自家製シフォンケーキ。
男女バレーボールのネーションズリーグを連日観ていた。きのう女子の3位決定戦でほぼひと月に亘った大会が終了した。
世界ランキング16位までの国が男女ともイタリア・リミニに集まり、集中開催でリーグ戦を行う。体力は必要だが、世界の強豪と15試合も実戦を積むことができるのは、チームを仕上げていくのにいい大会だと思う。
女子は、レギュラーセッターを20歳の籾井に替えた。これがハマっている。早いトスでブロックを振り回し、ブロード、バックアタック、レフトセミなど多様な攻撃を駆使して準決勝進出。4位に終わったものの、ここまでの道のりを考えれば上々だ。
オポジットの黒後に成長が見える。レフトの古賀紗理那はドカンと打つエースというよりはテクニックで点を取るタイプへ進化を遂げ、良い感じになっている。
オリンピック本番は死のグループとなったBではなくブラジル1強のAグループ。2位か3位で、Bグループの2位3位と決勝トーナメント1回戦を戦いたい。ABの2位3位の対戦は抽選らしく、2位同士の組合せもあり得る。できれば2位となった中国かアメリカのどちらかと、というのは避けたいところ。メダルを獲るにはブラジル、アメリカ、中国のいずれかを最低1回は倒さなければならない可能性が非常に高い。
前哨戦と本番は全く違う。特にオリンピックは独特の雰囲気だ。でも、ぜひメダルを取って欲しい。
◼️ 川端康成「眠れる美女」
設定も異様、読んでるうちにさらなる異界に誘われる。芥川の「歯車」に似た感じさえ覚えた。
川端シンドロームにして、まだこれは未読だった。さわりを知ってなんだかわけ分からなかったから。読み始めてしばらくは戸惑いもあったものの、終盤は心に長く黒い赤いものが渦巻いているような心地になって、ハマッていた。
「眠れる美女」「片腕」「散りぬるを」の3作が収録してある。
「眠れる美女」は不思議なサービスを供する宿の話。67歳の江口老人は、10代の娘が布団に眠っている部屋で一夜を過ごすことの出来る家を知り、度々通うようになる。娘は裸で、深く眠らされており、見たり触ったりひとつ布団で眠るのは良いが、セックスは禁止されているようだ。
老人は娘に触ったり、時に揺さぶったり、禁忌を破る決意をしたりするが、6人の娘と過ごす中で結局ルール違反はしない。毎回宿が用意する睡眠薬を飲んで娘と一緒に眠り、朝、ご飯を食べてまだ眠っている娘を残して帰る。
男としては不能となった老人向けのサービスらしい。宿の女は悪はない、と言い切る。
江口は眠る女たちをためつすがめつ観察し描写し触り、眠る。部屋はまさに異界であり、天候に由来する音や女の寝言はあるものの、常態ならず無音が支配している感覚がつきまとう。その中に想像力を刺激する特殊な官能の煌めきがある。
娘が眠っていることで、半崎部長が老いた身の惨めさと絶望的な孤独感が浮き立つ。
江口は娘を見つめたり、その肌や若い艶やかさ、女のみずみずしさから、人生での女との邂逅や早くに亡くした母親のことを思い出すー。
エロじいさんの願望そのままのような舞台設定笑。しかし読み込んでみると、老いた葛藤、プライド、もはや誰とも分かち合えない自分の人生で強く感じた印象などとこの場が絶妙にマッチしていて、最後の方は自分の中に複雑で赤黒いものが入り込んできて、ズゥン、という心持ちになった。
カタストロフィも川端っぽくていいかなと。
「片腕」はまた若い娘の右腕だけを借りて家に帰るというSFというか怪奇っぽい話ではある。腕は可愛らしく言葉を喋る。腕から若い女が発散するかぐわしい匂いが巧みに表現されていて、この上なくら耽美的だ。
うーん、これって谷崎の影響じゃないの?と思いつつ、「眠れる美女」の後半は芥川龍之介「歯車」を思い出した。「歯車」は異様な死の臭気に包まれたような心持ちがした。「眠れる美女」も読み手の心を揺り動かすような力を持っていた。
何か単調な題材を取りつつ思い出や人生を振り返っていくという小説手法はこれまでいくつも読んでいる。でも他とは違う特別さに、まだまだ川端シンドロームである。
◼️ 「風船 ペマ・ツェテン作品集」
スススッと読めて、味わい深い。チベットを舞台とした短編集。
あっという間に読めてしまった。シンプルであり、民話風でもあり、テクニカル、小説的。加えて地域性、宗教性が豊かである。
「風船」「轢き殺された羊」「九番目の男」「よそもの」「マニ石を静かに刻む」「黄昏のバルコル」に自伝の短いエッセイ「三枚の写真から」が収録されている。
印象が強いのは表題作か。「風船」はホンモノの代わりにあるものを膨らませている。子どもたちがそれで遊んでいるのを見た父親は、煙草の火で割ってしまう。
父親は牧羊家であり、新疆の種羊を借りてきて種付けをする。その妻は最近夫の精力が旺盛で避妊具がなくなるので不妊治療を受けたいと女医に相談し、余った避妊具を持って帰る。しかしそれは小さい子どもたちに発見されてしまう。
牧羊家が種羊を返しに行った晩、同居の老父が突然亡くなり、手厚く弔った後に妻の妊娠が発覚する。その子は亡父の生まれ変わりとされて周囲は喜ぶが、妻はー。
妊娠・出産をテーマとして構築された絶妙な作品だと思う。地域性、チベット人の一般的な生活と宗教観が示され、羊を子どもを産む装置の象徴として、顧みられない女性の心境が描かれている。微妙なズレ、噛み合わなさをうまく描きつつ、ユーモアがベースにある気がする。
「九番目の男」は若く美しく、愚直な素直さを持つ女の男遍歴の話。それぞれ平明な表現で分かりやすい。それだけに、最後の展開は読んでいる方の心にピシッとヒビが入る感覚があった。
「マニ石を静かに刻む」は大酒呑みが主人公。酔った帰り道に、死んだはずのマニ石彫りの老人が石を刻む音を聞いたという。やがて老人は大酒呑みの夢の中に現れるようになり、グチをこぼしたり、大酒呑みにやって欲しいことを伝えたりする。
いちばん昔話っぽくて、教訓があるのかないのか分からないふう、夢でのやりとりはコント的なようでやっぱり寓話的な感じの話。読んだ後に爽やかな味が残る物語。
「よそもの」「黄昏のバルコル」は効果を出そう、という思い込んだ気持ちが現れている。本来なすべきことを揺らしてみたり、賢い子どもが漢語とチベット語を駆使しして自らが望む方へとコミカルに誘導したり。
それぞれが明確に分かる面白みを備えているようだ。宗教的情緒、もたっぷりだ。
チベットでは一般的な転生という考え方・・久しぶりにお会いした母のいとこさんたちに、戦死した叔父さんにそっくりだ、と最近言われたし、何か信じる気にもなったりして。
技巧を十分に感じつつ、何かどこか、アメリカ的な作風やポストモダンの風味も感じたりする。
またこれが抜群に読みやすくて、びっくりするくらい早く読めてしまった。
この本は、著者が自作を監督した「羊飼いと風船」が劇場公開されるので日本語版作品集を出してみてはどうか、とペマ・ツェテン本人から、何年も同氏の小説を翻訳している訳者に直接声がかかったそうだ。
映画は興味を持ちつつも緊急事態宣言で自粛してしまった。繋がっているこの本を読んで満足感は大きい。だからよけい映画が観たくなってしまった。レンタルであるかなあ
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