2021年1月30日土曜日

1月書評の5





大きなアップルパイ焼けました。一辺が25センチくらいで分厚くて、1/4でもうランチできそうな感じ。私はもちろん食べるだけ笑。

筋トレ時「夜に駆ける」をヘビロテで聴いている。線が細いような声で表現される、ポップで、刹那的な雰囲気の歌。メロディアスなピアノがまたいい。最近YOAOSOBI好きでしてね、と先輩に言ったら、この緊急事態宣言下に?とびっくりされた笑。

◼️ジェイムズ・マシュー・バリー

「ケンジントン公園のピーター・パン」


ピーター・パンの前の、ピーター・パン物語。


バリーは1800年代末から1900年代にかけ活躍した劇作家で小説や詩も書いている。


有名な作品は1904年に初演となった「ピーター・パン  あるいは大人になりたがらない少年」だ。空を飛ぶ少年ピーター・パン、ウエンディ、クック船長、ネバーランドなど魅力的なキャラクターとストーリーで誰もが知る物語になっている。



 「ケンジントン公園のピーター・パン」は劇作より前に書いた「白い小鳥」という小説の中の、ピーター・パンが登場する部分を抜き出して、舞台がヒットした後に出版されたもの。


ある意味少年ピーター・パンの幼児の物語と取れなくもないが、有名な劇と、ストーリーの中身はだいぶ違う。


赤ん坊はケンジントン公園から鳥の雛が人間界に送り込まれる。その記憶が残っていた赤ん坊のピーター・パンは無意識に空を飛んで公園の中ノ島に降り、はっきりと目覚めてからは飛ぶ能力がなくなり、鳥たちや妖精たちと暮らすことになった。


鳥たちにパンを運んでもらい、葦笛で妖精の舞踏会の音楽を奏でたりとなじんでいたピーター・パンだが、ある日お母さんのもとへ帰ることを強く望み、特別な力を得て家へと飛んで帰る。窓は開いていて、お母さんは自分を失ったことを悲しんだまま眠っているように見えた。お母さんを起こそうと思ったピーター・パンだったが、公園の仲間にさよならを言うために一旦公園に戻る。


目的を果たしたピーター・パンは再び家路に就く。しかし・・



予測しつつも幼い子がかわいそうでホロリ。ただの童話の流れだけではないものがボトムに感じられる。


 

バリーが幼少の頃、年の離れた兄が死んだためバリーの母はショックで体調を崩し、いつまでも嘆き悲しんでいた。バリーは母の愛が欲しくて兄の行動を真似したという。この体験は彼の著作に大きな影響を与えたらしい。




ケンジントン公園は夕方に閉園する。人がいなくなると植物や妖精たちが活気づく。好奇心旺盛な女の子メイミーが子守の目をかすめて隠れ、閉園後の公園で妖精のドラマをこっそり覗いていて見つかってしまい、逃げる途中で雪の中を行き倒れる。メイミーを追っていた妖精たちは幼い女の子メイミーのために立派な、小さなお家を建てて雪と寒さから救う。


目覚めたメイミーはピーター・パンに出会う。裸で人の作法をまったく知らないピーターにメイミーはついていけず家に帰るが、公園に置いておくプレゼントや手紙でささやかな温もりのある付き合いを続ける。



メイミーにもバリーの母の姿が投影されているとか。



話に大きな結論はつかない。ピーター・パンは子供のまま、人々が集うケンジントン公園で、1人ぽっちで、心のどこかで母の姿を求めつつ、それなりに楽しく暮らしているー。



ピーター・パンのパンはファミリー・ネームではなく、ギリシア神話の神で、羊飼いや狩人、田舎の住人の神。山羊もしくは山羊と人の半人半獣の姿だそう。ピーター・ラビットと同じ呼び方で、ピーターという神性を帯びた者、といった意味かなと。



物哀しさを残すフォークロア風の童話。アリスっぽさもあるし、古き良き時代のロンドンの雰囲気もある。バリーはある劇について、自分の脚本が不出来だと感じ、コナン・ドイルに手直しを頼んだりしたらしい。


なにより素の想像力に感心する。ピアニスト青柳いづみこさんのエッセイで例えとして挙げられていて興味を持った。読んでよかった。



◼️「ギルガメシュ叙事詩」


世界最古クラス、古代オリエント世界最大の文学作品。大きな流れが分かりやすい英雄譚。


友人が読んでると聞き、いい機会だし自分も読んでみようと思い立った。チグリス・ユウフラテス両岸の河口付近に住んでいた古代民族・シュメール人に起源を発するらしい。紀元前何千年クラスである。ともかくあらすじへ行ってみましょう。


ウルクの都に住んでいるギルガメシュは父が神、母が人間の半神半人。英雄ではあるが暴君で、里の娘をさらう悪行に人々の不満は募り、神々に訴える。大地の女神アルルはエンキドゥという猛者を造る。ギルガメシュはこのことを知り、都から娼婦を差し向け、野獣とともに暮らしていたエンキドゥは女に作法や着衣を教えてもらい人間らしくなる。

やがてやって来たエンキドゥを迎えうったギルガメシュ、大格闘の末、2人の間には固い友情が芽生えた。


遠方の杉の森にいる番人フンババを倒し、杉を伐採し悪を追い払った2人。ギルガメシュの奮闘を見て愛と逸楽の女神イシュタルが誘惑するがギルガメシュは分別がなく気が多いイシュタルの誘いをはねつける。


怒ったイシュタルは父の神アヌに天の牛を送りギルガメシュとウルクを滅ぼすことを求める。アヌは拒絶するが、イシュタルが冥界から死者を大勢連れ出すとの脅しに屈し、天の牛を送る。2人の英雄は協力してこれを倒す。


しかし天の牛を殺した人は死ななければならなかった。神々の処断によりエンキドゥは病で没する。嘆き悲しんだギルガメシュは永遠の生命を求め古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムを訪ね、かつての大洪水の話を聞く。永遠の若さの植物を手にしたギルガメシュだったが、神々の差し金で植物は蛇に食べられてしまうー。


長かったが、本筋である。話は楔形文字などさまざまな言語で石板に書かれており、アッシリア語、バビロニア語、シュメール語、ヒッタイト語など多くの発見事例を網羅しつなぎ合わせてあるが、欠落も多い。


1800年代中盤にフランスの、また続いてイギリスによる調査がなされ、大規模な遺跡が発掘された。楔形文字は解読され、ギルガメシュ叙事詩が明らかになるにつれ、旧約聖書のノアの箱舟との大きな共通点である大洪水の逸話などから、ヨーロッパでの研究は熱を帯びた。ルーブルや大英博物館には多くの遺物が運び込まれ、現在に至る、と読める。


たしかアガサ・クリスティーの再婚相手もメソポタミアの遺跡発掘をしていた考古学者じゃなかったかな・・。1900年代だが、やはり「熱」は続いてたのだろうか。


ギリシア神話の、オルフェウスが毒蛇に噛まれて死んだエヴリデュケを冥界へ迎えに行った話はイザナギ、イザナミの話とそっくりだと感じ入ったことがある。


自分の中で整理できてはいないが、神話の世界的な共通性は面白い。ギルガメシュ叙事詩と日本神話の共通性を指摘する研究者もいたとか。ギルガメシュ叙事詩はもちろん、細部まで整った話ではないが、ところどころに風俗も見え、神話らしく荒々しく壮大で、なかなか楽しめた。


分裂気味の(笑)女神イシュタルが冥界の女王エレシュキガルを訪ねる「イシュタルの冥界下り」も収録されている。


イシュタルが門番に、中へ入れないと


「死者を起ち上がらせ生者を食べよう

    生者より死者が増えるようにしよう」


という部分に、父神アヌも同じように脅したよな、必殺の文句かー!ゾンビの原型、なんて思ってしまったのでした。

1月書評の4







季節はやっぱり冬がいちばん好きだなと。寒い中の暖かい光や湯気の立つ食べ物はぬくもりを感じさせるし、クリスマスも正月も節分もあるし。

夏は汗をかくし雨は降るし台風来るから嫌いだ。

◼️津村節子「智恵子飛ぶ」


智恵子抄の言葉がしんわりと心に沁みる。光太郎と智恵子に拘り続けてきた著者の本懐。


智恵子抄では、「レモン哀歌」が好きだった。


わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ


病室の白いイメージにレモンエロウの色、がりりと噛む智恵子の白い歯の赤い唇。匂い立つ芳香。色と匂い、みずみずしさと哀しさ。「がりり」というオノマトペがまた人間的で鋭く少し無骨。


この本は長沼智恵子の生い立ちと高村光太郎との出逢い、大恋愛、智恵子の死までの2人の生活がしたためてある。


想い人との恋が実った嬉しさは、与謝野晶子が鉄幹と結ばれた時に詠んだ、歓びにあふれる歌をも思い出す。


福島の裕福な造り酒屋の長女・長沼智恵子は学業、スポーツ、芸術分野に秀で、父母の反対を押し切って高等女学校、日本女子大学に進学する。


「元始、女性は実に太陽であった。」世は明治末、女学校の先輩、平塚らいてうが「青鞜」を発刊し、智恵子はその表紙絵を描き、詩を寄稿した与謝野晶子らが活躍を始めた時代。


智恵子は青鞜社の運動とは距離を置き、西洋画の修行に励む中、高村光太郎と出逢い、恋が成就するー。


才能溢れる光太郎と新しい男女の生活を目指した智恵子だったが、光太郎は高名な父・光雲の商業主義に反発して稼ぎもない。裕福な家の出で、郷里の自然が好きな智恵子は、光太郎とひき比べての自分の才能のなさや、次々と出来する実家や弟妹のトラブルに疲れ、追い込まれていくー。


智恵子がなぜ東京に空がないと言ったのか、光太郎とどういう関係だったのか、なぜ異常を来したのか、どんな状況だったのか、智恵子抄を読むだけでは分からなかった事情がよく分かってきて、より身体の中で響く。


智恵子の顔を調べ、切り絵の意味を知りと少しずつ理解が深まり、ドラマを追っている終盤にタイトルの


智恵子飛ぶ


の文言を目にした時は読んでて、レモン哀歌のイメージがさらに高まるのを覚えて感極まった。才気のある人は独特の透き通ったオーラがある。智恵子が厳しい人生の現実の中でもがく姿はオーラと相まった哀しさを生み出している気がする。


あとがきによれば、津村節子氏はずっと光太郎・智恵子にこだわって続けてきたとのこと。たまたま手にした本だったが、絵画的でさえある物語をとつとつと描き出してあり、しんわりと、感じ入った。




◼️青柳いづみこ

「モノ書きピアニストはお尻が痛い」


ドビュッシー弾きの博士号。衒学的な面もあるが、分からなさも興味深い。面白かった!


青柳いづみこさんは、東京藝術大学の博士課程修了。専門はドビュッシーの研究でパリの国立図書館に半年間通いつめ、ドビュッシー自筆の楽譜、作曲帳、ノートなどを実際に見て博士論文を作成したとのこと。



専門的に研究するには作品の研究のみならず時代背景や環境、生い立ちなども当然入ってくる。前半の方は、エリック・サティや文人との絡みなど題材は面白いが、ちと知識がついていかず、なかなか先に進まなかった。


フランスの作曲家ドビュッシーは1862年〜1918年の人で、月の光、アラベスク、亜麻色の髪の乙女など美しく有名なピアノ曲がある。オペラ「ペレアスとメリザンド」の逸話がなかなかワクワクする。


ドビュッシーは歌いすぎ、また過剰な演出に疑問を抱いた。愛の告白はふつうささやくようなもののはずなのに、また死の床にある人は途切れ途切れに言葉をつぶやくはずなのに、オペラでは大声で歌う。本質的な矛盾を衝き、これまでの定番に反する演出を組み上げた。原作者メーテルリンクの愛人の女優を起用しなかったため激怒され上演妨害まがいの騒ぎまで起きたが、ドビュッシーが起用した新人のメアリー・ガーデンは圧倒的声量でなく、「きわめて柔らかなひっそりとよく響く声」、「繊細さ、よそよそしい魅力、長い無言の時」を具現できるルックスと表現力を持っており、初演は大成功となったらしい。


なにかとクセはあれど、臆せずに新しいことを生み出す姿勢に感じるものがあったりした。


中盤以降は各作曲家についての紹介、またミケランジェリやラ・ローチャ、アルゲリッチなどの奏者についての評論、祥伝もあり、専門的な面もあるが、柔らかく楽しめる。



また「大いに飲み、食べ、語る」では著者が留学していた南仏の港町、マルセイユに加えてプロヴァンスなどの魅力が語られる。港の屋台で新鮮なカキにレモン汁を搾って食べたり、マティスやシャガールの美術館に出かけたり。巌窟王のエドモン・ダンテスが囚われたシャトー・ディフもあってなど魅力的だ。パリ以外行ったことないんだよね〜。



演奏論、書評、コンサート評、そして師の安川加壽子の評伝のことなど、興味深い話題がたくさん。個人的には、阿刀田高「アラビアンナイトを楽しむために」に出てきた、ウンディーネ、オンディーヌの話や中村紘子氏が苦労したというまげた指、のばした指での演奏の問題なども入っていてとても面白い。


ドビュッシーの時代のパリの芸術的な熱気や作品論等、例えも非常に多く、調べてみようかなという気にもなってくる。


良い刺激をたくさんもらった本でした。

1月書評の3




英国風ヴィクトリアケーキ。中に挟んだシャムはルバーブ。イギリスではけっこうポピュラーなジャムだとか。

1月は雪がよく積もる。暖かくなったり寒くなったり。去年は雪降らない暖冬だったから、在宅も多いし寒くなってくれてOK^_^。めっちゃ寒い土曜日に息子の薬もらいに皮膚科に行って20分並んで手の指が凍傷になるかと思った。

◼️梨木香歩「海うそ」


失われて戻らないからこそ美しいもの。心、人生。梨木香歩は達人だ。


多くのファンを持つ梨木香歩。私がハマったのは「家守奇譚」だったと思う。自然に詳しいばかりではなく、その中に命を与え、不思議さ、玄妙さをも醸し出し、面白おかしいながらも悠久の価値観のようなものを感じさせられる。このテイストは、特別で他にはない、という感覚。


今回は南九州の架空の島・遅島の話。修験道の島で大いに隆盛を誇った。さらに前には平家の落人もいたという。廃仏毀釈、神道側の横暴により廃れ、モノミミという神秘的な性質を持つ者たちもいなくなった。昭和のはじめの夏、人文地理学の研究者、秋野は遅島に赴く。先達の研究者の文書を見てのフィールドワークだった。


最初は龍目蓋りゅうのまぶた、という所に逗留し、やがて森肩という地の山中に不思議な洋館を見つけ、亡父がもと遅島の僧だったという洋館の老紳士・山根と書生の岩本と親しくなる。そして波音(はと)地区で茶などの栽培をしている青年梶井を訪ね、梶井のガイドで1週間島の踏査に出るー。


秋野は気に入った許婚に死なれ、相次いで父母を亡くしていた。かつて栄え、歴史の波に呑まれた修験道の遺構を巡り山で過ごし、自分の内面を見つめる。


最初の方はいまひとつ入り込めなかったが、山根、梶井と人のつながりが出来ていき、踏査で耳鳥洞窟に入ったころから引き込まれた。もちろん梨木香歩が描くものすごい量の植生、風景、食事、神秘的なカモシカなど心惹かれる要素は多いのだが、闇の世界は心をくすぐり、主人公と一緒に呑み込まれそうになってコスモ感、いやブラックホールのようでもある雰囲気におののいてしまう。


修験者が修行した山川谷を歩き、寺跡を見て、地元の人と山小屋に泊まり、野生のヤギや鳥を食べる。深い夜に目を覚まし、月の光が浮かび上がらせる信仰の山、紫雲山の神々しさに打たれる。


古い近代の、小さな昔の島の、朽ちた光景の話が、なぜこうも「来る」のだろう。これは、現代的気分だろうか。意外に旅人の心理であり憧れかもしれない。


戦後80歳になった秋野の姿も描かれる。息子が観光開発に携わっている遅島を訪れる。設定的に珍しく強引な気もするが梨木香歩だからOK笑。なにもない。山根、岩本、梶井もいない。洋館もない。老いた秋野が辿り着いたものはー。


さまざまなことを思い出したり、連想したり。HPで知り合った人にカナダ・アラスカのユーコン川を単独でカヤックで下った強者がいる。


村上春樹「東京奇譚集」の「ハナレイ・ベイ」という物語、ハワイで息子が死んだシングルマザーの、誰とも分かち合えない孤独な想い。


日本で最も古い神社という大神(おおみわ)神社のご神体である三輪山、水分補給以外の飲食禁止、撮影禁止の山に登ったこと。


熊本・阿蘇の早朝の山、福岡と佐賀の県境にある脊振山(せふりさん)山頂の真冬の光景。


そして人生の起伏、時代、もう会えない人、数多い断片的、刹那的な想い出。


いつかどこか、思い巡らせる神々しい光景に出会えるだろうか。


憧れ、いやそれ以上のものを衝き、惹きつけ、大いなるものを感じさせる梨木香歩は達人だな。多く、深く、濃い。少し前自分で車を運転して渡り鳥を見に行く、というエッセイを読み、そのイメージ外だった行動力に驚き、考えてみればさもありなんと思った。


まだ最高傑作といわれる「沼地のある森を抜けて」を読むという楽しみが私には残されている^_^


いつ読もうかなあ〜。


◼️グザヴィエ=ローラン・プティ

「走れ!マスワラ」


ケニアの母、レイヨウのスワラ。カンジュニマラソンに挑む!


図書館の整理でふと目に留まり、もらってきた本。児童文学ですね。


父は出稼ぎで帰らず、母スワラとおばあちゃんと母方のおじ、ベニアと暮らすシサンダは心臓に難病を抱える9歳の女の子。レイヨウという意味の名を持つママのスワラ、マスワラは畑仕事をしながら、毎日何時間も走っている。走ることが大好きなのだ。


シサンダの心臓を手術して治すには、外国の専門病院に入らねばならず、少なくとも100万ケルというとんでもない大金がかかるという。


ある日、字の読めないマスワラは、女性ランナーが走っている写真が載った新聞記事を、シサンダに読んでくれと頼む。マグダ・チェプチュンバがカンジュニ(ナイロビ)マラソンで優勝した記事で、1位の賞金は150万ケルと書いてあった。


果たして、マスワラはシサンダのために出場を決意する。しかしいつも裸足で走っているマスワラは、レース20日前に毒サソリに足を刺されてしまうー。


シサンダが数字に強く計算能力が高いこと、参加費を作るために羊を売ったり、シサンダの理解者できれいなハバリ先生や医師のことを昔気質で呪術を信じるおばあちゃんが嫌ったり、はたまた映りの悪いテレビでマスワラを村人全員で応援したりと微笑ましい場面が取り入れられている。砂嵐や羊を狙うジャッカルの鳴き声などサバンナの自然の風景も想像力をかきたてる。


この話は、走ることが大好きなケニアの農家の女性、チェモキル・チラポンが、子どもの学費を払うためにナイロビマラソンに出場し、見事優勝したことに着想を得たらしい。


チェプチュンバといえばシドニーオリンピックの銅メダリストで、東京国際マラソンの優勝者でもある名ランナー。チラポンの話は簡単には出てこないが、チェプチュンバの経歴では、チラポンが優勝した2004年のナイロビマラソンの成績は2位となっていて、思わずニヤリとしてしまった。


物語は、アフリカには一度も行ったことのないという教師プティが生み出したもの。ちと説得力がない向きもあるが、まあ、児童もの。映画を念頭に置いたような作品。でも、かみ合いが良く、楽しくスラスラと読めた。


ベニアが買ってくれた、チェプチュンバと同じ赤いラインが入った、黄色いシューズ。いつも裸足で走ってきたマスワラは、レース終盤にそれを脱いで遠くに放り投げた・・!



結末は、巨匠チャン・イーモウの「あの子をさがして」の結末を思い出したかな。教師役を任された13歳くらいの少女が行方不明になった子を探して、テレビに出演し、ホロリと泣く。すると半端でないほど山奥の村には、たくさんの文房具が届く。

さらっと児童文学。休日に。悪くなかった。

1月書評の2





年が明けてしばらくしてか、緊急事態宣言が再び出された。春高バレーを楽しむ。東福岡、優勝おめでとう!絶対的エース柳北は抜けるものの、エース対角でベストイレブン選出の坪谷、セッター近藤蘭丸、ブロードの得意なセンター山田、小さいがよく決めるWS葭原らは全員残る。1年生にもいい選手がいて、来年も楽しみだ。準優勝の駿台学園も同じ。またベスト4の清風も市立尼崎も、210cmの牧を要する高松工芸、福井工大福井、そして無念の棄権となった東山も含めて、ありがとう。

◼️セラハッティン・デミルタシュ

「セヘルが見なかった夜明け」


トルコやシリアの現実とユーモア。残酷さ、苛酷さ、人生の再訪。


私はトルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクを好んでいまして、東西の文化がぶつかり続けてきたトルコや中近東の映画もそれなりに観ます。


hackerさんの書評で興味を持ち、読んでみました。とても興味深いものがありました。


520ページほどの話が12篇収められています。


◇「我々の内なる男」


刑務所にいる男が、雀の妻と交流し、その社会と家庭の事情をうかがい知る話。違法な巣を作ったかどで、国家公務雀に巣を壊すか雛を差し出すか、と迫られた妻雀は敢然と抵抗する。


政治と、そして男社会への痛烈なアンチテーゼ。


◇「セヘル」


この冊子の献辞、


「惨殺や暴行の犠牲になったすべての女性たちに捧ぐ」


名誉殺人、暴行の被害女性を一族の名誉のために殺害すること。今なお残っているという事実を知らしめる悲惨な一篇。


既成事実婚を扱った作品を観たことがある。また世界では誘拐婚もあるという。信じられないような現実。



◇「アレッポ挽歌」


アレッポ同郷の恋していた人妻が、アレッポで市場の自爆テロにより死んでしまった。アラブ風ケバブの名料理人の親方は・・。


関西圏では神戸で催される「イスラーム映画祭」によく行っている。昨年は4本観た。その中に、アレッポへの空爆から難民となり、トルコへ脱出するも悲惨な日々を送る美容師と隣の幼い娘、というシリア映画があった。


暴力により運命を変えられる理不尽な苛酷さを微妙な設定で表していると思う。



「掃除婦ナっち」はスポーツカー好きの少女掃除婦がデモに巻き込まれ有罪となる話。


後半はやや明るいものが多い。


「ああ、アスマン!」では、バスの運転手と弁護士との、人生上の再会がカラッと描かれ、

「歴史の如き孤独」では、良き夫と事業を成功させた女性が、気にかけつつも多忙に紛れて触れ合えなかった父の死に遭う。葬儀後、父と自分との架け橋に気づく。



デミルタシュは少数民族ザザにルーツを持つクルド系の政治家で、2014年の大統領選でも健闘したが、テロのプロパガンダを行ったとして逮捕された。この短編集は獄中でしたためられた。



トルコや中近東、アジアも含め、私は惹きつけられる。それは、予定調和とワクワクするようなきれいさをもたらすものとは違う、まったく知らない、不調和で、人間的で、歴史の匂いのする世界に通じているからだ。



信じられないような現実や、行動の制限、理不尽がある。文化、宗教、風俗、その中の人間の動きや行動の理由は自分の中の何かを衝き動かす。描かれるべきことはたくさんある。


あんまり振りかぶる気はないですけれども。



倒錯的な面もあり、また、生活や土地柄がにじむものがあり、様々なドラマが変幻自在な筆致で表されている。どこかまた、パムクに似ている気もする。


昨年出版の本で、訳にも現代的な言葉を織り込むなど、他のものでも感じている訳出の変化を考えたりした。


読みやすく、コンパクト。興味深い作品だった。




◼️「日本文学全集 44 川端康成 (二)」


「虹」「浅草姉妹」という短編が読みたくて図書館。社会の底辺の女と川端。


こちらの全集は古事記・万葉集に源氏物語から石原慎太郎まで55巻にまとめたうちの川端康成編の2つめ。(一)には「伊豆の踊子」「雪国」といった有名作品が掲載されていた。


それらに比べるといかにも小粒ではあるが、特に大正から昭和にかけての浅草少女ものは、若い頃の川端が見えてなかなかおもしろい。また戦後の母を恋うる住吉物語の3つの作品、「反橋」「しぐれ」「住吉」が収録されている。川端は大阪・茨木市で育ったが、住吉は大阪の住吉大社のこと。


ほか、「禽獣」「舞姫」「みずうみ」「名人」といったやや有名な作もあるけれど、(二)はやはりいかにも地味かなと笑。


川端の1つの特徴をなすものが、主に戦前の、浅草もの。庶民というか裏社会のようなものも含めて、苦しくもたくましく生きる人々を題材に、小説らしく仕立て上げている。


「招魂祭一景色 」はサーカスの曲馬娘の話。裸馬に乗ってさまざまな芸をするお光と、曲馬団の花形、桜子との絡み。最後に・・


「浅草の姉妹」

浅草の門付け、歌うたいの少女お染、レビュウの踊り子千枝子、彼女らの姉・おれんが帰ってきた。悪い仲間に入っていたこともあり男達に囲まれるが、お染と同じ門付けの女達が大挙して出て来てー。

冒頭の「騒音がすべて真直ぐに立ちのぼって行くような秋日和である」なんかがいかにも

新感覚派的な表現と言われているらしい。結末がスカッとしている。



「虹」

カジノフォーリーという店で踊る少女たちの群像劇。銀子はトップスターだったが、脆さを併せ持ち、ある夜、行方が分からなくなるー。


私がこの巻を探したのは、「美しい日本の私」に入っている戦後すぐの随筆「哀愁」に、敗戦とその後の世の流れに消沈した川端が「私は日本古来の悲しみに帰っていくばかりである。」と書き、ヒントのように「虹」という小説名を出していたから。


ううむ、「虹」にはあるショッキングな結末がある、しかし、「日本古来の悲しみ」は分からなかった。修行不足、笑。


これらの小品のテイストがヒット作「浅草紅団」につながっているのかな、と、思われる。


「伊豆の踊子」でもついた村で、踊子のいる旅芸人一行が忌避される場面があるし、「雪国」は温泉地の芸者が主人公。川端の作品にはよく取材、観察して書いているという特質がある。川端の視線は社会の底辺でもがく人々にも届いている。


カラー版、というのは中にカラーの水彩画や写真が掲載されてるからだと思う。


川端は日本文化の一種権威で、美術品にも非常に詳しいが、表に出ない取材と、美を感じ独特の方法で表現する形が好ましい。


楽しめました。

1月書評の1




年頭の読書は川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演。

最近解説をかねて長々書くことが多い。そして研究したりする。楽しいね。

◼️川端康成「美しい日本の私」


「美しい日本の私」は、1968年、川端康成がノーベル文学賞を獲ったときの、スウェーデンで行った受賞記念講演です。


この本は記念講演を軸に昭和の初めから40年代までのさまざまな川端の文章を集め、「美へのまなざし」「戦争を経て」「日本文化を思う」というタイトルで大きく3部に分けられています。


さて、「美しい日本の私」はやや長めの随筆、といったくくりの作品です。といってもページ数にすれば15ページほど。


冒頭13世紀の道元の歌、


春は花 夏ほととぎす 秋は月

冬雪冴えて冷しかりけり


を始めとして、いくつかの歌を例に取り、四季折々の自然の美を賞でる心を説いています。

さらに、良寛、芥川龍之介の遺書、一休、華道、日本庭園、焼きもの、さらに平安の王朝文学から古今集まで、様々な例を取りながら、日本古来の美について自ら感じるところを訥々と述べています。


かつてインド出身はいましたが、それより東の国としては当時初のノーベル文学賞。日本文化を世界に紹介せねば、という意識が強すぎたのか、ちと小難しく総花的で評価はそこまで高くないようです。人によっては、小説家は文章はうまいけど講演はそうと限らない、と言ったりします。


ただ私は、この随筆集にはかなり影響を受けました。もうやばい、やばい、と思いながら再読しています。


「哀愁」という、よく取り上げられる一篇があります。敗戦後の日本について述べたもの。


「戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないという、私の前からの思いは強くなった。感じる力がないということは、感じられる本体がないということでもあろう。

敗戦後の私は、日本古来の悲しみの中に帰ってゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。」


続けて、川端は自身の「虹」に表した悲しみと、織田作之助「土曜夫人」のそれとが似通っていると書いています。また、浦上玉堂の風景画やシャイム・スーティン、歪んだ絵に特徴があるロシアの画家に惹かれるものがある、としています。


「日本古来の悲しみ」とは何か。全集で、まずは「虹」を読んでみたいと思っています。



さて、やはりこの随筆集の中で目立つのは、日本史上最高の物語は「源氏物語」であって、いまだ源氏を超える物語は出ていない、と言い切っていることでしょう。紫式部はユネスコ関連の「世界の偉人100人」に日本人として唯一登録されています。


そして、大意を言えば、川端は戦後の価値観、ことにさらに流れ込んできた西洋文化、おそらく占領政策で直接的に流れ込んできたアメリカ文化、を信じない、と。きっぱりと否定しています。「哀愁」は戦後まもない1947年の随筆。


22年の時が経った1969年、ノーベル文学賞受賞の翌年には、かつて日本が諸外国の文化を取り込んで素晴らしい文化を花開かせていったように、いま西洋文化を消化して新しい文化を、と希望を込めてこう書いています。


「おおよそ千年の昔に、日本民族は中国唐朝の文化を自分流ながら受け入れこなして、平安王朝の美を生み出したのです。」


「過去のあらゆる時代に、日本独特の文化をつくり築いて来たのですから、民族の力が決して衰えていない今日、世界の文化に日本の新な創造を加えるであろうと、わたくしは思いたいのです。」


この本に受けた影響、感銘。


・春は花夏ほととぎす秋は月

        冬雪さえて冷しかりけり

という道元の歌をそらで言えるようになった。


・源氏物語を通読した(後述)。他の古典も有名なものはだいぶ読んだ。


・世界の文化を消化した、日本独自の文学とは?少なくともハルキではないような笑、などと考えるようになった。


まあもちろんそれだけではないんですけれど^_^いろいろ日本文化についての探究の書で、私は興味深かったです。めっちゃやばい本です。これを川端康成文学館で買ったのが密かな満足です。ひとつ枕草子から「あてなるもの」の段を分析してたりします。


あてなるもの・・水晶の数珠。藤の花、梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。


あてなるもの、は上品なもの。情景が浮かんで来ますね。美を求める川端の心情とセンスは日本の1000年前に振れます。


源氏物語について、ちょっと。川端シンドロームの私はこの本に影響されて源氏物語を通読し、人生ちょっと変わった気になりました。幸い関西在住なので、嵐山や、執筆したと言われる紫式部の元住居や宇治十帖の舞台、宇治へ行って平等院鳳凰堂を見て、浮舟が身を投げた宇治川を渡り、源氏物語ミュージアムを訪れたりできました。


源氏物語には底流に感じるものがあって、それは読んだものにしか分からない、も思います。谷崎潤一郎「細雪」に源氏の、底に流れている色彩を感じたのですが、文庫あとがきに、谷崎本人が「源氏物語を意識したかとはよく聞かれる」と書いていました。川端の創作するイメージのようなものの一端に触れられたのかな、なんで考えも浮かびます。



日本文学に関する川端のまとめは、なかなか心をくすぐります。


坪内逍遥「小説神髄」に始まった日本の近代文学は、ロマン主義から人間の生の姿を描く「自然主義」へ進み、それに反する形で夏目漱石や谷崎潤一郎、芥川龍之介が大正文学を彩りました。


パブロ・ピカソのキュビズムがあれほど認められたのは、世が新しい芸術を求めているタイミングだったから、と読んだことがあります。個人的にはピカソは圧倒的な技術に裏打ちされた面もあったと思っています。


関東大震災を経て、世は大正文学から、新しいものを求めた、川端康成や横光利一が興した「新感覚派」。川端はその非常に美しい文章と感覚をひっさげて昭和文学のトップランナーとなり、日本の近代文学史は川端のノーベル文学賞受賞によって1つの結実を迎えました。いまは、文学、なんてものがあるのか、という大量生産の大衆文芸の時代、と思うこともあります。言葉遊びがより先行しているな、と考えることもあります。


でも、いまは過渡期であって、近い将来、川端の言うように、きっと日本の文学は、「世界の文化に日本の新な創造を加えるであろう」と、私も信じています。


◼️川端康成「美しい日本の私」


「美しい日本の私」は、1968年、川端康成がノーベル文学賞を獲ったときの、スウェーデンで行った受賞記念講演です。


この本は記念講演を軸に昭和の初めから40年代までのさまざまな川端の文章を集め、「美へのまなざし」「戦争を経て」「日本文化を思う」というタイトルで大きく3部に分けられています。


さて、「美しい日本の私」はやや長めの随筆、といったくくりの作品です。といってもページ数にすれば15ページほど。


冒頭13世紀の道元の歌、


春は花 夏ほととぎす 秋は月

冬雪冴えて冷しかりけり


を始めとして、いくつかの歌を例に取り、四季折々の自然の美を賞でる心を説いています。

さらに、良寛、芥川龍之介の遺書、一休、華道、日本庭園、焼きもの、さらに平安の王朝文学から古今集まで、様々な例を取りながら、日本古来の美について自ら感じるところを訥々と述べています。


かつてインド出身はいましたが、それより東の国としては当時初のノーベル文学賞。日本文化を世界に紹介せねば、という意識が強すぎたのか、ちと小難しく総花的で評価はそこまで高くないようです。人によっては、小説家は文章はうまいけど講演はそうと限らない、と言ったりします。


ただ私は、この随筆集にはかなり影響を受けました。もうやばい、やばい、と思いながら再読しています。


「哀愁」という、よく取り上げられる一篇があります。敗戦後の日本について述べたもの。


「戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないという、私の前からの思いは強くなった。感じる力がないということは、感じられる本体がないということでもあろう。

敗戦後の私は、日本古来の悲しみの中に帰ってゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。」


続けて、川端は自身の「虹」に表した悲しみと、織田作之助「土曜夫人」のそれとが似通っていると書いています。また、浦上玉堂の風景画やシャイム・スーティン、歪んだ絵に特徴があるロシアの画家に惹かれるものがある、としています。


「日本古来の悲しみ」とは何か。全集で、まずは「虹」を読んでみたいと思っています。



さて、やはりこの随筆集の中で目立つのは、日本史上最高の物語は「源氏物語」であって、いまだ源氏を超える物語は出ていない、と言い切っていることでしょう。紫式部はユネスコ関連の「世界の偉人100人」に日本人として唯一登録されています。


そして、大意を言えば、川端は戦後の価値観、ことにさらに流れ込んできた西洋文化、おそらく占領政策で直接的に流れ込んできたアメリカ文化、を信じない、と。きっぱりと否定しています。「哀愁」は戦後まもない1947年の随筆。


22年の時が経った1969年、ノーベル文学賞受賞の翌年には、かつて日本が諸外国の文化を取り込んで素晴らしい文化を花開かせていったように、いま西洋文化を消化して新しい文化を、と希望を込めてこう書いています。


「おおよそ千年の昔に、日本民族は中国唐朝の文化を自分流ながら受け入れこなして、平安王朝の美を生み出したのです。」


「過去のあらゆる時代に、日本独特の文化をつくり築いて来たのですから、民族の力が決して衰えていない今日、世界の文化に日本の新な創造を加えるであろうと、わたくしは思いたいのです。」


この本に受けた影響、感銘。


・春は花夏ほととぎす秋は月

        冬雪さえて冷しかりけり

という道元の歌をそらで言えるようになった。


・源氏物語を通読した(後述)。他の古典も有名なものはだいぶ読んだ。


・世界の文化を消化した、日本独自の文学とは?少なくともハルキではないような笑、などと考えるようになった。


まあもちろんそれだけではないんですけれど^_^いろいろ日本文化についての探究の書で、私は興味深かったです。めっちゃやばい本です。これを川端康成文学館で買ったのが密かな満足です。ひとつ枕草子から「あてなるもの」の段を分析してたりします。


あてなるもの・・水晶の数珠。藤の花、梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。


あてなるもの、は上品なもの。情景が浮かんで来ますね。美を求める川端の心情とセンスは日本の1000年前に振れます。


源氏物語について、ちょっと。川端シンドロームの私はこの本に影響されて源氏物語を通読し、人生ちょっと変わった気になりました。幸い関西在住なので、嵐山や、執筆したと言われる紫式部の元住居や宇治十帖の舞台、宇治へ行って平等院鳳凰堂を見て、浮舟が身を投げた宇治川を渡り、源氏物語ミュージアムを訪れたりできました。


源氏物語には底流に感じるものがあって、それは読んだものにしか分からない、も思います。谷崎潤一郎「細雪」に源氏の、底に流れている色彩を感じたのですが、文庫あとがきに、谷崎本人が「源氏物語を意識したかとはよく聞かれる」と書いていました。川端の創作するイメージのようなものの一端に触れられたのかな、なんで考えも浮かびます。



日本文学に関する川端のまとめは、なかなか心をくすぐります。


坪内逍遥「小説神髄」に始まった日本の近代文学は、ロマン主義から人間の生の姿を描く「自然主義」へ進み、それに反する形で夏目漱石や谷崎潤一郎、芥川龍之介が大正文学を彩りました。


パブロ・ピカソのキュビズムがあれほど認められたのは、世が新しい芸術を求めているタイミングだったから、と読んだことがあります。個人的にはピカソは圧倒的な技術に裏打ちされた面もあったと思っています。


関東大震災を経て、世は大正文学から、新しいものを求めた、川端康成や横光利一が興した「新感覚派」。川端はその非常に美しい文章と感覚をひっさげて昭和文学のトップランナーとなり、日本の近代文学史は川端のノーベル文学賞受賞によって1つの結実を迎えました。いまは、文学、なんてものがあるのか、という大量生産の大衆文芸の時代、と思うこともあります。言葉遊びがより先行しているな、と考えることもあります。


でも、いまは過渡期であって、近い将来、川端の言うように、きっと日本の文学は、「世界の文化に日本の新な創造を加えるであろう」と、私も信じています。

2021年1月6日水曜日

2020年間ランキング 各賞発表!




年越しは毎年テラスに出て、遠くの夜景の中にあるUSJの花火を見るのですが、今年は上がりませんでした。

変わってしまった2020年。コミュニケーションツールが充実して、遠くの同級生と会えたり、会話するグループが増えたりしたけど、ね。

ふだんなにげなく言葉にしてるけど、こんなに実感がこもることも珍しい。

来年こそは、良い年になりますように。
笑って好きな友たちに会えますように。

◆表紙賞

オルハン・パムク「赤い髪の女」


眼を見せないのが無理っぽくも感じるけれど、博多の書店でこの本を見て感じた引力は忘れ得ない。「父性」という珍しいものがテーマ。ストーリー的にもひとつのような気もするが、パムクらしく、トルコ的で、時代を交差させ、テーマを浮かび上がらせたところはさすがだった。



◆めっちゃ啓発されました賞


・トム・ラス、ドナルド・O・クリフトン

       「心の中の幸福のバケツ」


今年この理論と出逢えたことは幸福だった。苦労もすれど、人への接し方で自分への評価や風当たりは変わる、かもしれない。ひさびさに、救われた気分になりました。


・菅谷明子「未来をつくる図書館

                   ーニューヨークからの報告ー」


ニューヨークの図書館は企業するためのツールが揃い、また災害時には情報発信基地にもなるとか。日本ののんびりした図書館も好きだけど、目線はあってもいい、と新鮮な発想を見たような気分です。



◆美術賞


・中野京子

「名画で読み解く ロマノフ家  12の物語」


今年は思うように美術展も行けませんでした。思いっきり楽しんだのはバンクシー展くらいかなと。その分というわけではないですが、見返すと美術関連の本は多い。それぞれ印象深かった。



池上英洋 荒井咲紀「美少女美術史」

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

砥上裕將「線は、僕を描く」

大久保純一「北斎  HOKUSAI

櫻部由美子「フェルメールの街」

「クリムト:世紀末の美」

榊莫山「書のこころ」

原田マハ「ゴッホのあしあと」

原田マハ「デトロイト美術館の奇跡」

原田マハ「太陽の棘」

原田マハ「異邦人」

西岡文彦「簡単すぎる名画鑑賞術」


その中で、ロシアの美術史ってあんまりなじみないけど大丈夫かな、と呼んだらロシア・ヨーロッパ史と絡んでだいぶ面白かった。特に女帝が。忘れないように賞。



◆文豪短編小説賞


・菊池寛「身投げ救助業」


出勤停止期間中には、変化をつけようといろんな作品を読んだ。青空文庫の短編も読んでみた。菊池寛の作風が良い方に意外だったのがこの話。成り行きとオチが上手で人の世の矛盾を感じさせた。



・芥川龍之介「南京の基督」


読み逃していた短編。これも話の展開が寓話のようで、それでいて芥川らしく黒く、信じるものが救われて終わる。まとまった話で心に残った。


◆古典賞


・「史記」


苦手だった三国志を去年克服し、今年は史記で項羽と劉邦をやっと理解。それにしても「史記」は故事の宝庫だねー。


・菅原孝標女「更級日記」


後輩からいいですよ、と聞いてはいた。ハデではないものの、人生の成り行きとして心に染みる。物語好きの少女は荒波に揉まれ、自分の人生を後悔して見つめる。でもどこかコミカル。


図書館の利用制限もあり、また今年は海外の小粋な短編集を指向し、あまり古典は読まなかったかな。


来年は詩経とか、未読の方丈記、紫式部日記あたりを読みたい。ホームズの原作英語読みにも挑戦したい。


また読むぞ楽しい本読み。

2020年間ランキング!






12/30は雪。翌午前中には溶けたけど、朝はまだ道にも残っていて、バス停までいく下りバス停への道はツルツルして少し危なかったほど。
読書のまとめです。今年は144作品。おととしは200オーバー。ますます少なくなって、いい傾向かと思ってます。かといって余裕があるわけではないんですが。

年間120冊くらいが理想かな、やっぱり。

年内、シェイクスピアやホームズや川端康成の解説を書いたりしました。自分の読書体験とフェイバリットな作家をまとめるのはいい効果をもたらしました。2021年も新しいことに挑戦したいな。

2020年間ランキング!】

えーと、たしか2011年から年間大賞を始め、2012年から今の形にした年間ランキング、今年のグランプリは・・


谷崎潤一郎「細雪」


でした!


続いて年間ランキングです。グランプリとは別に、1位からにしてあります。


1位津田雄一「はやぶさ2 最強ミッションの真実」

2 砥上裕將「線は、僕を描く」

3 須賀しのぶ「革命前夜」

4 青木玉「幸田文の箪笥の引き出し」

5位川端康成「たまゆら」



6位真藤順丈「宝島」

7位フランク・ロイド・ライト「自然の家」

8位マルセル・エイメ「壁抜け男」

9位谷崎潤一郎「蓼食う虫」

10位瀬尾まいこ「戸村飯店  青春100連発」



11位二葉亭四迷「浮雲」

12位杉本苑子「天智帝をめぐる七人」

13位池上英洋 荒井咲紀「美少女美術史」

14位谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

15位オルハン・パムク「赤い髪の女」



16位アンソニー・ホロヴィッツ

     「その裁きは死」

17位星野道夫「イニュイック」

18位オルハン・パムク「新しい人生」 

19位青山文平「半席」

20位位原田マハ「異邦人」

20位深緑野分「ベルリンは晴れているか」


1位は、思い入れ満載。詳しくは書評に譲るが、私の家族分の名前とメッセージを入れたマイクロチップは小惑星リュウグウに永遠に残る。最強ミッションで初号機のような大事故はなかったが、そこは遠大な計画、トラブルも起こったし、プロジェクト班には深い悩みも出来した。改めて技術と人を感じた一冊。

2位は、水墨画家さんが書いた話。予定調和ではあるけれど、なんか心が洗われました。

3位は旧東ドイツが舞台。共産圏崩壊への序章の中、バッハを探究する話。オルガンがポイント、かな?

4位は上半期1位。きものへのこだわりの中に、父露伴や娘・玉子の姿がよく見え、また色彩的、和風デザインチックな文章と挿入写真が鮮やかだ。

5 川端好きはひさびさに満足した図書館本。

6位は直木賞受賞作。よい意味での明るさと、米軍との関わり方。描きこみがある。


さて、谷崎の「細雪」。


年間トータルで見ると今 これしかない、と。特に今年後半は谷崎への理解を深めた期間となりました。「細雪」の舞台となった兵庫県芦屋市にある谷崎潤一郎記念館を訪問し、さらにかつての谷崎の住居で「細雪」の家のモデルとなった倚松庵(いしょうあん)を訪ね、冒頭の、女所帯のにぎにぎしい雰囲気のシーンを想像しました。めぐり合わせかEテレの「100de名著」で、ひと月に亘り谷崎の特集があり、じっくりと客観的な評価が聞けました。



谷崎は、読むだに、作風もバラエティに富み、文章にも特徴があり、思い切ったことを書き、かつ計算されている。いや、大谷崎、という言い方は決しておおげさではない、と実感をもって悟った感がありました。ちなみに会社の女子は「やっぱエロいイメージですね」と言ってました。そうですよね笑。



「細雪」は芦屋に次女幸子、三女雪子と末っ子のこいさん・妙子、そして東京にいる長女の鶴子の4姉妹に絡む、長い物語。読むうちに女たちの身に次々と巻き起こるエピソードに引き込まれます。社会と出来事、「家」単位の判断、お見合いなどの風習的な当時の常識が伝わってきます。



今年のコロナ禍は、当然のように読書生活にも影響を及ぼしました。すんませんヘタレですが、在宅勤務しながらの読書はなかなかつらい。動かないし、ずっと自宅だとうまく時間を使えず、また読んでるとすぐ眠くなるのです。


人に、いつ読んでるの?とよく聞かれますが、やはり移動時間が最大の集中時間。頭も起きるし、生活のリズムに動きながら乗っていける。また出張の新幹線、泊りのホテルなんか最高の読書時間です。どれもなくなってしまってどうも乗り切れませんでした。


まあまあ、あまり深刻には捉えずに・・

今年もこれで。


来年も、読むぞ〜〜!


【参考】これまでのグランプリ

2011   北村薫「リセット」

2012   熊谷達也「邂逅の森」

2013   藤原伊織「テロリストのパラソル」

2014   朝井まかて「恋歌(れんか)」

2015  朝井リョウ「何者」

2016  宮下奈都「終わらない歌」

2017  東山彰良「流」

2018  川端康成「古都」

2019  オルハン・パムク「雪」

12月書評の5




クリスマスの食卓。ウィンターカップが始まって、毎夜深夜まで再放送を観てたから、寝不足気味のこのころ。

手続きがあってクリスマスまで出社。はやぶさでこの年の読書が締まった。やっぱいいな、はやぶさの物語。

◼️津田雄一

「はやぶさ最強ミッションの真実」


はやぶさ2は、完ぺき。しかし、その影にもトラブルや深い悩みは尽きなかった。遠大なミッションを支えたのは、チームづくりと、遊びゴコロ。


12月初旬、はやぶさ2のカプセルが地球に投入され、美しい軌跡を描いて計画通りオーストラリアのウーメラ砂漠に帰還、無事回収されましたね。私は後述する思い入れがあったのですが、深夜のこととて待ち時間に寝落ちしてしまい、ハッと気がついたら管制室に拍手が湧いてて、記念すべき流れ星をリアタイで見逃しました。2020年の大きな悔いです泣^_^。。


この本ははやぶさ2 のプロジェクトマネージャーさんがしたため、帰還前の前の11月に出版されたもの。


初号機はやぶさの帰還前にすでに計画はあったらしいのですが、やはり感動的な帰還があってからぐっと進めやすくなったらしい。


はやぶさ2のミッションにはJAXAと宇宙科学研究所、全国の大学の研究者、技術者、NECが参加した。さらにドイツとフランスチームの探査ロボットを積み、NASAには多大な協力を求め、サンプル回収のためオーストラリアにも依頼したばかりでなく多くの観測チームの力を結集するなど、第九のシラーの詩を彷彿とさせる世界参加のまさにビッグプロジェクト。



そのチームのモットーとしてプロマネの津田氏が心掛けたのは、「遊び心」と言っていいだろう。ガチガチの計画ではなく、あんなことこんなことできないかと模索したり、厳しい訓練や小惑星の地名の命名にもユーモアを忘れなかったり。もちろん本務にも目標に向かって前進していけるような、「いい雰囲気」を出すよう心掛けたのがよく分かった。


遊びゴコロでクイズです。「リュウグウ」という名前ははやぶさ2を打ち上げた後に公募により決められました。水を求めるはやぶさ2、探究の帰りに玉手箱を持ち帰るはやぶさ2のイメージが、浦島太郎の物語と、パッと結びついたとのことですが、記者会見でのやりとりが印象的。


記者

「浦島太郎の物語では玉手箱を開けると煙が出てきて歳をとるが、リュウグウで得た玉手箱は開けると何が起きるのか?」


著者

「開けると歳を取るのは◯◯です。◯◯の時計を前に進められます。」


さて何でしょう。難しくない言葉です。回答はどこかに。



はやぶさ初号機は、イオンエンジンの故障があり、砂塵を巻き上げるための弾丸が発射されず、探査ローバー「ミネルバ」の着地失敗、一時広大な宇宙空間で行方不明になるなどの大トラブルが相次いだ。


しかしこの経験はあまりにも大きく、はやぶさ2プロジェクトはそのおかげでスムーズに進んだと言っても過言ではないと思う。弾丸発射、2台になった「ミネルバⅡ」の着陸、稼働成功など、初号機のストーリーを知っている身にもリベンジ成功の感動のお裾分けがあった。


さて、はやぶさ2の全容と魅力が語られているこの本の読みどころ。


はやぶさ2は、大トラブルに見舞われることなく、大成功したプロジェクトだと言い切っていいかと思う。


はやぶさ2のミッションの定義とサクセスライテリア(成功基準)は、ミニマムサクセス、フルサクセス、エクストラサクセスというように分類されていた。


計画では衝突体(銅製の弾頭)を小惑星に衝突させ、クレーターを生成させる、がミニマムで、特定した領域に衝突させる、がフル。


衝突により、表面に露出した小惑星の地下物質のサンプルを採取する、はエクストラサクセスとなっていた。


リュウグウは予想よりかなりデコボコした地形で岩が多く、平らな部分が非常に少ない。そんな中、苦労してチームはタッチダウンを成功させサンプルを採取した。その後、ドカンと大きなクレーターの生成にも成功した。



熱などにさらされてない地下の物質を採取したい、しかしフルサクセスまで達成しており、降下を失敗して墜落したりしたら、全てを棒に振りかねない。地球帰還が最優先ー。宇宙研幹部からは、第2回タッチダウンは考える必要なし、というブレーキがかかった。


チームでも、あまり地下物質の露出はないだろうけれど、より平坦なエリアにタッチダウンさせよう、という無難な結論にいったん落ち着くが、あるエンジニアがこう言った。


こんなチャンス、もう数十年は来ない。これを見逃すのは人類の宇宙科学の損失だ、本当にそんな中途半端な地点を選択していいのですか?


どう解決していったのか、結果はどうだったのか、はググるかお読みください。


個人的な思い入れ、もともと天文好き、初号機でハマった私はカプセルを見に行き、JAXA相模原キャンパスで実物模型を見て、向かいの博物館のプラネタリウムでドキュメンタリー映像に感動し、書籍を読み映画を観た。


はやぶさ2のデータ募集に家族全員の名前とメッセージを託した。世界18万人分のデータを刻んだマイクロフィルムはターゲットマーカーに貼り付けられて投入され、いまもリュウグウにある。コピーのデータは先日カプセルとともに帰ってきた。


はやぶさ2は地球上空でカプセルを投入した後、残り50%のイオンエンジンの燃料、弾丸1発、ターゲットマーカー1つを抱えたまま、拡張ミッションへと旅立った。直径数十メートルほどの小さい、しかも10分あまりで高速自転する小惑星をターゲットに、1つをフライバイ探査した後、最終的には2031年に「1998 KY26」へ到着し、残る弾丸を撃ち込み、タッチダウンも行うかも。


詳しくはこちらで。

https://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20201111_extMission/


JAXAにはなんと、火星の衛星フォボスのサンプルリターンを行う「MMX」ミッションもあるとか。もちろん「はやぶさ3」の検討も始まっているとか。


夢は広がる。はやぶさは、最高だ。


回答は「科学」でした。