2021年12月30日木曜日

2021年間ランキング!

うまくいかなかったのでもう1回。


2021年間ランキング!


今年の年始は、図書館から全集を借りてきて、川端康成「伊豆の踊り子」の研究をしていました。文豪的にスタートした年。143作品を読了しました。


ランキング決めなきゃとチョイスを始めたら、けっこう楽しめた本の数が多い。こりゃ困った。20位までしぼりこめるか果たして笑。


さて、実は気がついたら去年が第10回記念大会だったという笑。というわけで第11回のグランプリはー


マリオン・ヴァン・ランテルゲム

  「アンゲラ・メルケル」


でした!


これまですべてのグランプリは物語、小説でした。今年は初めてノンフィクションからの受賞。楽しめる小説はあったものの飛び抜けたものは見当たらず、圧倒的にこの本が面白かった。別に決め事もない賞だしハイブリッドでね笑



誰もが一目置くヨーロッパのムッティ(おふくろさん)メルケル。クリスマス時期に外出制限を強める際の演説の熱さ、親しみやすさが世界中の注目を集めた、旧東ドイツの物理学博士。イギリスのブレグジットやギリシャの危機など安定しないEUの運営にフランスとのタッグで立ち向かい、ロシアのプーチンを説得し、苦手オバマに涙ぐむ。切れて手際が良く、マキャベリ的手段も使う。が、決断が遅く、服装・化粧が野暮ったくマスコミ嫌いな一面も持つ。


ゾクゾクした。やはり国際政治も上辺の言葉だけでの交渉ではないということ。人の魅力・パワーというものを味わえた本だった。メルケルがついに引退した年に読んどいて良かったという感じでした。


さて、恒例のランキングです。グランプリとは別に1位から。


1位 津村節子「智恵子飛ぶ」

2位 今村昌弘「屍人荘の殺人」

3位 高樹のぶ子「業平」

4位 青柳いづみこ「ショパン・コンクール」

5位 アーサー・コナン・ドイル

   「失われた世界」


今年の選考基準は、面白かったか、没頭できたか、心が動いたか。「智恵子飛ぶ」はなぜ智恵子がおかしくなっていったか、なぜ東京には空がないと言ふのか、どんなふうにがりりと檸檬を噛んだのか、が描写されていて、哀しくてたまらなかった。


「屍人荘の殺人」はなんにも予備知識を持たずに読んだら、"そうきたか!"と。掛け値なしに面白かった。


古典の中で特別な位置にある「伊勢物語」。これを現代文で再構成したら、という試みが「業平」図書館貸出予約して半年以上待った。それだけニーズが大きかったというところ。中高生のみなさん「伊勢物語」はいいですよ。


「ショパン・コンクール」はまさに今年。その前に予備知識の予習ができて、前回優勝者や連続出場者の演奏を聴き倒した。おかげさまで、もんのすごく楽しんだ。

「失われた世界」はロマンやね。ジュラシック・パークの元祖。ドイルは偉大やね。ロンドンの空に翼竜が飛んで行くのはいいエンドだなあと感じ入った。


ほか、「ぼくがゆびをぱちん」は、心に沁みる詩が散りばめられた物語だった。「イエローホワイトブルー」「かがみの孤城」の人気作品2つではいろいろ啓発されたりしみじみとしたり。「ブルックナー」、「マーラー」、「サロメ」では時代とエリアの芸術性を楽しんだ。


6位 井上章一「京都ぎらい」

7位 斉藤倫「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」

8位 志村ふくみ「色を奏でる」

9位 ブレイディみかこ

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

10位 辻村深月「かがみの孤城」

11位 辛島デイヴィッド「文芸ピープル」

12位 ジェイムズ・マシュー・バリー

  「ケンジントン公園のピーター・パン」

13位 莫言「赤い高粱」

14位 ロバート・シーゲル「クジラの歌」

15位 森見登美彦「夜行」


16位 藤沢周「武曲

17位 高原英理

  「不機嫌な姫とブルックナー団」 

18位 渡辺裕「マーラーと世紀末ウィーン」

19位 豊島ミホ「花が咲く頃いた君と」

20位 原田マハ「サロメ」


来年も、読むぞ〜!




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2021年間ランキング!!


https://www.honzuki.jp/book/302576/review/268777/


2021年間ランキング!


今年の年始は、図書館から全集を借りてきて、川端康成「伊豆の踊り子」の研究をしていました。文豪的にスタートした年。143作品を読了しました。


ランキング決めなきゃとチョイスを始めたら、けっこう楽しめた本の数が多い。こりゃ困った。20位までしぼりこめるか果たして笑。


さて、実は気がついたら去年が第10回記念大会だったという笑。というわけで第11回のグランプリはー


マリオン・ヴァン・ランテルゲム

  「アンゲラ・メルケル」


でした!


これまですべてのグランプリは物語、小説でした。今年は初めてノンフィクションからの受賞。楽しめる小説はあったものの飛び抜けたものは見当たらず、圧倒的にこの本が面白かった。別に決め事もない賞だしハイブリッドでね笑



誰もが一目置くヨーロッパのムッティ(おふくろさん)メルケル。クリスマス時期に外出制限を強める際の演説の熱さ、親しみやすさが世界中の注目を集めた、旧東ドイツの物理学博士。イギリスのブレグジットやギリシャの危機など安定しないEUの運営にフランスとのタッグで立ち向かい、ロシアのプーチンを説得し、苦手オバマに涙ぐむ。切れて手際が良く、マキャベリ的手段も使う。が、決断が遅く、服装・化粧が野暮ったくマスコミ嫌いな一面も持つ。


ゾクゾクした。やはり国際政治も上辺の言葉だけでの交渉ではないということ。人の魅力・パワーというものを味わえた本だった。メルケルがついに引退した年に読んどいて良かったという感じでした。


さて、恒例のランキングです。グランプリとは別に1位から。


1位 津村節子「智恵子飛ぶ」

2位 今村昌弘「屍人荘の殺人」

3位 高樹のぶ子「業平」

4位 青柳いづみこ「ショパン・コンクール」

5位 アーサー・コナン・ドイル

   「失われた世界」


今年の選考基準は、面白かったか、没頭できたか、心が動いたか。「智恵子飛ぶ」はなぜ智恵子がおかしくなっていったか、なぜ東京には空がないと言ふのか、どんなふうにがりりと檸檬を噛んだのか、が描写されていて、哀しくてたまらなかった。


「屍人荘の殺人」はなんにも予備知識を持たずに読んだら、"そうきたか!"と。掛け値なしに面白かった。


古典の中で特別な位置にある「伊勢物語」。これを現代文で再構成したら、という試みが「業平」図書館貸出予約して半年以上待った。それだけニーズが大きかったというところ。中高生のみなさん「伊勢物語」はいいですよ。


「ショパン・コンクール」はまさに今年。その前に予備知識の予習ができて、前回優勝者や連続出場者の演奏を聴き倒した。おかげさまで、もんのすごく楽しんだ。

「失われた世界」はロマンやね。ジュラシック・パークの元祖。ドイルは偉大やね。ロンドンの空に翼竜が飛んで行くのはいいエンドだなあと感じ入った。


ほか、「ぼくがゆびをぱちん」は、心に沁みる詩が散りばめられた物語だった。「イエローホワイトブルー」「かがみの孤城」の人気作品2つではいろいろ啓発されたりしみじみとしたり。「ブルックナー」、「マーラー」、「サロメ」では時代とエリアの芸術性を楽しんだ。


6位 井上章一「京都ぎらい」

7位 斉藤倫「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」

8位 志村ふくみ「色を奏でる」

9位 ブレイディみかこ

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

10位 辻村深月「かがみの孤城」

11位 辛島デイヴィッド「文芸ピープル」

12位 ジェイムズ・マシュー・バリー

  「ケンジントン公園のピーター・パン」

13位 莫言「赤い高粱」

14位 ロバート・シーゲル「クジラの歌」

15位 森見登美彦「夜行」


16位 藤沢周「武曲

17位 高原英理

  「不機嫌な姫とブルックナー団」 

18位 渡辺裕「マーラーと世紀末ウィーン」

19位 豊島ミホ「花が咲く頃いた君と」

20位 原田マハ「サロメ」


来年も、読むぞ〜!



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2021年間ランキング 10周年記念特集

◼️10周年記念特集

実は昨年がランキングつけはじめて10周年だったという笑。とりいそぎ特集^_^
まずはこの10年のグランプリを振り返りましょう。

【各年のグランプリ】
2011年 北村薫「リセット」
2012年 熊谷達也「邂逅の森」
2013年 藤原伊織「テロリストのパラソル」
2014年 朝井まかて「恋歌(れんか)」
2015年 朝井リョウ「何者」
2016年 宮下奈都「終わらない歌」
2017年 東山彰良「流」
2018年 川端康成「古都」
2019年 オルハン・パムク「雪」
2020年 谷崎潤一郎「細雪」

それぞれ、あたりまえですが好きな作品ばかり。で、10年記念特集は、いくつか、グランプリ以外で心に残った作品をピックアップしようと思ってます。グランプリは年間1つだけども、それ以外に良かった本を思い出してみようという企画。さて自分ながらなにがあるんだろうと探しました。

◆ 「パレード」吉田修一2011年
おちゃけ小説と思いつつ、最後ホントに怖いです。

◇ 有川浩「海の底」2012年
怪獣サガミ・レガリス出現。おもしろい!

◆ 辻村深月「凍りのくじら」 2013年
ドラえもんあの道具この道具。おもしろい!

◇ 重松清「青い鳥」2014年
突然泣きます。ぜひお試しを。

◆ ジャック・ロンドン「野性の呼び声」2015年
裕福な飼い犬が壮絶な環境に。代表作。

◇ 瀬川深
「チューバはうたうーmit Tuba」2016年
私はなぜチューバを選んだのか。読みやすい!

◆ 井上靖「天平の甍」
 あさのあつこ「弥勒の月」2017年
鑑真の唐招提寺で買った「天平の甍」。
少年小説からアダルトへ。ゾクゾクする「弥勒」シリーズ。

◇ 与謝野晶子「みだれ髪」2018年
当時若い男子学生が狂喜したとか。良いです。

◆ 蒲池明弘「邪馬台国は『朱の王国』だった」
2019年
筋が通っててワクワクする。なぜか燃えます。

◇ オルハン・パムク「新しい人生」 2020年
読みにくいかもだけどテーマは明確だなと。腑に落ちます。

10年ぶんの読書を見直すのは楽しい思い出し作業だった。また9年後?記録はしとくものですね。

2021年間ランキング・各賞

◼️年間ランキング 各賞

今年もやります11年めの年間ランキング。まずは各賞。いつもながらテキトーに笑決めました。

◇表紙賞
葉室麟「緋の天空」

恒例の表紙賞はこれだーというのがない正直。内容から選出。光明皇后、奈良の大仏開眼のときの聖武天皇の后。藤原不比等の娘。藤原氏の権力伸長のための陰謀で長屋王が殺され、夫の聖武天皇は精神の均衡を崩し何度も遷都を繰り返す。

このような背景のためか、光明皇后は神経質な性格で描かれることも多い。私は光明皇后御願の国分尼寺、法華寺でモデルとなったと言われる十一面観音像を見た。能書家であり、多くの寺の建立に携わったことを考えても前向きな、いや、光り輝くような姿を思い描く。そんな小説が読みたかった。葉室流の小説でその願いが初めて叶った。

◇海外日本人文芸賞

・村田沙耶香「コンビニ人間」
・松田青子「おばちゃんたちのいるところ」


「文芸ピープル」という本で日本の女性作家さんのちょっと変わった本が欧米圏で出版ラッシュになっている、という情報を読みかじり、いくつかチョイスしてみた。商業的成功を収めた「コンビニ人間」はまあ、経験としてはよかったかなと笑。松田青子は歌舞伎や謡の知識も盛り込まれていて、もう1つくらいは読もうかな。

◇ホームズ賞

・Authur Conan Doyle
「A Scandal in Bohemia(ボヘミアの醜聞)」
「The Red-Headed League(赤毛組合)」

・ブラッドリー・ハーパー
「探偵コナン・ドイル」

英語原文で読むと、隅々まで言葉に注意を払うのでまた違った意味合いが見えてくる。人気爆発したこの最初の短編2つは改めてほんとうに楽しめた。赤毛組合は色彩感、やね。

パロディは、その人気が出る短編の前「緋色の研究」「四つの署名」まで発表したものの、まだ売れていなかったころのドイルとホームズのモデルとなったドイルの恩師ベル博士が切り裂きジャックに立ち向かう話。ジャックものは多いけれど、これもまた面白かった。

◇芸術賞①

・ベルトルト・リッツマン編
「ヨハネス・ブラームス クララ・シューマン
友情の書簡」

・ウィリアム・シェイクスピア
「ウィンザーの陽気な女房たち」

・ジャック・ジロドゥ「オンディーヌ」

惜しくもランキングに漏れてしまった作品たち。上はシューマンの未亡人のピアニスト・クララとブラームスの書簡集。当時の音楽家たちの名前も、2人の関係性もよく見え、読み応えがあった。

シェイクスピアは、まさにシェイクスピア型ドタバタ喜劇の要素が詰まった作品で大いに楽しめた。

「オンディーヌ」はいくつか舞台で観た、という声をいただいた。元の話となった「ウンディーネ」とともに演劇の古典の1つなんだなと再認識。

◇芸術賞② 絵画編

・上村松園「青眉抄」
・原田マハ「たゆたえども沈まず」
・堀尾真紀子「フリーダ」

コロナ禍で外出が憚られる中、芸術展も縮小ぎみ。絶対行きたかった京都の上村松園展。ホントに楽しかった。上村三代の作品所蔵・展示してある奈良・学園前の松柏美術館も訪ねた。日本画は油画に比べてペタッとしているけども、日本人を描くには合ってるような。しっとりしてクールで古典的な上村松園は好きだなあ。今年は影響で能の謡も勉強したし。五徳を逆さに被ってそれが鬼の角になる「鉄輪」なんてぜひ観に行ってみたい。いい感じ。

原田マハは、「サロメ」をランキングに入れている。こちらは最近巷に多いゴッホもの。ゴッホは強烈で観る者を惹きつける。だけども当時はまるで売れず逍遥したその人生に、日本人画商を絡ませたドラマ。北斎の風景画ほか浮世絵が流行したという世相にも興味があったので読んでよかった。

フリーダ・カーロの名は知ってはいたが、身体的なハンディや絵そのものについては詳しくなかった。迫力ある人だと感じた。

◇スポーツ賞
井手口孝「走らんか!」
福岡第一高校に男子バスケットボール部を作り、やがて県内絶対王者の福大大濠高校を倒すまでになり、全国制覇を成し遂げた先生の著書。自分が同じ地区でバスケット部だったから思い入れ深い本。

◇文豪関連賞

安部公房「箱男」
川端康成「眠れる美女」
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
「老人と海」

「箱男」はあんまりわけ分かんなかったけど、ダンボールを被って必需品は中にぶら下げて暮らすという発想が天才笑。

「眠れる美女」は川端康成尊崇のワタクシが読んでなかったエロな風俗?の話。これが読んで行くうちになんとも死の匂いを濃厚に嗅ぐからおもしろい。

「老人と海」は100分de名著で取り上げられたので再読。やっぱ読んでこの番組で、というのはとてもいいなと。川端康成もやってくんないかな。


◇特別賞

村上春樹「女のいない男たち」
アントン・チェーホフ
「かもめ・ワーニャ伯父さん」

今年観た中で最もよかった映画が「ドライブ・マイ・カー」。
村上春樹のこの短編集、映画は同名小説ばかりでなく他の篇のエッセンスも取り込んである。そして映画の核となる劇「ワーニャ伯父さん」。人生の深さと喪失。最後のセリフが心に響く。

「でも、仕方ないわ、生きていかなければ!ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。」

2021年12月28日火曜日

12月書評の6

おじいから孫に、チョー巨大な梨「愛宕」をクリスマスプレゼントに贈ってきた。

カボチャ並み。でも息子と私とでけっこうすぐ食べてしまうんだなこれが。

◼️ ピーター・ローランド
「エドウィン・ドルードの失踪」

クリスマスに、ホームズを。この時期のパスティーシュ。

確かミステリマガジンが12月にホームズ特集をしてから、たしかにクリスマスにはホームズが似合うなと思い毎年なにかしら読んでいる。アガサ・クリスティーが「クリスマスにクリスティーを」とこの時期に新作を刊行していた当時の出版社のコピーと読みかじったこともあったような。いいもじりですね。

クリスマス時期のパスティーシュです。

1894年12月23日、ジョン・ジャスパーという老人がベイカー街を訪ねてきます。

1894年というのは、ホームズがベイカー街に帰還を果たした年。1891年、スイスはライヘンバッハの滝でモリアーティ教授と決闘したホームズは2人して滝壺に転落し、死んだと思われていました。実は滝には落ちておらず、生存を知られたモリアーティの残党から身を隠すため、ワトスンくんにも内緒で大陸に渡っていて、この年の春「空き家の冒険」で劇的に再登場したのでした。物語中でもジャスパー氏が、つい最近まであなたは死んだと思われていたのですよ、と言及してます。

さて、ジャスパー氏は、昨年のクリスマスイブに失踪した甥、エドウィン・ドルードを探して欲しい、と依頼します。新たに町に来た同年輩のネヴィル・ランドレスという若者と嵐の後、河の様子を見に行ってから行方不明になっている。ネヴィルが殺したに違いないが、本人は否定、告発には至っていないとのこと。帰るジャスパー氏を窓から見ていると、突然男2人に囲まれ、連れていかれます。ホームズは急いで駆けつけたものの見失います。

興味を覚えたホームズは翌日ワトスンを連れて一連の出来事が起きた大聖堂の町、クロイスタラムへ出かけ、思いがけない事実を知るのでした。

物語には2人の女性が絡んでいます。当時のエドウィンの婚約者で親族同様に育ったローザ・バッドとネヴィルの妹のヘレナ・ランドレス。どちらもとても主要な役割を物語終盤に果たします。

時制の問題があり、クロイスタラムという大聖堂のある田舎町の不気味さ、後半、何があったのか一気に分かってくる現実感、そして幻想、怪異の終わり。

実はこの話はディケンズが初めて挑んだ推理小説、「エドウィン・ドルードの謎」を下敷きにしています。ディケンズが急死したため未完となったとのこと。エドウィンが失踪したところまでで絶筆となった、その先をもしホームズ&ワトスンが担当したら・・という設定のパスティーシュなのです。物語中にディケンズの作品を楽しむお祭りがあり「クリスマス・キャロル」の扮装をした一団がスクルージのセリフを口にする場面が出てきます。


実は、読んでいるほうも、これで、ホームズが捜査を続ける意味あるの?とワトスンが説得するのと同じ気持ちになったりします。結末は推理小説としては反則気味だし、分からない伏線もあったり。

しかし、クリスマス時期の雰囲気や大聖堂ミサ、墓地、不気味さ、後見人というイギリス的社会の雰囲気など、いいイメージを持てる作品だなと思っています。だからか、3〜4回めくらいの再読。いつも解決のくだりを覚えてないからまた読む気にもなるし笑。

シャーロッキアン的には「語られざる事件」としてパスティーシュ作家に大人気の、こうもり傘を取りに家に入ったまま消えてしまったジェイムズ・フィリモア氏の事件やアヘン窟で物語が始まる名作「唇のねじれた男」を思い起こしてしまったりします。その薄い関連性も味わいかなと。


原作は図書館にあるようだし、次の再読の時には読んでみようかな。


◼️ 佐藤正午「月の満ち欠け」

少女に生まれ変わり続ける女と周囲の大人たち。直木賞受賞作。

私が多読になったのは15年ほど前からで、最初は直木賞受賞作から入った。賞は1つの指標であり、日本で最高の文学賞と目されている直木賞の作品がどんなものか興味もあった。付け足せば、賞を創設した菊池寛が、半分は雑誌を売るためだ、と言ったのも気に入った。

半分は商売のため、は目的として分かりやすい。ゆえに賞の結果にあれこれ言う気にはならない。ただ、日本で著名な先生方がけっこう本気で選んでいるからか、たしかに力のある作品はある。「テロリストのパラソル」「恋歌」「邂逅の森」最近では「蜜蜂と遠雷」。だから今でも読む気になる。もちろん?な作品もある、この作家ならあっちの方が良かった、と思うこともある、というところ。

さて、今作は生まれ変わりの物語。読了後に直木賞選考の評価が高いことに少し驚き、半分納得。

小山内は、1週間ほど高熱に苦しんだ娘の瑠璃が、7歳ではあり得ない知識や歌を知っていると妻の梢から相談を受ける。しばらくして瑠璃は行方不明になり、自宅から離れた高田馬場で保護された。

学生の三角は雨の日にバイト先のビデオ屋で雨宿りしていた髪の長い女性と出逢いやがて付き合い始める。彼女の名前は瑠璃といったー。


瑠璃は時代を移り、何回も生まれ変わって周囲を戸惑わせる。そして正木に逢いたいと願い、行動する。しかし小さな子どもにはできることに限界があり、18歳になるまで待って電話をかけたりする。

恋人同士にしかわからないこと、はかわいらしく、ノスタルジーをそそる。 


エピソードが時制通りに並んでいるわけではなく、こんがらがる時もあった笑。最後に感動が透けて見える仕掛けがある。


本を読むとき、わからない言葉や言い回しをよく調べる。平明さを称賛されているこの作品ではそれが1つも見当たらなかった。瑠璃に絡む大人たちの人生や生活感、絡み方も丹念に描いていていると思う。生まれ変わり、読む人の心にある願望と奇跡を信じる心を刺激する。



宮部みゆきミステリ風な感覚もあって、さらさらとページが進む。さまざまな境遇、性格の親たちをいろんな時代に置き、大人たちは幼い少女の姿ならではの騒動に振り回される。あっけない死、喪失が訪れる。しかし喪失は新たな命を産む。その繰り返しー。娘に瑠璃が乗り移るのも希望なのか、もとの娘の喪失なのか。混乱の描写もリーダビリティの1つかも知れない。


ここからはうーむの点。まず生まれ変わりものは北村薫「リセット」や恩田陸「ライオンハート」、東野圭吾「秘密」で読んだし、ネタとしては目新しくない。


また感じ方の問題かも知れないけれども、瑠璃がもとの恋人に熱烈に逢いたいと想う動機が弱いかなと感じたかな。全体としてもひとつ。ズーンとかしみじみとか共感とか来なかったし。


審査員の絶賛にふむそうなんだと。高く評価するには理由があるのだろう。そこまでは思いが至らなかった。長い間の物語。著者の本は初めて読んだ。少しの薄気味悪さ、常識とのあわいで勝負するのは持ち味かな。

12月書評の5

◼️ 渡辺裕「マーラーと世紀末ウィーン」

こないだブルックナー、そして弟子のマーラー。芸術はいつも新しい脱皮を求める。

先日「不機嫌な姫とブルックナー団」を読んでウィーンの音楽界の状況を垣間見た。ブルックナーの優秀な弟子たちの白眉がマーラー。

指揮者として当時世界随一と言っていい成功を収めたマーラーは世紀末ウィーンの芸術運動の一端を担っていた。

私は昨年「クリムトー世紀末の美」を読み、クリムトもまたこの時期のオーストリアの胎動時期を代表する画家ということを知った。その運動とはどういうものか。拙い知識でまとめてみる。

1800年代、ウィーンではベートーヴェン、モーツァルトらが音楽界のスタンダードとなっていた。そこに異を唱える急先鋒.リヒャルト・ワーグナーが現れた。ワーグナーは芸術が音楽、演劇、美術などが細分化されることによって本来持っている力を失っていると憂えた。そして「綜合芸術」の理念を提唱し、楽劇・オペラの台本を自分で書いた。

一方絵画界でもウィーン美術界の古い体質から、クリムトを中心とした「分離派」という流れが立ち上がってきた。さらに建築界でも、やとらゴテゴテとした装飾を施し、室内や窓を狭く造る手法から、オットー・ワーグナーら新しく機能重視の一派が伸長した。

そのうねりの象徴が1902年の第14回分離派展だった。ベートーヴェンが統一テーマとされ、マックス・クリンガーは上半身を裸にしたベートーヴェンの彩色彫刻を造り最大の目玉となった。分離派会長のクリムトは第九をモチーフとした「ベートーヴェン・フリーズ」を展示した。

ここで余談。私は「ベートーヴェン・フリーズ」が来ていた東京でのクリムト展の際、ちょうど出張でしかも日程に余裕があった。しかし別の用を入れ観に行かなかった。いまでも後悔がある。ああ観ればよかった。クリムト好きやのに。

さて、ブルックナーやマーラーが新しい視点での交響曲を作曲している時、ベートーヴェンをゲルマン人のヒーローとして称え、彼らの音楽をスタンダードとして、批評家のハンスリックらは新しい波をこき下ろしていたし、マーラーらの曲は一般聴衆にも受け入れられたとは言い難かった。ではなぜ、ベートーヴェンが分離派展のテーマなのか?

ワーグナーはベートーヴェンの第九交響曲について、歌を入れている点を綜合芸術の一環として評価したらしい。しかもシラーの、感動的な詩だもんねえ。しかしクリムトはベートーヴェン・フリーズに裸の男女が抱き合う絵を入れ、分離派の矜持を示している。要は普遍的な人類愛を謳った第九を個人的性愛の喜びへと換骨奪胎してみせたということのようだ。


この辺もまた世紀末ウィーンの特徴の1つらしいのだが、これまでのお行儀の良い、理想的な作法、芸術の基盤ともいうべきものに対して、人の潜在意識の領域、非合理性を描くというシュールレアリスムにも結びつく思想、が流行した。フロイトは夢判断を書いて性的意識を強調した。ニーチェらは人間の理性の背後に広がる無意識の領域に着目し、人間にとってむしろそちらの方が本質的であると強調した。


マーラーもまた、既存の形式から外れた作品をものしていた。交響曲1番は序章が長すぎて批判を浴びた。また時間の流れを断ち切るような音やフレーズの組み合わせを異質に感じる者も多かった。交響曲第3番にはニーチェの芸術観が色濃く反映され、歌詞には「ツァラトゥストラかく語りき」の言葉を使っている。

うーん、確かに古典派の方々はカチッとしている一方で、壮大で普遍性を感じさせるからねえ。現代でも安心して聴けるし。

クリムトの本を読んだ時にも激動の時代性を感じた。19世紀は帝国主義や民族主義が隆盛を迎え、国際関係の緊張感が常にあった。高まる汎ゲルマン主義に同調しながらも、ユダヤ人のマーラーがベートーヴェンらに挑戦するのには葛藤もあり、世間の見方も厳しかったようだ。アンビヴァレントな心持ちだっただろう。

そのような中、芸術界も大きな変化、また変化を求め繰り返した。分離派を中心とした、これまでの常識を打ち砕こうとする動きには一種情熱への興奮のようなものを覚える。何か自然に惹かれるものがある。

通常本を読む時、これは難しすぎるな、とか本質的な部分ではない、とか物語の場合幻想的に過ぎたりすると、理解するのをやめて、スンッとただ文を追うのに終始するだけの時がある。

今作は本編230ページくらいの学者さんの本。少々難しく進みが遅かった。でも特に前半はスンッとなることなくじっくり読んでいく気になった。

私は、かつて古典派とかショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフ、あとドヴォルザークなんかの有名どころばかり聴いていて、ブルックナーとマーラーはやたら長重そうで、パスしていた。

マーラーは東京在住時にクラシック友たちから「分かりやすい曲ばかりからの卒業を」と諭され笑、特訓ともいえるチョイスに付き合い、1番、5番、6番とコンサートに行ってそれなりに感動した。5番は特にお気に入り。2番も「のだめカンタービレ」で千秋が触れていたので聴いた。

最後の方に展開されている、マーラーの曲は確かに既成のものを壊そうとしているが、追求している音楽はそこまで異質ではない、という論旨にはうなずけるものがあり、ちょっとホッとした。


読了し、あんまり苦手じゃないよマーラー、ふふーんなどと思いつつニーチェの思想に沿っているという3番を初めて聴こうと思ったらなんと1時間43分。私の中で長いのNo. 1というイメージのブルックナーより長いやん、と思いつつなんとか聴き通した。

それにしても芸術の胎動は激しい。新しい時代に、新しい潮流を。ピカソのキュビズムが注目を集めたのは、ちょうど世界が、新しい美術の姿をもとめている時期にマッチしたからだ、と以前読みかじった。前時代のものを脱し、自分達の新しい運動を創出しようとする熱は常にあるんだろう。この時代のウィーンもまた大きな流れの1つなのだろうと思う。

ブルックナー、マーラーに少し理解が深まってちょっと気分がいいかな。長いけど。

最後この言葉で。

「伝統とは怠惰のことである」
グスタフ・マーラー


◼️ 梨屋アリエ「ピアニッシシモ」

日常と非日常。独特の緊張感があるなと。


日本児童文芸家協会新人賞だそうだ。ジュブナイル小説もたまにはいいかな。

「吸血鬼の家」から聴こえていたピアノー。中学3年になった松葉はかつてピンチを救ってくれたおばあさん・時子さんのピアノが搬出されようとしているのを目撃する。時子さんのピアノの音色は松葉の慰めだった。

ピアノの行方は同い年の紗英が住む裕福な館だった。時子さんは施設に入ることになり、親しい友人の家に譲ることにしたらしい。その家でピアノの才能にあふれる紗英と仲良くなった松葉は恋心にも似た気持ちを抱く。やがて紗英に大きな変化が訪れたー。

平凡で自信のない松葉と勝ち気で才能ある紗英。それぞれの家庭はどこかズレたところを感じさせ、娘たちの心は擦り傷のように時々じわっと痛む。

一時期熱を持って親密にしていた2人は、たまたま出会ったセトとムゲンという無責任な姉弟の若者に絡むことで、暴走を始める。

中学生という子ども、自我と親のくびき。物語的にはわかりやすい走り方かと思う。

松葉は現実的な子ども、言葉は夢見がち。そのギャップが少し独特でおもしろい。裕福と中間層の両家庭、たい焼き屋にコンビニバイトというベタな下町感も効いていると思う。

少し思うのは、主人公が饒舌になってしまう、ということ。ジュブナイルもので見かける傾向かなと。

日常と非日常。私学に通う天賦の才ある親友が松葉の非日常。それは癒しを感じていた、ある種の非日常だった時子さんのピアノから繋がった。紗英はまた、別の非日常を求めた。

中学生にとっての非日常、外の世界、先のこと、という色合いを意識した物語かと思う。懐かしい気持ちで自分のことと照らし合わせる。つまり、作品の良い個性が伝わったということかなと考えた。

2021年12月19日日曜日

12月書評の4

12/13、14はふたご座流星群のピーク。13は8コ見えるものの小さかったり、目の真ん中からわずかにずれて見えたりと不完全燃焼。翌日20時前から4時間くらいにわたって10コ。ストローク長いのもばっちり見えて今年も満足。


◼️ コルートス 「ヘレネー誘拐」/トリピオドーロス「トロイア落城」

紀元後の叙事詩。戦争の発端と流れのハイライト。そしてトロイアの木馬。

トロイアの木馬はもちろん知っていた。手塚治虫の「火の鳥」にも確かあったし。しかしトロイア戦争の原因や詳しい経過は覚えていなかった。

そもそもギリシア神話は有名な神や話も多いけど、出演神、者が多くてうまく整理できない。今回も最初の方に出てきた名前が後に出てきて、この人、何した人だったっけ、というのがふつうにあった。1度整理してみようか。今回の解説で、ゼウスたちが第三世代、クロノスらが第二世代で巨神族と呼ばれていることを知り、ひょっとしてナウシカの巨神兵と関係あるのかーと調べてみたが、ないみたいだった。

さて、覚えたてのトロイア戦争の原因。そもそもゼウスが人口抑制のため大戦争を起こす計画を立てたらしい。

ある結婚式に1人招かれなかった争いの女神がムカついて、黄金の不和の林檎を投げ入れ、女神たちの間に争いが起こる。ゼウスの指名によりトロイアの王子パリスがどの女神が林檎にふさわしいか決めることになった。私を選んでくれたら最も美しい女をあんたにあげるわよ、と約束したアプロディーテー(本の記載に従った)を選んだパリスはわざわざスパルタまで行ってスパルタ王メネラーオスの妻ヘレネーをさらってきて、これが原因でギリシャ側(アカイア軍)とトロイアの戦争となったとのこと。

紀元前8世紀のホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」といった叙事詩が有名。紀元後は4世紀後半と言われているクィントスの「トロイア戦記」が「ホメロス」以後のトロイア戦争の終局までを唯一描いている。今回の2つはその少し後の時代に「トロイア戦記」を下敷きに、ハイライト的に書かれた叙事詩のようだ。

ただ、「ヘレネー誘拐」のエピソードは断片的にばらばらに各資料に記されているらしく、まとめて記載してあるのはこのコルートスの作品のみだということだ。

「トロイア落城」はこれまでに比べ、木馬の詳細を少し詳しく書いている、らしい。またヘレネーがなんか不思議にフラフラして両軍に影響を与えている。

短い作品。でも2〜3ページごとに注釈ページがあって、量に比して時間がかかった。神話はもちろんスッと理屈が通らないことも多いけど、時としてトロイの木馬といったような壮大な話を創作する。

ふたご座流星群を観て楽しんでいるきのうきょう、ギリシャ神話と星座。これも正確にはそうそう覚えてない。ホントに大規模整理してみようかな。


◼️ 芥川龍之介「浅草公園ー或シナリオー」

とぼとぼと、妖しい迷子の道行き。瞬間的な場面の連なり。

この前に読んだ平野啓一郎「ある男」で父を亡くした少年が読んでいた作品。

映画の脚本のような形式の文学作品で、レーゼシナリオというそうだ。1から78まで番号をつけて短いシーンが連ねてある。

浅草の仲店で父といっしょに歩いていた男の子が玩具屋で綱を登ったり降りたりする猿を見ているうちに父とはぐれてしまう。少年はあわてて父と背格好が似た男を探しすがりつくが人違いだった。

そして途方に暮れ、ちょっと考えた後、とぼとぼと歩き始める。

目金屋の飾り窓の西洋人形が話しかける。

「目金を買っておかけなさい。お父さんを見付けるには目金をかけるのに限りますからね。」

「僕の目は病気ではないよ。」

造花屋の飾り窓からは鬼百合の莟(つぼみ)が開き始める。

「私の美しさを御覧なさい。」

「だってお前は造花じゃないか?」

少年が巡るのは煙草屋、鐘楼、射撃屋、劇場の裏・・ひっそりとしているような、妖しいような、幻想的、断片的な風景が異世界のような雰囲気を醸し出すー。

この作品は亡くなった年に書かれたもの。つまり濃厚な死の匂いが漂う作品「歯車」と同じ。だんだんと、分かりやすいストーリーのあるものでなく心象を描き作品化していく傾向にあったのだろうか。作品化、というのは、個人的に著者が効果を狙っていると思うからで、やはり広い意味では物語となっているのかもしれない。

雑踏の中で父とはぐれた幼な子の頼りない気持ちを取り巻く一種ホラーのようなファンタジー。

短いだけに考えさせられる。

2021年12月11日土曜日

12月書評の3

東京で食べたランチの鯛めし定食が美味かった。下記「ブルックナー団」はひさびさのスマッシュヒット。ラノベはやっぱ好きだね。


◼️ 高原英理「不機嫌な姫とブルックナー団」

やばい面白かった。ブルオタ=ブルックナーオタクたちと作曲家本人。くすくす笑える佳作。

私はクラシック好きだけども初級編から先に進めない感覚を持っている。チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ベートーヴェン、モーツァルトの有名交響曲とコンチェルト、ショパンのピアノ曲。あまり単体の楽器演奏は聴かないし、室内楽にも不案内。東京にいた時に「分かりやすい曲ばっかり聴いて」とクラシック好きたちにマーラーは習ったがめっちゃ立派そう、長くて難解そうなブルックナー、聴いたことないとは言わないけどさっぱり手をつけてない。

実はブラームス1番も苦手だったりする。本格派苦手。岩城宏之氏はクラシック指揮者界にはブルックナーわかって振れて1人前、のような雰囲気があると書いていたと思う。

だからブルックナー好きの立場が弱い?ような設定には少々驚いたりした。でも図書館で目が合ってしまったブルックナー題材のライトノベル。苦手に親愛の情が湧くかな果たしてとっつきやすそうだしと楽しみに読んだ。

図書館非正規職員、32歳の代々木ゆたきはブルックナー5番のコンサートの後、「ブルックナー団」を名乗るブルックナー好き男3人組と出会う。小説を書くタケ、変な言葉をつかう小太りのユキ、小柄メガネのポン。いかにも非モテなオタクたち。

3人が行きつけというマクドナルドでなんとなく意気投合してしまったゆたきはブルックナー団公式サイトを紹介され、タケが書いているというブルックナー伝(未完)を読み込んでいくー。

まあとにかくウソかほんまかブルオタというのがおり、クラシックファンの中でもとりわけオタク臭い、特有の行動を取るものとして区別されると。曲が終わって数十秒は余韻を楽しみたく、拍手もしてほしくない。ブラヴォーなどと叫ぶのは言語道断で、フライングブラボー、フラブラと呼ばれ軽蔑されるとか。

会話の若くオタクっぽい喋り方行動もリズム良くくすくす笑える。

ブルックナーの性質と音楽活動、その情けなさ、オタク臭さ、バカにされやすい性格などを再現し、時の革命児ワーグナーとの交流、ブルックナーを取り巻くクラシック界の環境をも描きこんでいく。生涯独身、奇行あり、神経質で楽団の演奏拒否や要求に屈して改稿を重ねる姿。ハンスリックという批評家にこき下ろされ、それを極端に恐れる態度。

それはブルオタたちが、どこか自分たちになぞらえている姿でもあったりする。ゆたきもまた本好きで洋書の翻訳を諦めてしまった過去や現在の境遇への鬱屈を募らせる。

驚くことにブルックナーの弟子たちは、マーラーを筆頭に、後々出世した優秀な者たちが多かった。通常2つの主題を3つ入れ込んでみたり、同じフレーズをしつこいくらい繰り返したりと前衛的だったブルックナーは後世の評価を信じたー。ゆたきもまた新しい、小さな決心を固める。

150ページくらいと長い作品ではない。人物の掘り方もやはり深くないと言わざるを得ない。ほんわかといい感じに落ち着いて終わっている。もっと読みたい感じではある。

でもブルックナー聴く気になった。こう言っていいのなら、扱いにくそうなモチーフを、おもろかしくなじませてしまう日本のライトノベルの底力はすばらしいと思う。

小説は寡作な、意外に年配の作家さん。シリーズで続きを書いてくれたりしないかなあ〜。ブルックナーじゃムリかな笑。

非モテのオタクっぽいブルックナーが身に覚えのないセクハラの嫌疑をかけられ怒り狂うセリフがいいので最後に。方言とオタク言葉?

「がああす冗談じゃねえっつぜ。わしぁかっちかちのカトリックでよさぁ、やるわっきゃねえっつだろうよ、そがほどの地獄落ち」

ああ面白い。今夜はともかくブルックナー聴いてみよう。


◼️ 平野啓一郎「ある男」

夫は別人ー。ミステリ部分は宮部みゆきのよう。ドラマの描き様は白石一文のよう。

平野啓一郎といえば最近「マチネの終わりに」が映画にもなった。妻が持ってるがまだ未読。そんな折、本友女子がいやー平野啓一郎もこんなん書くようになったか〜という感じよ、と持ってきてくれた一冊。

東京で幼い次男を亡くしたことから離婚し、宮崎の実家へ帰った里枝。当地で林業に携わる谷口と結婚し幸せな家庭を築くも夫は事故で亡くなった。写真を見た夫の兄は、これは弟じゃない、と断言したー。

離婚の際に依頼を受けていた弁護士の城戸は今回も里枝に相談を受け、この入れ替わりに興味を抱く。自身の人生や家庭不和と重ねながら、城戸は真相に近づいていく。

亡くなった男はなぜ過去の自分を消し、他人の人生を騙ったのか。魅力的な謎があり、最後まで読ませる。

調査中の城戸の思いを膨らませ、世間でヘイトスピーチや対するカウンターデモの動きが広がる社会で在日3世である自身の感じ方、夫婦のすれ違いを語る。蠱惑的な美人や身勝手な男をも出演させて色気や欲望を織り込み、はては死刑廃止論議にまで踏み込む。

先に書いたように、ミステリそのものの仕掛けは宮部みゆきみたいだな、という感覚がある。また社会の動きや歪みを組み込み、男そのものを硬派っぽく描写していくのは白石一文の筆致に似てるかな、という印象だ。

むかあし芥川賞の「月蝕」を買ったけれど、内容は忘れ、難解だな、という気分だけが残っている。今回はそれなりに量のある長編で、カクテルや音楽に粋な情報が入り、また小難しい理屈もあり、いろいろ盛り込んで格好もつけている感じがある。

ちょっと出した情報を回収してないところもあり、醸し出そうとする雰囲気がややこちらとズレがあったりした。熱を持って書いている現代ものをやや醒めた目で見てしまい、自分もトシをとったのかな、なんて思う。


男は、うん身勝手かな。あまり良い男は出てこないし笑、幸せを築いていた、里枝の夫だった男も、どうしようもない人生上の不幸はあれ、不実なのかもしれない。里枝の心情に少し心惹かれる。

没入はできないが、興味を持って読み切れる作品だった。

12月書評の2

2年ぶりの東京出張。新鮮な感じ。シェイクスピアは趣味になっているね。まあさらさら読めるから。

◼️ ウィリアム・シェイクスピア
「ウィンザーの陽気な女房たち」

にぎにぎしく大仰で笑える喜劇。個性の強いキャラたち。

シェイクスピアが、同時代のイングランドを描いた唯一の「現代劇」らしい。貴族たちではなく、市民社会が舞台なのも珍しいとか。

舞台はウィンザー。太っちょの荒くれ騎士、フォルスタッフは金に困り、町のフォード夫人、ペイジ夫人を自分の虜にして金づるにしようと目論み、恋文をしたためる。

フォルスタッフからの手紙が同じ文章の恋文だと互いに分かり、憤慨する両夫人。ここは誘いに乗るフリをしてたたきのめそうと計略をめぐらす。その通りフォルスタッフを呼び出しては旦那が帰ってきたという芝居を2人で演じ、1度めは大きな洗濯カゴに隠し、使用人に2人がかりで運び出させ、テムズ川へ放り捨てさせる。

2度めはやはり同じ設定で、帰ってきたフォードの旦那の目をごまかすために女装させるが、その姿はフォードが忌み嫌う親戚とそっくりだった。フォルスタッフはフォードに殴られて追い出される。

フォードは嫉妬に狂ってしまい、変装してフォルスタッフに近づいたりする。しかし2度めの計略の後女房たちは旦那たちに本当の狙いを説明した。

一方でペイジ夫妻にはアンという美しい娘がいた。父ペイジはひどく間が抜けているが持参金が高いであろうスレンダーと結婚させたいと思っていて、母ペイジはフランス人の変人の医師キーズのもとに嫁がせたいと考えていた。アンは身分は高いものの貧乏、加えてひどい浪費をした前歴で父ペイジに嫌われているフェントンと愛し合っていた。

ウィンザーの陽気な女房たちは、フォルスタッフへ3度めの制裁を考える。今度は旦那たちもみんな一緒に企む。

なんと夜中に森へ逢い引きの誘いをかけ、伝説の亡霊猟師ハーンのように大きな角をつけて来てもらう。そして妖精のなりをさせた子どもたちやアンを使って驚かせ、大いにからかう計画。

同時に、父ペイジはスレンダーにアンを連れ出させ、結婚させる作戦を、母ペイジは医師キーズとアンを抜け出させる計略を立てる。

さて、ラストの大騒ぎはどうなるー?

筋もとてもシェイクスピアらしい。複合要素をお祭りの中へ入れておいて一気に解決?するやり方。フォルスタッフをやりこめる方法も舞台向きだと思う。女房たちのうまい作戦にスカッとする。

キャラも台詞もにぎにぎしい。主要キャラは他にも、和訳でズーズー弁をしゃべる牧師で教師のエヴァンズ、フランス人で英語がヘタな医師キーズ、面白い言い間違いの多いクイックリー夫人とスレンダーの物言い、おまけにフォルスタッフの取り巻きのごろつきたちやきっぷのいい宿屋・飲み屋の亭主の吠える言葉が楽しい彩りを添えている。

シェイクスピアによく出て来る、寝取られ亭主には角が生える、という言い回しはけっこう好きである。

まだまだ読みたいな。


◼️ 多和田葉子「献灯使」

さまざまな思いが入っていそうな、日本のディストピアSFもの。

全米図書賞の翻訳部門受賞作品。多和田葉子は野間文芸賞の「雪の練習生」で学識豊かで、大衆小説的ではない物語を書く人、という印象があった。また熊が主人公でややかわいらし系のイメージも持っていたこともあって今回はちょっとびっくりした。

表題作の異質な世界の設定は、収録作「不死の島」に説明されている気がするので、勝手にそういう前提にしてあらすじ。

2011年の福島原発事故以降、日本は鎖国政策を取り、外国語の使用を実質禁止、政府は民営化された。老人は元気になり、子どもは歩行や食事が困難なほどの不健康な身体になっている。

作家の義郎は曾孫の小学生・無名を1人で育てている。義郎世代は元気だが無名を含む子どもたちはうまく歩くことが難しく、果物ジュースを飲むのにも15分かかるほどうまく食べることができない。鎖国となってしまった日本では外国語を使うと逮捕される恐れがあり、言葉の意味を問い直すことも多く、トイレは厠、ジョギングは駆ければ血圧が落ちる、ということから「駆け落ち」と言われている。産地は「made in japan」が解釈され、岩手産は「岩手まで」と書くようになった。

東京の土地は価値が下落し、都心の大型ビルにもはやビジネスマンの姿はない。果物など農作物の産地は活気があり、移民となる者が多い。義郎の娘の天南(あまな)は大学から九州に移り住み帰ってこない。娘が出て行ってから妻の鞠華も別居し、列車を何度も乗り継ぐほど遠い場所で子供のための施設を経営している。

天南のドラ息子、飛藻(とも)は生まれたばかりの息子・無名を置いていなくなり、義郎が育てることになった。無名は学校の教師に、密航して外国に行く「献灯使」候補として目をつけられる。

世界がその名を知った「フクシマ」。原発事故以降の日本と世界を劇的に変えている。首都TOKYOは活気がなくなり、暗澹とした廃墟のようなイメージさえ漂う。散歩という言葉が死語になったり、突然変異は差別的だとして環境適合、に取って代わられたり、なかなか蜜柑などが入手しにくくなっていたり。とかくヘンな世界。

ユーモラスでおもしろい気もするし、ねじれたようなおかしなブレイク、唐突な終了もまた風変わりなかまし方で嫌いではない。心から楽しむには修行が足らないかな。

うーん、やっぱりフィリップ・K・ディックとか、クリストファー・プリーストとか山尾悠子とかの色合いを考える。

世界の話題としてのフクシマにかけておかしくなってしまった日本を、大胆にアメリカ的なディストピアSF風にして、日本固有の社会的情報を入れたユニークな作品、そんな受け止め方をされたのだろうか。ふーむ。。

多和田葉子は日本でもたくさん賞を取っていて、泉鏡花文学賞なんかさもあらんと思ってしまう。日独双方で評価高そう。もう少し、読んでみようかな。

漢字遊びが官能的な「韋駄天どこまでも」など、他の収録作も興味深かった。

12月書評の1

息子さんが高校の東北修学旅行のお土産を帰ってから3週間後に出してきた。まあ賞味期限内だし美味しくいただきました。


️ Authur Conan Doyle
「The Adventure of the Dancing Men(踊る人形」

暗号解読。探偵ものの粋。ネタはポーに似ているそうな。

ホームズ短編を原文で読む13篇めは「シャーロック・ホームズの帰還」より「踊る人形」。長編も含めたある年の人気アンケートで9位に入っている作品。ちなみに1位は長編「The Hound of the Baskervilles (バスカヴィル家の犬)」、2位は「The Red-Headed League(赤毛組合)」。

それだけシャーロッキアンに強く支持されていると言えるし、今回も楽しみながら読んだのだが、書き始めてハタと困ったことに気がついた。暗号は踊る人形が使われているが、その絵をこの書評に出す手立てがない。

うーん、興味ある方はリンク先へ行って見てみてください笑。

さてベイカー街の部屋で、ホームズは試験管を手に、悪臭のする化学実験をしながら、いきなりワトスンが心に秘めていたつもりの、南アフリカの証券投資のことを突然ずばりと言ってみせます。シリーズ全体で、冒頭何度かこういう場面が出てきます。ユーモラスかつホームズものを象徴するシーンではありますが、今回も割愛します。またいずれ。

そうこうするうち、ノーフォークの古く名誉ある家柄の郷士、依頼人のヒルトン・キュービット氏が訪ねてきました。背が高く健康そうな赤ら顔、ひげをきれいに剃り上げた紳士でした。

Well, Mr. Holmes, what do you make of these?
「ホームズさん、これについて何か分かりましたか?」

キュービット氏は依頼の手紙に、不思議な象形文字のような絵柄で構成された、一見いたずら書きのような紙を入れて寄越したのでした。

その絵柄とは、子どものいたずら書きのような、人が手を挙げたり、旗を持ったり、逆さになったりしたもの。ホームズは非常に面白い事件になりそうだと口にしたもののこの記号文字については言わず、キュービット氏から詳しい事情を聞くことにします。

地方名士いわく、自分はアメリカから来たエルシーという婦人と最近結婚して幸せであること、結婚の条件が、エルシーの過去については訊かない、というものだったこと、ある日、アメリカからきた手紙を見て妻が真っ青になり、目に恐怖の影が差すようになったことなどを話します。そして、先週の火曜日、窓枠にその踊る人形の記号文字がチョークで殴り書きされたのを見つけたと。

最初はいたずら書きだと思っていたのが、妻にちょっと話したところ、彼女は真剣に、次に現れたら自分に見せてくれるよう頼みました。そして昨日の朝、ホームズに送った踊る人形の手紙が日時計の上にあるのを見つけ、それを見たエルシーは失神してしまったとのこと。

ホームズはまず常識的に諭します。

Don't you think, Mr. Cubitt, that your best plan would be to make a direct appeal to your wife, and to ask her to share her secret with you?

「キュービットさん、いちばん良い方法は、あなたの奥さまに直接お願いして、秘密を分かち合うようにすることでないですか?」

しかしキュービットは約束は約束だ、彼女が話さないことを強要はできない、と言い張ります。

後に起きたことを考えると、いかにも不自然に見えます。しかしここではいたずら書きののようなものがあって、女が不安がっているとしか判断材料がない状況でした。

ホームズはそれでも依頼を受けると快諾し、1つの手紙だけでは意味が掴めないから、また現れたら正確な写しを取ること、不審なよそ者がいないか見張ること、などをアドバイスしてキュービットを帰します。

2週間後、キュービットがベイカー街を再訪し、はなからこう訴えます。

It's getting on my nerves, this business
「この事件はもうたくさんです」

She's wearing away under it – just wearing away before my eyes.
「彼女はこの状況下で消耗しています。目の前でどんどん弱っていきます」

道具小屋の扉に描かれた踊る人形ー2回にわたって現れました。さらに次は日時計のところに紙に描かれたものが見つかりました。キュービットはその正確な写しを提示します。

最後のメモが現れた後、キュービットは待ち伏せします。エルシーが気づき、寝室に戻るように説得しますが、キュービットは外に男が見えた瞬間妻を振り払い、拳銃を持って外に出ます。木の扉に新たなメッセージがありました。男はすでにいませんでした。驚いたことに、翌朝見てみると、夜、すでにあった行の下に、さらに踊る人形が書き足されていました。キュービットはその写しも渡します。

奥さんは、なにか話し出そうとはするものの、キュービット家の名誉な家系に傷がつくのを恐れている様子。キュービット氏はすぐに自宅へ帰ります。ホームズは訪問も仄めかしますが、ベイカー街に残ります。

材料が集まったので、暗号の解読をしつつ、ホームズは国際電報を打ちます。この返事は遅くなり、その間にキュービット氏から新たに現れた踊る人形の手紙の写しが送られてきました。

それを読んだホームズは不安に苛まれます。

We have let this affair go far enough
「この事件を野放しにしすぎたようだ」
Is there a train to North Walsham to-night?
「今夜ノーフォークへの列車はあるかな?」

しかし最終は出てしまった後でした。明日朝早く出る決意をしたところで待っていた電報の返事が来ました。読んだホームズは、もはやキュービット氏に事態を知らせるのに1時間も無駄に出来ない、と言い切ります。


ノーフォークはロンドンから北西に170kmくらいでしょうか。かなり不確かです笑。軽く検索したところ今でもロンドンから鉄道で4時間くらいかかるとか。

ノーフォークへ着くと、駅長が「ロンドンから来た警部さんでは?」と走ってきます。なぜか訊くうちに衝撃的な事実が分かりました。

They are shot, both Mr. Hilton Cubitt and his wife. She shot him and then herself – so the servants say. He's dead and her life is despaired of.

「彼らは撃たれました。ヒルトン・キュービットさんと奥さんと両方とも。彼女が夫を撃ち、そして自分をー。そう使用人たちが話しています。彼は死に、彼女も絶望的だそうです」

後悔の念に襲われるホームズ。悲劇の現場となった屋敷で地方警察のマーティン警部と共同捜査をすることになります。マーティンは名高い探偵に素直に敬意を表します。

現場の部屋ではキュービット氏がうつ伏せに横たわりこと切れていました。窓の近くにうずくまっていたという彼の妻は瀕死の重症を負いベッドにいました。夫は心臓を撃ち抜かれ、妻は頭に銃弾が残っていました。


使用人たちは夜中にものすごい音がして、目を覚まして駆けつけてみると火薬の匂いが廊下まで充満し、部屋は密室だったと明確に証言しました。外に面した現場の部屋では蝋燭の火が灯っていました。拳銃があり、2発発射されていたことから、妻が夫を撃ち、自殺した可能性が高いと見られていました。

ホームズは臭いの拡散から窓は空いていて、誰かが外から撃ち、ローソクが消えていなかっことから妻エルシーがすぐに窓を閉めたと見抜きます。第3の弾痕も見つけました。外へ出て調べてみると、窓のそばで足跡と薬莢が発見されました。

ホームズは近くでエルリッジという、宿屋か何かの名前を聞いたことがないかと使用人に訊き、その名前の農夫が民宿を営んでいることを突き止め、馬丁の少年に手紙を持たせます。さらにマーティン警部に応援を要請します。

臨時の取調室となった書斎では、ホームズが種明かしをします。

踊る人形は文字を表していること。両手を上げている記号は、アルファベットでもっとも使用頻度の高い「E」の文字であること、他は同じような頻度だが、Eを当てはめて可能性を探っていった結果、次々と確定の文字が分かったこと、旗を持った人形は単語の切れ目を表していること。

そこから相手の名前はAbe Slaney、エイブ・スレイニーであることがわかり、アメリカの捜査機関の友人にシカゴで最も危険な犯罪者であることを確認したと。

ホームズは事件の成り行きに自分を責めますが、マーティン警部は、その殺人犯をぐ逮捕に行かなきゃ逃げられるでしょう、と噛みつきます。すると、ホームズは

I expect him here every instant.
「彼はもうまもなくここへ来る」

警部は

But why should he come?
「なんで彼が来なければならんのですか?」
Because I have written and asked him.
「なぜなら僕が手紙でそう頼んだからさ」

と、ホームズ。

警部はなおもそんな馬鹿な、そんなん疑念を起こさせて逃亡させるようなもんじゃないすか?と食い下がりますが、そうこう言ううちに馬車道を男がやって来るのが見えました。背が高く、浅黒く整った顔立ちでフランネルのスーツにパナマ帽でした。

ホームズたちは手筈を打合せ、待ち受けます。男が入ってきた瞬間、ホームズはピストルを頭に当て、警部は手錠をかけました。

男は迫力ある目で睨みつけましたが、次の瞬間、出し抜かれたことを悟り苦笑します。そして自分はヒルトン・キュービット夫人の手紙でここへ来た、と言います。

そして、夫人が瀕死の重傷であることを知らされると激しく動揺します。

It was he that was hurt, not she. Who would have hurt little Elsie?
「俺が撃ったのは奴だ。彼女じゃない。誰が可愛いエルシーを傷付けるんだ?」

you're not trying to scare me over this, are you? If the lady is hurt as bad as you say, who was it that wrote this note?
「おまえたちは俺を脅そうとしているな?もし彼女が傷ついているとしたら、この手紙を書いたのは誰だ?」

I wrote it, to bring you here.
「僕がお前をおびき寄せるために書いたんだ」

とホームズ。

スレイニーはびっくり。踊る人形の秘密は組織の者しか知らなかった、どうやって書けるようになったんだ?との問いかけに


What one man can invent another can discover
「人が考え得ることは、人が暴くこともできる」

とホームズは答えます。決まりましたー。。

エルシーの父親はシカゴのギャング組織のボスでした。スレイニーはエルシーを子供の頃から知っていて結婚の約束をしていましたが、組織に嫌気が差し、監視の目をすり抜けてロンドンへ逃亡、キュービット氏と結婚したのでした。スレイニーはエルシーを探し当て、農夫の家の地下室を借りて毎晩出入りします。

手紙は相手にされなかったので、踊る人形でダイレクトにメッセージを送り、やがて説得は脅しに変わりました。家名に傷がつくのを恐れたエルシーは窓越しに話をすることにして、スレイニーを呼び出しますが、口止めの金を渡そうとしたのでスレイニーは怒り、彼女を窓から引きずりだそうとしました。そして駆けつけたキュービット氏に見つかり、撃ち合ったのでした。

彼女は事が露見するのを恐れ、とっさに窓を閉めましたが、おそらくは夫がこと切れているのを知り、絶望して自殺を図ったと推測されました。

スレイニーは逮捕され、裁判ではいったん死刑になりました。しかし先に撃ったのがキュービット氏であるという主張が認められたのか、懲役刑に減刑されました。キュービット夫人は完全に回復、未亡人として貧民の世話と地所の管理に人生を捧げたということです。

さて、やはり踊る人形の図がないと面白くないですよね笑。すみません。

"AM HERE ABE SLANEY"
「俺はここだ エイブ・スレイニー」

"NEVER"「いやよ」

"ELSIE PREPARE TO MEET THY GOD"
「エルシーよ、死を覚悟しろ」

などのメッセージが解読され、

ホームズが書いたのは

"Come here at once"「すぐに来て」

でした。

さて、暗号の解読法、というかアルファベットの確率論はエドガー・アラン・ポー「黄金虫」に出てきた解読法に倣っているようです。特にEに関してはそのままなのかも。他はドイルの方が精度が高い、という説もあります。いつか読み比べてみよう、がまだ私も実現できていません。

物語全体を眺めると、新大陸アメリカにゆかりのある謎はドイルらしいですね。暗号解読とそれにより犯人を見事に罠にかける手際はスカッとしますし、銃弾と窓が開いていた推理も早くてリズムが良いです。ホームズの事件録としては失敗のうちに入り、もたついている間に悲劇が起こってしまいます。悲劇の緊張感が潜む謎の暗い深さを強め、加えて踊る人形という表象が物語の暗黒面を醸し出している、といったとこでしょうか。

失敗譚につきものの、ちょっとしたわざとらしさも正直感じますし、特に頑ななエルシーの態度には単調さもあるかなと。

しかし全体として、面白さが勝つ物語で、だから人気があるんだなと思ってしまいますね。

力作揃いの「帰還」でも独特の光を放っています。

2021年12月8日水曜日

11月書評の7

11月は14作品。もう12月。年間大賞の準備をしなければ。

帰り道、木星と土星と金星が一直線に。壮大な冬星夜。気分がいい。

この週地震があり、会社でいきなりの縦揺れにびっくり。免震構造高層階でしばらくゆらゆら揺れていた。

あー、ちょっとストレスたまってるかな。レオンとクッキーどっちも胃捻転で苦しむ。犬も年老いると大変だ。


◼️ 原田マハ「サロメ」

夭折の挿絵画家オードリー・ビアズリーとオスカー・ワイルドの「サロメ」。この題材は意外で、興味深い。

昨年オスカー・ワイルドの「サロメ」を読み、今夏「怖い絵」展でビアズリーの挿絵を見て来た。今回本友がこの本を持って来た。薄い縁があるかのようだ。


言うまでもなく原田マハは絵画を題材に数々の有名作をものしている。モチーフがピカソや印象派ばかりではないのは知っているけども、今回はなかなか意外で、いいとこ衝くな、なんて思ってしまった。


世紀末のロンドン。天性の才能を持つオードリーは少しずつ認められ、モノトーンの細い線で題材と装飾に凝った悪魔的な絵で少しずつ認められ、やがて時代の寵児オスカー・ワイルドの目に止まる。

弟思いの売れない女優、メイベルは役をつかむためなら有力者と寝ることも厭わない。弟オードリーに関心を向けるワイルドを利用するつもりだったメイベルは、やがて近づいた者を破滅させかねない怪物ワイルドに弟オードリーが傾倒することを危惧するようになる。

背徳の「サロメ」はワイルドが書き、挿絵をオードリーが描くことになったー。

オスカー・ワイルドの作品といえば、「サロメ」と未読の「ドリアン・グレイの肖像」くらいしか知らない。しかしシャーロック・ホームズと同時代人のワイルドはパロディやパスティーシュによく登場する。その扱い方にはかなり前面に押し出すような感覚があり、当時の、母国でのエキセントリックな存在感が窺えて、正直違和感さえ覚えていた。

この作品は全編が姉メイベル目線で語られている。弟想いの誠実な心持ちとしたたかでかつ野心的な性格の二面性。


大胆な時もあるけれど、細い糸にすがるかのような淑女性は読者を惹きつける。現実の肌触りを醸し出す。そしてメイベルが奇怪で、妖しく、エロくなっていくのが読みどころでもある。

題材としてのワイルドとビアズリーと「サロメ」。ビアズリーの絵は線の細い白黒の絵、花、羽根、幾何学の繊細な模様から描かれるものの身体の線、顔に表れる、えぐるような表情。背徳的な風情を掻き立て、デモーニッシュな魅力を放つ。

その時代の寵児2人の邂逅と、ワイルドが男色の法律違反で逮捕され、その余波で仕事を失ったビアズリーのエピソード。時代の喧騒が聴こえて来そうな題材を選び脚色したことには、やられた感がある。

おもしろかった。作中にも登場しているサラ・ベルナールとミュシャの物語を次は読みたいな、なんて思ったりした。

余談だけども、ビアズリーの絵を見ようと検索してて、魔夜峰央がビアズリーに影響を受けたとwebで読んで深く納得した。「怖い絵」展でビアズリーグッズが完売してたのは解説を読んで初めて知りほおお〜と思った。


◼️ 豊島ミホ「花が咲く頃いた君と」

花のグリーンエイジもの、豊島ミホはやっぱりいいなと。ひまわり、秋桜、椿、桜。

中高生の淡く切ない、恥ずかしいくらいの物語はけっこう好きで恩田陸から湊かなえ、朝井リョウ、辻村深月、島本理生、初期の柚木麻子など興味深かった。

長めのスパンで言う最近の好みは豊島ミホ。「檸檬のころ」「リテイク・シックスティーン」「エバーグリーン」なんかはとても良い。著者が秋田出身で舞台を東北の、電車が1時間に1本くらいの町にしてたりするのも逆にうまくいかない青春の陰影を助長しているような気がして懐かしさを刺激する。

単行本刊行時「今年最高の小説」恋愛部門で2位となったそうだ。でもこのランキング?1位を調べようとしてもパッとは出てこなかったりして笑。

さて、60ページほどの作品が4つ。
「サマバケ96」
「コスモスと逃亡者」
「椿の葉に雪の積もる音がする」
「僕と桜と五つの春」

夏、秋、冬、春という順番で季節が巡り、ヒマワリ、コスモス、椿、桜と季節を代表する花が印象的に織り込まれている・・実はヒマワリはあまり記憶に残らなかった。

「サマバケ」は女子の友情と成長、よくありそうな、でも理解できて生感が新鮮なストーリー。「コスモス」はちょっと変わった19才の女の子が主人公で、R-18文学賞出身の著者らしい?エロがちょい入ったもの。

後半の2つは感動へのテンプテーション。だいたい先が分かる気がするけれど、自然で、表現がさらっと卓越したところがあって、さりげなく美しさを感じるのがやはりいい。

「椿」親や祖父母の布団の温かさ。冬の寒さ、微妙な3世代の雰囲気。凛とした椿、病室、和室の空気。すべてが主張しすぎず並び立っている。柔らかで緊張した筆致がラストで結実。

「桜」は、なによりきれいで孤立した、小さな桜の木。いじめられっ子の冴えない男の子と美しく気が強い女の子。いじめていた女の子がいじめられるようになり、それぞれの道を辿り、時が過ぎ、成長して、再会し、終わって始まる予感。型通りのコースを進むし、幕切れもそこまで劇的ではないけども、ありがちだけども、道が分かれる、新しい道へ踏み出すところがじわっとする。

言葉数が多くなって、ちょっとかぶれたようになってまうな・・未読のものを読みたくなる。ちょっとしたごひいき作家やね。