手塚治虫記念館は10年くらい前に行った。その時からブラック・ジャックのマグカップは欲しかった。前回は見送ったけれど今回は念願果たせて満足。ヒゲオヤジ、ロック、アセチレン・ランプ、ハムエッグ、スカンク・・おむかえでごんす、はスパイダーって初めて知りました。
女子バスケアジアカップを観戦、準決勝の世界ランク3位オーストラリア戦は、2点差でぎりぎりの勝利。
オーストラリアは日本に合わせたようなスピードあるバスケットをしてきた。これは正直逆手と思う。最後にどうしてもスタミナ切れしてたから。高さでゴリゴリこられたほうがイヤなのよ、なんて黙っとこ。たぶんオリンピックの決勝で高さのあるアメリカがディナイディフェンス、張り付くディフェンスをして日本を封じたのを参考にしたのだと思う。アメリカよりはオーストラリアには柔軟な運動神経が欠けてたかな。まあ勝ってよかった。
Bリーグは各開幕戦、下克上的な結果が相次いでいる。今シーズンどうなるのか、楽しみだ。
さっきまで始まったばかりのショパンコンクールを聴いていた。忙しい忙しいっと。
◼️ 寺山修司「赤糸で縫いとじられた物語」
伸びやかな発想のタネというものは、童話にこそあるのかも知れない。
寺山修司は「名言集」を読んだだけで、あまり知らない。「書を捨てよ、町へ出よう」を知っていたていどで、こんなに昭和の人とは思わなかった汗。同作の脚本家で監督として映画家し海外の映画祭でグランプリをとったり、この前に読んだ現代美術家の横尾忠則と実験的な劇団を結成したりしている。知らなかった。
さて収録の童話集、詩をはさんだ不思議な作品たち。寺山はこれを自ら「ジュリエット・ポエット」と名付けたらしい。
「壜の中の鳥」
「消しゴム」
「まぼろしのミレナ」
「数字のレミ」
「踊りたいけど踊れない」
「1センチ・ジャーニー」
「思い出の注射します」
「かくれんぼの塔」
「イエスタデイ」
「海のリボン」
「書物の国のアリス」
と、それぞれ15ページくらいの11本。町の人間がどんどん鳥になっていったり、人をも消す消しゴムや10年後の写真を撮るカメラ、切り抜いたものが本物になるハサミが出てきたり、1人の少女が増殖したり、女の子の手と足と口が意思に反した動きをして、本当の自分はどこにあるのか問うたりもする。
ハッピーエンドは少なく、シェイクスピアみたいに行き違いで悲劇的結末を迎えたり、シュールなまま終わったり、選択肢を出して読み手に放ってしまうものもある。
もちろん童話には教育的な寓話ばかりではなく、おどろおどろしかったり、残酷だったり、非合理な、シュールレアリスム的なもの、結末がつかないものがたくさんある。そのへんが童話の面白さだと私も思う。この童話集はそれぞれの話に出てくる人々が薄く錯綜していたりして、ちょっとした倒錯性をも感じる。
思い浮かぶのは宮沢賢治の童話や、シュペルヴィエル「海に住む少女」とかかな。
散らされた数行の詩も、マザーグースみたいでちょっと黒さを感じる。
ファンタジー、童話といった類は、いくらでも想像力を伸ばせそうな気がするし、著者の感じ方や合理性まで覗かせているようにも見える。
シュールでも、ちょっとでもどこかに感応できればいいかな。けっこうそういう読み方好きである。
◼️ 横尾忠則「名画感応術」
横尾氏の筆は読みたくなるかな。美術製作者の名画分析。
以前手塚治虫氏のエッセイを読んだ時もその水準の高さ、論の要素となる知識の多様さ豊富さに驚いた。今回も実際の表現者は言葉にして表すその術が発達しているな、という感慨がある。まー、「ブルーピリオド」読んでてもそう思うし、自作を説明する必要もあるから磨かれるのだろう。
この本は横尾忠則現代美術館から目と鼻の先の古書店で入手した。まあその、面白いとは思うがちょっと突飛すぎてその偉大な熱量をまともには受け止めたくはない笑作品も見た上で読むと、意外な説得力があることに気がつく。
「天才といわれる芸術家とは、天界に存在する美を神の波動を受けて地上に再現させる装置の役割をしている者のことをいうのである。(中略)芸術家の自我だけで描いた作品はいくら美術界が認めても、そこに神の意思の介在がない場合は観る人の魂に語りかけてこない。」
初っ端から熱い。背景や知識は絵画の本質と全く関係がない、と述べる。
と言いながら各画家の作品の解説には背景知識がないと成り立たず、美術家として当然身につけているものだからか、けっこう書かれているのだが。でも構図や色の専門的な解説、著者が抱く、感応することは余すところなく伝わってくる。
ムンクの「オルランドから来た女」、モデイリアニ「若い女の胸像」の色彩感、リナールの静物、現代作家キーファー、オキーフ、リキテンスタインの作品への感応など実に興味深く、切り口語り口がやはり鋭く、第一線の美術家ならではの強さ、説得力を感じる。
果物や花、植物で顔を構成するアルチンボルドって1500年代の人とは思えない笑。マグリットの非合理と、冷徹さにも感じるもの多く、ボナールの柔らかい少女像には安心してしまう。ルノワール系らしいが、フラゴナール、ルノワール、ボナールとなんか浮かんでしまった。
通読してみて思ったのは、私の好きなコロリスト、色彩感豊かなマティスの影響を受けた画家さんって多いのかな、ということ。明るい色を組み合わせることで寒色も活きてくるのだろうか。横尾氏もマティスはピカソと並ぶ、今世紀最大の(本の出版は1998年)変革者である、としていて、納得がいった。
ミレーの農夫の精神性も面白かった。横尾忠則はまた読む気になるな。
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