◼️ アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
「老人と海」
リアルな迫力と、孤独感と、虚しさと、温かさ、なんて言葉では語り尽くせないのだろう。
100分de名著でヘミングウェイのこの小説を取り上げるというので再読。ヘミングウェイは「陽はまた昇る」に感銘を受け、「キリマンジャロの雪」でアメリカ小説らしい非合理な文章の連なりをふむふむと読んだ。
さて久々の「老人と海」。ストーリーはなんとなく覚えている。しかし濃い。濃縮の極みで休ませてくれない。単純におもしろい。
老齢の漁師・サンチャゴは独りでメキシコ湾へ出る。かつて一緒に漁をしていた少年・マノーリンは親の命令で別の船に乗っている。しかしマノーリンは今でもサンチャゴを慕い、なにくれと世話を焼いていた。
陸地が見えないくらいの沖で漁を始めたサンチャゴの針に、舟よりも大きい、巨大なカジキマグロがかかる。
サンチャゴは2日2晩戦い続ける。闘志を持って、ひどく冷静に、決して諦めず職人らしい手練手管と自分の心のコントロール力を注いで。遂に老漁師は勝ち、カジキマグロを弦側にくくりつけて帆を張り陸を目指すが、血の臭いをかぎつけた鮫たちが何度も襲いかかりー
あらすじの概要を書いただけで、恐ろしい時間だと思う。巨大なカジキマグロ、そして襲いくる鮫を次々と撃退するサンチャゴ。そこには大人の職人の姿がある。孤独でも、立ち向かい続け、逞しく、負けない。こんな言葉では到底追いつかないな、と思う。何か黒光りするような武骨なもの、ものすごい頼りがいを感じる。
時折挟まれる、あの子がいたらなあ、という独白。その他もろもろの心のうち。生物への想い。哲学。
100ページくらいの短い小説。私はやはり、ヘミングウェイはかなりテクニカルだなと思った。「陽はまた昇る」でも生の象徴としての牛追い祭りが見事だった。今回は、濃密な漁の描写の中に、行き過ぎない程度の独白を混ぜている。その度合いがおそらくは抜群、ではないかなと。
失い続け、ぼろぼろになるサンチャゴ。でもしかしけれども・・
かまうもんか、これからは二人一緒に行こうね。ぼく、いろんなこと教わりたいんだもの。
おそらく戻らないサンチャゴを心配して心を痛めていたマノーリン。再びマノーリンと漁に出るという光を見せて小説はカッコ良く終わる。
この小説がノーベル賞受賞をたぐり寄せたことは書いてあるが、評価や詳しい意味合いは分からない。100分de名著が楽しみだ。
◼️ 辛島デイヴィッド「文芸ピープル」
なぜここ数年、日本の女性作家の作品が英語圏で多量に翻訳出版されるようになったのか
単的に言えば、見出しの通りで、この流れは2020年以降も止まりそうにないという。
1つの象徴が村田沙耶香「コンビニ人間」の商業的成功で、日本の芥川賞を受賞したこの作品は2018年にニューヨーカー誌など十数誌でブックオブザイヤーに選ばれた。すでに興味を持つ編集者にとって芥川賞の認知が高まっているそうだ。
他にも多和田葉子「献灯使」が全米図書賞を翻訳部門で受賞するなど注目が高まっていて、川上弘美、小川洋子、松田青子、小山田浩子らの作品が続々と翻訳出版されているそうだ。
英米圏では日本文学といえば、昔は川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎にフランスで評価された安部公房、といった感じだった。現代は村上春樹が他を圧するビッグネームだとのこと。
そこに近年起こった日本女性作家ブーム。本から拾うに、内向的で、孤立していながら冷静沈着で、どこか奇妙でありながら共感できて、すぐに人や物事を判断しない、受け身である、より巧みに表面下にあるものを暴いている、ユーモアやアイロニー、ホラーを用いて社会的な慣習に疑問を投じている、等々となる。不気味さ、もキーワードのようである。
受容性、そしてそこからつながる多様性。より新しいものを求める市場性もありながら、ダイバーシティ等々、現代の風潮も強く反映されているようでもあるし、男系の社会への警鐘のような、うーん、世界が変わっているという象徴のような意味も感じる。作中では否定ぎみだったような気もするが、オリエンタルな感覚を不気味さに求めている気もやはりしないでもない。
翻訳者である著者はイギリスで、西加奈子が参加した文芸フェスティバルの様子やこの潮流に関しての英語圏にいる編集者の生の声を取材している。
日本における大衆小説の売れ方とは一線を隠した流れ、ちょっと文学寄りだなとも思う。
伊坂幸太郎「マリアビートル」の映画化についても取り上げてあるがサスペンス、ミステリー系がもっと入ってもいいような、とも思うかな。
これまで無頓着だったけれども、こういう切り口と内容、おもしろいと思う。挙げてある「コンビニ人間」、松田青子「おばちゃんたちのいるところ」、小山田浩子「工場」などはまったく範囲外だった。これを機会に読んでみようかな。
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