2013年12月1日日曜日

11月書評

6作品8冊。今年これまでのペースでいくと11月は極端に少ない。言い訳には何の意味もないが、最初の作品があまりに進まず読了までに10日以上を要し、さらに多忙のため読めない日が10日間ほどあった。ようは残る10日足らずで5作品6冊を読んだことになる。

まあしょうがねえな〜。龍にはちょっと、恨み節。ではスリーツーワン、スタート!

村上龍「歌うクジラ」(2)

難解で、しかも興味のある難解さでは無かった。読み進めるのに難儀し、昨今では最長の10日以上かかってようやく読了した。

期待して映画を観て、外された気分、というのが最も近いだろう。やたらと小難しい理屈が出て来るのもマイナス点。まったく実感として受け入れられない。物語の流れもサッパリだ。大きな曖昧な構想があるだけで、意外に、本当になにも考えられていない小説なのでは、と思った。

初めての村上龍はさんざんだった。まったく面白くなかった。これは読んだ人にしか分からないジョークだが、しばらく助詞の使い方がおかしくなってしまった。

乾ルカ「あの日にかえりたい」

見込み通り、傑作だったと思う。2010年の作品で、 直木賞候補作。webでそのことを知った時に、根拠はないが、ピンと来るものがあって、ずっと読みたかった。

表題作を含む短編集で、乾ルカ定番の、非日常の世界。北海道の気候風土もさりげなく取り入れて、全作品「あの日」をテーマに、書き上げられている。

以前にも書いたが、最初に読んだ「蜜姫村」がグロテスクホラーっぽい作品でがっかりし、次に「メグル」で、おそらくこれが乾ルカの良さなのだろうと少し思った。

そしてこの「あの日にかえりたい」で、全開とは言わないまでも、パワーある特徴を受け取った気がしている。考えてみれば、かえりたい「あの日」というのは誰にでもあり、かつ創作も様々なパターンが考えられるテーマだ。根元的にして、目の付けどころの良さ、感覚的にくすぐる部分も好みである。

もちろん、話の進み方は、先が読めちゃったりして、どこかしら拙いものが見え隠れするのだが、「色」はちゃんとあり、じんわりと読者の読みゴコロに響きしみこむ感じがする。

まさにこれから、の作家さん。もうしばらく楽しめそうだ。自分らしく、でも新境地に踏み込んだ、大作を読みたいな。

海堂尊
「チーム・バチスタの栄光」

次、次と読み進んだが、意外に単純な結末。捜査手法もさほど鮮やかには見えない。医療や大学病院の専門的な知識、現代手術の詳しい描写が入っているからこその話かと思える。

2005年の、このミス大賞。医療エンタメロジカルミステリーである。タイトルの不可解さも相まって、一時期大変もてはやされたベストセラーだ。

書いたのは、現役のお医者さんだ。解説には、一時期この作品の書評が出ない日は無かった、という意味のことが書いてある。それはそれですごい。

キャラ的には、主人公の田口を含め愛せる人物像を生み出しているのは確かだが、探偵役とストーリーが出来すぎているのも予定調和。もうひとつ収まりが悪かった。

葉室麟「蜩ノ記」

武士とは、認めらるべき姿とは。時代もののひとつの極と言える作品かと思う。

藩主の側室と密通したとして幽閉された、有能有志の武士・戸田秋谷。彼には、切腹まで10年の時間が与えられ、その間に家譜編纂の命が与えられていた。

時代ものといえば、江戸人情かエンタメ系でなければ、大体藩に御家騒動などがあって、それを軸に位の低い者や領民が振り回される、という図式がある。また、究極のサラリーマン社会である藩の内政の中で、不条理な命令に悩む主人公、というのもひとつの図式。そして、時代ものは、現代と違い、有形無形のしがらみのために、出来ないことが多いから、ドラマも生まれやすい、という土壌も併せ持つ。

2012年に直木賞を受賞したこの作品は、戸田秋谷という、有能な人格者を中心に進む。彼は光ある道をまっすぐ進める人で、人望を集め、彼の前では、悪はその影の濃さを増す、というキャラクターである。

この秋谷は、有能ゆえに政治の犠牲となるのだが、その因縁や、領民のある種リアリティある性質、彼を取り巻く、やや善悪がはっきりし過ぎている人々とストーリー展開の後、最後は大団円を迎える。

うーむ、さまざまな要素が相まって濃厚な物語にはなっているが、やはりはっきりしすぎているきらいがあると思う。ストーリー建ては勧善懲悪っぽいが、しかしそれを感じさせない噛み合い方で、考え抜かれた深さをも感じることができるのもまた確か。まあまず、だった。俗っぽさと清廉さはよい鏡ではあるが、きれいすぎる秋谷はちと完成度が高く、共感できるかは難しいところだ。

綾辻行人「奇面館の殺人」

これだよね、という感覚。「館」シリーズの第9作。今回も、とても読み応えがあった。ミステリ好きを揺らして、早めにひっくり返して、迷わせて、全ての要素を組み合わせて一気に理詰めで解決する。もはや現代推理小説家の雄、綾辻の本懐がここにあるのではないか。

「十角館の殺人」で鮮烈なデビューを果たし、早いうちから新本格派の旗手とされた綾辻行人は、20年以上の時を経て、未だ輝いている。

新本格派、つまり、舞台が大きな屋敷で、人が集まって殺人が起きて、連絡及び脱出が不可能な状況となり、探偵役が犯人を追い詰める。そこにはおどろおどろしい雰囲気だったり、ミステリ好きが喜びそうな仕掛けを潜ませる。

そして、犯行は、揺るぐことのない動機を持って成され、そのトリックにものっぴきならない事情が存在する。それが本格推理と呼ばれるものだ。私の中にも、この方式がミステリの基準になっているところがあり、ミステリを読む時にひとつの基準を構えてしまう。

資産家影山透一が、奇才中村青司に依頼して建てたという、東京都の外れにある奇面館。現在の主から、6人の男性に案内状が届く。奇態な仮面が数あるこの館で一晩過ごした参加者には200万を差し上げる、という。作家探偵鹿谷門実は、ひょんなことからこの集まりに参加することになる。そして、屋敷の主人が惨殺された姿で見つかった!

まあ、過去作品も、酔狂な集まりに強い動機は無かったように思えるが、今回は種明かしの肝心の部分が、必然性という意味で弱かったかなと。犯人当てのきっかけも、些細すぎるかな、と思った。

館シリーズもあと一つで打ち止めだとか。続けて欲しいなあ。

坂口安吾「明治開花 安吾捕物帖」

明治維新後しばらくの世相、風俗をよく描いている。事件も禍々しく、舞台設定にしても、どこか現代の新本格派を思わせる。

謎の操作に当たるのは洋行帰りの紳士探偵、結城新十郎。そして、取り巻きの剣術使い、泉山虎之介が、事件のことを伺いに行くのが赤坂氷川に住んでいる勝海舟である。

勝海舟と結城新十郎には接点は無く、事件について、両方が推理を披露する、というある意味贅沢な、ある意味混乱しがちな構成となっている。

昭和25年から27年に連載された物語ということだが、出てくる人が多すぎて、間を空けて読むと分からなくなる。それまでに説明の無かった者が突然出て来たりするし、新十郎の解決は、にわかに納得できかねるものある。

まあ、この作品を、安吾について、私にとっての鏑矢として、日本推理小説史上の傑作と謳われる「不連続殺人事件」を読んでみよう。

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