◼️伊井圭「啄木鳥探偵處」
石川啄木探偵と金田一京助ワトスン。魅力的なあの時代の東京を、文士たちが駆け抜ける。
「きつつきたんていどころ」と読む。
明治・大正・昭和初期。維新後、近代文学が生まれ、書生、文人たちが芸術を目指して頭を使い個性を表現した時代。東京モダン。私の心にも好感をもって受け止められている。
今回は1910年ごろの設定で、大逆事件や「一握の砂」の出版なども盛り込んである。素直に味わえた。推理ものというよりは読みもので、ただ、読後に想像力を刺激されたなあ、と常にはない感想が残った。書名を見かけてから、こりゃ読まなければと取り寄せた本。
12階建の浅草凌雲閣、その11階付近に幽霊が出る「高塔奇譚」、創作カラクリ人形が有名役者の喉を食いちぎったやに見える「忍冬」、奇術師が空を飛ぶ「鳥人」、同じ商人組合の店の小さな子が次々と誘拐され、2〜3日したら帰ってくるという「逢魔が刻」、浅草凌雲閣って確か「押絵と旅する男」で出てきたよなと思っていたら当の乱歩も出演する「魔窟の女」の5篇。
どれもまあ面白かったかな。どんどん身体を悪くしていく啄木は最終章ではすでに亡くなっている。
ひょうひょうとして動ぜず、鋭い推理を口にする啄木と、心配症の駆けだし学者ワトスン京助の冒険記。実際にも親友だったらしい。もちろん石川啄木とその時代のことが入念に調べられよく微に入り細を穿ちという感じで設定される。まあ石川くんの性格は「月に吠えらんねえ」の石川くんからおおむね予想できるものでなかなか楽しい。
時にホラーっぽかったり、東京市の下町を強調したり。天空の塔、浅草凌雲閣が何度も出てくる。現在はスカイツリーがあるわけで、ダイナミックで、「空を飛ぶ」という壮大なイメージが上手く想像力をかきたてる連作短編集。
萩原朔太郎探偵、宮沢賢治探偵も読んだが、当時の文人たちってマンガ化しやすいのかいな。
まあ、まずまず楽しかったかな。
◼️世阿弥「風姿花伝」
「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからずとなり。」真意はストラテジー。
冒頭の言葉はカタカナで記してあった。
ヒスルハハナヲシルコト、ヒスレバハナナリ。ヒセズバハナナルベカラズトナリ。コノワケメヲシルコト、カンヨウノハナナリ。
秘するは花を知ること、秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。この分け目を知ること、肝要の花なり。
能の歴史的大家にして権威の世阿弥が、父の観阿弥の言をもとに能の真髄を語ったとされるまさに伝書。私は正直、能も歌舞伎も分からない。読み始めは、やはり予備知識がないから少し大変かな、と思った。でも、読み進むにつれ、芸術家の顔とともにプロフェッショナルとしての実際的な理論も見えてかなり面白かった。
まずは7歳から40代、50代まで能役者として戒心すべきこと、そして演技の心得やケースごとの考え方に移っていく。教科書的に漏れなく整理されているわけではない。だから家伝という雰囲気が増す。
能の種類、神男女狂鬼のうち最も面白いとされるのが4つめの狂、すなわち物狂いについて、女に鬼が憑依するといったような背反した2つの性格を持つ演じ物はやらない方が良い、など具体的かつ大家の考え方が見えるようなちょっと極端な指摘なぞは興味深い。
また上手の人でも、下手な演者の舞にも学ぶところはある、常に研鑽を忘れぬこと、とか、声望を得たからといってあぐらをかくべきではない、といった修行の道を説く性格も強い。
その一方で、どんな風体でもやりこなせ
鑑賞眼の低い見物にも面白く見せてやれるような工夫がなければならぬ、観客を見極め、観客のレベルに合わせて、初心の芸を見せることもあるが、これがまた下手な役者にはできぬものだ。大衆の人気が大事、という趣旨のことも強調されている。
解説では興行主、プロモーターとして大衆の人気、支持を保つ性格の言、とした評も見え、その通りだとも思うが、私的には観客を前にする以上、楽しませるのが大命題で、よりプロフェッショナルであれ、というメッセージとも受け取れる。
様々書いてあるが、観阿弥・世阿弥の能、その価値観の中心は「幽玄」であるように読める。深い情趣があり玄妙なこと、と解した。ダイレクトにつながるかは分からないが「萎れた風情」を解釈する段で、和歌を引いて示してある。
薄霧の籬の花の朝じめり
秋は夕と誰か言いけん
(藤原清輔・新古今和歌集)
朝霧の中に籬の花がしっとりと濡れて咲いている。その風情のあはれはたとえようもなく、秋の情趣に限るなどと誰が言ったのであろうか。
色見えでうつろふものは世の中の
人の心の花にぞありける
(小野小町・古今和歌集)
目に見えず何時しか移り変わっていくもの、それは男女の仲、相手の人の心の花である。
よく心中にあててみて考えなさい、と結んでいる。
作能の要諦の項もなかなか興味をそそるものがある。
典拠が正しく、風体が珍しく、ヤマがあって、風情の優雅なものを第一とすべき、とするほか、初番能は素直ですらすらとして、明るい感じを与えるように、とか、格別でないところには大事な言葉を使用してはならない、とか細やかである。その論拠として観客の心にいかに感ずるか、を挙げている。
中世人は王朝文化に熱いあこがれの目を向けており、前代に典拠のあることが、作品を権威づけるものになる、という解説にはエウレカだった。
そして最後の方に「秘すれば花」の段がある。
いきなり話が飛ぶが、シャーロック・ホームズでは「踊る人形」でホームズがワトスンの考えていることを突然言い当てる。「な、なんで?」となったワトスンにホームズが観察の結果だということを説明すると、ワトスンは「馬鹿馬鹿しいほど単純な話だな」と思わず口にする。
「秘すれば花」も例えて言えばそのような感じである。人の心に意外な感動を起こさせる方法、これが花だ、とし、そのために秘事は秘することによって大きな効用がある、秘事を明かすな、知ってるという気配も悟らせるな、と厳しい調子でしたためている。
この伝は家の一大事であり、一代一人を限って相伝すべきもの、子であっても器量を備えていない者には相伝すべきでない、とまで書かれている「風姿花伝」。
このタイトルは「その風を得て、心より心に伝わる花なれば、風姿花伝と名付く。」とある。カッコ良すぎるタイトルだなあ、とほれぼれ。
現代でも大いに参考になり、珍しい点もあり啓発された。図書館本だが、一冊買って読み返したい作品だった。
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