はいないのか?と思ってしまった。中東ならともかく、インドネシアでそんなことないよなと。
ラストに大書。この映画たちの女優さんは、みな本当にきれい!!
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