2023年10月29日日曜日
10月書評の11
やはり人気者、カッコいい!席がピアニストと指揮者とを繋ぐ直線上にあり、演奏上合図などのためにかてぃんが指揮者のほうを見るたびに目が合った気がした😎
アンコールはきらきら星変奏曲?で大ウケでした。
土曜日は「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」通称イケフェスへ。時計台のある生駒ビル、へにょんとした手すりの階段がある原田産業ビル、また大正時代の民家をリノベーションしたガラス瓶専門店などを回って脚がパンパンに。建築は楽しい。
日曜日はチケプレに当たったVリーグ。堺ブレイザーズvs名古屋ウルフドッグス。大きくない体育館だから2階自由席も近い。昨年のネーションズリーグ、一昨年の選手権優勝、ポーランド代表のクレク、日本代表リベロの小川、192cmの大型セッター永露(えいろ)→私の地元の中学卒😆、アウトサイドヒッター高梨と近年代表経験のある2人も出ていて、興味深かった。フルセットの熱戦を楽しんだのでした。
あまり疲労感はない。なんかスカッとしてるな。楽しい週末でした。
◼️ 呉勝浩「爆弾」
次は次はと読み込んでしまうエンタメ秀作。サスペンスやミステリの難しい面も見えたかな。
本屋大賞4位、直木賞候補作。さてさてと事件に取り掛かるシャーロック・ホームズのように手を擦り合わせて読んだ。
爆発する。都内中心部に巧妙に仕込まれた爆弾。次はどこで、いくつ爆発するのかも分からない。スズキタゴサクと名乗る男が酔って暴行を働き捕まる、そして霊感と称して爆発を予告するー。
取調官に向かい、のらりくらりとおしゃべりを続けるスズキ。次の爆弾のヒントを探り当てるため、注力して聞かないわけにはいかない。怪物的犯罪者。警視庁特殊犯係のベテラン取調官、そしてすばらしく頭が切れる若い刑事も翻弄されるー。
スズキタゴサクの得体の知れない、自らを卑下しながら知的な会話を繰り広げるキャラクターと、わずかな手がかりで爆弾の所在を突き止めたり見逃したりする捜査官の取調室ドラマに抜群に惹きつけられる。密室の会話とスケールの大きい、非現実的な展開。この組み合わせが絶妙だ。適度に劇場型な仕掛け、野球で言えばいやらしい変化球も織り交ぜてあり、次は次はとページをめくる手が止まらない感覚。優れたエンタテインメイントだと思う。
・・しかし、奥と底が分からないところが難点かな。動機、犯人グループ、スズキ、腑に落ちる結末と「きちんと」見えないまま終わってしまった要素には、困ったことに大事なものが多い。物語を貫く過去のエピソードには、ほどよき一種の異様性といったものを感じる。しかし警官それぞれについては掘り下げ方に物足りなさも残るかな。
惹きつけられる部分は強烈な光。だからよけい物語を下支えする納得感を求めてしまう、というものかも知れない。
おもしろかったのは間違いないっすd^_^
10月書評の10
その次の朝ごはん、焼いた食パンに載せました😆
◼️ 吉村昭「高熱隧道」
黒部渓谷のトンネル工事に挑んだ者たち。記録をもとにした生々しいドラマ。微妙な作風の違い。
黒部第三発電所は黒部川の上流にダムを造り、貯水湖の水を落下させて発電する計画だった。そのため峨々たる山塊に、水路と工事のための軌道トンネルの掘鑿が行われた。
工事は難航に次ぐ難航だった。初めにトンネルを掘る道具を掘削現場へ運ばなければならないが、崖に張り付いた僅か60cmの隘路からは人夫の転落が相次いだ。ようやく工事を始めて1年めの冬は撤収、2年以降は越冬する。
高熱の岩盤のため坑内の温度は上昇し続け最後には岩盤温度が166度にもなる。技師たちの工夫で黒部川の水を放水したり扇風機で熱気を外に出したりするがそれでも過酷すぎる環境に倒れる者が続出、ついにはダイナマイトが自然発火し多くの犠牲者が出てしまう。
加えて、黒部渓谷の冬の自然は、世界的にも稀な、猛烈な現象を引き起こし、3階までが鉄筋コンクリートで頑丈な6階建ての宿舎が600m近くも「飛ばされる」。
工事現場には実際の作業に携わることのない建設会社の技師たちと、高額の賃金を目当てに働く多数の人夫がいる。後ほど医師や看護師も常駐するが、命をかけて熾烈な作業に当たる者たちと指令、管理する者たちとの間には時に不穏な空気が漂う。
以前「鉄道とトンネル」という本を読んだ。九州と本州を結ぶ関門トンネルも戦時下で国家的に完成を急がせた突貫工事だった。今回の隧道の掘鑿も多数の犠牲者のため富山県警からいったん中止を命じられながら、ほどなく再開となっている。
ただ背景はともかく、猛烈に高い温度の中、時には熱湯に浸かりながら、ホースを持った「かけ屋」から黒部川の水を裸身に浴びせられ掘削する人夫、そして転落、熱水噴出、自然の猛威による宿舎崩壊、大火事などで多くの人命喪失と遺族の悲しみに向き合った技師たちには国の事情などは関係のない、なにか超越したものが貼り付いている。描写されている技師たちの長はダイナマイトでバラバラとなった遺体を手で回収し並べ、遺族に引き渡す前には自ら縫合して繋ぎ合わせた。すぐそこに死がある、自分たちの責任下でバタバタと人が亡くなって行く中でのトンネル屋としての矜持。
吉村昭は「戦艦武蔵」「プリズンの満月」「アメリカ彦蔵」「漂流」「羆嵐」「破獄」など読んできた。いずれも過剰に淡々として、できるだけ事実に近い部分を冷静に描く人だと思っていた。しかし本書ではところどころになにか感情がこもっているような描写が多い。ちょっと意外だった。
2023年10月21日土曜日
10月書評の9
藤田真央リサイタル、今回はショパンのポロネーズ1〜7番とリストの大曲ソナタロ短調。ショパンとリストはパリでともに過ごし、ショパンの臨終に立ち会った後リストはショパンの伝記を書いてもいる。だいぶショパン国際ピアノコンクールで聴いた3曲、重々しい5番はリストが伝記で褒めていた作品。6番は英雄ポロネーズ、7番は幻想ポロネーズ。
変わらずメロディアスな演奏。確固とした独自の演奏世界を作っていて、意外性もあり楽しかった。アンコールのグリーグも美しかった。
コンサート前には大阪福島の名店、ラ・クチネッラ・ディ・ヤマモトでいつもながら美味いパスタランチ。前菜と自家製海老燻製と野菜のオイルパスタにエスプレッソ。
美味と美音で癒されて、秋のお出かけシリーズいったん終です。
◼️ Authur Conan Doyle
"The Adventure of the Engineer's Thumb"
「技師の親指」
ホームズ短編原文読み39作め。第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険」より。シリーズに散見される、最後までホームズの手で解決がなされなかった奇怪なお話。
思うに、ドイルはいくつかの話のパターンを持っていると言えます。例えば「赤毛組合」の、ずっとある場所にいるような人を口実(トンデモ話)を作って外出させ、その間に何かをする、というネタは「株式仲買店員」「三人ガリデブ」で繰り返されています。今回のケースも私にはパターンづいているように見えます。後で触れることにしますね。
さて、1889年の夏、第2長編「四つの署名」事件の後、ワトスンは事件のヒロイン、メアリ・モースタンと結婚、ベイカー街の部屋を出て開業医となっていました。
時系列を羅列すると、ワトスンとホームズが初めて会いルームシェアを始めたのが1881年の第1長編「緋色の研究」の時で、1888年ごろ「四つの署名」、そしてホームズが宿敵モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝に落ち、死亡したとされた「最後の事件」が1891年です。この話もいわば前期に入ります。もちろん、物語上の時制で、作品が発表された現実の時間は数年あとになります。
ワトスンの自宅兼診療所はロンドンのパディントン駅から近く、駅員もよく来院していてなじみの者もいました。朝早く駅員が来たとの知らせにワトスンは急いで支度をします。鉄道事故は軽傷が少ないという経験則でした。
なじみの駅員は、1人の男を診察室に置いて、仕事に戻って行きました。男は若く、ツイードの地味な服を着て、片手に血で汚れたハンカチを巻いていました。男性的な力強い顔をしていましたが、明らかに動揺していました。
朝早くに申し訳ありません。列車で着いたところなんです、と言う男の名刺には、水圧技師、ヴィクター・ハザリーとありました。ワトスンが夜の列車の旅はさぞ退屈だったのではないですか、と話しかけると、
"Oh, my night could not be called monotonous,"
「ああ、退屈な夜、だったなんてとても言えませんよ」
ハザリーは高らかに笑い出します、そして甲高い、響くような声音で笑い続けました。こりゃアブナイ、と思ったワトスン、Stop it!と止めに入りますが、技師はひどい錯乱状態に陥りました。やがてなんとか自制心を取り戻したものの、顔は真っ青でした。
ブランデーを水で割ったものを飲ませると落ち着いて、いまの醜態を詫びるハザリー。そして、私の親指を診てください、と。ハンカチを外して、挿絵によれば左手を差し出します。親指が根元からスッパリと切断されていて、医師のワトスンもぞっとします。ハザリーは事故ではない、と言います。
"What! a murderous attack?"
「なんですって?殺されそうになったとか?」
"Very murderous indeed."
「実のところ、殺されかけたのです」
経緯を語ろうとするハザリーをとどめるワトスン。先ほどのことがあったから神経に障るかもと思ったんですね。でも警察には行かなくちゃ、ただ突飛な話でこのケガ以外証拠もない、信じてもらえるかどうか・・と逡巡するハザリーに、ワトスンは友人のシャーロック・ホームズに相談してみては、と持ちかけます。
話はまとまり、2人は馬車でベイカー街に向かいました。ホームズは快く受け入れ、ハドソンさんの滋養豊かな朝食を一緒に食べ、ゆったりと椅子に座らせます。ハザリーは長い長い話を始めました。
ハザリーは独身で、孤児として育ちました。技師として大きな会社で7年間働いた後、2年前にロンドンでの独立開業に踏み切ります。しかし仕事のオファーはほとんどありませんでした。昨日の帰り際、ライサンダー・スターク大佐という、ひどく痩せ、尖ったような顔、簡素できちんとした服装、30代から40代くらいの男が訪ねてきました。話す言葉にはドイツ訛りがありました。
"I have a professional commission for you, but absolute secrecy is quite essential"
「あなたに依頼したい仕事がある。ただし絶対に秘密にすること。これは必要不可欠です」
鋭く訝るような目つきで、スタークは何度も念押しし、部屋の外で立ち聞きされていないかまで確かめに行きます。
ひと晩で50ギニー、水圧を使った圧縮機について意見を聞きたい。調子が悪い。あなたに何が悪いか教えてもらえれば自分たちで直します。バークシャーのアイフォード駅にきょうの最終列車で来ていただきたい。駅に馬車で迎えに行きます。
これが用件でした。1ギニーはだいたい2万5000円くらいのようですので、50ギニーはけっこうな金額になりますよね。とんでもない仕事の依頼です。
スタークの説明によれば、自分の土地の地下に価値の高い活性土があり、両隣の土地にはもっとありそうなので、まず自分の土地の土を掘り出して換金し、両隣の土地を買収するプランだとのこと。価値があると周囲に気づかせないため極秘裏に進めているという話でした。土を固めて何か分からないようにして取り出す、固める時に水圧機を使う、と。
大佐が帰った後、ハザリーはまったく怪しい話だと思いながら、通常の10倍の報酬のことを考え、行くことにします。
昨夜、11時過ぎ、ガランとした深夜のアイフォード駅では大佐の馬車が待っていました。大佐はハザリーを乗せると窓を引き上げ、全速力で走り出しました。
"One horse?"「1頭でしたか?」
"Did you observe the colour?"「馬の色は?」
"Tired-looking or fresh?"
「馬は疲れていた?それとも元気でしたか?」
ここでホームズが割り込みます。
馬車は1頭立てで、色は栗毛色、元気で毛並みにつやがありました、と答えるハザリー。ホームズものの常でこれらは後で重要な情報になってくるのですね。
さて、外の見えない馬車で、ハザリーにはおそらくはたっぷり12マイル走ったように思えました。長い移動時間、話しかけても大佐はそっけない返事しかせず、会話はすぐに途切れます。やがて家に着いたらしく、馬車が止まりました。スターク大佐はハザリーに周囲を見せないように急いで家に連れ込みました。
暗い室内。さっと扉が開かれ、光が差しました。高級そうな服を着た女性が現れ、スタークと外国語で何か会話をしました。
スタークは近くの部屋にハザリーを連れて入り、しばらく待つよう言い渡しました。簡素な部屋で、丸テーブルの上にドイツ語の本が乱雑に置かれていました。窓には頑丈な鎧戸にかんなきがしてあり、外は見られません。さすがに嫌な予感が忍び寄ります。こんな田舎でこのドイツ人たちは何をしているのか?
突然扉が開き、先ほどの女性が入ってきました。美しい顔は熱を帯び、同時に怯えていました。
"I would go. I should not stay here. There is no good for you to do."
「逃げなさい。ここに居てはいけない、あなたにとって良くない」
たどたどしい英語で彼女は後ろを気にしながらそっとささやきます。しかし、ハザリーは50ギニーのこともあり、機械を見るまでは帰れない、と言い張ります。
"For the love of Heaven! get away from here before it is too late!"
「お願いだから!手遅れになる前に逃げて!」
ハザリーはこの懇願もスルーしてしまいます。彼女は頭を振って出て行き、スタークと背の低い男が入ってきました。スタークは秘書兼マネージャーのファーガソン氏だと紹介しました。
スタークは機械のところへとハザリーを案内します。迷宮のような古い家で、廊下はしっくいがはがれ落ち、湿気があって、壁のところどころにカビがはえていました。ファーガソンは寡黙でしたが、ちょっとしゃべった言葉を聞いてハザリーはイギリス人だと判断しました。
やがて1つの小さな扉から、大変狭い部屋に入りました。大佐の説明によれば、ここはもう水圧機の中で、この部屋の天井はピストンの底面で、ものすごいトン数の力で降りてくる、部屋の外には水を入れたシリンダーがあり、動力を何倍もの力にして伝える。いまは、動くが途中で一部の圧力が失われている、とのことでした。
巨大な装置でした。ハザリーはじっくり調べて、レバーを操作すると、シューッという音がしたので漏れがあることが分かりました。ピストンの周囲のゴムが縮んだせいでソケット部分に完全に密着していないのが原因でした。ハザリーはスタークらに説明し、修理の方法などをレクチャー、いくつかの質問に答え、さらに機械の部屋に戻って好奇心からじっくり見ていました。
こんな強力な機械を組み上げていることからして、活性白土の話がでっち上げというのは明白でした。部屋の壁は木製、床には溝があり、金属の屑みたいなものが貼り付いていました。さらによく見ようとすると、
"What are you doing there?"
「何をしているんだ?」と大佐の声が。
"I think that I should be better able to advise you as to your machine if I knew what the exact purpose was for which it was used."
「機械について、もっといいアドバイスをしてあげられると思いますよ。もしも正確な目的を話していただければね」
騙されて腹が立っていたハザリーはこんな答え方をしてしまい、しまった、と思いました。
大佐の目を悪意の輝きがよぎります。
"Very well,you shall know all about the machine."
「いいだろう。そのマシンのすべてを教えてやろう」
大佐は下がって部屋から出て、扉を閉めて鍵をかけました。そして機械音が聞こえてきたのです。ランプは床の上、その光に照らされた黒い天井が下へと降りてきたのです。強力な圧力であることは、ハザリー自身よく理解しています。恐怖が増幅しました。
天井はどんどん降りてきます。もう立っていられません。パニックの中、ハザリーは木製の壁に隙間があるのを見つけ、転がり出ます。間一髪、ガチャーンという音を聞き、そのままハザリーは失神しました。
手首を引っ張られ、ハザリーは目を覚まします。狭い廊下に横たわっていました。先ほどの女性がいて、必死に急きたてていました。恐ろしい思いをしただけに、今回は素直に逃げて、という案内されるまま、回廊を走り、曲がりくねった階段を降りるうちに、追っ手の声が間近に聞こえました。彼女はある寝室に入り、月の見える窓の所で言いました。
"It is your only chance,It is high, but it may be that you can jump it."
「これしか手がないわ。高いけれど、飛び降りる、できるでしょう」
高さは9mもないくらいでした。その時、スタークが片手にランタン、もう片方の手に肉切り包丁のようなものを持って走ってきました。ハザリーは窓枠を乗り越えましたが、彼女に危害が及ぶのを案じ、飛び降りるのを躊躇します。
"Fritz! Fritz! remember your promise after the last time. You said it should not be again. He will be silent! Oh, he will be silent!"
「フリッツ、フリッツ!こないだの約束を忘れたの?もう2度としないと言ったじゃない。彼はしゃべらない、しゃべらないわよ!」
"You are mad, Elise! You will be the ruin of us. He has seen too much. Let me pass, I say!"
「気がふれたかエリス!俺たちを破滅させる気か、やつは知りすぎたんだ、通せと言ってるだろう!」
スタークと女性は揉み合いながら叫びます。やがてスタークは女性を振り切り、重い刃物を振り上げました。ハザリーは窓枠にぶら下がりました。次の瞬間、鈍い痛みを感じて、落ちました。
幸い怪我はなく、ハザリーはすぐさま茂みの間を走って逃げました。しかし自分の親指が切り落とされているのを見て、薔薇の茂みに倒れ気を失いました。
明るくなってから気がついたハザリーは、周りに家も庭もなく、アイフォード駅近くの幹線道路脇の生垣に寝かされていることに気がつきます。駅に行って尋ねると、駅員はスターク大佐という名は知らない、昨夜は馬車も見なかった、警察署は3マイル離れている、と答えました。そのまま駅からレディング行きの列車に乗り、ロンドンでワトスンの手当てを受けたというわけでした。
長く恐ろしい体験の独白が終わりました。ホームズはおもむろに備忘録を抜き出すと、1年前、若い水力工学エンジニアが行方不明になったという尋ね人広告を見せます。ハザリーは、あの女性が口にした「もう2度としない」件だと知り愕然とします。
ホームズ、ワトスン、ハザリーの3人はスコットランドヤードでブラッドストリート警部ともう1人の私服刑事と合流、一路アイフォードへ。車中、ブラッドストリートは「唇の捩れた男」に登場している背の高く体格の良い警部。「青いガーネット」 では新聞に名前が出ています。13作品に出てきているレストレイド警部に比べると登場頻度はそんなに高くないですが名作に出演してますねー。
ブラッドストリートくんはハザリーが話した、1時間以上は馬車に乗っていた、という証言から地図にアイフォード駅を中心とした半径10マイルの円をコンパスで描き、犯行現場はこの線の近くのどこかだと皆に告げます。一行はそれぞれ東西南北のこちらの方だ、と意見を述べますが、ホームズ曰く、
「みんな間違ってますよ」
ホームズがここだ、と指したのは円の中心でした。でも12マイルは走ったんですよ、とハザリー。ホームズは説明します。
"Six out and six back. Nothing simpler. You say yourself that the horse was fresh and glossy when you got in. How could it be that if it had gone twelve miles over heavy roads?"
「6マイル駅から離れて、6マイル戻る。シンプルですよ。あなたは馬は元気でつやがあったとおっしゃった。12マイルも悪路を走ったらそんなことは有り得ない」
ありそうですな〜とブラッドストリート。ここでこの犯罪組織の正体が明かされます。
"They are coiners on a large scale, and have used the machine to form the amalgam which has taken the place of silver."
「やつらは大規模な貨幣偽造グループだ。あの機械で銀に見せかけた合金を作っていた」
ブラッドストリートによれば警察でも動きは掴んでいて、この者たちは半クラウン硬貨を1000枚単位で贋造しているとのこと。警察はレディングまでは足取りを追ったものの逮捕できなかったのでした。
幸運なチャンス、確実に逮捕できると意気込んだブラッドストリートでしたが・・
アイフォード駅に着くと、大きな煙が立ち上っているのが見えました。通りかかった駅長に聞くと、燃えているのはベッカー博士というイギリス人の身なりのいい紳士の家で、外国人と一緒に住んでいたとのこと。夜のうちに火が出て、家が炎に包まれているという状態だと駅長は話しました。
駆けつけてみると、ここだ!とハザリーは叫びます。燃えている家には、ハザリーが飛び降りた窓があり、敷地には倒れて気を失った薔薇の茂みもありました。
ホームズは冷静に、押しつぶされそうになった時にあなたが置いたオイルランプが木製の壁に燃え移ったのでしょう、おそらく彼らはすでに遠くへ逃げていると述べます。
農家の者が、非常に大きな箱をいくつも積んだ馬車が急いでレディングの方向へ走っていくのを目撃していました。しかし、彼らの行方はその後も杳として知れませんでした。
焼け跡には捩れたシリンダー、鉄パイプが残り、納屋からは大きな錫とニッケルの塊が発見されました。しかし偽造硬貨は見つからず、馬車の大きな箱に入っていたと推測されました。
気を失ったハザリーがどうやって駅の近くまで運ばれたか、は足跡で見当がつきました。小さな足跡と普通の大きさの足跡、おそらくあの女性と、無口なイギリス人が運んだのだろうと。
"Well,it has been a pretty business for me! I have lost my thumb and I have lost a fifty-guinea fee, and what have I gained?"
「私にとっては極めて大変な事態になってしまいました!親指を失い、50ギニーもフイ。何も得るものは無かった」
ハザリーは帰りの列車で嘆きます。それはそうですよね。深刻です。ホームズは優しくなだめます。
"Experience, Indirectly it may be of value, you know; you have only to put it into words to gain the reputation of being excellent company for the remainder of your existence."
「経験を得ましたよ。これはとても副次的な価値のある経験です。言葉に置き換えるだけで、あなたの残りの人生、社会で名声を得られるでしょう」
なんか下手に慰めないところがホームズらしいというか・・身寄りがなく収入を求めているところへ悪党につけ込まれたのは事実ですが、怪しいことは十分認識していながら、法外なお金に釣られてしまったこともまた真実といったところでしょうか。しかも逃げるチャンスを1回スルーしています。こう書くと私は冷たいのかも笑。
さて、いかがでしたでしょうか。まず、ホームズの作品には最後まで未解決、といった事件がいくつか出てきます。そもそも処女短編の「ボヘミアの醜聞」ではアイリーン・アドラーに出し抜かれて結局目当ての写真は手に入りませんし「オレンジの種五つ」では依頼人を殺害されたうえ犯人特定に至りません。「ギリシャ語通訳」も監禁・脅迫されたギリシャ人が死亡し、首謀者たちは逃亡しています。
推理小説、ヒーローものには珍しいとも言えますね。いずれも、何らかのオチ、犯人たちが乗ったとされる船が沈没したり、首謀者たちがその後殺害されたり、といったものはあります。今作も火事という形で大きなダメージを与えてますね。完全ではないにしても懲悪のストーリーにはなってます。犯人は君だーという画一的な物語一色になっていないのも特徴です。
もうひとつ、依頼人ではない、印象的な女性の登場。「技師の親指」は突然で劇的といえますが「ギリシャ語通訳」にも謎の家に監禁された男の妹がふいに現れます。加えて印象的な悪役「三破風館」のイザドラ・クラインも心の端にひっかかりますね。
ドイルは物語を作る際、うまく回収しようとさまざまな仕掛けをしますが、このように演出上の効果にも気を遣っているのが分かるような気がします。
さて、犯人は取り逃すものの、奇妙さとキレが心に残る物語「技師の親指」紹介、これにてお終いです。