淀川の花火大会の音が、腹に重く響く。夏も盛りやね。公園で見かけた自生のアサガオ。夏の朝にきれいで清々しい。紫🟣の花にオレンジ🧡のツマグロヒョウモン。羽がよく動き、逃げやすいところたまたまたまのGOODショット。いつも歩く道はこの季節、両側のキョウチクトウが一斉に咲いて、心ひそかに「赤の道」なんて思ってる。夏の月は太陽と反対に高度が低い。いまだ物理的に理解できていない謎である。
ちと暑さにやられてバテたのと一部支障が出て病院行った。あれこれありますな。それでも筋トレはしてたりして😎来週の完全復活めざし、今週はゆるりと静養。
◼️ 泉鏡花「春昼(しゅんちゅう)」
最高傑作との声、泉鏡花のベストワン?楽しみにゾクゾクする。
最初に文庫本「高野聖」を読んだ時は、表題作のおどろおどろしい美しさは強く残ったものの、ずっと茫洋としたような分かりにくさにちょっと腰が引けたもの。でも青空文庫で超短編を読みだしてからすっかりハマっている。今回は1906年(明治39年)鏡花33歳の作品。
タイトル通り紫雲英れんげそうや菜の花が咲く春の日中、逗子に逗留し散策をしている若者は、散策の途中大きい青大将を見かける。また娘と年配の女の織物作業を眺めていて、その手前をやまかがしが通るなどやたらと蛇と遭遇しつつ山手の大きい寺に辿り着いた。観音堂には
うたゝ寐に恋しき人を見てしより
夢てふものは頼みそめてき
――玉脇みを――
多くのお札が貼り付けてある中に、小野小町の歌を書きつけて貼った紙が目を引いた。
和尚が親しく声をかけてきて、話をするうちにふと若者が小町の歌を口にした。和尚が言うには世にも稀な美人が書いたものだと、そしてー
「・・あれがために一人殺したでござります。」
和尚は、ことの経緯を語りだしたー
まずは、色彩感豊かな風景描写。空の青、山の緑、海の青と白波、菜の花の真黄色。田舎の風光明媚でダイナミックな自然の中には、はるかに望む富士山の色も入ってくる。そこへ一心に機織りをする2人の女の姿がある。
そして遠近感。機織りの娘の手元から何か飛んでもう1人の女の足下に閃いたかと思うと、朱に金色を帯びた一条の線が若者の眼をカッと射たかと思うと草むらに消える。それは菜の花畑を横切ったヤマカガシの光だった。
これはかなり遠くから手前、極端なパースペクティブで描いたくだり。遠大な風景の、目の前の光景を象徴する部分。道を歩いていて、蜘蛛の巣の糸の光が突然に目の前でフラッシュする、など誰もが一度はしているような体験を思い出させる。立体的な感覚。
蛇が短い前半に2回も出てくるのはやはり後段の怪奇を予感させる。みをと男の出逢いは耽美的、そしてやはり色を大事にする。
玉脇みをに恋焦がれた御仁は、この寺に泊まっていた。いくつかのエピソードがあり、想いを募らせた男は、深夜寺の裏山の山道へと分け入り、そこに、あまりに奇ッ怪で不可思議な舞台を見る。
そしてラストはもうすごい幻想怪奇でして・・その悩ましく官能的な指の△□○の動きはなんすかーという・・
いやおもしろかったです。やはり言葉遣い的に見えにくいし、時たま意味が掴めない。この話はいつもの超短編ではなく比較的長い中に山中や建物の複雑な描写が入るので、難しかった。でもその、手の届かない遠さがまた、らしいと最近は思えてきました。webで現代語訳や解説を探すのももはやおなじみのルーティーン。
泉鏡花はまごうかたなき天才ではと思う。挿絵を書いていた日本を代表する美人画家・鏑木清方の展覧会を観に行ったときもかなりインスパイアされた。
続編の「春昼後刻」はも少し後で読んで、その際にこの話をもう一度堪能しようかなと。
今回も堪能しました。
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