2021年1月30日土曜日

1月書評の2





年が明けてしばらくしてか、緊急事態宣言が再び出された。春高バレーを楽しむ。東福岡、優勝おめでとう!絶対的エース柳北は抜けるものの、エース対角でベストイレブン選出の坪谷、セッター近藤蘭丸、ブロードの得意なセンター山田、小さいがよく決めるWS葭原らは全員残る。1年生にもいい選手がいて、来年も楽しみだ。準優勝の駿台学園も同じ。またベスト4の清風も市立尼崎も、210cmの牧を要する高松工芸、福井工大福井、そして無念の棄権となった東山も含めて、ありがとう。

◼️セラハッティン・デミルタシュ

「セヘルが見なかった夜明け」


トルコやシリアの現実とユーモア。残酷さ、苛酷さ、人生の再訪。


私はトルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクを好んでいまして、東西の文化がぶつかり続けてきたトルコや中近東の映画もそれなりに観ます。


hackerさんの書評で興味を持ち、読んでみました。とても興味深いものがありました。


520ページほどの話が12篇収められています。


◇「我々の内なる男」


刑務所にいる男が、雀の妻と交流し、その社会と家庭の事情をうかがい知る話。違法な巣を作ったかどで、国家公務雀に巣を壊すか雛を差し出すか、と迫られた妻雀は敢然と抵抗する。


政治と、そして男社会への痛烈なアンチテーゼ。


◇「セヘル」


この冊子の献辞、


「惨殺や暴行の犠牲になったすべての女性たちに捧ぐ」


名誉殺人、暴行の被害女性を一族の名誉のために殺害すること。今なお残っているという事実を知らしめる悲惨な一篇。


既成事実婚を扱った作品を観たことがある。また世界では誘拐婚もあるという。信じられないような現実。



◇「アレッポ挽歌」


アレッポ同郷の恋していた人妻が、アレッポで市場の自爆テロにより死んでしまった。アラブ風ケバブの名料理人の親方は・・。


関西圏では神戸で催される「イスラーム映画祭」によく行っている。昨年は4本観た。その中に、アレッポへの空爆から難民となり、トルコへ脱出するも悲惨な日々を送る美容師と隣の幼い娘、というシリア映画があった。


暴力により運命を変えられる理不尽な苛酷さを微妙な設定で表していると思う。



「掃除婦ナっち」はスポーツカー好きの少女掃除婦がデモに巻き込まれ有罪となる話。


後半はやや明るいものが多い。


「ああ、アスマン!」では、バスの運転手と弁護士との、人生上の再会がカラッと描かれ、

「歴史の如き孤独」では、良き夫と事業を成功させた女性が、気にかけつつも多忙に紛れて触れ合えなかった父の死に遭う。葬儀後、父と自分との架け橋に気づく。



デミルタシュは少数民族ザザにルーツを持つクルド系の政治家で、2014年の大統領選でも健闘したが、テロのプロパガンダを行ったとして逮捕された。この短編集は獄中でしたためられた。



トルコや中近東、アジアも含め、私は惹きつけられる。それは、予定調和とワクワクするようなきれいさをもたらすものとは違う、まったく知らない、不調和で、人間的で、歴史の匂いのする世界に通じているからだ。



信じられないような現実や、行動の制限、理不尽がある。文化、宗教、風俗、その中の人間の動きや行動の理由は自分の中の何かを衝き動かす。描かれるべきことはたくさんある。


あんまり振りかぶる気はないですけれども。



倒錯的な面もあり、また、生活や土地柄がにじむものがあり、様々なドラマが変幻自在な筆致で表されている。どこかまた、パムクに似ている気もする。


昨年出版の本で、訳にも現代的な言葉を織り込むなど、他のものでも感じている訳出の変化を考えたりした。


読みやすく、コンパクト。興味深い作品だった。




◼️「日本文学全集 44 川端康成 (二)」


「虹」「浅草姉妹」という短編が読みたくて図書館。社会の底辺の女と川端。


こちらの全集は古事記・万葉集に源氏物語から石原慎太郎まで55巻にまとめたうちの川端康成編の2つめ。(一)には「伊豆の踊子」「雪国」といった有名作品が掲載されていた。


それらに比べるといかにも小粒ではあるが、特に大正から昭和にかけての浅草少女ものは、若い頃の川端が見えてなかなかおもしろい。また戦後の母を恋うる住吉物語の3つの作品、「反橋」「しぐれ」「住吉」が収録されている。川端は大阪・茨木市で育ったが、住吉は大阪の住吉大社のこと。


ほか、「禽獣」「舞姫」「みずうみ」「名人」といったやや有名な作もあるけれど、(二)はやはりいかにも地味かなと笑。


川端の1つの特徴をなすものが、主に戦前の、浅草もの。庶民というか裏社会のようなものも含めて、苦しくもたくましく生きる人々を題材に、小説らしく仕立て上げている。


「招魂祭一景色 」はサーカスの曲馬娘の話。裸馬に乗ってさまざまな芸をするお光と、曲馬団の花形、桜子との絡み。最後に・・


「浅草の姉妹」

浅草の門付け、歌うたいの少女お染、レビュウの踊り子千枝子、彼女らの姉・おれんが帰ってきた。悪い仲間に入っていたこともあり男達に囲まれるが、お染と同じ門付けの女達が大挙して出て来てー。

冒頭の「騒音がすべて真直ぐに立ちのぼって行くような秋日和である」なんかがいかにも

新感覚派的な表現と言われているらしい。結末がスカッとしている。



「虹」

カジノフォーリーという店で踊る少女たちの群像劇。銀子はトップスターだったが、脆さを併せ持ち、ある夜、行方が分からなくなるー。


私がこの巻を探したのは、「美しい日本の私」に入っている戦後すぐの随筆「哀愁」に、敗戦とその後の世の流れに消沈した川端が「私は日本古来の悲しみに帰っていくばかりである。」と書き、ヒントのように「虹」という小説名を出していたから。


ううむ、「虹」にはあるショッキングな結末がある、しかし、「日本古来の悲しみ」は分からなかった。修行不足、笑。


これらの小品のテイストがヒット作「浅草紅団」につながっているのかな、と、思われる。


「伊豆の踊子」でもついた村で、踊子のいる旅芸人一行が忌避される場面があるし、「雪国」は温泉地の芸者が主人公。川端の作品にはよく取材、観察して書いているという特質がある。川端の視線は社会の底辺でもがく人々にも届いている。


カラー版、というのは中にカラーの水彩画や写真が掲載されてるからだと思う。


川端は日本文化の一種権威で、美術品にも非常に詳しいが、表に出ない取材と、美を感じ独特の方法で表現する形が好ましい。


楽しめました。

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