2021年12月11日土曜日

12月書評の2

2年ぶりの東京出張。新鮮な感じ。シェイクスピアは趣味になっているね。まあさらさら読めるから。

◼️ ウィリアム・シェイクスピア
「ウィンザーの陽気な女房たち」

にぎにぎしく大仰で笑える喜劇。個性の強いキャラたち。

シェイクスピアが、同時代のイングランドを描いた唯一の「現代劇」らしい。貴族たちではなく、市民社会が舞台なのも珍しいとか。

舞台はウィンザー。太っちょの荒くれ騎士、フォルスタッフは金に困り、町のフォード夫人、ペイジ夫人を自分の虜にして金づるにしようと目論み、恋文をしたためる。

フォルスタッフからの手紙が同じ文章の恋文だと互いに分かり、憤慨する両夫人。ここは誘いに乗るフリをしてたたきのめそうと計略をめぐらす。その通りフォルスタッフを呼び出しては旦那が帰ってきたという芝居を2人で演じ、1度めは大きな洗濯カゴに隠し、使用人に2人がかりで運び出させ、テムズ川へ放り捨てさせる。

2度めはやはり同じ設定で、帰ってきたフォードの旦那の目をごまかすために女装させるが、その姿はフォードが忌み嫌う親戚とそっくりだった。フォルスタッフはフォードに殴られて追い出される。

フォードは嫉妬に狂ってしまい、変装してフォルスタッフに近づいたりする。しかし2度めの計略の後女房たちは旦那たちに本当の狙いを説明した。

一方でペイジ夫妻にはアンという美しい娘がいた。父ペイジはひどく間が抜けているが持参金が高いであろうスレンダーと結婚させたいと思っていて、母ペイジはフランス人の変人の医師キーズのもとに嫁がせたいと考えていた。アンは身分は高いものの貧乏、加えてひどい浪費をした前歴で父ペイジに嫌われているフェントンと愛し合っていた。

ウィンザーの陽気な女房たちは、フォルスタッフへ3度めの制裁を考える。今度は旦那たちもみんな一緒に企む。

なんと夜中に森へ逢い引きの誘いをかけ、伝説の亡霊猟師ハーンのように大きな角をつけて来てもらう。そして妖精のなりをさせた子どもたちやアンを使って驚かせ、大いにからかう計画。

同時に、父ペイジはスレンダーにアンを連れ出させ、結婚させる作戦を、母ペイジは医師キーズとアンを抜け出させる計略を立てる。

さて、ラストの大騒ぎはどうなるー?

筋もとてもシェイクスピアらしい。複合要素をお祭りの中へ入れておいて一気に解決?するやり方。フォルスタッフをやりこめる方法も舞台向きだと思う。女房たちのうまい作戦にスカッとする。

キャラも台詞もにぎにぎしい。主要キャラは他にも、和訳でズーズー弁をしゃべる牧師で教師のエヴァンズ、フランス人で英語がヘタな医師キーズ、面白い言い間違いの多いクイックリー夫人とスレンダーの物言い、おまけにフォルスタッフの取り巻きのごろつきたちやきっぷのいい宿屋・飲み屋の亭主の吠える言葉が楽しい彩りを添えている。

シェイクスピアによく出て来る、寝取られ亭主には角が生える、という言い回しはけっこう好きである。

まだまだ読みたいな。


◼️ 多和田葉子「献灯使」

さまざまな思いが入っていそうな、日本のディストピアSFもの。

全米図書賞の翻訳部門受賞作品。多和田葉子は野間文芸賞の「雪の練習生」で学識豊かで、大衆小説的ではない物語を書く人、という印象があった。また熊が主人公でややかわいらし系のイメージも持っていたこともあって今回はちょっとびっくりした。

表題作の異質な世界の設定は、収録作「不死の島」に説明されている気がするので、勝手にそういう前提にしてあらすじ。

2011年の福島原発事故以降、日本は鎖国政策を取り、外国語の使用を実質禁止、政府は民営化された。老人は元気になり、子どもは歩行や食事が困難なほどの不健康な身体になっている。

作家の義郎は曾孫の小学生・無名を1人で育てている。義郎世代は元気だが無名を含む子どもたちはうまく歩くことが難しく、果物ジュースを飲むのにも15分かかるほどうまく食べることができない。鎖国となってしまった日本では外国語を使うと逮捕される恐れがあり、言葉の意味を問い直すことも多く、トイレは厠、ジョギングは駆ければ血圧が落ちる、ということから「駆け落ち」と言われている。産地は「made in japan」が解釈され、岩手産は「岩手まで」と書くようになった。

東京の土地は価値が下落し、都心の大型ビルにもはやビジネスマンの姿はない。果物など農作物の産地は活気があり、移民となる者が多い。義郎の娘の天南(あまな)は大学から九州に移り住み帰ってこない。娘が出て行ってから妻の鞠華も別居し、列車を何度も乗り継ぐほど遠い場所で子供のための施設を経営している。

天南のドラ息子、飛藻(とも)は生まれたばかりの息子・無名を置いていなくなり、義郎が育てることになった。無名は学校の教師に、密航して外国に行く「献灯使」候補として目をつけられる。

世界がその名を知った「フクシマ」。原発事故以降の日本と世界を劇的に変えている。首都TOKYOは活気がなくなり、暗澹とした廃墟のようなイメージさえ漂う。散歩という言葉が死語になったり、突然変異は差別的だとして環境適合、に取って代わられたり、なかなか蜜柑などが入手しにくくなっていたり。とかくヘンな世界。

ユーモラスでおもしろい気もするし、ねじれたようなおかしなブレイク、唐突な終了もまた風変わりなかまし方で嫌いではない。心から楽しむには修行が足らないかな。

うーん、やっぱりフィリップ・K・ディックとか、クリストファー・プリーストとか山尾悠子とかの色合いを考える。

世界の話題としてのフクシマにかけておかしくなってしまった日本を、大胆にアメリカ的なディストピアSF風にして、日本固有の社会的情報を入れたユニークな作品、そんな受け止め方をされたのだろうか。ふーむ。。

多和田葉子は日本でもたくさん賞を取っていて、泉鏡花文学賞なんかさもあらんと思ってしまう。日独双方で評価高そう。もう少し、読んでみようかな。

漢字遊びが官能的な「韋駄天どこまでも」など、他の収録作も興味深かった。

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