2021年10月3日日曜日

9月書評の8

9月の最終週は、映画「ブータン 山の教室」を観に行った。世界一僻地の小学校のお話。心が洗われた。

そして10月になって週末は、手塚治虫へ。この企画はファンの心をくすぐるね。



◼️ ジャック・ロンドン「白い牙」

野性から飼い犬の本能へ。ラストはホロリとする。最強の狼犬、ホワイトファング。

前半の野性生活の部分はなにせ緊迫感がある。残酷さ、過酷さの中で育ったホワイトファングは人との生活で掟を学ぶ。

人をも襲って食べる北極圏の狼集団にいた雌から産まれた子狼は鷹、凶暴なイタチ、オオヤマネコらの敵がいる過酷な環境で成長する。ある日インディアンの一族が来て、母狼はおとなしく捕らえられる。母狼には犬の血が流れており、かつてキチーという名でこの集団に飼われていたのだった。

子狼、ホワイト・ファングは、人間とともに暮らすための掟を覚え、彼を嫌う集団の犬たちと争う中で、ずる賢く、気難しく、そして強くなっていった。

尊敬の念を抱いていたインディアンの飼い主から、ホワイト・ファングを酷く扱い猛犬やオオヤマネコと闘わせる白人、ビューティー・スミス、死地から救い出したウィードン・スコットと人の手に渡りながら生きていく狼犬。

ホワイト・ファングはスコットに深い愛情を抱き大家族の屋敷に飼われるー。

負けた方が喰われるオオヤマネコとの死闘など、残酷を伴う営みが止まることなく繰り返される野性の生活、その緊迫感に圧倒される。野性の強靭さ、さらに人の世界のルールを身につけて過ごすしぶとさ、ホワイト・ファングの孤高の姿が際立つ。

次々と襲い来る試練に興味深く読み進む。

解説によればロンドンは「野性の呼び声」の方が圧倒的に研究論文が多い、とのこと。「野性の呼び声」はぬくぬくと暮らしていた家犬が橇犬となって雪の屋外で寝るようになった経験から始まって犬たちの争いと酷な自然環境の中、次第に野性を身につけていく、というものだった。人にも飼われ、それなりに愛情を持つが、飼い主が殺されて野性に戻る。

野性へと入っていくその雄々しさ、そして虚しさが悠久の雰囲気をも醸し出し、動物があるべき姿、を感じさせる。

ロンドン的にはこの2作はひと続きの関連作品という捉え方だったらしい。確かに迫力は損なわれていないものの、最後に家犬として落ち着きスコットに忠誠を誓うホワイト・ファングには物足らない感がないでもない。

ただ、犬をずっと飼っている犬飼さんとして(言葉遊びです)、納得できる部分もある。

動物好きの川端康成もまた大した犬飼さんだったらしいが、そのエッセイ「わが犬の記述 愛犬家心得」で

愛する犬のうちに人間を見出すべきではなく、愛する犬のうちに犬を見出すべきである、と書き、こう述べる。

「忠犬は忠臣よりも遥かに自然である。犬の忠実さには、本能的な生の喜びがいつぱい溢れ、それが動物のありがたさである。」

この辺りの感覚がなんとなく分かる。犬には本能の一部に、人に尽くして、可愛がってもらって悦ぶ、というのがあるのでは、と思う。

だから、納得できてしまう。

「野性の呼び声」「白い牙」が発表されたのは1900年代初頭。この時代らしく劇画タッチではある。ラストシーンの作り方は、ホロリとして、うまいなあと思ったし、その後の物語の骨組みとなる、前半の野性の部分はどこか詩的に織り成してある。

ま、どちらかと言われれば・・やっぱり「野性の呼び声」かも知れないな^_^

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