◼️ジェイムズ・マシュー・バリー
「ケンジントン公園のピーター・パン」
ピーター・パンの前の、ピーター・パン物語。
バリーは1800年代末から1900年代にかけ活躍した劇作家で小説や詩も書いている。
有名な作品は1904年に初演となった「ピーター・パン あるいは大人になりたがらない少年」だ。空を飛ぶ少年ピーター・パン、ウエンディ、クック船長、ネバーランドなど魅力的なキャラクターとストーリーで誰もが知る物語になっている。
「ケンジントン公園のピーター・パン」は劇作より前に書いた「白い小鳥」という小説の中の、ピーター・パンが登場する部分を抜き出して、舞台がヒットした後に出版されたもの。
ある意味少年ピーター・パンの幼児の物語と取れなくもないが、有名な劇と、ストーリーの中身はだいぶ違う。
赤ん坊はケンジントン公園から鳥の雛が人間界に送り込まれる。その記憶が残っていた赤ん坊のピーター・パンは無意識に空を飛んで公園の中ノ島に降り、はっきりと目覚めてからは飛ぶ能力がなくなり、鳥たちや妖精たちと暮らすことになった。
鳥たちにパンを運んでもらい、葦笛で妖精の舞踏会の音楽を奏でたりとなじんでいたピーター・パンだが、ある日お母さんのもとへ帰ることを強く望み、特別な力を得て家へと飛んで帰る。窓は開いていて、お母さんは自分を失ったことを悲しんだまま眠っているように見えた。お母さんを起こそうと思ったピーター・パンだったが、公園の仲間にさよならを言うために一旦公園に戻る。
目的を果たしたピーター・パンは再び家路に就く。しかし・・
予測しつつも幼い子がかわいそうでホロリ。ただの童話の流れだけではないものがボトムに感じられる。
バリーが幼少の頃、年の離れた兄が死んだためバリーの母はショックで体調を崩し、いつまでも嘆き悲しんでいた。バリーは母の愛が欲しくて兄の行動を真似したという。この体験は彼の著作に大きな影響を与えたらしい。
ケンジントン公園は夕方に閉園する。人がいなくなると植物や妖精たちが活気づく。好奇心旺盛な女の子メイミーが子守の目をかすめて隠れ、閉園後の公園で妖精のドラマをこっそり覗いていて見つかってしまい、逃げる途中で雪の中を行き倒れる。メイミーを追っていた妖精たちは幼い女の子メイミーのために立派な、小さなお家を建てて雪と寒さから救う。
目覚めたメイミーはピーター・パンに出会う。裸で人の作法をまったく知らないピーターにメイミーはついていけず家に帰るが、公園に置いておくプレゼントや手紙でささやかな温もりのある付き合いを続ける。
メイミーにもバリーの母の姿が投影されているとか。
話に大きな結論はつかない。ピーター・パンは子供のまま、人々が集うケンジントン公園で、1人ぽっちで、心のどこかで母の姿を求めつつ、それなりに楽しく暮らしているー。
ピーター・パンのパンはファミリー・ネームではなく、ギリシア神話の神で、羊飼いや狩人、田舎の住人の神。山羊もしくは山羊と人の半人半獣の姿だそう。ピーター・ラビットと同じ呼び方で、ピーターという神性を帯びた者、といった意味かなと。
物哀しさを残すフォークロア風の童話。アリスっぽさもあるし、古き良き時代のロンドンの雰囲気もある。バリーはある劇について、自分の脚本が不出来だと感じ、コナン・ドイルに手直しを頼んだりしたらしい。
なにより素の想像力に感心する。ピアニスト青柳いづみこさんのエッセイで例えとして挙げられていて興味を持った。読んでよかった。
◼️「ギルガメシュ叙事詩」
世界最古クラス、古代オリエント世界最大の文学作品。大きな流れが分かりやすい英雄譚。
友人が読んでると聞き、いい機会だし自分も読んでみようと思い立った。チグリス・ユウフラテス両岸の河口付近に住んでいた古代民族・シュメール人に起源を発するらしい。紀元前何千年クラスである。ともかくあらすじへ行ってみましょう。
ウルクの都に住んでいるギルガメシュは父が神、母が人間の半神半人。英雄ではあるが暴君で、里の娘をさらう悪行に人々の不満は募り、神々に訴える。大地の女神アルルはエンキドゥという猛者を造る。ギルガメシュはこのことを知り、都から娼婦を差し向け、野獣とともに暮らしていたエンキドゥは女に作法や着衣を教えてもらい人間らしくなる。
やがてやって来たエンキドゥを迎えうったギルガメシュ、大格闘の末、2人の間には固い友情が芽生えた。
遠方の杉の森にいる番人フンババを倒し、杉を伐採し悪を追い払った2人。ギルガメシュの奮闘を見て愛と逸楽の女神イシュタルが誘惑するがギルガメシュは分別がなく気が多いイシュタルの誘いをはねつける。
怒ったイシュタルは父の神アヌに天の牛を送りギルガメシュとウルクを滅ぼすことを求める。アヌは拒絶するが、イシュタルが冥界から死者を大勢連れ出すとの脅しに屈し、天の牛を送る。2人の英雄は協力してこれを倒す。
しかし天の牛を殺した人は死ななければならなかった。神々の処断によりエンキドゥは病で没する。嘆き悲しんだギルガメシュは永遠の生命を求め古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムを訪ね、かつての大洪水の話を聞く。永遠の若さの植物を手にしたギルガメシュだったが、神々の差し金で植物は蛇に食べられてしまうー。
長かったが、本筋である。話は楔形文字などさまざまな言語で石板に書かれており、アッシリア語、バビロニア語、シュメール語、ヒッタイト語など多くの発見事例を網羅しつなぎ合わせてあるが、欠落も多い。
1800年代中盤にフランスの、また続いてイギリスによる調査がなされ、大規模な遺跡が発掘された。楔形文字は解読され、ギルガメシュ叙事詩が明らかになるにつれ、旧約聖書のノアの箱舟との大きな共通点である大洪水の逸話などから、ヨーロッパでの研究は熱を帯びた。ルーブルや大英博物館には多くの遺物が運び込まれ、現在に至る、と読める。
たしかアガサ・クリスティーの再婚相手もメソポタミアの遺跡発掘をしていた考古学者じゃなかったかな・・。1900年代だが、やはり「熱」は続いてたのだろうか。
ギリシア神話の、オルフェウスが毒蛇に噛まれて死んだエヴリデュケを冥界へ迎えに行った話はイザナギ、イザナミの話とそっくりだと感じ入ったことがある。
自分の中で整理できてはいないが、神話の世界的な共通性は面白い。ギルガメシュ叙事詩と日本神話の共通性を指摘する研究者もいたとか。ギルガメシュ叙事詩はもちろん、細部まで整った話ではないが、ところどころに風俗も見え、神話らしく荒々しく壮大で、なかなか楽しめた。
分裂気味の(笑)女神イシュタルが冥界の女王エレシュキガルを訪ねる「イシュタルの冥界下り」も収録されている。
イシュタルが門番に、中へ入れないと
「死者を起ち上がらせ生者を食べよう
生者より死者が増えるようにしよう」
という部分に、父神アヌも同じように脅したよな、必殺の文句かー!ゾンビの原型、なんて思ってしまったのでした。