奈良探訪出来なかったのは残念だけど、それなりにあちこち行けたのが嬉しかった月だった。京都で同窓会。東京、福岡から大挙して上洛され、普段は話せない人たちと楽しい会話が出来た。
望月麻依「京都寺町三条のホームズ6.5
ホームズと歩く京都」
週末に京都に行くから、ちょっと自分の中の雰囲気作り。
シリーズふりかえり京都ガイドブック、とでも言おうか。先品に出て来た京都観光スポットを紹介しつつ、書き下ろしと、またその場所が出てきたシーンを、目線を変えて書いてある。写真や4コママンガも楽しい。
このシリーズは、軽い恋愛&ミステリーを絡ませたライトノベルで、京都の名所が「行ってみたい!」と思わせる筆致で描かれている。確かに、何巻も出ているため、ガイドブック的にまとまったのかあれば、と思ったこともある。まさか本当に、しかもこんなに工夫を凝らして作るとは思わなかった。
その名所を訪れた文章も、もとは3人称や葵の1人称だったりするのをホームズ目線に変えたりして、なんというか、手を抜いてない(笑)。
ラストに葵の親友香織のモノローグがあるのだが、ホームズについて思う、
「・・絵に描いたような『完璧さ』が、どうにも胡散臭く思えて仕方ない」
というくだりにはプッと吹いてしまった。
シリーズ中、京都名所の描写で印象が強いのは南禅寺かな。そして食べ物は今宮神社のあぶり餅。今の季節美味そう!
とか雰囲気を盛り上げながら、京都では、セレクトブックショップ、つまり本屋巡りを軽くしようかなと考えている本読みでした。
内山淳一「動物奇想天外 江戸の動物百態」
テレビ番組のようなタイトルだが、主に江戸期の画家は、どのような動物を描いたか、というテーマの画集プラス解説。たまにはビジュアルも面白い。
江戸時代、国内のものに加え、象やラクダ、龍など、舶来や想像上の動物も盛んに描かれていた。その傾向と歴史、その動物の意味合いを整理分析し、誰がどの動物が得意だったか、また描かれ方の変遷や裏話的なものも紹介している。犬猫といったポピュラーな画題についてもスコープしている。
ラクダは正倉院のモチーフともなり、古くから人気の動物だったようだ。虎は、1860年ごろ実物が来日する以前も毛皮は入っていた。象は室町時代に来日していたようだが、1728年に来た時は大変な騒ぎだったそうだ。また画人は、インコやオウムなどを好んで描いた。
岸駒(がんく)という画人が、虎の頭骨や脚を取り寄せ、頭骨には毛皮を被せてみた、というエピソードは面白い。虎は若冲や北斎のものも見たが、デフォルメしてあるとはいえ、やはり猫っぽい。岸駒の描く虎は迫力満点だ。
また、江戸時代に出土した象の骨か「龍の骨」と鑑定された、というのもなかなか楽しい。この頃まで、龍は実在を疑われてなかったらしい。
円山応挙が写生、観察して見たままに描く、というのを始め、多くの画人に広がった、とか、若冲がマス目描きというものすごい方法で象を描いていたりと知的好奇心も刺激される。
ある視点からの絵画集、まずまず満足。面白い。
坂東眞砂子「逢はなくもあやし」
奈良が舞台の小品、という感じの物語。持統天皇への思い入れが伺える。
東京のOL、香乃(こうの)は旅に出たまま2ヶ月帰ってこない恋人、篤史の消息が知りたくて、篤史の実家のある奈良・畝傍山の近くの大石町を訪ねる。篤史は実家で亡くなっていたー。
坂東眞砂子といえば、直木賞作品の 「山妣(やまはは)」など、迫力のある人間ドラマに特徴がある。遺作となった「朱鳥の陵(あけみどりのみささぎ)」には、持統天皇の、夫・天武天皇に対する情念が綴られていた。今回はその、さわりというような作品。
奈良の雰囲気は大好きだ。この時代の話も好きである。井上靖「額田王」とか。
180ページくらいの分量も読むのにはちょうどいいのだが、人物造形、話の折り合い方など、少し物足りなかったかな。まあ空気感を楽しんだということで。
カズオ・イシグロ「浮世の画家」
戦前・戦中と戦後のギャップに翻弄される画家の心。のみならず時代の移り変わり全般が主題。ズバッと描かず浮かび上がらせるのが特徴だな。
戦後間もない頃ー。引退した著名な画家、小野益次は戦争で妻と息子を亡くした。次女の紀子に縁談が持ち上がっていた折、里帰りした長女の節子から小野は「慎重な手順を踏んだほうがいい」と示唆される。紀子の前の縁談が突然断られたのは、過去の自分の方向性に原因があったことを、小野は気付いていたー。
起きている現実の時代の動きを、直面している事柄に表象させ、小野と周囲の人々との会話と、過去の回想で主題を浮かび上がらせていく。重々しく深いという印象を与える作品。
カズオ・イシグロは戦後の長崎を舞台にした長編デビュー作、「遠い山なみの光」で、イギリスで注目され、この作品では最も権威あるブッカー賞を僅かの差で逃したという。そして次の長編「日の名残り」で同賞を受賞する。
「日の名残り」を読んだのはずいぶん前だが、「山なみ」からそこまでの手法はほぼ同じだったと思う。主に具体的な現実に向き合うものだったので、「わたしを離さないで」がめっちゃ仮想現実のファンタジーだと分かった時は驚いたものだ。
戦中戦後のギャップにまっすぐに、人間的に向き合っている姿勢と客観的に見える筆致は読む者の心に訴えかけるものがある。しかし解説にもあるが、日本人作家の描き方とはちと一線を画しているかのように見える。
世俗的な善悪は扱われているように見えるが、「山なみ」同様、文脈でそれを断罪しているわけではないことに好感を覚える、ってとこかな。
0 件のコメント:
コメントを投稿