目の前に湧いた巨大なこの入道雲がゴロゴロいって、一応洗濯物を中に入れた。台風一過の後は暑すぎる。家にいてエアコン入れてても暑い。
神戸元町の名店エビアン仕様の市販シフォンケーキなどを食べて週末疲れを癒す。だいぶ昔サッカー⚽️に入れ込んでた頃買ったマンチェスター・ユナイテッドのTシャツを息子にやったらなんか3日に1度くらいは着てる。いまは久保や三苫の動向に夢中。昨夜は私の寝室で、父眠ってるのを横にずっとLIVEで試合を見ていた。自分の部屋行きなさいー。
けっして後ろ向き、大変なことではないのだが、自分で選んだ+アルファの事があり、またちょっと病院のお世話になったりして、休日はずっと図書館とスーパー以外行ってない。それなりに見たい映画はあるし、行きたい展覧会もないことはない。ま、でも暑いしいいかと😆
まあややいつもより多忙といったところ。もう少しって感じやね。
のち、めっちゃすごい雷⚡️が鳴って、どこに落ちたかいきなり停電、ちょうど炊飯器動かしてたし、冷蔵庫!暗くなってきてるーとか一瞬慌てたけれども、3分くらいで復旧。電線の鉄塔に落ちたのかな。滝のような夕立ちが降ったのでした。
OH!スコール!☔️
◼️ 芝木好子「湯葉 青磁砧」
興味を持っていた芝木好子を初読み。「青磁砧」が白眉の短編でびっくり。また手に入れました。
大正生まれの芝木好子さん、芥川賞作家で、自分が育った東京下町への愛着が深い。そして、芸道を描くのも得意だとか。
「湯葉」は落ちぶれた幕臣の父に本人は知らず後継の嫁として湯葉を商う店に入った少女蕗(ふき)が主人公。意に沿わぬ結婚、大黒柱の先代が亡くなり、気位が高く息子に甘い姑とまじめに家業をせず外に家庭を持つ夫のため蕗は店を仕切るようになる。商才を発揮するも、時代の風と月日の流れは容赦ない、という物語。
これも一つの芸道、という気がする。蕗に優しくない夫との関係性、他に道のない女としてのリアルな情動には切なさをも感じる。
「洲崎パラダイス」は遊郭近くの盛り場、あるしけた店に転がり込んだ男女、男は使い込みで会社をクビになり、女は元娼婦ではすっぱ、世慣れている。無一文の男はそば屋の住み込みで働き、女は店の裕福な常連に気に入られ、元娼婦らしく世を渡る。男は怒る、もう切れる頃合いか、いや・・
こちらも戦後の、追い込まれた男女の道行き、軽く女を使ったりと現実的な人間くさい感じがする。ここまで読んで、やや退廃につきまとわれながら過ごす女を切々と描くところにどこかなじんだものを感じていた。
しかし「青磁砧」はまったく違った。時代も進み、サラリーマンを隠退した柳瀬、その娘で出版社に勤める須恵子。両方とも陶器、磁器コレクターで柳瀬は同年代の有名陶芸家影山に心酔し友人付き合いをしている。20代の須恵子は無名の陶芸家・高能の青磁を気に入る。須恵子とともに高能の窯を訪れた柳瀬は、聞かされていた砧(青磁の花瓶)を見て、娘に取られたくない、と思うほど魅入られる。
須恵子もまた高能の作品に入れ込んでいた。米色青磁の窯の火入れをするという時に、いつもパートナーだった高能の妻が入院したと知った須恵子は駆け付けて会社を無断欠勤してまでつきっきりとなる。そして迎えに来た柳瀬とともに出来立ての米色青磁を持ち帰る。美しくまだ色も落ち着かない器は、ひっきりなしにヒビが入る音を立てていた。
まずは陶器、磁器の表現が素朴ながら実に魅力的。
「首が細長くて下がふっくり丸い砧で、翠青色の冴えた色と形の流麗な姿に、こまかい茶がかった貫入が模様にみえた」
貫入とは釉薬の部分に入る、細かいひびのこと。河井寛次郎やルーシー・リーが好きで、陶器はよく見る。どんな青磁なのかとぜひ見てみたくなる。
窯の炎の荒々しい赤、作家の激しい意気込み、大風、そして出来上がった極上の作品の色、さらに生き物のようにひっきりなしに鳴る音、音、音は至高へのプロセス。目と耳と、手触り感。そして人の思い入れ。父は老いを感じ娘を案じて諭す。
かないませんでした。この作品は1972年、川端康成が亡くなった年。志野茶碗をモチーフの1つにした「千羽鶴」などの川端のテイストと、やや現代的な展開のミクスチャーのような筆致を感じた。しかし生命感や匠の技の粋、ファンタジックさを、仮託するのが上手いこと。ちょっと私も入れ込んでるかも笑。
「湯葉」の蕗は著者の祖母がモデルで、そこから蕗の娘、つまり著者の母、さらにその娘、つまり著者本人を描いたといわれる3部作、「洲崎パラダイス」はシリーズ化し、芸道ものも他にあるという。
まだいわばとばぐちではあるけど、いいものを手に入れた感覚がして、良い気分だ。
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