若い頃を過ごした芦屋市には、業平橋とか公光町とか平安時代っぽい名前が多い。どしてかなという疑問を放っておいたのだが、どうやら在原業平は別荘を持っていたらしいと最近知った。この辺りは別荘地、保養地だったのね。源氏物語みたく須磨明石まで行くと流罪の地みたいなもんなんだけど。まあそれも、平清盛が兵庫の港を整備してからは変わったのかな。
◼️西岡文彦「簡単すぎる名画鑑賞術」
クリムトに、感じ入る。
モナ・リザ、つまりレオナルド・ダヴィンチ、ウォーホル、モネ、マネ、ドラクロア、レンブラント、スーラ、ゴッホ、クリムト、セザンヌ、ピカソ、そしてモンドリアンと現代アートを、美術史の流れに沿って簡単に解説していく本。
美術は好きで、美術史上の事件はだいたいわかるが、忘れっぽいので(笑)、たまにこうしてなぞったり、知らないエピソードを読むのは楽しい。
モナ・リザの伝統的かつ超人的な薄塗があって、マネやモネのベタ塗りの異質さが分かる。ドラクロアのフランス革命にまつわる有名な「民衆をひきいる自由の女神」がきれいなピラミッド構図に収まっているのにほうーとなり、改めて補色の原理にうなる。レンブラントの劇的な明暗を再認識して、厚塗り、なぐり書きにまたモナ・リザとの差を見る。
現代印刷に通じるスーラの点描、三原色と黒、その濃淡でですべての色彩を再現する手法はなかなかエウレカだった。
そして興味を惹かれたのがクリムト。クリムトは若い頃は、あ、女子が好きな絵を描く人だね、クリスマスなんかよく合いそうだし、程度に思っていた。しかしここ最近はともすれば印象派でも没個性な作品が多い中でよくこんな形で他とは違う確固としたスタイルを確立したものだと感心している。
濃淡がつけにくく写実的なヨーロッパ近代絵画にとって天敵のような存在だった金を、日本美術の金屏風や絵巻物、蒔絵といったものの平面的な美しさを看破し、さらに文様がこちら向きになっているのを参考に、二次元的な造形をしたというその独自性には、今回感嘆した。
カンディンスキーやモンドリアンといった現代アートも新鮮だった。モンドリアンの「赤・黄・青のコンポジジョン」のパターンはたしかになじみ深い。
ピカソの項で取り上げられていた、結城昌子氏の絵本「ピカソの絵本 あっちむいてホイッ!」もすぐに図書館で見た。確かにキュビズムの人の顔の絵はあっち向いてホイ。ぴったりだと笑った。
ウォーホルの解説時に1枚も絵がなかったり、またちょっとこじつけ的理屈?などと思ったり、も少し文章整理できるでしょ、という部分に多少不満も感じたが、どうしてどうして、核心とされているものがよく分かる、面白い本だった。
去年東京出張時にチャンスがありながら見逃したクリムト展、悔やまれるなあー。
◼️西加奈子「窓の魚」
いきなりつかまれた。上手いなあ、と。
さまざまな要素が、感性をチクチクさせてくる。暗示が至る所にあって、絵の具が混ざり合ったような、複雑な色味を浮かび上がらせている。
アキオとナツ、トウヤマとハルナの2組のカップルが一緒に山の鄙びた温泉に出かける。それぞれのモノローグで4章が構成してある作品。名前もなにやらあるような。
冒頭、山の風景を説明的に描写している際の
「川は山の緑を映してゆらゆらと細く、若い女の静脈のように見える。」
という表現にいきなり心をつかまれてしまった。詳細は忘れたが、かつて宮下奈都の名作「スコーレNo.4」に同じような感触を得た気がする。
この一文が語るように、物語には不穏な雰囲気が流れている。ホラー、セックス、煙草、死というものが表象として書かれ、さらに小道具と、それぞれの境遇と過去、4人の関係性を深く掘っていくにつれ、さらに不穏さは濃くなり、ささやかな光も織り交ぜられている。
明るいアキオ、受け身でクールなナツ、はしゃぐガーリーなハルナ、ぶっきらぼうで無口なトウヤマ。ナツ以外は家族にまつわる過去を持つところが秘めやかで面白い。
風呂よりも水面が高く鯉が水中に鯉が泳いでいるのが見える仕掛け、猫の声、温泉の女、花のタトゥー、女将の過去などなど、小道具もこれでもかとばかりに展開させられる。セックスに絡む話が多く出てくるのもアダルト風味でリアルだ。
心のうちは、クルクル変わる。10そう思っているわけではなくて好きと嫌な感情は通常ないまぜになり、人は短い時間で次々と本当に多くのことを感じ、思う。それをストーリーとして表し、全体にニヒルな匂いを纏った作品。
上手いというのはこういうことなのかなあ、と思った。
西加奈子は、「円卓」のようなほっこり系、「通天閣」のような最後に笑えるもの、そして感性系と書き分けているが、その感受性を表す筆致と物語の進行の戦術は読者を惹きつける。
ある意味これまで読んできた西加奈子らしくはないものだが、懐の深さを覗いたという感慨を持った。
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