◼️エリック・カール「はらぺこあおむし」
追悼。改めてすばらしい絵本だと思います。
子どもが幼少のころ、よくめくりました。こちらで「絵本入門」を献本でいただいた時に取り上げてあり、改めて見ると、すごい絵本だとつくづく思いました。
「絵本入門」によれば、エリック・カールは「コラージュ」つまり絵に紙や布、毛糸などを貼り付ける手法に優れ、貼り付ける色紙を自分で着色して作っていたそうです。
1ページずつめくっていくと、その色彩感は本当に明るく美しく、まさに滋味掬すべき表現だと感心します。
エリック・カールはドイツでの幼少時、自由に絵を描いたり見たりできない環境にあった際、学校の先生がナチスに禁じられていたピカソやマティスの絵をこっそり見せてくれたそう。また「スイミー」で有名なレオ・レオニの紹介でグラフィック・デザイナーの職を得たとか。出会いは大切ですね。
また未確認情報ですが、青虫があたかも食べたように、絵本に穴を開ける手法はあまりにも手がかかるため敬遠されていましたが、日本の出版社が刊行したという話も聞きました。やったね日本、という感じですね。
見逃しがちだった、非常に複雑な色の組み合わせは、これが貼り紙かと嘆息してしまいます。
追悼。ご冥福をお祈りします。
◼️Authur Conan Doyle
「A Scandal in Bohemia」
爆発的な人気を博した佳作。原文で読むと改めて、こりゃ面白いや!と思う。
全ネタバレで参ります。
シャーロック・ホームズは1887年、長編「緋色の研究」で初めて読者の前に姿を現します。続く第2長編「四つの署名」もほどなく発表されました。しかしそこそこの評判はとったものの、それ以上ではありませんでした。ところが、1891年、創刊されたばかりの月刊誌「ストランド・マガジン」7月号に掲載されたこの「A Scandal in Bohemia」はいきなり爆発的に読者の支持を得たのです。
何度も読み、古今東西、王室のスキャンダルは人気を博す向きがあるのかな、とは感じてきました。しかし今回、少し人気沸騰の理由に近づけた気がちょっとだけしています。
話は、アイリーン・アドラーを女性嫌いで観察機械のホームズが唯一「the woman」つまり「あの女」(「あのひと」)と呼んで特別視していることから始まります。なんとも思わせぶりですね〜。さて物語スタートです。
ワトスンくんはこの時期ホームズと一緒には住んでいませんでした。おそらくは「四つの署名」で恋に落ちたメアリ・モースタン嬢と新婚生活を営んでいたと思われます。
1888年3月20日、ワトスンが久しぶりにベイカー街の部屋を訪問、2人は打ち解けた邂逅を果たします。早速ホームズはワトスンが医師として開業したこと、最近ずぶ濡れになったこと、ワトスン家のメイドが不注意なことを見抜きます。
ワトスンは、タネを聞くと単純だけど、タネあかしてくれるまではさっぱり分からない、とのたまいます。ここで、ホームズの名セリフが。
You see, but you do not observe. The distinction is clear.
「君は見ている、しかし観察していない。その差は明白だ。」
ホームズは、この部屋に昇る階段は何段だ、と訊く。ワトスンは答えられません。
「僕は階段が17段あることを知っている。なぜなら僕は見て観察しているからだ。」
ホームズ短編の嚆矢となったこの作品には、読者をハッとさせたり、気持ちを楽しくさせたりする仕掛けがいくつもあると今回感じました。この会話も分かりやすく、読み手にそうか、と気付かせるものと思えます。
さて、ホームズは、最盛期とも言っていい活躍の時期で、この日も依頼者と会うことになっていました。依頼者からの、流暢ではない英語で書かれた手紙をワトスンに見せ、2人であれこれ推理します。どうやらドイツ人で、王家に関する問題なのか?謎めいた内容でした。
この短編では「推理する」はdeduceで推理はdeduction。reasoningも使われています。話によって言葉が違う印象もあるような?
で、来た依頼者は6フィート6インチは下らず筋骨たくましい巨漢で、豪奢な身なりに覆面をしていました。でかっ。約2mの大男。最初はフォン・クラム伯爵と名乗りますが、たちまちホームズにボヘミア王本人と見抜かれ、やけになって覆面を脱ぎ捨てます。国王陛下、とはYour Majestyって言うんですね。
ボヘミア王は自分で来た理由を話し始めます。皇太子のころ、オペラのプリマドンナと恋をして一緒に写った写真をネタに脅迫されている。金は要求してない。王様はスカンジナビア王の次女と婚約が整っていて、次の月曜日に正式発表される。その日に先方に送ると言ってきてる、と。
she has a soul of steel.
「彼女は鉄の意志を持っておる。」
王は人を雇って、もう5回も荷物を盗ませたり家探ししたり、果ては道で襲ったりしましたが写真はどうしても見つからなかったとのこと。また物騒ですね、王は当座の費用として1000ポンド手渡し、お金についてはcarte blanche 好きなだけ遣ってよいと言い、ホームズは写真を取り返すことを請け合います。ホームズは王の宿泊ホテルを訊き、
「では進捗は手紙でお知らせしましょう」
Then I shall drop you a line to let you know how we progress.
と言います。調べたら、dropは手紙を送る、lineにも手紙、という意味があるらしいのですが、つい、LINEでお知らせしますわーという意味だと考えてしまい苦笑。
さてホームズはワトスンに明日の午後3時にベイカー街集合の約束をしてその日は別れます。
覆面をした巨漢の、女にだらしない世間知らずの王様、スーパー美人の歌姫は鉄の女、興味を引きそうな設定だこと。
翌日わくわくしながらベイカー街を訪れたワトスンの前に、馬丁に変装したホームズが現れ、高笑いをします。おかしくてたまらない様子。ちなみに変装は
disguiseディスガイズ
というようです。
ワトスンがよくよく話を聞いてみると、サーペイタイン通りの家に住むアイリーンアドラー周辺の事情を馬丁仲間から大いに聞き出したホームズ。弁護士のハンサムな男性が頻繁に出入りしているらしい。近辺をうろうろしていると、その彼、ゴドフリー・ノートンが馬車で乗りつけます。ひどく急いでいて、家の中で熱弁をふるい、また出てきて馬車の御者に、
Drive like the devil
「思い切り急いでくれ」
立ち寄り先と最終目的地の教会と御者に告げ、
Half a guinea if you do it in twenty minutes!
「20分で行けたら半ギニーだ!」と叫びます。
で、どうしよう、追うべきかとホームズが逡巡してると、姫様が出てきます。気品があり、男が命をかけてもいいと思うような顔、と表現してます。彼女は自分の馬車に慌てて乗り込み、
The Church of St. Monica, John and half a sovereign if you reach it in twenty minutes.
「サンタモニカ教会よ、ジョン。20分で行けたら半ソヴリン!」と叫びます。
これは逃すわけにはいかないとホームズも汚い格好のまま馬車に乗り
The Church of St. Monica and half a sovereign if you reach it in twenty minutes.
「サンタモニカ教会、20分で着いたら半ソヴリン。」
舞台劇のようですね、まるで。個人的にはアイリーンの御者がジョン、ワトスンの苗字というのがおもしろいなと。
1ギニーはほぼ1ポンド、後で出てくるソヴリンも同じ価値。ちなみに現代の円換算すると約2万4000円だそうで、同じようなセリフはシリーズにたくさん出てくるし、おおらかな時代だなあと思う笑。
さてさて、ホームズが教会に着いてみると、2人と人の良さそうな牧師がいて、もめてる雰囲気。と、新郎のノートンが馬丁姿のホームズのところへ来て、証人になってくれ!私がささやく通りのセリフを言えばいいから!と。
巻き込まれたホームズは、なにがなにやら分からないまま役割を果たします。アイリーンの家に探りを入れてたはずが、気がつけば片側には熱烈に礼を言う男がいて、その反対側には美しい花嫁、目の前では牧師が満面の笑みを自分に投げかけている。ドタバタ探偵ものドラマような喜劇的展開。
新郎はソヴリン金貨をホームズにくれ、ホームズは以後、この出来事の記念として懐中時計の鎖に付けて持ち歩いたはずなのでした。
ホームズはいったん引き上げます。そしてワトスンの前での高笑いとなったわけです。
2人がいまにも出発しそうなのを目の当たりにしたホームズはその晩早速動くことに。
Doctor, I shall want your cooperation.
I shall be delighted.
「ドクター、協力してほしいのだが。」
「喜んで。」
アイリーンは夕方5時に馬車で散歩に出かけ、7時に帰ってくるのが日課。2人は動きを打合せ、ホームズは、いかにも温和でおせっかい焼きな牧師に変身してブライアニ・ロッジへ赴きます。この変装の見事さに、ワトスンは
The stage lost a fine actor, even as science lost an acute reasoner
「演劇界は優秀な男優を失い、同時に科学界は鋭い理論家を失った」と表現しています。どこか滑稽ですね。
さて、ワトスンが見ていると、アイリーンの馬車が帰着するタイミングで騒ぎが発生、降りてきたアイリーンを守ろうとホームズ牧師が彼女に接近した際、打撃を受けて、血を流しながら昏倒し、アイリーン家の居間に運び込まれます。ホームズが息苦しがってメイドが窓を開けると、そこへワトスンくんが発煙筒を投げ込み、大声で「火事だ!」すると騒いでいた群衆、揃って「火事だ!」
ホームズは起き上がり、その場を取り繕って逃走、ワトスンと合流。おおぜいの役者を雇い、この騒ぎを演出して、ホームズは何をしようとしたのか?
When a woman thinks that her house is on fire, her instinct is at once to rush to the thing which she values most. It is a perfectly overpowering impulse.(中略)
A married woman grabs at her baby; an unmarried one reaches for her jewel-box.
「女というものは火事が起きた時、本能的にすぐいちばん大事な物のところに駆け寄るものだ。これは絶対に抗し難い衝動なんだ。(中略)
既婚の女は赤ん坊を取り上げ、未婚の女は宝石箱に駆け寄る。」
どれくらいドイルが事件のことを研究してたかまで押さえてないけれど、これも納得できる理屈かも?と読み手に半ば納得させたら勝ち、の、この作品を楽しく見せる要素のうちの1つでしょうね。
つまり、ホームズは写真はアイリーンの家のどこかに隠してあると見て、アイリーンをそこへ誘導しようとした。アイリーンは引っ掛かり、思わず壁板をスライドさせ、秘密の隠し場所から写真を引っ張り出してしまった。起き上がったホームズ牧師が、火事は間違いだぞう、と大声を出すと、すぐ元に戻した。目的の写真のありかが分かった瞬間でした。
残念ながらホームズ牧師は、部屋に入ってきた御者のジョンに見張られて写真を入手することが出来ずに逃走。ジョン、描写によればコートのボタンを半分開けて、ネクタイもちゃんとしてなくて、馬具の手入れを怠っているらしいけどいい味出してます。
ともかくホームズは満足で意気揚々。
The smoke and shouting were enough to shake nerves of steel.
She responded beautifully.
「煙と叫び声は鋼鉄の神経を揺り動かすのに十分だった。彼女は見事に反応したよ。」
以前出てきたボヘミア王の言葉、
she has a soul of steel.
「彼女は鉄の意志を持っておる。」
になぞらえて、やっつけ気分で、ドヤ顔が目に浮かぶよう。ホームズは気分の上下が激しいけれど、高揚しすぎ?とも見えます。
写真の隠し場所は分かったし、まだ彼女が寝ている朝8時に王様と家に行って、彼女が身じたくをしている間に写真を取ってドロンしようか、と打ち合わせて、ベイカー街の扉の鍵を開けようとしたとき、誰かが
Good-night, Mister Sherlock Holmes.
と声を掛けてきました。振り向くと、コートを着た、細面の若者が立ち去っていきました。
翌朝、アイリーンの家に行くと、年配の女性があざ笑うような目をして階段に立っていました。
Mr. Sherlock Holmes, I believe?
シャーロック・ホームズさんでございますわね?
アイリーンとゴドフリー・ノートンは朝5時15分の列車で大陸へ向かい、もう戻らないー。
ホームズは慌てて家に入り、隠し場所に手を突っ込みます。出てきたのは、アイリーンのワンショットの写真とホームズ宛ての手紙でした。
アイリーンはあの場で騙されたことに気付き、御者のジョンにホームズを見張らせ、その間に男装して出て行くホームズを尾行、声を掛けたというわけでした。
相手が恐るべきホームズと知り、これはもう逃げるのが一番いい方法だと思った。ボヘミア王との写真は自衛の武器として持ってはおくが、自分も結婚したし、王は安心してかまわない。この写真を置いておく、とー。
あの女の身分が同格ならばすばらしい王妃になったであろうに、と悔やむ王を冷ややかに見つめるホームズ。よくやった、ほうびは何がいいか、と聞かれ、アイリーンの写真を貰います。
ホームズがアイリーンだけを「あのひと」と呼ぶのにはこんなわけがあったのでした、と締まります。文言は原文どおりではありません、意訳です。悪しからず。
さて、たくさん含むところがあるこの大ヒット短編。私はシャーロッキアンとしては修行不足の身ですが、書いておきたいことがいくつかあります。
まず、なにが大ヒットの原因だったのか、という考察です。
先に挙げたように、ヨーロッパ人が好きな、王室スキャンダル。とりわけイギリスは好きですよね。この小説の四半世紀前にヴィクトリア女王の第2王子アルバート(プリンス・オブ・ウェールズ)が、デンマーク王の娘とお見合いし婚儀を整えようというときにアイルランドの女優との関係がバレたスキャンダルがあったようで、この小説に似すぎてますね。
おそらくここが最大の理由かも、ですが、いくつか挙げてきたように、なかなか各パートの噛み合いが良く、全体としてコミカルな舞台劇のようになってますよね。
女がらみの謎めいたスタート、誰にも分かりやすい名言、また王室や、やや不穏め?のヨーロッパ情勢も当時は重大な関心事だったと想像されます。直接出馬の王の出立ちと世間知らずっぷり、鉄の意志を持つ美しすぎるプリマドンナ、セリフ回しの絶妙さ加減にそれこそ喜劇のような成り行き、そして鮮やかに高名な探偵を出し抜いたこと。
他の短編でホームズは「男に3回、女に1回出し抜かれました」と告白しています。まさにその1回はアイリーンなんですね。
実はまだ、突然出現したホームズが、初回でしかも失敗しているのに、なぜそんなに人気だったんだろう?という気持ちもまだありました。
原文を読むということは、日本語では読み流し気味だった言葉もひとつひとつ拾っていく感覚があり、改めて深めに味わえている気がしています。まあ英語コンプレックス、なのかもしれませんが笑、少しそのへん、理解が進んだかな〜とちょっと自己満足。
この話には、いわゆる「語られざる事件」がいくつも盛り込まれてます。「アーンズワース城事件」では真瀬もと「ベイカー街少年探偵団ジャーナルII アーンズワース城の殺人」というパロディを思い出してました。
また、曜日、日数の間違いがありさらに部屋の食事を用意してくれるのがハドソンさんではなく「ターナー夫人」となってます。これは短編初回ですが、シャーロッキアン的には、間違いの多いドイルの筆に、つい微笑んでしまうところです。
疑問といえば、怖いコワいホームズが乗り出していることにアイリーンが気づいたのは、騒動の後のはず、なのにどうしてアイリーンとゴドフリーはあんなに急いで結婚式を挙げる必要があったのでしょう。
この事件の裏側を見事に語っているキャロル・ネルソン・ダグラス「おやすみなさい、ホームズさん」では確か結婚の前にホームズが依頼されたことを知った、という体で平仄を合わせていました。修行不足なので、理由をご存知の方がいたらお教えくださいませ^_^
世界一高名なヒーロー探偵、シャーロック・ホームズ、56の短編の最初が愛すべき失敗談、というのもまた楽しいトピックですね。

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