外出せずに何をしていたかというと、野球も見るが、今年はBリーグを楽しんでいた。
コロナで多くの試合が延期または消滅となった。あす月曜日がようやくリーグ戦最後の試合。しかも試合に臨む両チームの片方、渋谷はこの試合で最終順位が決定するという混戦。
プレーオフは東地区順位順に宇都宮、千葉、川崎。西地区は琉球、大阪、三河。ワイルドカードは渋谷が勝てば上位、負ければ下位。もう一つのワイルドカードは富山で結果待ち。
東地区3位ながら、いま最強は川崎だと思う。ディフェンスが異常に強いのに加え、ビッグラインナップといって、2m超の3人が同時にコートに入ると得点力が急激にアップする。日本代表キャプテン、篠山竜青のがんばりやキャプテンシーもいいと思う。得点力のある大阪と初戦、勝てば全体1位の宇都宮。楽しみだ。
私の推しは富山初のプロスポーツチーム、富山グラウジーズ。外国人が2人しかいないが、その2人、オールラウンダーのマブンガと重量級センターであるスミスは両方ともリーグ月間MVPを取るなど実力派。チームはリーグで最も得点が多い。失点もかなり多いけど笑。日本人もよく動き、チームとしてまとまっている小さな強豪。
B2は一歩先にプレーオフに突入した。ところが、地元、西地区優勝の西宮が最初の対戦で敗退してしまった。来年はB1に昇格して、地元の行きやすい体育館で千葉の富樫や、富山の戦いをみたかったのに。がっくり。
まあ切り替えてB1のプレーオフを楽しもうと思う。高校のバスケ部同級生たちとわやわや話しながら観るのが面白い。
そして、星出宇宙飛行士がISSへ向かう打ち上げ、到着に乗り込み、野口飛行士の帰還のYouTube中継を楽しんだ。
家にいても、それなりに感じることの多いGWだったかな。
◼️ 油井亀美也「星宙の飛行士」
ISSから撮影した宇宙、地球、世界。タイトルはあの名曲から?
宇宙飛行士の著者はISS滞在時、ここでしかできないことを、共有できることを、と宇宙から見た宇宙、そして地球外縁、世界の超高空からの撮影にトライしたとのこと。
画像の手前には日本の補給機「こうのとり」ほかISSの一部などが非現実的に巨大に迫り、地球の外縁がさまざまな色に染まって美しく、星空はよくできた舞台芸術に見えないこともない。それら全てで、常人には見ることの出来ない「現実の異空間」というものを形作っている。
先日、星出宇宙飛行士を乗せたISSへ向かうロケットの発射、ISS到着と乗り込み、そして野口宇宙飛行士の地球帰還をYouTubeの生中継で見て、図書館で目についた本書を借りてきた。
著者は防衛大学で戦闘機のパイロットとなるべく高度な訓練を受け、JAXAの宇宙飛行士募集に応募、夢を叶えた。39歳にして飛行士と認定されたため当時は中年の星、などと呼ばれたようだ。サラッと書いてあるけども、相当なスーパーエリート。野口さんの著書を読んだ時もそう思った。そりゃそうだよね。
JAXAの一連の番組はロケット発射から軌道制止?まで迫力があり、帰還はパラシュートで降下する宇宙船をカメラフォロー、着水、船への引き揚げなどを生中継していて、時代が進んだことを感じさせた。
番組の中で、宇宙飛行士は訓練の期間が長いから、打ち上げを楽しみにしている、という解説があった。この本にも訓練のことは触れられている。ロシア語没入訓練、「宇宙兄弟」でもあった20mの水中で過ごす訓練にサバイバル。
オーロラと星空の写真、また流星群が地球に向かって落ちて行くのを上から見る話、高空から見た都市や富士山、興味深い写真がいっぱいだ。油井飛行士のYouTube動画では、オーロラの海を泳いで進んでいるかのような場面もあって、ホント1回でいいから生を見てみたいと思わずにはいられない。
今回の一連の、自宅での体験は、気がつけば宇宙時代がどんどん進んでいることを、気づかせた。少し未来の設定であるはずの「宇宙兄弟」とややもすればもうオーバーラップしているのではないかと。
本書のタイトルは、リチャード・クレイダーマンの名曲のもじりかなと思う。そう、まさに読みながら「星空のピアニスト」のメロディーが頭の中でヴァリアントに鳴ってたのでした。
◼️ 莫言「赤い高粱」
生のエネルギーと、そして・・色!
ノーベル文学賞作家である莫言が1980年代に書いた作品。荒々しさ、凄惨さの中にうごめく生々しい人のエネルギーを感じ、広大な高粱畑を舞台にきらめく色彩表現に唸った。
在宅勤務の慰めにと、明かり取りの窓に映画のパンフレットを並べている。「初恋のきた道」「あの子を探して」「活きる」とチャン・イーモウ監督特集にした時、そういえば「紅いコーリャン」を観てなかったな、と思い返していた。そして週末に図書館に行き、他の本を探していたら原作が目の前に見つかって即借りて来た。本との出会いは不思議なもの。
1939年、山東省。盗賊の首領である余占鰲は高粱畑に潜み、村の精鋭を組織し、日本軍にゲリラ攻撃を仕掛ける。余は兵の食糧としての餅を作って持ってくるよう妻・戴鳳蓮に伝えるため、言付けた息子の豆官を家に走らせる。
戴鳳蓮は金持ちの造り酒屋にいやいや嫁がされる道中、強盗から救ってくれた籠人足の余と情を通わせたのだった。そして、日本軍が姿を現した時、餅を抱えた鳳蓮らが土手の上を走って来たー。
背の高いモロコシ系の高粱が無数に植わっている広大な畑、それを中心とする広大な大地。殺人、瀕死、死骸、刑罰、泥、血など、決してきれいではないものを荒々しく混ぜ、余の破壊的な行動、鳳蓮のしたたかさ、さらに両者の純情、匂い立つ男女の若さが覗く。
物語は1939年と過去を行きつ戻りつする。2人の出逢い、再会、造り酒屋を手に入れた経緯、日本軍の横暴、そして凄惨なゲリラ戦。決してきれいではないが、雑多な中に人の生きる力を感じた。
真っ赤な高粱の実、葉茎の緑だけでも鮮やかなのに、色の表現がおちこちに散らされ、息を呑む。
鳳蓮は県長に厳しく詮議され、倒れる(芝居をうつ)場面。語り手は全編にわたり余と鳳蓮の孫である。
「髪をまとめていた銀かんざしが落ちて、まっ黒な雲のかたまりが、滝のように流れくだった。祖母は顔を金色に輝かせ、おいおいと声をあげて泣き、けたけたと笑った。唇のまんなかから、真っ赤な血が流れ出た」
動きの流れるような躍動感と狂気、銀と漆黒と輝く肌の色と、濃い赤。
また他にも
「血のように赤い、悲しげな月のまわりを、いくつかの緑色の雲が守っている」
「松明の火がついた高粱の葉がジージーと音をたてておどり、広い高粱畑のなかを火の蛇が飛びまわる」
といった想像力を刺激するシーンが、さりげなく、時に刺すように現れる。
この作品はチャン・イーモウ監督の映画作品がベルリン映画祭の最高賞である金熊賞を獲得、評判が高まった。
チャン・イーモウといえばその色彩感が非常に印象的な巨匠。そのルーツは「紅いコーリャン」の原作にあったのかと、意外な感慨深さを覚えた。
うーん、というところもあるけれど、物語が持つ力、を考えさせる作品でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿