自家製ブルーベリーマフィンとスコーン。クロテッドクリームとあんジャム。
◼️岸本佐知子「なんらかの事情」
どこまで行くねん!というネタは相変わらず。くすくす笑える翻訳家のエッセイ。
「ねにもつタイプ」に続くお笑い妄想エッセイ第2弾。シュールな挿絵つきの、3ページ程度のお笑い文章が53作品詰まっている。
今回もププッ、クスクス、となったこと数知れず。オモロいなあ〜と思いつつ読了。
ファンも多く、みなさん書評あげられてますので、詳細はそちらにお任せするとして、私がウケたのをネタバレでご紹介。
「瓶記」
ジャム作りのため貯まっていた瓶を断捨離することにし、ズラリと並べて、バルコニーから群衆を見下ろしているような気分になり「愚民どもめ」とつぶやき悦に入る著者。
佐知子王に対して、いちばんたくさんある「アヲハタ」の瓶の一族が今回の処置の理不尽さを訴え、ギンガムチェックの大小の瓶たち母子は「ママン!」「子供たちを返して!」と泣き喚き、オリーブの瓶の旦那は妻のもとに駆け寄る。ウニの瓶の賢者が諫言するー。
シチュエーションコントっぽくて心の中でギャハギャハ笑った。
「やぼう」
あいうえお論。「ぬ」と「め」は似てるだけに険悪な関係であるに違いない。しかし似た文字が必ずしも仲が悪いわけではなく「く」「つ」「の」「へ」といった「一筆書き族」は同族意識が強い。特殊なのは「あ」と「ん」で「あ」は何と言っても五十音の先頭なので王侯貴族的な選民意識があり、評判が良くない。「ん」は一筆書き族からの誘いは「遠いから」と断り続け、かつてのめざわりな存在、「ゑ」亡き今、五十音界制覇の野望を胸に孤高を保っているー。
普段目にしている、耳にしていることについて、小理屈というよりは圧倒的な妄想力を駆使しているやに受け取れる。あーそういうのあるある、と笑うよりは、そうきたかーとウケる感じ。時折り覗くショート・ショートっぽい結末も一冊にたくさん集めるといい色合いだ。
今回も楽しませてもらいました。まだあるなら探して読もっと。
◼️木内昇「球道恋々」
野球害毒論も含め、暑苦しいっっ。明治、大正の野球、でもこのエネルギーがわりと好きです。
木内昇は直木賞の「漂砂のうたう」「櫛挽道守」「茗荷谷の猫」など、ちょっと変わった、屈折率が少し高そうなところに惹かれるものがある。また江戸と明治、という題材が多いのも面白い。
私は、野球好き。極めているわけではないけれど、野球の歴史にも関心があり、日本は学生野球がまず隆盛し、やがてプロ野球が大きく伸張するけれども、高校野球のみならず高校スポーツへの興味が高いのは現在に続いている、なんて考えるのも楽しい。
ひと頃は出張の際、神保町駅すぐの学士会館に泊まり、「日本野球発祥の地」モニュメントを見るのが楽しみでもあった。早慶戦の水原リンゴ事件などの話を読むにつけ、当時の学生野球の現場ひいては社会が内包していたエネルギーを感じたりする。
前フリが長くなりすぎました^_^
明治39年(1906)年、旧制第一高等学校野球部。日本文具新聞という業界紙の編集長・宮本銀平は母校野球部のコーチを頼まれる。学生時代は万年補欠、ヒマそうだからとい理由で依頼されたコーチの役目、有名選手のOBも多く観に来る中、しかし銀平は再び野球にのめり込むー。
銀平はすでに所帯持ち、表具屋の父が病に倒れ、東大進学を諦めて跡目を継ごうとしたものの才能がなく、いまは妹に入り婿を取って商売が成り立っている。周囲には立派な社会的地位を得ている人も多い。
後の京都大学である三高との因縁の対決や学生たちとの関わり、また人気作家で野球好きの押川春浪との関係に朝日新聞が大キャンペーンを張った「野球害毒論」、押川の野球クラブでのプレー・・おまけに妹婿の失踪などというドタバタも絡み、銀平はズルズルと野球に拘泥し日常に埋没する自分を見つめるー。
「打たんかったら詰腹切らせるぞっ」
「野球というのは勝つか負けるかだ。言い訳も申し開きも通用せん。よって選手もまた言い訳無用。そのことをまず、君の腐った性根に叩き込むことだっ」
ああ、暑い、暑苦しい。冒頭の一高vs三高戦、相手の豪球ピッチャーは、振りかぶると太鼓腹が丸見えで、足元は裸足に荒縄を巻いた、口も達者な「鬼菊池」。応援団は石油缶に石ころを入れた騒音発生器を鳴らしまくるし、やたら精神論で猛練習の世界。読んでるだけで汗臭い。おまけに一高生は頭脳が優秀なだけに理屈っぽい笑
ただその時代がかった雰囲気もまた歴史の一部だと思うと、なかなか好ましくもあったりする。新戦術ブント(バント)は武士道野球に反するものか、頭脳プレーか?なんて悩みも面白い。私は神宮球場で、立教の応援団が「明治をブッつぶせー!」と歌ってるのを聴いたことがあるが、あれはやはりこの時代の名残りだろうか、なんて想像が飛ぶ。
そんな周囲の雰囲気の中、銀平は野球を分析し、柔軟な指導にあたる。かつての名投手、名内野手であった後輩も自分たちが苛烈な言動に走りがちなせいか銀平には一目置いている。
部員指導がうまくいかない時もあり、必ずしも結果が出るわけでもなく、しかし着実に、年輪が太陽の方向にふくらむような変化が選手に見られる。
一方で銀平と野球を取り巻く環境もなかなか刺激的だ。神田住まいで江戸っ子の父親をはじめ何かと口うるさく多彩なご近所、妹雪野の婿は講談師を目指していたこともあり調子のいい柿田、妻は幼なじみ、家事上手で肝の座っている明喜、娘の名前も、なんと塁と球である。
直接接触はないが野球害毒論を主張したもと5000円札新渡戸稲造、早稲田の大隈重信、乃木希典学習院院長までもこの論に加わる。さらに一高が強かった頃のカーブ名手、福島金馬に人気作家押川春浪、学生野球の父飛田穂洲(忠順)らたくさん出てくる野球選手、もと選手はすべて実在の人物だそうだ。
主人公の銀平は、環境の変化、出会った人の言動と人生の成り行きに惑いながらも成長してゆく。読み応えのある長い小説、時折ある深みは雄弁だ。
「自分が無我夢中で取り組んだ事柄に、同じように夢中になっている者が続くのがうれしいのかもしらん。そいつが見事に成長すると、自分の幻影がいてまだ技術を伸ばしているような、そんな心持ちになるのかもしれんな」
(福島金馬・後輩の成長を見て)
「だいたい俺は、若ぇ奴のほざく個人主義なんぞ、もともと一切認めてねぇのだ。経験もろくにねぇ奴が、いっくら己を掘ったってなんにも出ねぇだろう。人に接して揉まれる中で、ようやっと己の輪郭ってもんが見えてくるんじゃねぇか。我が身大事で閉じこもって安全な場所で自問自答を繰り返したって、同じところをグルグル回るだけのこった」(押川春浪)
若くはないが、なんか痛いぞ。
「本当に才のない人間は、自分に才がないことすら気付かんもんです。せやから、正当な評価によって駄目を出されても、本人はわからんさけ不当な評価を受け取ると思い込みますんや。挙げ句、自分はもっと評価されていいはずや、認められないのはおかしい、世の中不公平や、と不平不満を募らせるんです。すべては自分が元凶なんやが、自分も世間も見えとらんさけ、始末が悪いっちゅうヤツです」(優秀で率直な一高生投手コーチ)
これらは銀平に対して突きつけられたわけではなく、もっと若い登場人物に向けられたものだが、微妙に影響していると思う。それにしても心のどこかに刺さるなあ。物言いがキビシイ。著者の本音が時代を借りて出てるかな?
この頃から学校の対抗野球はものすごい熱気を帯びていた。早慶戦なぞ応援が加熱するあまり長い中止期間を挟んでいる。おそらく球場は男ばっかりだっただろうし。
明治4年(1871年)、東京開成予科、後の一高にに伝わった野球は急速に広まり、あまりの人気に警戒感が出たが、学生野球の盛り上がりは大正4年(1915年)の全国中等学校野球大会、後の夏の甲子園へと繋がっていく。ザ、聖地オブ聖地ズである。物語の、その幕切れが鮮やかだな、と思う。
「これから野球は、日本中にいっそう広まるはずです。きっと学生たちが当たり前に野球をする日が来る。有望な選手が多数出て、武士道野球をより高みに押し上げるでしょう。そうなれば日本の野球はいずれ本家アメリカを越えていくはずです」(早逝した名投手、守山の言葉)
かつてはずいぶん神宮球場に通った。創建はこの時代よりもう少し後。でも充分に歴史の匂いがする。神宮の朝や昼や夕方の空を見ていると、当時につながってるような気までしてくる。
終わりの方、父親が銀平に訊く野球はまだ続けてるのか、と。ああ、と答えた銀平に父はなおも問いかける。
「『なんだって続けてるんだ?野球の才はないんだろう?才がないとわかって続けるのはしんどいんじゃねぇか』
文句だけ聞けば癪に障るが、親父の声には珍しく、いたわるようなまろみがあって、それが銀平の胸深くに知らず識らず凝り固まっていたものを溶け出させたようだった。」
いたわるようなまろみ、にやられてしまった。やっぱり木内昇はいいな。
長くても上手く織りなしてはある。ちょっと時間空間的に折り合わない部分もあったやに感じたし、やはりちょっと冗長感はある。重厚さと、野球の歴史好きにはたまらない快作だと思います。
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