例年どおり、ルーフテラスからUSJの花火を見て新年を迎えた。息子は遅くまで起きている。去年は朝まで起きてたから夜爆睡で「格付けチェック」身損ねたと不機嫌だった。
◼️ナイツ塙宣之
「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」
M-1グランプリを見ていると、勝負を、芸を語りたくなる。
M-1グランプリを論理的に分析した本。かつて関東からナイツとして出場し決勝進出、現在は審査員として参加している塙氏がM-1グランプリの性質、歴史、はては出場芸人の芸風にまで切り込んでいます。
各賞のタイトルを見るだけで、好きな人には興味あるネタが満載ってことが分ります。
第一章 「王国」大阪は漫才界のブラジル
第二章「技術」M-1は100メートル走
第三章「自分」ヤホー漫才誕生秘話
第四章「逆襲」不可能を可能にした非関西系のアンタ、サンド、パンク
第五章「挑戦」吉本流への道場破り
第六章「革命」南キャンは子守唄、オードリーはジャズ
どうですかー?私も関西在住でM-1は第1回からずっと見てます。すっごく面白い、著者の言葉を借りれば「うねる」ネタもどんな感じか分かります。また、その場の勝負、漫才日本一決定戦の緊張感はえも言われぬものがあり、新しいお笑いヒーローが飛び出してくる可能性に胸躍らせ、その瞬間の悦びを強く味わいます。1本めのネタはすごく良かったのに、最終決戦、2本めはそうでもなくて優勝できなかったという場面もありました。毎年とても楽しみにしています。
サブタイトルにもある通り、塙氏が吉本ではなく、関西の芸人でもない、という視点はこの本の興趣を一段高めていると思います。
また過去の優勝者の強い点を的確に分析しているのみならず、点が伸びなかったコンビについて、名指しでその原因をも批評していて、なるほど、そうかと思わせます。南海キャンディーズの解析は個人的に楽しめました。
私も九州から関西に移住して、たしかに関西の会話は普段から漫才してて、そのふつうさかげんに慣れてしまってます。文化として根付いている土地柄は、漫才という世界ではまさにサッカーでいうブラジル、ですね。でもその素地があるからこそ、特に関東の芸人が爆発した時は売れっ子になりやすいのかなとも思います。
2018年は20代半ばのコンビ、霜降り明星が優勝、一気に売れ、テレビで顔を見ない日はないくらいです。先日の2019年大会では私もまったく知らなかった無名のミルクボーイが優勝しました。最近感じるのは、M-1の熱量が高くなり、どんどんネタと形の種類が増えてなおかつ、精度が高くなっていることです。また今年の末には新しいもの、新しい形が見られるんでしょうか。
とても楽しい本でした。
◼️川端康成「舞姫」
複雑に、感情が入り乱れる。あくまで静かに。「魔界」の入り口的作品。
川端康成の作品というのは、断片的で直截でない台詞やシチュエーションから運命の成り行きや大きな感情のうねり、暗喩を見せていくものが多い。この作品は極めつけとも言えるもので、断片的に印象を残す役割だったり、ほとんど出てこないが影響の強い出演者もおり、その要素は数が多くて複雑だ。
波子には夫の八木、品子と高男という2人の子がおり、バレエを教えている。八木とは寝室が同じで時折抱かれているものの、心中は冷え切っており、かつての家庭教師・竹原と付き合っていて、八木も知っている。八木は学者だったが、生活費は波子の財産と稼ぎに頼っていた。バレエの上級者である品子と波子は、弟子の友子が、バレエをやめ妻子ある恋人を経済的に援助するためいかがわしい商売に手を染めると言い出したことにショックを受ける。
んーまあ、さわりだけでもこんな風だ。この作品は昭和25年から26年にかけて朝日新聞に連載されたもので、戦後間もなくの世相が強く反映され、朝鮮戦争の報道から日本の強い危機感も伝わってくる。いまや想像もできないところがあるが、そういう時代だった。八木は次にまた戦争が起きると怖れている。
お嬢さま的な波子の心理、皮肉屋だが、波子にいやらしい執着も見せる八木、海外に留学するという高男、そして基本的に母と行動をともにするが、かつてのバレエダンサー香山に恋心を抱き、母が竹原に走るならと離別をほのめかす品子。家庭が崩壊していくという、戦後の家族の様子を象徴的に描写している。
川端はノーベル賞を受賞した時の演説「美しい日本の私」で一休禅師の
「仏界入り易く、魔界入り難し。」
という言葉を引用して、人間が関係する「魔界」に惹かれていると表明している。
この言葉が初めて出てくるのが「舞姫」で八木がかけた一休の掛け軸に書かれ、品子が見て怖れるシーンがある。
たしかに、川端の編む話には、仏像や骨董の知識がよく散りばめられて、深みを形作っている。今回はまた、やはり川端の趣味であった踊り、舞踊、バレエが主題で、専門用語もそこここに出てくる。「雪国」の主人公島村も舞踊研究家だった。
さて、私的には小説としては錯綜しすぎにも思えるが、うじゅっとあまりにもたくさんのファクターが絡み合ってなんらかのはかなさ、虚脱感、破滅的雰囲気を醸し出してはいるな、とも感じた。
チャイコフスキーのように何度も同じフレーズが出てくるのと違い、同じメロディーはあまり使わず長い曲の中になにかが浮かび上がってくるマーラーの交響曲5番のよう。
うーむ、捉え方が難しいが、川端らしいとも思えてしまうのが不思議である。
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