福岡から帰って奈良めぐり。といっても寺や神社ではなく、学園前の松柏美術館。
上村松園の日本美人画を見て、息子の松篁、孫の淳之の甘い堪能。駅の反対側にある大和文華館では白磁の展覧会を見た。敷地内に福島県の三春の瀧桜の株分けがあって、大きくて綺麗だった。
◼️ 有島武郎「一房の葡萄」
久々に青空文庫で短編。プリミティブな優しさに明るい気持ちになる。
青空文庫のおすすめランキング、というのをwebで見つけて、7位に入っているこれを読んでみた。幼年時代らしい感性と、ぐずぐずしたうまく表現できない気持ちと、女の先生への憧れ。優しすぎるオチにホロリとし、かつ明るい心持ちになる。
横浜の山の手の小学校に通い、帰りに海岸近くを通って帰っていた僕は、海に商船や軍艦が並んでいる光景を家で絵に描いていた。透き通るような海の藍色と、船の水際近くに塗ってある洋紅色がうまく出せなかった。
僕はクラスメイトのジムが持っている舶来の絵の具、その藍と洋紅が欲しくてたまらなくなり、盗むがすぐに発覚、ジムたちに憧れの担任の先生のところへと突き出されるー。
洋紅色とはわずかに紫味の入った赤色で、カーマイン、カーミンレッドなどというらしい。色の名前はともあれ、喫水線までの船体の、赤系統の色はすぐに想像できる。そこに洋紅、という名がつけられたような気がした。
理知的な担任の先生はすばらしい措置を講じる。モダンな景色、想像できる色合いの明媚な風景、ハイカラな絵の具が呼び起こす羨望の感情、幼年の心の揺れが見事にマッチした、悪意のない物語と言えるだろう。私はホームの都市が神戸なので、ちょっと共鳴したかな。
小学生のころ、皆に好かれていた女の先生が担任で可愛がってもらった。就職時にも電話をくれた。名前も名乗らず「私よ私、げんきー!?」というのには苦笑したけれども、いてくれて本当に良かったと思う。
次は田中英光という人の「オリンポスの果実」でも読んでみようかと。
6位が「檸檬」でオリンポスは5位。4位3位は坂口安吾で2位が宮沢賢治のアレで、1位は芥川の「トロッコ」。たしかに「一房の葡萄」っぽい。ここは著者の好みかも。
私的にはおなじ芥川でも「蜜柑」を推します^_^
◼️ 杉本苑子「能の女たち」
上村松園の謡曲から能で杉本苑子。つながってる感が強い。
上村松園の絵の解説を読んでいると謡曲から題材を取ったものが多い、と。謡曲とは能の曲、謡(うたい)らしい。ほんのりと興味が出てきて図書館で良さそうな本ないかなと見てみたところ、杉本苑子さん著の本書があった。
「天智帝をめぐる七人」など古代歴史ものの著作を好ましく思っていたので即借りた。杉本さんでなければ借りなかったかも。これも出会いかな。
本書はタイトル通り12の能の演目に出演する女性たちにフィーチャーした本。用語集もあって嬉しい。
取り上げた演目と女性は
「清経」の愛人
「黒塚」の鬼女
「恋重荷」の女御
「羽衣」の天女
「鉢木」の妻
「鉄輪」の女
「海人」海女
「松風」の妹
「籠太鼓」の妻
「隅田川」の母
「藤戸」の母
「山姥」の老女
といった12人。どこか小説の中で見かけ袖擦りあったことはあるかもしれないが、一つもよく知らない、が正直なところ。
鬼や山姥のほか、幽霊もよく出演している。ざっと読むと、やはり悲恋や生き別れが主題のものが多く悲しい結末もある。しかし、どこか判官びいき的、観ていてスカッとしたり、報われて終わり、という演目も多いようだ。
例えば「籠太鼓」は脱獄した夫の代わりに牢に入れられた妻が発狂したふりをして人の好い役人の武士をやり込め、夫ともども無罪を約束させる。
「藤戸」は源平合戦のさなか、功名の陰で源氏方の佐々木三郎盛綱に漁師の息子を殺された母親が盛綱と会い、罪を追及し認めさせる。
ふむふむ、なるほど。男女の悲恋ものも高貴な階級のスキャンダラスな部分がウケるのはシャーロック・ホームズと一緒だな、とか思いつつ読んだ。私的な好みでは鬼や山姥に心惹かれる。
「黒塚」の鬼女、は福島県二本松市のホームページに載っている、奥州安達ヶ原の鬼婆伝説の脚色もの。
山奥に棲んでいる人食い鬼女のところへ東光坊祐慶ら山伏の一行が一夜の宿を求めて来る。
鬼女は高名な修験者ならば元の人に戻してくれるかもしれないと思い、正体を隠してもてなす。山伏たちの暖のため、外へ薪を取りに行く時
「私が帰るまで、この閨の内をごらんになりませんように」
と言い残すが、山伏たちはそこに死骸の山があるのを見て、逃げ出す。見たな〜と追って来る鬼女に逃げ道を断たれた山伏たちは声高に祈る。鬼女は退散するー。
まさに子供の頃に胸躍らせた民話の世界。しかし昔話と違い、救われたい女の心情を底に敷き、山伏たちの仏法に抗って猛り狂う自分をふと客観視し恥じて、鬼のまま生きる運命を受け入れる、という悲痛な諦観を鬼女に持たせている。
「鉄輪の女」は夫に見捨てられた先妻が鬼と化す。五徳を頭に逆さにかぶり、角に見立てられる3本の脚に火のついた灯心を結ぶ。すごい迫力、調伏するのは安倍晴明という派手さ。
不実な男への怨念を晴らす物語。昔は「後妻打ち(うわなりうち)」といって、夫が先妻を離縁して後妻と結婚するとき、先妻が徒党を組んで後妻を襲うこともあったとか。これも庶民的感情?こわっ。
ラストの「山姥」の老女は意外な展開を見せる。
百万(ひゃくま)山姥、という芸名の曲舞の名手がいた。彼女は「山姥の山廻り」を得意として謡い舞い、洛中洛外に名をとどろかせていた。
かねて信心していた善光寺に参詣すべく、山越えの道を行く。するとあたりが暗くなり、老女が現れる。
「私は本当の山姥だ、あなたの名声を聞き、謡いが聞きたくて、待っていた。ウチに宿して、月が出るころ、謡ってほしい。その時私は移り舞いに舞ってみせよう。」
百万はびびるが、約束通り月が出るころ謡い始める。すると山姥が姿をあらわし、豪華絢爛な衣装に山姥の面で、堂々と移り舞い、かき消えるー。
詞章が、山姥の超自然性を表現しており、月光の中、ほんものの山姥の舞は、その成り立ち、
性質をも示しているかのようだ。
そもそも山姥は昔話でコワーい存在。それがよくも私の名を騙ったなぁ〜と百万に怒るわけでもなく、食うでもなく、美しく妖しく、激しく舞い踊るのだからかなり予想外。しかしそもそも山姥とは、また、曲舞と観阿弥との関係とは、ということも杉本さんは盛り込んでいる。百万は実在した踊り手らしい。
正直、能、狂言、謡曲、さらに歌舞伎、人形浄瑠璃などの知識は小説で読みかじるくらいでほとんどなかった。でも今回はどこか縁も感じている。
杉本さんの能への愛着と、出演女性についての深い洞察を堪能した。
良い読書でした。
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