また1か月以上サボってしまった。
Bリーグはビッグラインナップを全面に打ち出し最強と思われた川崎ブレイブサンダースを宇都宮ブレックスが準決勝で粉砕した。
わが富山グラウジーズはアウェイで琉球ゴールデンキングスと第3戦まで戦ったがおよばす敗退。その琉球は準決勝で、富樫勇樹率いる千葉ジェッツとホームで対戦。第2戦は新装沖縄アリーナの観客が沸騰する劇的勝利を挙げたものの1勝2敗で敗退。
決勝は中立地横浜で、川崎vs千葉となったのだった。続く。
️ ジャン・ジロドゥ「オンディーヌ」
天真爛漫な水の精、オンディーヌ。戯曲は悲劇へ。そして無垢な言葉で終わる。
ドビュッシーの研究で博士号を得た青柳いづみこさんの「モノ書きピアニストはお尻が痛い」で知った戯曲。さまざまな要素を盛り込み、軽妙で、行間も考えさせる。演出も独創的。
湖の漁師に育てられていた水の精オンディーヌは一夜の宿を求めてきた騎士ハンスと恋に落ちる。ハンスには王族のベルタという婚約者がいた。騎士はオンディーヌを城に連れて帰り、王と王妃に謁見するが、天真爛漫でおしゃべりなオンディーヌは言いたい邦題、ベルタに過剰な敵意を向け、ついにはベルタが漁師の娘だったという出自を暴き、ベルタは追放される。
ベルタを自らの城に住まわせたハンスは、オンディーヌを愛しながらも、常識的な淑女のベルタに惹かれる。水界の王はハンスが裏切ったらその命を奪うという約束をオンディーヌと交わしていた。果たして、ベルタはハンスの子を宿し、2人は結婚することになるー。
「オンディーヌ」が発表されたのは1939年。1811年に出版されたフリードリヒ・フーケの「ウンディーネ」という小説を下敷きにしていると、この戯曲にも明示されている。
読み始めると、まず会話が軽いタッチで洒脱ないことに気がつく。なんか現代劇ふうの会話の匂いもする。オンディーヌの口調は、タイトルのイメージに比してヒロインの口が痛快なほど悪い「地下鉄のザジ」をも思い起こさせる。
物語の成り行きも想像する小説が多かったりする。森、妖力、娘と王子。私は紅玉いづき「ミミズクと夜の王」なぞ思い出した。また貞淑で育ちが良く、なんでもできる印象のベルタとオンディーヌという配置にはなぜか大人の現代ドラマ、白石一文「一瞬の光」も浮かんだ。
ストーリーをさっと紹介すると意外にわかりやすい。しかし、この劇は演出に絶妙なところがある。
第一幕は森でハンスとオンディーヌが出会う場面。第二幕は王宮での場面だが、奇術師に化けた水界の王がうまく侍従の信頼を得て、しっくり行かないベルタとハンスが再び近づく場面などを見物人たちの前で現出させる。またベルタの過去も幻想のように再生する。
意図的に時間を前後させた場面を人外の能力を持ったマジシャンが幻想的に、しかし現実の場面として生み出すという手法の独創と演出的効果が面白い。
さらには第三幕はなぜかちょっと変わった裁判。中身はハンスとオンディーヌの愛情を掘るもの。ハンスはだんだん狂気に陥る。どこまでも味付けを失わないなと。
王はヘラクレス、発言が過激で口数の多いオンディーヌの話を2人でよく聞いてたしなめる、理知的な王妃の名前がイゾルデ。劇中にはさまざまな悲劇が引用されたり、不吉を暗示するものが散らされる。オンディーヌが当て付けに近づくベルトランや、詩人の存在感も小粋かと思う。
ハンスいわく「宮廷人としての作法は自然の世界から習ったものだけ、文法はアマガエルから、言葉づかいは空をわたる風から」というオンディーヌに、王と王妃との謁見に際して注意する侍従の言葉。この人なかなかクセのあるいい味の人物です。
「怖いときには勇気のあるふり、嘘をつくときは正直そうに、たまたま心から信じていることを言うときには、逆に嘘をついているふりをするのもまたよろしい。そうしますと、真実にあいまいな殻をかぶせることになって、まあいかにも心にもないことを言うよりはましというわけです。」
このへん喜劇っぽい。オンディーヌはほとんど侍従の言うことを聞かずたびたび詩人に話しかけに行ったりする。
異界の男女が恋に落ちる話は洋の東西を問わず枚挙にいとまがない。「人魚姫」もそうだし、日本にも「鶴の恩返し」また大物主大神と活玉依姫の伝説がある。
またこの戯曲に盛り込まれているものを一つ一つ取り出していくとそれだけで充分な論文になりうる。道理で解説が70ページもあるわけだ。
ハンスは、愚昧な人間の男。彼我の間の大きな溝には無常感すら漂う。分け隔てているものは全編に意識されている水、か。
ハンスは死に、オンディーヌは人間界の全ての記憶を消される。なにも分からなくなったオンディーヌが無垢な言葉を残し、エンド。
ジロドゥの最高傑作は今後の読書生活に何度も出てくるだろう。戯曲でありながら、どこまでも深い流れを感じさせる作品だと思う。
◼️ 「詩経」
唐詩と違って四書五経はムズい。書き方もむずい。
幸田文の娘の青木玉が母親の着物や手回り品の想い出を書いた「幸田文の箪笥の引き出し」という本に詩経から引用した言葉があった。本の内容が素晴らしく滋味深かったこともあり、詩経読みたいな・・と思っていた。
「桃夭」
桃之夭夭 灼灼其華
之子于帰 宜其室家
桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼(しゃくしゃく)たり其の華
之(こ)の子 于に(ここに)帰(とつ)ぐ
其の室家(しつか)に宜しからん
桃の木は若々しく、その花は赤々と輝く。
この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
桃之夭夭 有蕡其実
之子于帰 宜其家室
桃の夭夭たる
蕡(ふん)たり其の実
之の子 于に帰ぐ
其の家室に宜しからん
桃の木は若々しく、大きな実がふくらむ。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
桃之夭夭 其葉蓁蓁
之子于帰 宜其家人
桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子 于に帰ぐ
其の家人に宜しからん
桃の木は若々しく、葉も青々としげる。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
嫁ぐ若い女性の美しさを桃のみずみずしさになぞらえている。この本にはそこまで書いてないが、たわわに実る桃と、さかんに繁る桃の葉に、ゆくゆくはたくさん子供が産まれ増えて、家が繁栄する意味を豊かに盛り込んでいるようだ。
読んだ直後、イラン映画の「花嫁と角砂糖」で、結婚直前の末娘が幸せオーラを発散している場面を観て、このフレーズは、実写にすればこんな感じなのかと思っていた。最近また、日本美人画家・上村松園の「人生の花」という嫁入りの絵に出会い、この詩を思い浮かべた。
詩経は紀元前4世紀の周の時代に、一説によれば孔子がまとめたものともされている。孔子の時代には広く読まれていたようだ。李白、杜甫、白居易といった唐の詩人たちとさえ1000年以上も時代が隔たっている。ハッキリ言って大学入試の漢文の問題に出たら泣いちゃいそうだ。難しいのはまあ漢文全体にそうだけれども。
皇帝、という言葉も出てくるが、多用される君子といえば祖先の霊や水神のことらしく、仏教が無い時代のことで興味深い。長引く戦役に嘆いたり、捨てられた女が男を怨んだりする詩も多いらしい。
「雨無正」
凡百君子 凡百の君子よ
莫肯用訊 肯(あ)えて用(も)って
訊(つ)ぐる莫(な)し
聴言則答 聴言には則ち答え
譖言則退 譖言(しんげん)は則ち退く
もろもろの君子(祖霊)よ。王に告げる者はいない。王は気にいる言葉だけは受け入れる。耳に逆らう言葉は退ける。
しかしこの本に取り上げられている詩の多くは祖霊を迎え、賞賛するような場面が多い。精霊をモチーフにしながらも、ポエミーな要素も多い「蜉蝣(ふゆう)」
蜉蝣之羽 蜉蝣の羽
衣裳楚楚 衣裳楚楚たり
心之憂矣 心の憂うれば
於我歸處 我と帰処(きしょ)せよ
かげろうの羽よ、その衣装の美しさよ。
心はかくも憂わしいので、どうか我がもとへとどまり給え。
蜉蝣之翼 蜉蝣の翼
采采衣服 采采たる衣服
心之憂矣 心の憂うれば
於我歸息 我と帰息(きそく)せよ
かげろうの羽よ、その衣服の美しさよ。
心はかくも憂わしいので、どうか我がもとへとどまり給え。
蜉蝣掘閲 蜉蝣の掘閲(くつえつ)せる
麻衣如雪 麻衣雪(まいゆき)の如し
心之憂矣 心の憂うれば
於我歸説 我と帰説(きぜい)せよ
土より出づるかげろうよ、その麻衣は雪のごとし。心はかくも憂わしいので、どうか我がもとへ息い給え。
唐詩ほど形式が整ってないながら、さりとてここに挙げた詩は繰り返しとそのパターンのブレイクの仕方にリズムと妙があるようで興味深い。
余談だが、我が図書館には詩経のビギナーズクラシックがなく、残念・・と思っていた。
先日行ったら新規購入としてこの本を含む何冊かが別棚に紹介してあったからちょい喜んで借りてきた。
教科書を出版している会社さんの出版。開いてみると正直教科書よりも、むろんビギナーズクラシックよりも、かなり硬質。説明が足りないな、ということも多かった。
まあ五経は難しいんだろう。多少分かったような、そうでないような気分である。書きようによっては面白そうなのにな詩経、と思いつつ読了した。
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