2021年10月27日水曜日
10月書評の7
考えさせられる短編集。ところどころで刺される感覚があるちょいホラー
「コンビニ人間」の商業的成功もあり、英語圏で日本の女性作家の作品が好まれる流れがある、と書いた本に載っていた1つ。
最初は関西弁をしゃべるおばちゃんが出てきて、その自然で典型的な会話の流れに、この人絶対関西人と思って表紙を見たらやっぱり兵庫県出身だった笑。最初の1つ「みがきをかける」はコミカルでちょっと引っ掛かりを覚えるフレーズも含めて面白かった。読み進むにつれ少し退屈だな、と思い始めたころに突如連作になって、不思議ちょいホラー気味の世界から、ちくちくと、時にぐさっと刺される内容となる。
後の方は不思議な短い話が続き、連作の流れで、霊が見えるよろずカバーの優しい会社とその従業員が何度か登場する。最後の2篇は姫路のお話。そうか姫路の方だったのかな、と。
巻末を見ると、すべての話が歌舞伎や落語の幽霊話をモチーフとしているようだ。ふむふむ。
少し前の時代がベースなのかなと思わせる。昭和の末とか平成の初めとか。それとなく、不満、批判が見え隠れする。
「どうして二十一世紀なのに、高いお金を出してちまちま脱毛サロンなんかに通わないといけないんだろう。なんかパッて、一瞬でつるつるになったりしそうなものなのに。そういう二十一世紀らしいテクノロジーで。」
(みがきをかける)
「時代は変わる。静かに見てきたクズハにはっきり言えるのは、上の世代の男たちは基本ほとんど屑に近いということだ。」
(クズハの一生)
「彼らは思う。子どものことも考えず、離婚し、シングルマザーになった彼女が悪いのだ。後先を考えない彼女が悪いのだ。女であることを優先した彼女が悪いのだ。」
(彼女ができること)
後の2つは直接的に刺さってくるが、個人的には「みがきをかける」のこのくだりは、けっこう意味深に思える。進歩しそうで、現実はそうでもないという実感は私にもあったし、あるし。
まあ穿ちすぎだと思うけれど。
読み返してみて、最初のいかにも的な関西のおばちゃん、けっこうこの本に登場するあの男性キャラのオカンだったかと少し驚いた。そうかそうか。
「悋気しい」で、嫉妬のあまりハチャメチャに怒り狂い、離婚を切り出された主婦に、なかなかあなたみたいに嫉妬のエネルギーが強い人はいない、早く怨霊の世界へ来て、とスカウトする人がもしも六条御息所だったら面白いな、と思ったりしたのでした。
◼️ ヒロモト「猫探偵はタマネギをかじる
ニャーロック・ニャームズの名推理」
笑。猫ニャームズとニャトソンくん。
本屋でこの類を見かけるたびに葛藤が。
「いくらシャーロッキアンだからってこんなパロディまで読まんでいいやん」
「いやいや、意外に深くて面白いかもしれないし、ここで入手しなかったらもう巡り会えないかも・・」
「だってさー」「でもね・・」
で、だいたい買ってしまう笑。
家出猫のニャトソンは同居猫を探していた折、紹介されたニャームズに連れられ、女子大生のハリモト婦人の家で飼われることになる。ニャームズとニャトソンは、動物警察のミニチュアシュナウザー、「ケーブ」の協力依頼に応じて、あちらこちらへ事件を解決に赴くのだったー。
ニャトソンが家を探す下りとか、「南にいらしたでしょう」という初対面の言葉とか、ホームズが犬猫に食べさせてはいけないとされる玉ねぎやチョコレートを麻薬代わりに食してたりとか、フェロモン全開のメス猫アイリーンが出てきたりなどまあそこそこ楽しめる。加えて人間で言う「手」を「肉きゅう」に置き換えていたり、鳥の関係者にニャトソンがつい野生を出してしまったり猫ならではといった世界。
事件そのものはホームズ譚をもじってあるのは最終話だけかな、どうだろう。
個人的には土管の上に乗ってピンと背筋を立てたニャームズの凛々しい姿に、「バスカヴィル家の犬」でダートムアの荒野、月の光をバックにシルエットが浮かび上がったホームズをちらっとだけ思い出したのでした。
10月書評の7
◼️ Authur Conan Doyle
「The Red-Headed League〜赤毛組合」
よく練られた、ツッコミどころも多い作戦。
ホームズを原文で読む11作品め。チョー有名短編ですね。シャーロック・ホームズの短編はストランド・マガジンに掲載された初編「A Scandal in Bohemia (ボヘミアの醜聞)」で大人気を呼びました。その次の号に載った短編2作めです。
出だしが
I HAD called upon my friend, Mr. Sherlock Holmes
となっていて、短編に先駆けて発表された「The Sign of Four(四つの署名)」でヒロインのメアリ・モースタン嬢と結婚したワトスンは前作に続きホームズとは別居の設定となっています。
訪ねたところ、燃えるような赤毛の、中年の質屋の店主が相談に訪れていました。ホームズはこれ幸いと?ワトスンを引っ張り込みます。
ホームズは質屋の店主、ジャベス・ウィルソンの過去や最近の行動について指摘し、どうして分かったんですかホームズさん!という下りがあります。今回省略。短編連載が始まったばかりで、市井の人についてはこれが始めてのお披露目だったのかなと思ったりします。読者へのインパクト、ですね。
ともかく、ウィルソンはこれから全てが始まったのです、とある新聞広告を指差します。
TO THE RED-HEADED LEAGUE:
On account of the bequest of the late Ezekiah Hopkins, of Lebanon, Pennsylvania, U. S. A. , there is now another vacancy open which entitles a member of the League to a salary of £4 a week for purely nominal services. All red-headed men who are sound in body and mind, and above the age of twenty-one years, are eligible. Apply in person on Monday, at eleven o'clock, to Duncan Ross, at the offices of the League, 7 Pope's Court, Fleet Street.
要約すると、赤毛だった富裕な御仁の遺産をもとに結成されている「赤毛組合」にvacancy欠員ができた、名目ばかりの仕事で週に4£ポンド受け取れる、21歳以上の心身ともに健康な男に応募資格がある、月曜11時に自分で申し込むこと、というもの。
ワトスンくんも
What on earth does this mean?
いったい全体こりゃなんだ、と思わず叫びます。
ウィルソンいわく、最近雇った店員に見せられたとのこと。その男はビジネスの勉強をしたいから給料は半分でいい、と言ってきたとか。ちなみに写真好きで、撮影しては地下室に飛び込み現像しているが優秀な店員だとのこと。
スポルディングというその店員に説得され、2人で広告の住所に出かけてみるとなんとそこら中赤毛だらけ。
looked like a coster's orange barrow
オレンジを積んだ荷車のようでした、とは上手い例えです。ホームズも
Your experience has been a most entertaining one
あなたの経験は本当に楽しいものですな、と。その絵画のようなおかしな状況の話を楽しんでいます。
ウィルソンが事務所に通されると、あっという間に即決。
he is admirably suited for it,
こんな適役はいない、と。審査の男は予防策を取ることはお許しいただけるでしょう、と
With that he seized my hair in both his hands, and tugged until I yelled with the pain.
いきなりウィルソンの髪をつかんで引っ張りました。ヅラじゃないかと確かめたわけですね。当然痛いウィルソンは叫び声を上げます。ドタバタ劇のような要素もありますね。
ともかく話は決まり、ウィルソンは翌日から平日は毎日フリート街の事務所に通うことになりました。午前10時から午後2時まで。仕事は
Encyclopaedia Britannica
ブリタニカ第百科事典を書き写すことだけ。
ただし何があってもずっと事務所にいることが条件でした。
8週間、ウィルソンはまじめに務め、週に4ポンドもらいました。10万円くらいですかね。そして、ウィルソンの言い方を借りると、
And then suddenly the whole business came to an end.
突然全てが終わったのです。
THE
RED-HEADED
LEAGUE
IS
DISSOLED.
October 9, 1890.
「赤毛組合は解散した」
今朝、鍵の閉まったドアに貼り紙がありました。ウィルソンは驚き、部屋の持ち主のところへ行って聞きました。部屋は別の名前で、事務弁護士の一時事務所として借りられ、きのう引っ越したとのことでした。移転先として聞いた住所はまったくのでたらめでした。ウィルソンは訳がわからず、すぐにホームズの所へ来たのでした。
質屋は憤っていましたが、距離を置いて考えてみると、ウィルソンに実害はありません。しかしホームズは非常に注目すべき事件です、喜んで捜査します、と請け合った後、
I think that it is possible that graver issues hang from it than might at first sight appear.
「この件については最初の見かけ以上にゆゆしき事態が関係している可能性があると考えています。」
と述べます。そして半分の給料でいいと雇われた新しい店員の人相を訊き、額に酸がかかって白くなった部分がある、と聞いた時、興奮して立ち上がります。
やがて、月曜日には結論が出ているでしょう(実はこれも謎発言)とウィルソンを返した後、
It is quite a three pipe problem, and I beg that you won't speak to me for fifty minutes.
「これはパイプ3服ぶんの問題だ。50分は話掛けないでくれ。」
と思索に耽ります。他の物語でも出てくるこのような場面が私は大好きです。お気に入りの肘掛け椅子に体操座りのように丸まってパイプを呑む絵が挿入されています。
しばらくしてワトスンくんが居眠りをしてる最中に跳ね起きると
Sarasate plays at the St. James's Hall this afternoon
「今日の午後セント・ジェームズ劇場でサラサーテの演奏がある」
行かない?とワトスンを誘います。サラサーテ本人!すごい!たしかにサラサーテはホームズと時代が重なっています。
ともかく、行く途中に2人はウィルソンの店の前まで行きます。そこでホームズはいきなりステッキで敷石を激しく叩きます。そして、道を尋ねるふりをしてくだんの店員スポルディングと話します。
Smart fellow「切れるやつだ。」
I have known something of him before.
「僕は以前から彼のことを知っている。」
ホームズは呟きます。だいたいのことを察したワトスンがホームズに質問します。
ワ「ただ彼を見るために道を訊いたな」
ホ「彼ではない」
ワ「んじゃなんだ」
ホ「彼のズボンの膝だ」
ワ「それで何を見た?」
ホ「あるだろうと思ったものだ」
ワ「どうして敷石を打った?」
ホ「先生、いまはおしゃべりじゃなくて観察の時だよ」
やがて近くの幹線道路まで行き、付近を眺めます。そして
And now, Doctor, we've done our work, so it's time we had some play. A sandwich and a cup of coffee, and then off to violin-land
「さあ、ワトスン、仕事は終わった。音楽の時間だよ。サンドイッチ、コーヒー、そしてヴァイオリンの国へ行こう。」
そしてホームズは恍惚とした時間を過ごします。ワトスンは捜査の時とこんな時間との二面性を指摘して、ホームズが追い詰める相手に不吉な時が迫っていることを感じています。このパブロ・サラサーテ本人のヴァイオリンを聴く場面はホームズ物語を彩る名シーンです。それにしても、うらやましい!
別れ際、ホームズはワトスンに今夜手を貸してくれ、ピストルを持ってきてくれ、と頼みます。その夜ワトスンが行ってみると、ベイカー街の部屋には、スコットランドヤードのペーター・ジョーンズ警部。「The Sign of Four」のアセルニーじゃないのか、と思ったら、おそらく同一人物だろうとの見方があるとか。
「ショルトーの殺人とアグラの財宝事件では(ホームズ氏は)警察よりも真相に近い所にいたんです。」
ああもう間違いない。なんでこんな表記をするのかワトスン笑。
もう1人、いかめしい顔の紳士がいました。メリーウェザー、
City and Suburban Bank
シティアンドサバーバン銀行の取締役でした。疑念を抱くメリーウェザーにジョーンズは信じてだいじょうぶ、と請け合いますが、メリーウェザーは「27年間でホイストをやらない土曜の夜は初めてだ」とグチります。
店員スポルディング、本当の名前はジョン・クレイ、殺人者、窃盗犯、贋金造り、あちこちで悪事を働いていて、警察もホームズも手を焼いている悪党でした。王族の血を引きイートン校とオックスフォードを出たインテリです。
一行は銀行のコバーグ支店に赴き、メリーウェザーの案内に従って地下金庫室に籠ります。そこには大量のフランス金貨を入れた箱が積んでありました。
暗闇の中ひたすら待つ、不寝番の始まりです。
And sit in the dark?
「暗闇で座っているのですか?」
嫌そうに言うメリーウェザー氏そりゃまあ大銀行の取締役さんはそんな目に会ったことないでしょう。ホームズは
I am afraid so. I had brought a pack of cards in my pocket, and I thought that, as we were a partie carree, you might have your rubber after all. But I see that the enemy's preparations have gone so far that we cannot risk the presence of a light.
「残念ながらそうです。僕はトランプ一式をポケットに入れて持ってきました。そして、我々は4人組だから、あなたは結局ホイストをできることになったかも知らないと考えました。しかし敵の準備はかなり進んでいると分かった。こうなると、灯りを点けるリスクは取れないですねー。」
これって強烈な皮肉返し?ホームズは「名馬シルヴァー・ブレイズ」でもちょっと見下した態度を取った依頼人の馬主をからかっていますが、けっこう皮肉を無視したままで終わらないヒトなんですね。
1時間15分後、突然ワトスンの目に、敷石の間から赤いきらめきが見えます。やがてそれは黄色い線の光となり、やがて隙間から手が現れ、しばらく床を探っていたかと思うと、敷石がずらされ少年のような顔がのぞきます。穴から上がった男は赤毛の仲間を引っ張り上げます。
その時、男、スポルディングは人がいる事に気がつきました。
Great Scott! Jump, Archie, jump, and I'll swing for it!
「しまった!飛び降りろ、アーチー、飛び降りろ!しばり首になっちまう!」
ホームズが飛び出してスポルディングの襟首を掴む。手に持っていたピストルも鞭で叩き落とし、勝負はついた。
It's no use, John Clay,
You have no chance at all.
「抵抗しても無駄だよ、ジョン・クレイ。もうどうしようもない」
決めゼリフですねえ。クレイの相棒アーチーはジョーンズの手から逃れます。しかし店の表には警官が配置されていました。
で、クレイは引っ立てられて行きますが、ここで私がいつも唐突な小技だなあ、でも面白いな、と思う要素が。
クレイは、自分には王家の血が流れてるから汚い手で触らないでくれないか、と言い出します。
Have the goodness, also, when you address me always to say 'sir' and 'please'.
「俺に話しかけるときには『ご主人様』と『どうか』を忘れんでもらいたい。」
ジョーンズはくすくす笑いながら
Well, would you please, sir, march upstairs, where we can get a cab to carry your Highness to the police-station?
「それではどうかご主人様、上へお昇りになって、そこで辻馬車を拾って、殿下を警察署までお運びいたしたく思いますが?」
んーまあよかろう、とクレイはジョーンズに連行されます。うーんただの場を盛り上げる手段か深い意味があるのか・・。
銀行家の態度はがらりと変わります。
I do not know how the bank can thank you or repay you. There is no doubt that you have detected and defeated in the most complete manner one of the most determined attempts at bank robbery that have ever come within my experience.
「どのように感謝を述べたらいいか、どう報いればいいのか分かりません。私どもが経験した中でも最も敢然とした銀行への襲撃を、完璧な方法であなたが察知し阻んだことは疑問の余地がない。」
ホームズはちょっとした経費がかかったので銀行で支払って欲しいと言ったあと、こう続けます。
but beyond that I am amply repaid by having had an experience which is in many ways unique, and by hearing the very remarkable narrative of the Red-headed League.
「しかしそれ以上に僕は十分に支払ってもらっています。沢山の意味で特異な、この経験をすることで、また赤毛組合の非常に驚くべき話を聞くことで。」
さて、ホームズとワトスン2人、ベイカー街でウイスキー・ソーダを手に事件が終わった後の、分からないとこの種明かしです。
おそらく相棒の赤毛を見て思いついた赤毛組合の目的は、店主ウィルソンを店から遠ざけておくためでした。給料は半分でいいという店員の話を聞いた時から、その男には何が強力な動機がある、というのは明らかだった。
新しい店員は写真好きですぐ地下室に行くという。特徴から、ロンドンでも大胆不敵な犯罪者の1人だと分かった。店主を外に行かせて、毎日何時間も地下室で何かをしている。それは何か?他の建物に向かってトンネルを掘っている、それ以外に考えられない。
店の前で敷石をたたいたのはどの方向へ向けて掘っているか確かめるため、クレイに会ってズボンの膝を見たのは穴掘りで汚れているか見るためだった。後は方向。周りを歩いて、シティアンドサバーバン銀行が質屋に隣接しているのを発見した時、問題を解いたと思った。土曜日に襲撃するのが分かったのは、日曜日は休みで逃亡の日にちが稼げるからー。
ワトスンの称賛に対しホームズは
It saved me from ennui
「暇つぶしにはなったよ。」
My life is spent in one long effort to escape from the commonplaces of existence. These little problems help me to do so.
「僕の人生はありふれた日常から逃げ出そうという長い努力に費やされている。こういう小さな問題はその助けになる。」
And you are a benefactor of the race
「そして君は人類に貢献している」
とワトスン。それに対してホームズは肩をすくめて
Well, perhaps, after all, it is of some little use
「まあ、結局、多分、多少何かの役には立ってるかな。」
「赤毛組合」はトリックというよりは赤毛という着眼点の良さや色彩感がまずあって、それからトリックという気がします。わけ分かんない話が来て、これも妙に深刻に捉えない。話の途中でホームズたちは失笑してしまい、バカにされていると思った赤毛の質屋ウィルソンが気色ばんだりしています。
突飛な発想と彩り、理屈のスジが追いやすいのと、大物の大胆不敵な犯行という要素が重なって名作の1つとされているかと思います。子どもにもいかにも人気が出そう。
個人的には犯人のジョン・クレイをもう少し掘り下げてもおもしろいかなと考えないでもないです。やはり王族のくだりは唐突感もあるし。まああれはコミカルな色を加えるという効果は達成しているのですが。
「赤毛組合」は新聞と募集の日付、翌日から8週間後の土曜日、と時系列で追いやすい事件ですが、その日付や曜日が違ってる、というのはシャーロッキアン界では有名な話。だいたい募集の新聞が4月末付け、そこから8週間、2か月弱なのに解散宣言の張り紙の日付は10月9日。
ワトスンくん、売れ出して2作めなのに。それにしてもリテラシーはどうなってるんだろう。読者からも問い合わせが来そうなものだけどね。
さらに、穴を掘るはいいけれど、出たはずの大量の土砂はどこへやった?とか、かなりツッコミを入れられてる様子、まあ私的にも、トンネルって、あまり深くないし、落盤や出水とか考えると現実的じゃないよな、と思ったりもするし、仕掛けが大仰だなとも感じますが、そこは物語、ホームズものの名作を楽しむ、でOKではないかと。
ドイルはこのネタを気に入ったようで、同じように不在の期間を作るトリックは「株式仲買店員」「三人ガリデブ」でも使ってます。
肘掛け椅子の上で丸まり、怪鳥のようにパイプを突き出し考える姿、またサラサーテに聞き惚れる場面、視覚的にも楽しめる作品でしょう。

10月書評の6
◼️ 堀尾真紀子「フリーダ・カーロ」
衝撃というか、心のどこかを抉られる良書。
映画のタイトルにもあり、ラテンアメリカの画家さんということは知っていたけれど、こんなに壮絶な人生を歩み、挑むような絵を描く人だったとは知らなかった。
1907年、メキシコシティ南西のコヨアカンに生まれた。幼い頃の病で右脚の発育が悪く、また10代後半に電車とバスとの衝突事故で凄まじい重傷を負い、一命は取りとめたものの、以降絶えず右足と背骨の痛みに苛まれることになる。
フリーダは高名な画家ディエゴ・リベラへ自分の絵を見せに行き、2人は恋に落ちた。親子ほども歳の離れた結婚。フリーダはディエゴへの深い愛を終生保ち続けた。
フリーダは色鮮やかな民族衣装を纏い、おしゃれで、気位が高く、孤高。フェミニン、コケティッシュで奔放。メキシコに逃亡していたトロツキーとも浮名を流した。自画像が圧倒的に多いその絵は、こちらに刺し込んでくるかのような人間臭い強さを持っている。2人のフリーダの心臓が描かれ、血管で繋がっている「二人のフリーダ」、割れた身体にのぞく背骨を描く「ひび割れた背骨」、顔は大人の赤ちゃんフリーダが乳母の乳を吸う「乳母と私」などグロテスクと言える絵も多い。でも何か熱いパワーを投げつけられているような力がある。
ディエゴとは離婚して再婚した。彼は他の女性と付き合うことを隠そうとはせず、果てはフリーダの妹、クリスチーナとも関係を持つに至ってしまう。フリーダは傷つき、自らも日本人の彫刻家イサム・ノグチら多くの愛人と付き合う。
やがてニューヨークで、パリでの展覧会でフリーダは成功を手中にする。パリではマルセル・デュシャンの手配で絵が展示され、ミロやカンディンスキー、そしてピカソもフリーダを称賛した。
退廃的なパリを厭い、やがてフリーダはメキシコへと帰る。美術学校の教師となり生徒たちにも慕われたが、やがて身体の状態が悪化、椎骨などの手術を繰り返し投薬も増えていった。
「希望の木」という作品には、病人運搬車に横たわり背中の手術の傷を見せている姿の隣に、赤いテワナ衣装をまとい守護神のように付き添って座っているフリーダが描かれている。これも二人のフリーダ。この絵には惹きつけられる。
なんというか、読んでいると、不思議な感覚が抉ってくる。それはすなわち、フリーダの絵から受ける感覚と同じ。つながった、太く長くキリッとした眉、冷めたような、しかし深く覗き込んでくるような瞳。
イデオロギーに支配される世界と国家、さらに芸術界ではシュールレアリスムという概念が強かったころ、土着の文化を愛したフリーダは、苦難の中、時代を駆け抜け、自分を抉り、決然とした絵を残した。
いまはフリーダ美術館となっている生家「青い館」読むだけで強い魅力を感じる。
集中できる、良書でした。
◼️ 村上春樹「古くて素敵なクラシックレコードたち」
オーラをまとうというレコードたち。すごいですねえ。
いままさにショパンコンクールにハマっている。たまたま貸してもらったこの本を、コンテスタントの演奏を聴きつつ読み進めた。
村上春樹氏は1万5000枚くらいLPレコードを持っているとか。アナログレコードが趣味であり、LPレコードにしかないオーラのようなものを楽しみに集めているという。しかも価値のあるものに興味はなく、古レコード屋のバーゲン箱を漁ってなるべく安く買ってくるのが趣味らしい。ジャケ買いするのも好きみたいである。チョイスの年代も古く、好みも見える。
いやー好きなんだろうなあ、というのが見える。堪えられないんでしょうね。
その中から486枚を抜き出して紹介した本。私もクラシック好きなのだが、初心者コース修了ていど、まだまだ修行中の身。ふむふむと楽しく読み込めた
ヴァイオリニストはオイストラフやハイフェッツ、メニューイン等々。たまにコーガンとかアンネ・ゾフィ・ムターとか。有名どころ。
ピアニストでよく出てくる印象が強いのがゼルキン。そしてルービンシュタイン、バレンボイム。
両方とも人気がもう一つな人も多数出ている。そういうのも楽しみのようだ。自分だけが見つけたマエストロ、的な。
ヴァイオリンはヒラリー・ハーン、チョン・キョン・ファなんかの名前は出てこないしピアノではキーシンなど出てくるはずもなく果てはアルゲリッチも1枚出たかどうだったか。
指揮者はアンセルメ、ミュンシュ、ミトロプーロス、そしてバーンスタインなんかが好きなのかなと思わせる。クラシックの本だけに、音の響きや曲の表現が実に多彩。
興味が湧いたのはハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲とか弦楽四重奏、ピアノ五重奏などなど。あまり聞かず、これまでやや敬遠気味だった。
ジャケット見てしまう気持ちは分かるなー。行き当たりばったりを好むのもわかる気がする。
目で楽しめて、音でまた楽しむ。そろそろクラシックコース中級編くらいに進んでみようかなっ♪
10月書評の5
◼️ 安部公房「箱男」
世界の安部公房、多分に実験的な作品だと知ってはいても、読みたくなるタイトル。はっ、もう箱に入りたくなっている?笑
段ボール箱を膝まで被った男たちの話。のぞき窓が開けられ、そこにはセロファンが貼られ、箱の中には雑貨を吊り下げるフックが取り付けられ、箱は紐で身体に括り付けられている。
序盤にその不可思議な魔力が語られる。箱男を見かけた男Aは空気銃で箱男を撃つ。しかしその後、Aは新しい冷蔵庫の大きな段ボールを被るようになり、やがてそのまま外出して、2度と住まいに戻らなかったー。
なぜこのタイトルと設定に引き付けられるのか。それはきっと、心のどこかで憧れてるからかも知れない。箱を被って、のぞき穴から世界を見たらどういう感覚があるんだろう、という好奇心とか、自分の姿を晒さないでいいという安心感、その温かそうな居住性などに心惹かれるのかも知れない。子供の頃の秘密基地的な大きな段ボール。信頼感と憧憬さえあるのかも。
加えて箱男ってどんなやつなんだろうと想像する。そこが読み出す動機かもしれない。読者はそこに安部公房的な、ヘンな中にも壮大なメタファーによりどこか納得するような内容を期待する。「砂の女」みたいに。だから、ひょっとして安部公房も、かなり考えたかも知れない。で、その結果実験的作品となっちゃってたんだったりして笑。
少々倒錯的であり、意味はそうそう掴めない。あまりおすすめはしませんが、箱男、ちょっと読みたくなってるでしょう?ぐふふ^_^
◼️ 小山田浩子「穴」
感情へのノイズが、細かく表現されている。ライトホラーっぽい芥川賞受賞作。
「文芸ピープル」という本で、英米圏で小山田浩子を含む数名の女性作家が注目されていると知り触れてみたくなった。さてさて。
夫の転勤で派遣で働いていた会社を辞め、夫の実家近くの田舎家に移り住んだ妻の「私」。近所からはお嫁さん、と呼ばれる「私」はいくつもの違和感を覚えていた。ある日、見たことのない黒い獣を発見し、後を追ううちに、胸までもある深い穴に落ちるー。
自ら立つ所の変化で変わっていく役割、考えること。夫は常にスマホをいじっている。不思議な動物は、ジブリ的ファンタジックなものへの誘いで、夫の兄と名乗る男には夏という季節も相まって狂気を覚える。なんか、田舎独特の社会、横溝正史に出てきそうな昭和な物言いとキャラ。そしてラストではハッとさせる。
各要素の細かい織り込み方が深みを感じさせる、ってとこかな。独特の感覚で称賛すべきだろう。ただ実は、芥川賞作品にはこれまでにもあったかな、という感覚も抱いてしまった。
ラストで、えっ、と思わせるのは秀逸。この、感情に入り込んでくるノイズのような違和感と、昭和の味わいのする異世界感。狂気をも含んでいるのに、主人公の妻・私は淡々としすぎなくらい冷静だ。
その何重かの噛み合わせが独特の何かを産んでいる。うーん、スケールの大きさは正直感じないかな・・今後に注目かも。。
10月書評の4
◼️ ウィリアム・シェイクスピア
「終わりよければすべてよし」
恋と封建制度がごちゃっとねじれて一気に解決へ。シェイクスピアらしい喜劇かなと思いきや、他にはない特徴も。
新潮文庫のシェイクスピアは全部読んで、ソネットも読んで、残りはちくま文庫でと思ってはいたが手が出てなかった。図書館にもなかったはずが、これがポンと置いてあったので借りてきた。
ものが古典の部類に入るだけにちくま版も全部揃ってるかと思いきや、この文庫は今年の春に出てようやくシリーズ完結だとのこと。ちょっと驚いた。
さて、終わりよければすべてよし、原題は
All's Well that Ends Well
どんな話なのかな。シェイクスピア久しぶり。
若くしてルシヨン伯爵となったバートラム。母に仕えるヘレンは伯爵の侍医の娘。ヘレンはバートラムに恋をしていた。
ヘレンはフランス王が医師も匙を投げた病と知り、父秘伝の薬で治療すると直訴する。そして無事治癒の暁には、好きな貴族を私の夫に欲しいと持ちかけ、約束する。果たして王の病は全開し、伯爵の後見人である王はバートラムにヘレンと結婚するよう命じる。
バートラムは身分違いのためこれを嫌がり、逃げるため、腰ぎんちゃくのパローレスの言にも押されて、フィレンツェとシエナの戦争に参加する。戦で功を遂げたバートラムはフィレンツェの女、ダイアナを口説こうとやっきになり、そのことが巡礼の旅に出ていたヘレンに知れる。ヘレンはダイアナと通じ、策略を持ちかける。
一方伯爵の仲間内では軍鼓をなくしたパローレスへの非難が高まっていた。いかに軽く味方を裏切る輩か証明しようと、貴族たちはバートラムに計略を提案する。戦のどさくさに紛れてパローレスを拉致し、敵方の外国人を装って監禁・尋問するというのだ。策ははまり、パローレスは捕らえられたー。
この後ヘレンは死んだふり、までする。結果的にはパローレスはみなの思い通りの人物だったことが知れ、またバートラムの悪行はすべて明らかになる。現代のコメディみたいやね。
取り違え、というか作戦だけども、源氏物語の宇治十帖をも思い起こさせるベッド・トリックや、パローレス拉致以降、外国人になりすますドタバタ、おなじみの道化、ねじれた恋物語などなどシェイクスピア色満載。最後は、そうまでして結婚してもだいじょぶなの?となんとなく疑問を感じて終わる。まあ喜劇ですから。
訳者あとがきによれば女性のセリフで始まるシェイクスピア劇はこれが唯一だそうだ。さらに女性の独白じたい珍しいシェイクスピアもので、ヘレンの独白の行数は「ロミオとジュリエット」のジュリエットについで2位で、ヘレン以外にもバートラムの母の伯爵夫人、さらにはダイアナにも独白がある。3人の女性キャラに独白をあてたということに、訳者はシェイクスピアの肩入れを感じているとか。
確かに、「ヴェニスの商人」に代表されるように、シェイクスピアには賢い女性が活躍する話はよくあるけれど、独白も多いヘレンの強さは今回ちょっと異質かも知れない。
序盤、ヘレンとパローレスが処女について高らかに言い合う場面がある。全編に明らかにセックスを意識したセリフが散りばめられており、あまり上演されないイメージもどこか納得、という気がした。
やはりシェイクスピアは楽しい。今回は特殊な点もあった。なんか世界の趨勢に合ってるような笑。もう少し読みたいな。
◼️ 髙田郁「あきない世傳 金と銀十 合流編」
長きにわたる伏した期間を終え、幸と五十鈴屋が羽ばたく巻。
江戸店主・幸の五鈴屋は呉服・太物屋。順調に売り上げを伸ばしていたが、お上から多額の借財を押し付けられ、幸の妹・結は新しい図案の型紙を手にライバル店へと駆け込んで女将となる。さらに呉服仲間の商売を妨害したとして仲間を外されて主力である呉服商売が出来ず、廉価の木綿や麻などの太物だけの店となってしまった。
幸と周囲は知恵を巡らせる。暑い夏に、部屋着、下着ではなく、外でも1枚で着こなせる薄く小粋な浴衣があればー。川開きの花火をヒントに図柄も決まり、長い時間をかけて準備をし、藍に白抜きの浴衣で勝負に出るー。
ポイントとなる人の1人は菊栄姉さん。もと五鈴屋の嫁、離縁して戻った実家「紅屋」で耳かきつきのかんざしなどのヒット商品を生み出し、女名前OKの江戸で独立して勝負しようと五鈴屋江戸店に居候する、幸の姉代わり。商才に恵まれていてよき話し相手だ。いいキャラやねえ。いかにも江戸ものっぽい。
正直ここ数巻たるかったのだが笑、シリーズものだからこその時間のかけ方で、ようやく新しい局面がひらけた感じで清々しい。
笑いを取るところも面白いし、さてこれからどうなるか。最新巻はもう手元にあるからすぐ追いつくなっと。
10月書評の3
◼️ 「紫式部日記」
紫さんて・・暗い。笑
清少納言と紫式部の関係、ほんとうの意味。
紫式部については源氏物語を読み、京都ゆかりの地を訪問した。ただ、人となりについては断片的なエピソードを知っていただけだった。紫式部日記、内容は明るいとは言えないので古典の中でもひとつ地味な位置付け。しかし、とてもおもしろかった。
「蜻蛉日記」で藤原道綱母にさんざんに書かれた藤原兼家、その息子たちの時代。長兄の道隆が一条天皇のもとへ入内させたのが娘の定子。定子に仕えたのが清少納言。道隆が早死にしてしまい定子は後ろ盾を失う。そこへ台頭してきたのが弟の道長だった。道長は娘・彰子を一条天皇の后とし、源氏物語の作者として名をなした紫式部を彰子お付きの女房に引っ張った。
日記は彰子の出産のドキュメントっぽい記録で始まる。彰子が皇子を産んで自分が外戚となることは道長の悲願であり、彰子にとっては果たさなければならない使命であり、国母になることを意味した。道長はもちろん、道長派の人々、女房たちの、栄華の悦びが伝わってくるようだ。
政治的な勝負としては紫式部は清少納言に勝っていたはずだった。しかし紫式部は彰子付きの女房たちの有り様を嘆いている。
身分の高い上臈女房たちはお嬢さん的気質で仕事ができず、用件の取り次ぎさえ滞る。それを恥ずかしがってよけいに出て来なくなる。その結果下級女房が務めを果たすこととなり、こちらは「軽い」とうわさされる。華やかさもない。
清少納言が定子に仕えていたころは、定子自身が明るく知的で、一条天皇ともラブラブだった。お付きの女房方も清少納言を筆頭に、華やかでかつ学もあり、明朗闊達、仕事もできた。殿上人とのつきあいも上手く人気があった。
このあと道長は我が世の春を迎えたとはいえ、一条天皇は定子ほどには彰子を愛さず、女房たちはどうもとっつきにくく、周りからすればあまり面白くない、モテない。
この日記執筆時は、定子が亡くなってから10年が経っていた。清少納言は直近まで枕草子を書き続けていたようだ。女房方同士として、紫式部と清少納言が直接顔を合わせたことはない。
有名な三才女批評は、初めて原文に触れた。
和泉式部は恋文や恋の歌は天才的だ。でも恋多き女で素行は感心できないと。ここ笑ってしまう^_^赤染衛門の歌は格調高いとの評価。確か2人も彰子女房、紫の同僚だ。そして清少納言のことは「したり顔」で、「さかしだち」、利口ぶって漢字を書き散らしたりしているが、「まだいと足らぬこと多けり」とまあひどい書きっぷり笑。
解説によれば当時、随筆よりも物語文学の位置付けは低かったとか。時代の趨勢は変わっても、紫にとって清少納言と、定子女房方の頃というのは、大きな壁だったのではとのこと。いやーめっちゃ面白いなあ。
紫式部の性格については、とても引っ込み思案で、宴会の際隠れたところを道長に見つけられ、歌を詠め、と命じられたりしている。そこでまた見事な一首を詠んでいるのが英才というか。筆致を見るとつねに暗澹としているというか、はっきりいってぐじぐじしてて、暗い。
紫式部は、曽祖父の代は名門で、その後受領階級に没落していた。年の離れた夫との間に子を成したが夫は結婚後3年で死んでしまう。常に自分と娘の先行きが不安、という状況だった。
またいきなり内裏に引き抜かれ、最初の務めで疎外感を感じてショックを受けてなんと5ヶ月も出勤しなかったとか。この日記には、同僚の女房の話を聞いてみると当時「源氏物語」を引っ提げて内裏に出仕した紫のことを、きっと気取っていて、近づきにくくて、人を見下す人だと毛嫌いしてたのだとか。でも付き合ってみるとこんなにおっとりした人だとは思わなかったと。紫式部自身も溶け込むために芝居を打っていたところもあるようだけれど、この物言いには驚いたようだ。
環境にも慣れて女房の友人もでき、問題点を鋭敏に把握した紫、やがて後年は清少納言のような、有能な女房へと成長したようす。
ふむふむ。華やかな宮廷の中に、現代社会を見るようでもある。しかしこの鬱屈したようにも見える感覚こそ、いまだわが国最上の物語と評される作品、源氏物語を書いた人の姿なのかな、とも思えた。
楽しく読書できました。
2021年10月9日土曜日
10月書評の2
「老人と海」
リアルな迫力と、孤独感と、虚しさと、温かさ、なんて言葉では語り尽くせないのだろう。
100分de名著でヘミングウェイのこの小説を取り上げるというので再読。ヘミングウェイは「陽はまた昇る」に感銘を受け、「キリマンジャロの雪」でアメリカ小説らしい非合理な文章の連なりをふむふむと読んだ。
さて久々の「老人と海」。ストーリーはなんとなく覚えている。しかし濃い。濃縮の極みで休ませてくれない。単純におもしろい。
老齢の漁師・サンチャゴは独りでメキシコ湾へ出る。かつて一緒に漁をしていた少年・マノーリンは親の命令で別の船に乗っている。しかしマノーリンは今でもサンチャゴを慕い、なにくれと世話を焼いていた。
陸地が見えないくらいの沖で漁を始めたサンチャゴの針に、舟よりも大きい、巨大なカジキマグロがかかる。
サンチャゴは2日2晩戦い続ける。闘志を持って、ひどく冷静に、決して諦めず職人らしい手練手管と自分の心のコントロール力を注いで。遂に老漁師は勝ち、カジキマグロを弦側にくくりつけて帆を張り陸を目指すが、血の臭いをかぎつけた鮫たちが何度も襲いかかりー
あらすじの概要を書いただけで、恐ろしい時間だと思う。巨大なカジキマグロ、そして襲いくる鮫を次々と撃退するサンチャゴ。そこには大人の職人の姿がある。孤独でも、立ち向かい続け、逞しく、負けない。こんな言葉では到底追いつかないな、と思う。何か黒光りするような武骨なもの、ものすごい頼りがいを感じる。
時折挟まれる、あの子がいたらなあ、という独白。その他もろもろの心のうち。生物への想い。哲学。
100ページくらいの短い小説。私はやはり、ヘミングウェイはかなりテクニカルだなと思った。「陽はまた昇る」でも生の象徴としての牛追い祭りが見事だった。今回は、濃密な漁の描写の中に、行き過ぎない程度の独白を混ぜている。その度合いがおそらくは抜群、ではないかなと。
失い続け、ぼろぼろになるサンチャゴ。でもしかしけれども・・
かまうもんか、これからは二人一緒に行こうね。ぼく、いろんなこと教わりたいんだもの。
おそらく戻らないサンチャゴを心配して心を痛めていたマノーリン。再びマノーリンと漁に出るという光を見せて小説はカッコ良く終わる。
この小説がノーベル賞受賞をたぐり寄せたことは書いてあるが、評価や詳しい意味合いは分からない。100分de名著が楽しみだ。
◼️ 辛島デイヴィッド「文芸ピープル」
なぜここ数年、日本の女性作家の作品が英語圏で多量に翻訳出版されるようになったのか
単的に言えば、見出しの通りで、この流れは2020年以降も止まりそうにないという。
1つの象徴が村田沙耶香「コンビニ人間」の商業的成功で、日本の芥川賞を受賞したこの作品は2018年にニューヨーカー誌など十数誌でブックオブザイヤーに選ばれた。すでに興味を持つ編集者にとって芥川賞の認知が高まっているそうだ。
他にも多和田葉子「献灯使」が全米図書賞を翻訳部門で受賞するなど注目が高まっていて、川上弘美、小川洋子、松田青子、小山田浩子らの作品が続々と翻訳出版されているそうだ。
英米圏では日本文学といえば、昔は川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎にフランスで評価された安部公房、といった感じだった。現代は村上春樹が他を圧するビッグネームだとのこと。
そこに近年起こった日本女性作家ブーム。本から拾うに、内向的で、孤立していながら冷静沈着で、どこか奇妙でありながら共感できて、すぐに人や物事を判断しない、受け身である、より巧みに表面下にあるものを暴いている、ユーモアやアイロニー、ホラーを用いて社会的な慣習に疑問を投じている、等々となる。不気味さ、もキーワードのようである。
受容性、そしてそこからつながる多様性。より新しいものを求める市場性もありながら、ダイバーシティ等々、現代の風潮も強く反映されているようでもあるし、男系の社会への警鐘のような、うーん、世界が変わっているという象徴のような意味も感じる。作中では否定ぎみだったような気もするが、オリエンタルな感覚を不気味さに求めている気もやはりしないでもない。
翻訳者である著者はイギリスで、西加奈子が参加した文芸フェスティバルの様子やこの潮流に関しての英語圏にいる編集者の生の声を取材している。
日本における大衆小説の売れ方とは一線を隠した流れ、ちょっと文学寄りだなとも思う。
伊坂幸太郎「マリアビートル」の映画化についても取り上げてあるがサスペンス、ミステリー系がもっと入ってもいいような、とも思うかな。
これまで無頓着だったけれども、こういう切り口と内容、おもしろいと思う。挙げてある「コンビニ人間」、松田青子「おばちゃんたちのいるところ」、小山田浩子「工場」などはまったく範囲外だった。これを機会に読んでみようかな。
2021年10月3日日曜日
10月書評の1
女子バスケアジアカップを観戦、準決勝の世界ランク3位オーストラリア戦は、2点差でぎりぎりの勝利。
オーストラリアは日本に合わせたようなスピードあるバスケットをしてきた。これは正直逆手と思う。最後にどうしてもスタミナ切れしてたから。高さでゴリゴリこられたほうがイヤなのよ、なんて黙っとこ。たぶんオリンピックの決勝で高さのあるアメリカがディナイディフェンス、張り付くディフェンスをして日本を封じたのを参考にしたのだと思う。アメリカよりはオーストラリアには柔軟な運動神経が欠けてたかな。まあ勝ってよかった。
Bリーグは各開幕戦、下克上的な結果が相次いでいる。今シーズンどうなるのか、楽しみだ。
さっきまで始まったばかりのショパンコンクールを聴いていた。忙しい忙しいっと。
◼️ 寺山修司「赤糸で縫いとじられた物語」
伸びやかな発想のタネというものは、童話にこそあるのかも知れない。
寺山修司は「名言集」を読んだだけで、あまり知らない。「書を捨てよ、町へ出よう」を知っていたていどで、こんなに昭和の人とは思わなかった汗。同作の脚本家で監督として映画家し海外の映画祭でグランプリをとったり、この前に読んだ現代美術家の横尾忠則と実験的な劇団を結成したりしている。知らなかった。
さて収録の童話集、詩をはさんだ不思議な作品たち。寺山はこれを自ら「ジュリエット・ポエット」と名付けたらしい。
「壜の中の鳥」
「消しゴム」
「まぼろしのミレナ」
「数字のレミ」
「踊りたいけど踊れない」
「1センチ・ジャーニー」
「思い出の注射します」
「かくれんぼの塔」
「イエスタデイ」
「海のリボン」
「書物の国のアリス」
と、それぞれ15ページくらいの11本。町の人間がどんどん鳥になっていったり、人をも消す消しゴムや10年後の写真を撮るカメラ、切り抜いたものが本物になるハサミが出てきたり、1人の少女が増殖したり、女の子の手と足と口が意思に反した動きをして、本当の自分はどこにあるのか問うたりもする。
ハッピーエンドは少なく、シェイクスピアみたいに行き違いで悲劇的結末を迎えたり、シュールなまま終わったり、選択肢を出して読み手に放ってしまうものもある。
もちろん童話には教育的な寓話ばかりではなく、おどろおどろしかったり、残酷だったり、非合理な、シュールレアリスム的なもの、結末がつかないものがたくさんある。そのへんが童話の面白さだと私も思う。この童話集はそれぞれの話に出てくる人々が薄く錯綜していたりして、ちょっとした倒錯性をも感じる。
思い浮かぶのは宮沢賢治の童話や、シュペルヴィエル「海に住む少女」とかかな。
散らされた数行の詩も、マザーグースみたいでちょっと黒さを感じる。
ファンタジー、童話といった類は、いくらでも想像力を伸ばせそうな気がするし、著者の感じ方や合理性まで覗かせているようにも見える。
シュールでも、ちょっとでもどこかに感応できればいいかな。けっこうそういう読み方好きである。
◼️ 横尾忠則「名画感応術」
横尾氏の筆は読みたくなるかな。美術製作者の名画分析。
以前手塚治虫氏のエッセイを読んだ時もその水準の高さ、論の要素となる知識の多様さ豊富さに驚いた。今回も実際の表現者は言葉にして表すその術が発達しているな、という感慨がある。まー、「ブルーピリオド」読んでてもそう思うし、自作を説明する必要もあるから磨かれるのだろう。
この本は横尾忠則現代美術館から目と鼻の先の古書店で入手した。まあその、面白いとは思うがちょっと突飛すぎてその偉大な熱量をまともには受け止めたくはない笑作品も見た上で読むと、意外な説得力があることに気がつく。
「天才といわれる芸術家とは、天界に存在する美を神の波動を受けて地上に再現させる装置の役割をしている者のことをいうのである。(中略)芸術家の自我だけで描いた作品はいくら美術界が認めても、そこに神の意思の介在がない場合は観る人の魂に語りかけてこない。」
初っ端から熱い。背景や知識は絵画の本質と全く関係がない、と述べる。
と言いながら各画家の作品の解説には背景知識がないと成り立たず、美術家として当然身につけているものだからか、けっこう書かれているのだが。でも構図や色の専門的な解説、著者が抱く、感応することは余すところなく伝わってくる。
ムンクの「オルランドから来た女」、モデイリアニ「若い女の胸像」の色彩感、リナールの静物、現代作家キーファー、オキーフ、リキテンスタインの作品への感応など実に興味深く、切り口語り口がやはり鋭く、第一線の美術家ならではの強さ、説得力を感じる。
果物や花、植物で顔を構成するアルチンボルドって1500年代の人とは思えない笑。マグリットの非合理と、冷徹さにも感じるもの多く、ボナールの柔らかい少女像には安心してしまう。ルノワール系らしいが、フラゴナール、ルノワール、ボナールとなんか浮かんでしまった。
通読してみて思ったのは、私の好きなコロリスト、色彩感豊かなマティスの影響を受けた画家さんって多いのかな、ということ。明るい色を組み合わせることで寒色も活きてくるのだろうか。横尾氏もマティスはピカソと並ぶ、今世紀最大の(本の出版は1998年)変革者である、としていて、納得がいった。
ミレーの農夫の精神性も面白かった。横尾忠則はまた読む気になるな。
9月書評の8
そして10月になって週末は、手塚治虫へ。この企画はファンの心をくすぐるね。
◼️ ジャック・ロンドン「白い牙」
野性から飼い犬の本能へ。ラストはホロリとする。最強の狼犬、ホワイトファング。
前半の野性生活の部分はなにせ緊迫感がある。残酷さ、過酷さの中で育ったホワイトファングは人との生活で掟を学ぶ。
人をも襲って食べる北極圏の狼集団にいた雌から産まれた子狼は鷹、凶暴なイタチ、オオヤマネコらの敵がいる過酷な環境で成長する。ある日インディアンの一族が来て、母狼はおとなしく捕らえられる。母狼には犬の血が流れており、かつてキチーという名でこの集団に飼われていたのだった。
子狼、ホワイト・ファングは、人間とともに暮らすための掟を覚え、彼を嫌う集団の犬たちと争う中で、ずる賢く、気難しく、そして強くなっていった。
尊敬の念を抱いていたインディアンの飼い主から、ホワイト・ファングを酷く扱い猛犬やオオヤマネコと闘わせる白人、ビューティー・スミス、死地から救い出したウィードン・スコットと人の手に渡りながら生きていく狼犬。
ホワイト・ファングはスコットに深い愛情を抱き大家族の屋敷に飼われるー。
負けた方が喰われるオオヤマネコとの死闘など、残酷を伴う営みが止まることなく繰り返される野性の生活、その緊迫感に圧倒される。野性の強靭さ、さらに人の世界のルールを身につけて過ごすしぶとさ、ホワイト・ファングの孤高の姿が際立つ。
次々と襲い来る試練に興味深く読み進む。
解説によればロンドンは「野性の呼び声」の方が圧倒的に研究論文が多い、とのこと。「野性の呼び声」はぬくぬくと暮らしていた家犬が橇犬となって雪の屋外で寝るようになった経験から始まって犬たちの争いと酷な自然環境の中、次第に野性を身につけていく、というものだった。人にも飼われ、それなりに愛情を持つが、飼い主が殺されて野性に戻る。
野性へと入っていくその雄々しさ、そして虚しさが悠久の雰囲気をも醸し出し、動物があるべき姿、を感じさせる。
ロンドン的にはこの2作はひと続きの関連作品という捉え方だったらしい。確かに迫力は損なわれていないものの、最後に家犬として落ち着きスコットに忠誠を誓うホワイト・ファングには物足らない感がないでもない。
ただ、犬をずっと飼っている犬飼さんとして(言葉遊びです)、納得できる部分もある。
動物好きの川端康成もまた大した犬飼さんだったらしいが、そのエッセイ「わが犬の記述 愛犬家心得」で
愛する犬のうちに人間を見出すべきではなく、愛する犬のうちに犬を見出すべきである、と書き、こう述べる。
「忠犬は忠臣よりも遥かに自然である。犬の忠実さには、本能的な生の喜びがいつぱい溢れ、それが動物のありがたさである。」
この辺りの感覚がなんとなく分かる。犬には本能の一部に、人に尽くして、可愛がってもらって悦ぶ、というのがあるのでは、と思う。
だから、納得できてしまう。
「野性の呼び声」「白い牙」が発表されたのは1900年代初頭。この時代らしく劇画タッチではある。ラストシーンの作り方は、ホロリとして、うまいなあと思ったし、その後の物語の骨組みとなる、前半の野性の部分はどこか詩的に織り成してある。
ま、どちらかと言われれば・・やっぱり「野性の呼び声」かも知れないな^_^