思い立って京都で源氏めぐり。まずは嵐山。渡月橋を渡って、野宮(ののみや)神社。光源氏の愛人の1人、六条御息所、嫉妬すると生霊を飛ばす人です、が斎王となる娘について伊勢へ下ることになり、斎王が身を潔めるこの神社は別れの場面の舞台。竹林の中にあり、観光客の多いこと。
次は光源氏が造営した「嵯峨の御堂」とされている清凉寺へ。光源氏のモデルと目される1人、源融(みなもとのとおる)の山荘だったとも言われてます。広くて大きくて立派。しかし、誰もいない。
なんと本堂と、裏の回廊から小堀遠州作と言われる庭、どちらも独り占め状態でした。人気の天龍寺から歩いて5分ほどなのに、人はどこ行った?敷地内には聖徳太子の碑があって法隆寺夢殿を模したのであろう八角堂がありました。
街中を走る一両電車・京福電鉄嵐山線、いわゆる「らんでん」に乗って太秦広隆寺へ。源氏とは関係ないですが、ずっと見たかった弥勒菩薩半跏思惟像がついに見られると思うとミョーに緊張しました(笑)。
聖徳太子が603年、秦河勝に下賜した仏像で、国宝第1号、美しい仏像として有名です。見たことある方もいるんじゃないすかね。広隆寺は京都で最も古い寺院と言われています。館内はとても暗く、多くの仏像が並んでました。ここにあるのは本当に古いものばかりです。
暗さに浮かび上がるように、細い弥勒菩薩半跏思惟像はありました。片脚を組み、片手をほお付近に持ってきて考え込んでいるようなスタイル。少し笑っているような顔、アルカイック・スマイル。少し距離があり、じっと見つめて表情を観察する。照明の加減もあるかと思うけれども、いや、ちょっと異次元で、ずっと見ていたい美しさでした。
地下鉄太秦天神川駅まで10分歩いて移動。すっかり行き慣れた紫野大徳寺へ。すぐ近くに、藤壺につれなくされてモヤモヤした光源氏が仏道修行にこもる雲林院があります。当時は隆盛を誇ったようですが、いまはホントに小さい観音堂のみ。
で、歩いて5分くらいのところに、紫式部の墓があります。晩年には紫野に暮らしていたという説もあり、鎌倉時代の文書にこの墓について触れられているのでかなり古くからあったものかと。紫式部の紫は物語の紫の上の紫?紫野の紫?これも説ではありますが、本名は藤原香子とも。
本日の源氏物語の旅は終わり。大徳寺から新大宮通りを北上、気になっていたチョコレート店「DARI-K」で苦いカカオをのっけてくれるチョコアイスを食べ、おしゃれな北山通りを散策、千利休亡き後天下一の茶人とされた古田織部のちんまりとした美術館でいわゆる「へうげもの」の焼き物を見て帰ったのでした。満足。
◼️原田マハ「異邦人(いりびと)」
夢中にさせる。そして、めっちゃ匂った。
原田マハといえば美術もの。今回は京都。そして架空の画家と作品といった設定。金持ちとわがままさんが多く最初はん?と思ったが、なぜかなぜか、途中から夢中にさせられた。これまで特に西洋の有名画家を取り上げた作品にこそ特徴と煌めきがあっただけに、意外なタイミングで、新境地をのぞき見た気分だ。
銀座の老舗、たかむら画廊の跡取りで専務の篁一輝。妻は有吉不動産の令嬢にして有吉美術館の副館長・菜穂。実質的に作品を購入するのは菜穂とその母・克子であり、たかむら不動産にとって有吉家は上客だった。東日本大震災発生の折、妊娠していた菜穂は放射能を怖れた両親の勧めで京都へ一時避難していた。
菜穂は美術館の創始者の祖父に可愛がられて育ち、大学では美術史を専攻、絵に対する執着と金銭のつぎ込み方は異常とも思えるほどだった。京都の知り合いの画廊で、菜穂は若い画家、白根樹の絵に出逢い、魅入られるー。
菜穂が逗留しているのは祖父の書道の師である大家の家。葵祭、祇園祭、五山の送り火、四季の移り変わり、着物など、季節の移り変わりの中、京都を強く印象付けている。嵯峨嵐山、北山などおしゃれな地名も見える。この時点で、ああ、「古都」に似ているな、というのが匂った。
たかむら画廊のピンチ、有吉不動産の経営不振が濃く絡み、ドラマは動いていく。全ての判断から外され、白根に執着する菜穂は孤立感を深めていく。また青柳のような美しさを持つ美女・白根には師匠の画家との間に不穏な関係性が見える。知られざる真実と菜穂が取った道とはー。
さまざまな要素を詰めまくった作品だと思う。特に最初の方は、東日本大震災の際の首都圏の異常な雰囲気、小さな子供を連れて脱出する母親たち、などといった世相を取り入れている。
最初は金持ちと美術品と、一輝に色目を使う社長夫人、社員をリストラしてでも美術品を買うというちょっとタガの外れたわがままお嬢、そのお嬢が若い画家に入れ込む、というのはどうも別世界の破滅的なストーリーだなあと正直感じてしまった。
でも、先に述べたように、中盤から次はどうなるのか、夢中になってページを繰った。その元になっているのは、丁寧な描写の使い分けだと思う。菜穂以外の東京の人物たちは、震災直後という世相の中、財政難による大人の断を下す。冷徹だがマイナスのスパイラルである。それに対し、金持ち趣味ではあるものの、菜穂のいる京都の描写は活き活きと人間的で健全に明るく、取り巻く人々も地に足を付けている。白根樹の絵と、京都画壇で名のある師匠の画家と白根の関係、という魅力的な謎がある。
終盤にどだだだっと知らぬ真実が明らかになり、菜穂は決別するー。そして白根とはー。
先にも触れた、川端康成「古都」を原田マハひ意識して書いたという。「古都」もまた京都の風物詩と風俗を紹介した中の儚さ、という作品。白根樹のはかなげなようすも大いに貢献していると思う。どうも理不尽なものを感じる成り行きも、なんか壊れてていいかも。
ただね、川端ファンだけにちょっとだけ反発もあったりして。なんか京都の表現もこざかしく感じるし。ただ、面白いものはそうだと認めるのがフェア。これは紛れもなく面白い小説だ。
地元のショッピングビルに、本の交換棚がある。文庫本2冊でここに置いてある本と交換できますよ、という試み。この本を見つけて、さっそく2冊持ってって入手。最近また京都にハマってて、だいたいどこに何があるか分かってきているタイミングだし、京都に持ってって読み出し、なにやら新境地っぽいものを心に掴んだのも不思議な縁を感じている。
土曜ワイド劇場みたいだけど、ちょっと面白い話でした。
◼️三田誠広「聖徳太子 世間は虚仮にして」
聖徳太子の少年期から薨去まで。初めてじっくり読んだ。
聖徳太子といえばやっぱり一万円札。そして歴史の授業で冠位十二階、十七条の憲法を定めたこと、隋の煬帝のもとへ「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書を送ったことなどは習って知っている。
乙巳の変、その後に至るまで中心の1つは蘇我氏。聖徳太子は、豪族たちに囲まれ、抜き差しならぬ世情の中をどう渡っていったのか、ということには、歴史作品を読むたび興味が募った。よくある肖像からは、奥が見えないが、優しい人物という印象を受けていた。
574年に生まれた聖徳太子。幼少の頃から漢籍や仏教の経典を読む天才少年だった。用明天皇の第2皇子で、父、母ともに蘇我稲目を父とする異母兄妹で、自然蘇我氏とのゆかりが深い身の上だった。聖徳太子は後世の名で厩戸皇子、この物語では上宮王(かみつみやのみこ)となっているが、この評では太子、とする。
大陸の新しい宗教、仏教を広めようとする蘇我氏と廃仏派の豪族・物部氏は激しく対立、やがて国を二分する戦となり、太子は蘇我氏側に立って参戦し勝利する。やがて推古天皇が初の女帝として立ち、太子は蘇我馬子とともに政務を補佐する。
やがて韓半島三国、高麗、百済、新羅が激しく相争う中、任那を救おうと出兵を推し進めようとする馬子と、戦を避けたい推古天皇・太子サイドの間には深い溝が生まれ、太子の身も危険になり、蘇我氏の本拠、飛鳥から距離を置いていまの法隆寺がある斑鳩に移り住む。
天皇のもと豪族が寄り集まっているだけの日本には制度と法が必要だとして太子は冠位十二階や十七条憲法の憲法を作成・施行する・・という流れである。
物語を貫いているのは仏教で、太子の口から、また太子が師とした高麗の高僧・慧慈から仏の教えが詳しく、理路整然と語られる。筆者はかなり通暁しているようだ。仏教でいう世間は虚仮にして一切は幻影である、との真理がタイトルとなっている。
思ったよりも「老成して強い」性格の太子だった。最初の方は気配を消して木の枝に佇むなど超人的なシーンがあったりして、ちとファンタジー要素も入ってるかもと思ったが、その後冷静に理詰めで馬子と渡り合う姿が繰り返されるのを読むにつけ、これだけ強くなければ、天皇であろうが排除する蘇我氏に対抗できないだろうな、そりゃそうだ、とも考え直した。太子も少年期から馬子に強い物言いをするが、この物語の性格か、若い入鹿も太子には横柄な態度をとる。
多くの弁舌があり、やや理論が多い向きもあるなと感じた。強く賢くあり、なおかつその裏に持っている母への愛情の飢えがあったり、寂しさ、弱さも描かれる。
物部氏との戦で立てた誓いどおりに建立された大阪の四天王寺、斑鳩の里の法隆寺と夢殿、下賜された仏像のため、京都にいた豪族秦河勝が寺を築いた話など、記された歴史に沿い、各地の地名などもこの時代のファンの心を大いにくすぐる。
蘇我入鹿の物語を読み、壬申の乱と後に連なる藤原氏の台頭の頃の作品をいくつか読んだ。今回その前の話に目を通したことで、時代が繋がった気分だ。
法隆寺や飛鳥を訪ね、さらに大和路を巡ってきて、中核の1つへたどり着いた感もある。ちょっとおおげさだけどね。
この作品を読了した日には、秦河勝が建立したという京都太秦広隆寺で、下賜された弥勒菩薩半跏思惟像を見てきた。京都最古の寺院、最古の像には不思議な笑みのようなものが浮かんでいるように見え、いつまでも眺めていたい気になった。この作品のおかげで少し仏像に詳しくなっていて他に並ぶ像のことも多少理解できて満足。タイミングが良かったな。清凉寺という寺にも行ったのだが、法隆寺から派生した?夢殿を模した八角堂があり、聖徳太子の碑が立っていた。後代へと影響力はやはりあったのかなと感じる。
四天王寺が保持しているという聖徳太子の七星剣はぜひ見てみたい。また大阪の磯長(しなが)というところにあるという墓も見に行きたくなった。
太子の死後20年後に、蘇我入鹿の襲撃により太子の嫡子山背大兄王一族は死し、上宮王家は滅びる。そして 蘇我氏は討たれ、討った天智天皇らの勢力は壬申の乱で天智天皇に敗れる。いつの時代も歴史にはドラマ性があるが、この時代の変転が見せる黒く悲劇的なかたち、黎明期が放つ不思議な色の光は、私を魅了する。
もちろん伝説の類もあろうし、現代のものは当時の姿そのものではないが、奈良、飛鳥、斑鳩や河内に続くエリア、さらに京都に滲む神性ともいえる印象には強い引力がある。
聖徳太子の物語を読んで良かった。もっと読みたいな。