2021年4月17日土曜日

4月書評の1

姉がインスタに載せる写真に凝っているらしく、途中で止まって、「玉ボケ」狙い。こういうとこも糸島、ドライブしがいがある土地柄。

翌日中に帰るので、宮地嶽神社を初訪問。評判通り、いい眺め、のどか。


️ 藤原道綱母「蜻蛉日記」

和歌の才には感嘆。恨み言ばかりの中にはどこか見えるものがある。

古典は少しずつ読んでいて、次は何にしようと思っていた。国語の先生と話した時に「蜻蛉日記」を薦められて手に取った。以前室生犀星「かげろうの日記遺文」を興味深く読み、犀さんが原作をどう翻案したのかも楽しみだった。

高級貴族の娘、美人で和歌の才にたけている著者・道綱母は、藤原兼家に求婚され妻となる。兼家は目覚ましい出世を遂げる磊落な男。先に時姫という妻がいた。さらに小路の女、後年には近江の女などに手を出して訪れも途絶えがちになる状況に道綱母は耐えられず、兼家が来てもプンプンと怒り、冷たい態度を取る。

上巻は贈答歌のやりとりで恨み言満載、さらに兼家の邸宅のすぐそばに住まうことになるが時姫と道綱母の従者が喧嘩してしまい、離れた所へ移る。また時姫は二男三女に恵まれて妻のしての地位を固め幸福そうに見えるのに対し、道綱母は息子の道綱1人だけ、というところにも引け目を感じる。

中巻では夜離れ(よがれ、夫の訪れがなくなること)がひと月以上ともなり、石山寺への参詣や般若寺でのお籠り、また世が騒然とした969年の安和の変なども盛り込んである。夫を想い、やりきれない心のうちを繰り言として述べはするが、新鮮な描写と独詠歌が特徴的。下巻はかき消えるような印象で終わる。

人生がうまくいかない、というところは「更級日記」にも似ているか。

藤原道綱母は三十六歌仙にも選ばれている。技巧を凝らした歌が多く盛り込まれている。

「うたがはしほかに渡せるふみ見れば
ここやとだえにならむとすらむ」

(なんて疑わしい。よその女に送ろうとする手紙を見ると、もう私のところにはおいでにならないおつもりなのでしょうか。)

文箱を探ると、女に宛てた手紙を発見。兼家を咎める歌。疑わしに「橋」、文に「踏み」、渡すには「手紙を渡す」「橋を渡す」の意をかけるなどして、橋の縁語でまとめている。咄嗟にも滲み出る技巧というか。兼家は妻の追及にも「あなたの気持ちを試してみようと思ってね」などとのたまう。


「嘆きつつ ひとりぬる夜のあくる間は
いかに久しきものとかは知る」

(嘆きながら独り寝をする夜の明けるまでは、どんなに長いものかをご存じでしょうか。門を開ける間さえ待ちきれないあなたにはお分かりにならないでしょうね。)

怪しいと思っていたところ、ある日宮中に用が、と不自然に出ていったので召使いに兼家の後をつけさせ、小路の女のところに行ったのを知る。そして夜やってきた兼家が戸を叩いているのに無視、締め出しを食わせる。兼家は待つことなく帰ってしまう。その後贈った歌。


夜が明ける、と戸を開ける、を掛けている。百人一首にも入り、気持ちをこの仕打ちにも兼家は、夜が明けるまで待とうかとも思ったが宮中から使いが来たから帰った、と怒ることもなくしゃあしゃあと受け流す。


まあそれがなければ、この日記のメインテーマも薄れるのかも知れないのだけれど、意外だったのは藤原兼家が、冷たくされても道綱母が怒って機嫌が悪くても、のらくらと通いをやめず、気を遣ったり機嫌を取ったり世話を焼いたりとプッシュすること。この時代、しかも権勢を誇る人なら見捨てることもありそうな気がする。

極上の歌人にして美人の誉れ高い道綱母、不仲なのが不名誉なのか御したい欲望があるのか。道綱母にしてみればその辺も都合の良い扱われ方をされているようで嫌なのだろう。しかしこれほど想い恨み悩み患うということは兼家に強い気持ちがあるからで、それもはっきりと分かる。間に挟まれあたふたとする少年の道綱がちょっとコミカルでかわいそう。

やがて小路の女は寵愛を失い、子どもも死んでしまう。著者は「今ぞ胸はあきたる」今こそ胸のつかえがおりてすっとした、と憚りなく、ある意味正直に書く。葵祭見物でライバル時姫に会えば自分に才のある連歌をふっかけ、嫌がられる。なかなかドロドロもしています、はい。

少し長くなるが室生犀星の「かげろうの日記遺文」の話も。

「遺文」では道綱母は紫苑、小路の女には冴野と名が付けられている。時姫と紫苑に嫉妬心をぶつけられた冴野は子を失った悲しみの中、紫苑・道綱母にこう諭す。

「殿が来た時、なぜ優しくお迎えにならないのですか。それをなさらないために、その日のはじめのお眼見えがつぶれてしまうのです。あなた様が優しくようこそと仰せられれば、もうそこには殿はご自分のお悪いところがお気付きになられます・・」

さらに冴野の失踪を嘆くあまり兼家は紫苑に「冴野をかえせ」と迫る。

実は、小路の女が著者を諭したり、兼家が取り乱したりという発想の元になった記述があるのでは・・とちょっとだけ期待したが、やはり全くなかった。

犀星は少年の頃養子に出されたが、生家は近く事情が分かっていたので度々実の父母の元に帰っていた。しかし母は父が死んだ後親族に閉め出され行方不明になったという。たおやかで優しく、身分の違いと自らの運命を悟っているふうに冴野を造形し、母への想いを冴野に重ねているらしい。


意のままにならない夫の想い。解説ではかたくなでプライドの高い、ある意味子供っぽい道綱母を客観的に見ている。やはり源氏物語の葵の上を思い出す。


女性の心の動きは現代と変わっていない、と国語の先生。しつこいくらいの恨み言、嘆き節、でもそこに抜群の和歌があって、鮮やかな情景描写がある。教養、才気の煌めきと鬱屈した女心の組合せ。

分かる気はする。いい読み物だった。やっぱり残るものには理由がある。


◼️ブラッドリー・ハーパー
「探偵コナン・ドイル」

若きドイルとホームズのモデル、ベル博士が切り裂きジャックに挑む!!

図書館でパッと見たら目の前にあった。昨年の出版で真新しくノベルスっぽい大きさ上下段。

ジョゼフ・ベル博士はドイルが医学生だった頃の師で、一見しただけで人の職業や旅行の履歴を言い当てていた。その鋭い洞察力に感嘆したドイルはシャーロック・ホームズのインスピレーションを得たという。

シャーロック・ホームズの初長編「緋色の研究」を発表し、次の歴史小説にかかっていたポーツマスの眼科医、コナン・ドイル。1888年9月20日、ドイルの元へ前首相グラッドストンから仕事を依頼したい、という手紙がメッセンジャーを介して届く。

ロンドンに出向いたドイルは個人秘書というウィルキンズと会い、イーストエンドのホワイトチャペル地区で娼婦が3人殺害された連続殺人事件の捜査協力を依頼される。ドイルはベル博士を呼ぶ事にし、ウィルキンズは承諾、女性解放論者の作家・ジャーナリストで当地に住むマーガレット・ハークネスを訪ねるよう告げる。

ジャック・ザ・リッパー、切り裂きジャックの一連の事件は、1888年の8月末から11月にかけて、少なくとも5人の娼婦を、ナイフを使って殺害し死体を切り刻み、内臓を摘出して並べるなどした猟奇連続殺人事件、また犯行声明文が出たことから劇場型の犯罪でもある。

ドイルによるホームズとして初の作品、「緋色の研究」は1887年、ビートンのクリスマス年鑑に掲載されて出版された。しかしそこそこの評判だったというだけで、このパロディ中のドイルはまったく無名の作家。ベル博士は女王陛下がスコットランドに行幸する際は侍医として付き従う、それなりに名声のある医師だった。

少しややこしいかもしれないが、シャーロック・ホームズ劇中の1888年はホームズの最盛期に当たり、なぜホームズは切り裂きジャックの事件を捜査してないのか、という疑問をシャーロッキアンたちが今日も嬉々として議論している。また当然ながらホームズがジャックと対やさ、パロディはあまりにもたくさん執筆されている。私もそれなりに読んだ。代表的なのはエラリー・クイーン「恐怖の研究」だろう。現場主任のアバーライン警部やウォレン警視総監はもはやおなじみの名前だ。

で、なぜ犯人が逮捕できなかったか、については、言うに言えない人物だったから、例えば高貴な血筋だったり、というのは一つのパターンだ。今回もその点を踏まえた結末となっているかな。

マーガレット・ハークネスは実在の人物で、芸歴も合わせてあるらしい。なかなかさっぱりと魅力的なキャラクターとなり、物語の芯となる登場人物。ベル博士が探偵役で、ドイルがワトスン、というのも楽しい。

ドイルが捜査するのはそういえばあまり読んだ事がない。マーガレットへのほのかな想いを抱くのもワトスンそっくり。一旦捜査を中断してポーツマスへ帰ったドイルにジャックから、次は知り合いを殺す、と手紙が届くくだりは読みながら怖気がした。

出演者のキャラ付けが良きも悪きもよく出来ていて、ストーリーの流れも良い。黒いロンドン深部、不可解で残虐な犯行の好対照をなす爽やかさ。ホームズ関連のジャックもの、というパターンにはまってはいるものの、かなり楽しく読める作品となっている。

ジャックの正体はこれまでの経験で言うと早めに露見する。そこへ行き着く試行錯誤には欠けていて、単純ぽいな、というきらいはあるかな。

次 第2弾はマーガレットが主役のストーリーで評判がいいとか。翻訳出るかな?追いかけてみたくなる。

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