2021年5月9日日曜日

4月書評の6

4月は11作品。読書で最も集中できるのは電車での移動中。在宅勤務はペースが崩れる。

緊急事態宣言も3回めなのにまだまだつかめないな〜。季節柄もいいし、外出したい気がむくむくと。がまんガマン。


◼️Authur Conan Doyle
「The Problem of Thor Bridge」
(ソア橋の難問)

月イチ、シャーロック・ホームズの短編を原文で読んでます。いやーやっぱ難しい。

まだ5つ。まずは56の短編を制覇することが目標。何年かかるか^_^

金鉱王の妻が死体で見つかった。広大な地所の石造りの橋の近くに倒れていて、頭に銃創があった。金鉱王が関心を寄せていた住み込みのガヴァネス、女性家庭教師の部屋から拳銃が見つかり、容疑をかけられる。金鉱王はホームズに横柄な態度で依頼するが、ホームズははねつけるー。

晩年の短編集
「The Case-Book of Sherlock Holmes」
(シャーロック・ホームズの事件簿)より。

「ソア橋」はまた別の意味で興味深い。最初の方に、銀行の金庫にワトスン氏がブリキの文書箱を預けていて、その中には、雨傘を取りに自分の家に戻り、そのまま姿を消したジェイムズ・フィリモア氏の事件など3つの「語られざる事件」があると言及されている。フィリモア氏のパスティーシュはたくさん読んだ。後年の作家により創作されている人気の事件。

さて本編。この話は良かれ悪しかれ人間力というものが表に出ている。たくさんの人間を破滅させてきたという押しの強いミリオネア、ブラジル出身の過度に情熱的な妻、若く聡明で美しいガヴァネス。

金鉱王は、金も名誉も思いのままだ、さらに

"Name your figure!"値段はいくらだ!

とのたまう。

あれこれあって、ホームズは

that you have tried to ruin a defenceless girl who was under your roof. Some of you rich men have to be taught that all the world cannot be bribed into condoning your offences."

あなたは、あなたの保護下にある無防備な女性を破滅させようとした。金持ちの中には教えてもらう必要がある者がいる。自らの罪を容赦してもらうために世界中を買収することはできないと

You have a good deal yet to learn
まだまだ修行が足りませんな

なんて手厳しすぎる言葉を浴びせるわけです。あちこち抜粋してます。

さて、容疑者のガヴァネス、ミス・ダンパーが黙秘しており、ホームズは現地踏査ののち面会する。事態は差し迫っている、全部話しなさい、と事情を聴いて、物語はぐっと動く。

で、その時何があったか、橋に刻まれた手がかりから再現して解決、となる。

再現まで、ホームズは自分の思考に沈みつつあれこれ呟く。現地警察の有能な警部も「この人、正気か?」という態度を取る。ワトスンでさえ

"I hardly follow you."
ゴメンちょっと何を言ってるかよく分かんない〜と突き放すのが面白かった。

今回のトリックは日本の推理作家にも影響を与えたようだ。ドイルは実際の事件をモデルにして小説化したとか。

初期の作品に比べ、晩年に行くに従いホームズ物語は興味深くもややパワーダウンする、と私は思っている。

この作品も、女嫌いのはずのホームズが、ミス・ダンパーを見たとたんに彼女を信じる気になったり、また確かに金鉱王の妻が死ねばガヴァネスには利があるわけだが、事件の設定が最初から出来すぎだなあという印象があって、ピタピタとはまらない気はする。ミス・ダンパーも自分が金鉱王に影響力があると知ってその財力を社会に還元しようとしていた。

私の知る女性のシャーロッキアンから、これはホームズ物語の中でもスカッとする一篇だ、と聞いたことがある。

私的には、疑問符はあるものの、人間力、男性の身勝手さ、ホームズの態度を全面に押し出し、心の旅路を描いているところは好ましいと感じている。アメリカで財を成し、南米の妻がいるというのもホームズ物語の特徴を地でいっている。ソア・プレイスや周囲の光景を控えめに表現している部分もいいかなと。

全体のうちの彩りをひとつ成している短編だと思います。

◼️ 「老子・荘子」

老荘思想がパッパと説明できればカッコいい。でも難しかった・・。

数年前から漢文を少しずつ読んでいる。どれも簡単ではないけど、唐代の漢詩から入ったせいか、それより1000年以上前の文物は難しい。

諸説あるが老子は紀元前6世紀春秋時代の人らしい。孔子とも会っているようだ。老子を読んでまず感じたのは「道」を説き、儒家の教えを強く否定しているイメージ。

「大道廃れて仁義あり」
私のいうほんとうの道がなくなったので世の中には仁愛とか正義とかがもてはやされるのです。

道、について。うむむ。

「無為にして為さざること無し」
作為的なわざとらしいことは何もしない段階に至ると、逆に何事でも為し遂げることができます。

儒家は古代の聖人たちの教え、煩瑣な礼儀しきたり、騒々しい音楽などを重んじた。ここもなかなか強烈なアンチテーゼかなと。

「我無為にして民自ずから化し、我静を好みて民自ずから正し、我無事にして民自ずから富み、我無欲にして民自ずから僕なり」

私は何も手を出さない。すると民は自然に感化され、私はもの静かな態度を好む、すると民衆は自然と正しくなり、私は何事へも干渉しない、すると民衆は自然に豊かになり、私は無欲の立場を守る、すると民衆は自然に純僕になる。

これをしないとどうなるか、は実は同じ章に書いてある。

これはするな、と干渉が増えると人々は一層貧困になり、民衆の間に奇妙な道具が増えると、世の中は一層混乱し、人々の間に目新しい技術が広まると、奇妙な機械が次々と作られて欲望を刺激し、お上が出す法令が細かになるほど、盗賊が多くなる。

結論は理想に過ぎるように思える。ただ前段は一種現代にも通じるような感覚がある。老子が好まれる理由のひとつ、かも?

仁義は孟子がまとめたそうだが、当時おそらくは沢山の一門があってうるさく理屈を言いたてる状況もあったのではと思わせる。知識を振りかざさない、足るを知る、やたらと無駄な動きをしないなどは、ああそうだよなあ、足りたことはないけど、あ、これがいけないのかも、なんて思う。

ただやはりそこを攻撃しようと思ったら老子自身も結構言を増やさざるを得ないんだろうなと思った。


「荘子」は大横綱、大鵬のしこ名の元になった巨大で雄渾な鳥「大鵬の飛翔」が冒頭に来てロマンを感じさせる。このままSF小説を始めてもいいくらいの筆致。

面白かった話だけひとつ。「輪扁問答」。

桓公が昔の聖人の書物を読んでいた。そこへ車大工の扁が

「殿様がお読みになっているのは昔の人の残りかすですな」と。

桓公は怒った。
「車大工ふぜいが何をいうか、申し開きが出来ないと死刑だぞ!」

扁は、

私は車輪を削っていますが、微妙なあんばいは口で言い表すことは出来ません。息子にも正確に教えることが出来ない。昔の人も、一番大切な、他人に伝えることの出来ないものは心の中に持ったままで死んでいったはずです。してみれば、殿様の読んでいるのは、昔の人の残りかすではありませんか。

老子、荘子、共通のこととして、言語に対する不信感があるようだ。扁が言うのはその通りだが、これも世相に対するあてつけっぽくも、なくはない。

荘子は問答をして、荘子がいつも文句ばかり言っていた相手の恵子が死に、萎れている言葉も読んで、少し切なくなった。

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