12月は京都に行くことが多かった。そのうちの一つ、宇治。平等院鳳凰堂も荘厳ではあったが、なんと言っても宇治川。
◼️クリスファー・プリースト「逆転世界」
認識の変革。SF好きな人のSFか、な?!
本読みの友人の熱烈推奨、プリースト。図書館でこの作品を借りてきた。
「認識の変革」とは解説の言葉を借りてきたものだが、言い換えると、「SFファンならわかる、"あのなんともいえない感覚"を指している」らしい。ふふふと笑ってしまった。
主人公のアイデンティティを揺らすフィリップ・K・ディックとか、私が乗り切れなかった「タイタンの妖女」とか、言っていることはなんとなく分かる・・と思う。
「地球市」という都市の託児所で育ったヘルワード・マンは成人し、規律の厳しい組織ギルドの見習いとして働き始める。同時に都市は大きな構造物で、敷かれたレールの上を「最適線」の位置に近づけるべく移動していた。都市では男子の出生率が異常に高く、このため近隣の原住民が住む集落に食糧などを与える代わりに女たちを連れてくる「交易」が行われていた。ヘルワードはこの女たちをもとの集落に戻すよう命じられ、南へと向かう。これは「過去への旅」と呼ばれ、大きな経験のひとつとされていたー。
文系にはややハードル高いかなという設定で、南に行くほど強くなる遠心力は理屈が分かったような気がしたが、最適線は動いていない、動いているのは地面の方だ、というのは最後まで分からなかった。
まるでラピュタのような都市、相対性理論、原住民の襲撃と政治的分裂などSF的要素満載で、ラストで一気に明かされる真実は壮大で、分からないながらほ〜と感心した。
私は、例えば天文学関係の本なんかを読んだ時、「分からなさが楽しい感覚」にカタルシスを覚えたりする。似たようなものかなとも思うが、"あのなんともいえない感覚"を求めて、たくさん読みたいと思っている。このへんSF好きな方にまた伺ってみたい。
虚構の作り方、科学が進歩しているのかどうなのか分からない感覚、ギルド民兵の武器の石弓には思わず心がツッコんしゃったし、ヘルワードの凝り固まり方などなど微妙な要素の配し方もピリピリ来るような。
また読むぞ、プリースト。
◼️ローズ・ピアース「わが愛しのホームズ」
クリスマスに、ホームズを。
決まった?笑
有名作のサイドストーリーを編みつつ、女性作家さんがホームズ&ワトスンの感情的な面にスポットを当てた作品です。
ベイカー街の部屋にやって来たのは若く聡明な女性、アン・ダーシー。自分のパートナーの女性が慌ただしく出て行ったまま戻らず、消息も分からないという。ホームズの命でアンの家の捜索にあたったワトスンはアンにホームズに対する気持ちを見抜かれ、救いを求めて告白するー。(極秘調査)
170ページくらいの話が2話入っている。最初の「極秘調査」はドイル原作「四つの署名」の前夜に起きたという体で、そして2つめのタイトルは「最後の事件」だ。
もうここまででお気付きの方もいるかと思うが、同性愛の話である。ひょっとして、同居していたホームズとワトスンは愛し合っていたのではないかという、まあよくある予想を現実化した連作の物語である。
ホームズは女嫌いで独身主義者、というイメージは奇しくも「四つの署名」でワトスンが事件のヒロイン、メアリ・モースタンと結婚することになった時のセリフで決定づけられたと言っていい。悦びの報告をし、君の手法の研究もこれが最後になるかも、と言ったワトスンに
「到底おめでとうとは言えないな」と言った後、
愛とは心を乱す感情だ。しかも、どんな種類であろうと心が乱れる事は、僕が全てに優先している冷静な判断力とは相容れない。僕は結婚したりはしない。判断に隔たりが出るからね
とのたまう。
さて、今回の作品、保守的シャーロッキアンの傾向がある私は、どうしてこの手の長編パスティーシュが少ないんだろうな、と考えてみた。
18世紀末から19世紀初頭のイギリスはまさに全盛期、科学、芸術も栄えており、階級社会の中、イギリス紳士道を反映させた優しくてワクワクする物語たち。大人だけでなく全世界の子供たちの胸を躍らせてきたホームズ譚。ホームズとワトスンは互いを苗字で呼び合っている。そんな中で寝室が別とはいえ同居している同性2人が愛し合ってしまうのは身もふたもなく、話のテイストにそぐわない、といった感覚が根強いのでは、と思う。
当時はなんと法律で男性同士の同性愛は厳しく取り締まられていたという。その世相はこの作品に盛り込まれている。だから、ワトスンは結婚して別居することを選んだー。
もちろん「最後の事件」の裏側や、シャーロッキアンの間で議論かまびすしいメアリの行方、など語られていない部分の創作は好きな読み手の心をくすぐってくれる。
しかしこの話の中心は感情だ。抑えなければならなかった強い気持ち、その中で最後の事件のようなことが起きたらどうなるか。恋愛という意味で2人の関係が表面的には発展しないからこそ醸し出されるもの。
女性作家さんならでは、の表し方とも言えるかな。
この作品が訳されたのは20年以上前だという。LGBTの解放が叫ばれるこの時代に読むとまた違う感慨もある。今回誤解を恐れないで書いてます。
シャーロッキアン的要素が散りばめてあるけれど、恋愛感情が中心なので、トリックは、とかストーリーの緻密さは、といったものはあまり気にならなかった。ただ取り上げたシーンがホームズものの核心を衝く部分というのもあってサクサクと読めた。
ふううむこんなアプローチもあるのね、と。
今年前半に、やはり女性の別作家の「わが愛しのワトスン」という話を読んで、年末、偶然見つけた「わが愛しのホームズ」を読む。
なんか面白いな、と思った。
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