2021年10月27日水曜日

10月書評の7

◼️ 松田青子「おばちゃんたちのいるところ」

考えさせられる短編集。ところどころで刺される感覚があるちょいホラー

「コンビニ人間」の商業的成功もあり、英語圏で日本の女性作家の作品が好まれる流れがある、と書いた本に載っていた1つ。

最初は関西弁をしゃべるおばちゃんが出てきて、その自然で典型的な会話の流れに、この人絶対関西人と思って表紙を見たらやっぱり兵庫県出身だった笑。最初の1つ「みがきをかける」はコミカルでちょっと引っ掛かりを覚えるフレーズも含めて面白かった。読み進むにつれ少し退屈だな、と思い始めたころに突如連作になって、不思議ちょいホラー気味の世界から、ちくちくと、時にぐさっと刺される内容となる。

後の方は不思議な短い話が続き、連作の流れで、霊が見えるよろずカバーの優しい会社とその従業員が何度か登場する。最後の2篇は姫路のお話。そうか姫路の方だったのかな、と。

巻末を見ると、すべての話が歌舞伎や落語の幽霊話をモチーフとしているようだ。ふむふむ。

少し前の時代がベースなのかなと思わせる。昭和の末とか平成の初めとか。それとなく、不満、批判が見え隠れする。

「どうして二十一世紀なのに、高いお金を出してちまちま脱毛サロンなんかに通わないといけないんだろう。なんかパッて、一瞬でつるつるになったりしそうなものなのに。そういう二十一世紀らしいテクノロジーで。」
(みがきをかける)

「時代は変わる。静かに見てきたクズハにはっきり言えるのは、上の世代の男たちは基本ほとんど屑に近いということだ。」
(クズハの一生)

「彼らは思う。子どものことも考えず、離婚し、シングルマザーになった彼女が悪いのだ。後先を考えない彼女が悪いのだ。女であることを優先した彼女が悪いのだ。」
(彼女ができること)

後の2つは直接的に刺さってくるが、個人的には「みがきをかける」のこのくだりは、けっこう意味深に思える。進歩しそうで、現実はそうでもないという実感は私にもあったし、あるし。

まあ穿ちすぎだと思うけれど。

読み返してみて、最初のいかにも的な関西のおばちゃん、けっこうこの本に登場するあの男性キャラのオカンだったかと少し驚いた。そうかそうか。

「悋気しい」で、嫉妬のあまりハチャメチャに怒り狂い、離婚を切り出された主婦に、なかなかあなたみたいに嫉妬のエネルギーが強い人はいない、早く怨霊の世界へ来て、とスカウトする人がもしも六条御息所だったら面白いな、と思ったりしたのでした。

◼️ ヒロモト「猫探偵はタマネギをかじる
   ニャーロック・ニャームズの名推理」

笑。猫ニャームズとニャトソンくん。

本屋でこの類を見かけるたびに葛藤が。
「いくらシャーロッキアンだからってこんなパロディまで読まんでいいやん」
「いやいや、意外に深くて面白いかもしれないし、ここで入手しなかったらもう巡り会えないかも・・」
「だってさー」「でもね・・」

で、だいたい買ってしまう笑。

家出猫のニャトソンは同居猫を探していた折、紹介されたニャームズに連れられ、女子大生のハリモト婦人の家で飼われることになる。ニャームズとニャトソンは、動物警察のミニチュアシュナウザー、「ケーブ」の協力依頼に応じて、あちらこちらへ事件を解決に赴くのだったー。

ニャトソンが家を探す下りとか、「南にいらしたでしょう」という初対面の言葉とか、ホームズが犬猫に食べさせてはいけないとされる玉ねぎやチョコレートを麻薬代わりに食してたりとか、フェロモン全開のメス猫アイリーンが出てきたりなどまあそこそこ楽しめる。加えて人間で言う「手」を「肉きゅう」に置き換えていたり、鳥の関係者にニャトソンがつい野生を出してしまったり猫ならではといった世界。

事件そのものはホームズ譚をもじってあるのは最終話だけかな、どうだろう。

個人的には土管の上に乗ってピンと背筋を立てたニャームズの凛々しい姿に、「バスカヴィル家の犬」でダートムアの荒野、月の光をバックにシルエットが浮かび上がったホームズをちらっとだけ思い出したのでした。

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