2021年5月9日日曜日

5月書評の1

月と火星の接近、きれいにかかった虹。

ゴールデンウィーク、ことしは4/29木、4/30金、5/1、2が土日、憲法記念日、みどりの日、こどもの日。何をしていたかというと、晴れれば生活用品を買い足したり、図書館に、ほんの少しだけ外出、雨ならそれすらしないというステイホーム体制。

来年奈良に行ってたような気がするが、遠出はないな。

◼️白洲正子「能の物語」

静御前に六条御息所の怨霊に巴御前・・

能は出演者が豪華。聞いたことある話、を少し深めに堪能する。

日本画家、上村松園が多く謡曲から材を得ていることから能に興味が出た。この本は、能の脚本である謡曲、うたいを物語にしたもの。


間を大切にする、お能を目で見るように書く、幽玄な雰囲気を壊さぬよう注意することに重点をおく、言葉の意味より、文章のリズムのほうがたいせつ。

「はじめに」からどこか気迫がほとばしる。観察者ではなくて身内感。著者は4歳の頃から能を習い、女人禁制の能楽堂に女性として初めて立ったと方とのこと。すわ、本格的。なるほど。

収録されているのは21のごく短い物語。

「井筒」「鵺」「頼政」「実盛」「二人静」「葵上」「藤戸」「熊野」「俊寛」「巴」「敦盛」「清経」「忠度」「大原御幸」「舟弁慶」「安宅」「竹生島」「阿漕」「桜川」「隅田川」「道成寺」

物語間の流れを重視してか、源平合戦の関連の話が多い。序盤、「井筒」は伊勢物語、「葵上」はもちろん源氏物語、後半の「竹生島」以降はまた違うが他は、少なくとも源平の武者が出てくる。

「藤戸」は源平合戦で、藤戸の渡しで先陣となった佐々木三郎盛綱が浅瀬を教えた漁師を口封じのため殺し、その母に責められる話。
「俊寛」は平家討伐の密儀をこらした鹿が谷の陰謀が露見して鬼界ヶ島に流された僧にまつわる悲劇で、芥川龍之介らも小説化している。
「大原御幸」は子の安徳天皇とともに関門海峡早鞆の渦潮に身を投げたが源氏方により引き揚げられ、恥を忍びながら京都の寂光院に暮らす建礼門院を後白河法皇が訪ねる微妙な雰囲気の話。

「舟弁慶」、そして弁慶が義経を打擲する「安宅」、木曾義仲の愛人にして勇壮な女武者である「巴」と聞いたことはあったがなかなかきちんと理解していなかった素材ともいえる物語の流れを見るのは楽しい。

おおむねは成仏できない史上の人物が出てきて、舞台らしい仕掛けが伺える進行があって思いを晒し、やがて手厚く弔われる。史上の人物ではないが、葵上に取り憑いた六条御息所も取り払われ、御息所は心の安らぎを得て成仏する。上村松園が「焔」という作品で描いているこの怨霊の姿を思い出す。

「大原御幸」や「桜川」は人のみの話、また「道成寺」は娘が変容した大蛇と僧たちの戦いだ。心に切々と訴えかけるもの、どだーんと亡者たちや妖怪と争うもの、歴史の残滓など長く人口に膾炙してきた様々な伝説、古典の題材を読んでいると確かに何らかのリズムがあるような気がしてくる。

最も心に残ったのは「二人静」。花の名にも、中森明菜の曲名にもありますね。

源義経の愛人の白拍子、静御前の霊が吉野の若菜摘みの女に乗り移り、神社の神官に弔って欲しいと頼む。神官は舞を舞って見せてくれたら弔うと請け合う。静の霊は神社に所蔵されている自分の装束を正確に指定し、身につけて舞殿の上で舞う。

舞うのは静が憑依した娘だが、どこからかまったく同じ姿の女性が忽然と現れて、かたわらに寄り添って舞いはじめた。二人は義経と過ごした過去の憶い出を声をそろえて語り出した。


奈良・吉野まで一緒に落ち延びた静御前は吉野山の奥へ奥へと逃げるが、足手まといとなるため、そこで義経と別れて京に戻ることになる。途上で源頼朝に捕らえられ、鶴岡八幡宮の衆人の前で舞えと命じられる。

屈辱の舞、しかし静は

賤(しず)や賤 賤の苧環(をだまき) くり返し
むかしを今になすよしもがな

たとえ賤しい白拍子の身でも、義経の全盛時代を復活させてみせたい、と歌った。

この歌は頼朝を激怒させたが、北条政子が「そりゃ私だってああ歌うわよ」ととりなして命を助けたんだとか。

二人の静はやがて一体となり、亡霊は花吹雪とともに去る。

二人の人物の玄妙なオーバーラップは、「井筒」にも見られる。想像では美しく儚い物語。

白洲正子氏は書いておられる。

「この本を読んだだけで、お能を知ったと思っていただきたくはない。(中略)多少でも興味をおぼえた読者の何人かが、本物のお能に接したいと思ってくださるならば、著者にとって、それにまさるよろこびはないのです。」

私は能のことを知らない。でもこの「二人静」はどう演出されているのか。やっぱり観たくなります!

「安達原」「鉄輪」「紅葉狩」といった鬼ものも迫力がありそうで興味があるし、約250あるという演目が合わないこともあるかも知れないが、探して、観に行きたい。


◼️坂口安吾「桜の森の満開の下」

名作を初読み。冷たい風。静寂が張り詰める。

ストーリー進行は菊池寛「恩讐の彼方に」とか芥川龍之介「偸盗」を思い出したかな。王朝ものとは思わなかった。しかし話の焦点は独特なものがある。

鈴鹿の山に無慈悲な山賊が住み着いた。通りかかる旅人から金品を奪い、男からは着物を剥いで、その女房を気に入れば奪って自分の女房にした。山賊には怖いものがあった。満開の桜の森の下には、ゴウゴウ風が鳴るようでいて物音はなく、自分の姿と足音だけがあり、それが冷たい動かない風につつまれていて、目をつぶって叫んで逃げたくなるのだった。

ある日美しい女の夫を殺して女を山家に連れ帰った。この女が大変なわがままだった。不潔を嫌い、山暮らしを厭う。しかし衣服の組合せ、長い髪の手入れなど経験したことのない美を見て、男は感じ入っていた。

女の意見で京都暮らしを始めたが、女がさまざまな身分、タイプの首を欲しがり、男は取ってきて与えてやった。女は首どうしでのままごと遊びに耽る。嫌気がさして女とともに山に戻ろうとして満開の桜の森を通った時、男には、抱えている女が鬼に見えたー。

坂口安吾の作品の中でも人気、評価が高い作品だそうだ。通常美しく賑やかめ、春と、新しい年度の到来を告げる桜の風景。ただ、重なり合う桜の花にゾクっとするもの、幻想的なものを感じることがあるというのは畏怖も幻想も頷けてしまう。

公園で満開の桜を仰ぎ見てぐるりと眺め回した時、またさんざめく花の帯と春らしい空には深く対照的なものがよく似合う。

何故かお人好しの面が強いが、残忍で無慈悲な山賊の心象の中で、桜の裏側に潜むものが膨張し強い緊張感を生んでいるのはなかなか面白い。

最初は山賊をうまく切り回しているかに見えた女に狂気が宿る。力を手にして自分より上に見えた者を文字通り切り捨て、都で華やかに暮らしながら、グロな趣味に耽る。無慈悲で桜を恐れていた山賊は山と桜を懐かしむ。

ラストは破滅的で美しく、能の芝居を感じさせる。

グロは苦手だけれど、短いながら、読み応えがあって、書かれた時代をも感じさせる。「不連続殺人事件」しか読んでなかった頃に比べると、坂口安吾のイメージが変わってきた。ふむふむ、という感じです。

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