2020年1月26日日曜日

1月書評の6







思い立って京都で源氏めぐり。まずは嵐山。渡月橋を渡って、野宮(ののみや)神社。光源氏の愛人の1人、六条御息所、嫉妬すると生霊を飛ばす人です、が斎王となる娘について伊勢へ下ることになり、斎王が身を潔めるこの神社は別れの場面の舞台。竹林の中にあり、観光客の多いこと。


次は光源氏が造営した「嵯峨の御堂」とされている清凉寺へ。光源氏のモデルと目される1人、源融(みなもとのとおる)の山荘だったとも言われてます。広くて大きくて立派。しかし、誰もいない。

なんと本堂と、裏の回廊から小堀遠州作と言われる庭、どちらも独り占め状態でした。人気の天龍寺から歩いて5分ほどなのに、人はどこ行った?敷地内には聖徳太子の碑があって法隆寺夢殿を模したのであろう八角堂がありました。


街中を走る一両電車・京福電鉄嵐山線、いわゆる「らんでん」に乗って太秦広隆寺へ。源氏とは関係ないですが、ずっと見たかった弥勒菩薩半跏思惟像がついに見られると思うとミョーに緊張しました(笑)。


聖徳太子が603年、秦河勝に下賜した仏像で、国宝第1号、美しい仏像として有名です。見たことある方もいるんじゃないすかね。広隆寺は京都で最も古い寺院と言われています。館内はとても暗く、多くの仏像が並んでました。ここにあるのは本当に古いものばかりです。


暗さに浮かび上がるように、細い弥勒菩薩半跏思惟像はありました。片脚を組み、片手をほお付近に持ってきて考え込んでいるようなスタイル。少し笑っているような顔、アルカイック・スマイル。少し距離があり、じっと見つめて表情を観察する。照明の加減もあるかと思うけれども、いや、ちょっと異次元で、ずっと見ていたい美しさでした。


地下鉄太秦天神川駅まで10分歩いて移動。すっかり行き慣れた紫野大徳寺へ。すぐ近くに、藤壺につれなくされてモヤモヤした光源氏が仏道修行にこもる雲林院があります。当時は隆盛を誇ったようですが、いまはホントに小さい観音堂のみ。


で、歩いて5分くらいのところに、紫式部の墓があります。晩年には紫野に暮らしていたという説もあり、鎌倉時代の文書にこの墓について触れられているのでかなり古くからあったものかと。紫式部の紫は物語の紫の上の紫?紫野の紫?これも説ではありますが、本名は藤原香子とも。


本日の源氏物語の旅は終わり。大徳寺から新大宮通りを北上、気になっていたチョコレート店「DARI-K」で苦いカカオをのっけてくれるチョコアイスを食べ、おしゃれな北山通りを散策、千利休亡き後天下一の茶人とされた古田織部のちんまりとした美術館でいわゆる「へうげもの」の焼き物を見て帰ったのでした。満足。


◼️原田マハ「異邦人(いりびと)」


夢中にさせる。そして、めっちゃ匂った。


原田マハといえば美術もの。今回は京都。そして架空の画家と作品といった設定。金持ちとわがままさんが多く最初はん?と思ったが、なぜかなぜか、途中から夢中にさせられた。これまで特に西洋の有名画家を取り上げた作品にこそ特徴と煌めきがあっただけに、意外なタイミングで、新境地をのぞき見た気分だ。


銀座の老舗、たかむら画廊の跡取りで専務の篁一輝。妻は有吉不動産の令嬢にして有吉美術館の副館長・菜穂。実質的に作品を購入するのは菜穂とその母・克子であり、たかむら不動産にとって有吉家は上客だった。東日本大震災発生の折、妊娠していた菜穂は放射能を怖れた両親の勧めで京都へ一時避難していた。


菜穂は美術館の創始者の祖父に可愛がられて育ち、大学では美術史を専攻、絵に対する執着と金銭のつぎ込み方は異常とも思えるほどだった。京都の知り合いの画廊で、菜穂は若い画家、白根樹の絵に出逢い、魅入られるー。


菜穂が逗留しているのは祖父の書道の師である大家の家。葵祭、祇園祭、五山の送り火、四季の移り変わり、着物など、季節の移り変わりの中、京都を強く印象付けている。嵯峨嵐山、北山などおしゃれな地名も見える。この時点で、ああ、「古都」に似ているな、というのが匂った。


たかむら画廊のピンチ、有吉不動産の経営不振が濃く絡み、ドラマは動いていく。全ての判断から外され、白根に執着する菜穂は孤立感を深めていく。また青柳のような美しさを持つ美女・白根には師匠の画家との間に不穏な関係性が見える。知られざる真実と菜穂が取った道とはー。


さまざまな要素を詰めまくった作品だと思う。特に最初の方は、東日本大震災の際の首都圏の異常な雰囲気、小さな子供を連れて脱出する母親たち、などといった世相を取り入れている。


最初は金持ちと美術品と、一輝に色目を使う社長夫人、社員をリストラしてでも美術品を買うというちょっとタガの外れたわがままお嬢、そのお嬢が若い画家に入れ込む、というのはどうも別世界の破滅的なストーリーだなあと正直感じてしまった。


でも、先に述べたように、中盤から次はどうなるのか、夢中になってページを繰った。その元になっているのは、丁寧な描写の使い分けだと思う。菜穂以外の東京の人物たちは、震災直後という世相の中、財政難による大人の断を下す。冷徹だがマイナスのスパイラルである。それに対し、金持ち趣味ではあるものの、菜穂のいる京都の描写は活き活きと人間的で健全に明るく、取り巻く人々も地に足を付けている。白根樹の絵と、京都画壇で名のある師匠の画家と白根の関係、という魅力的な謎がある。


終盤にどだだだっと知らぬ真実が明らかになり、菜穂は決別するー。そして白根とはー。


先にも触れた、川端康成「古都」を原田マハひ意識して書いたという。「古都」もまた京都の風物詩と風俗を紹介した中の儚さ、という作品。白根樹のはかなげなようすも大いに貢献していると思う。どうも理不尽なものを感じる成り行きも、なんか壊れてていいかも。


ただね、川端ファンだけにちょっとだけ反発もあったりして。なんか京都の表現もこざかしく感じるし。ただ、面白いものはそうだと認めるのがフェア。これは紛れもなく面白い小説だ。


地元のショッピングビルに、本の交換棚がある。文庫本2冊でここに置いてある本と交換できますよ、という試み。この本を見つけて、さっそく2冊持ってって入手。最近また京都にハマってて、だいたいどこに何があるか分かってきているタイミングだし、京都に持ってって読み出し、なにやら新境地っぽいものを心に掴んだのも不思議な縁を感じている。


土曜ワイド劇場みたいだけど、ちょっと面白い話でした。




◼️三田誠広「聖徳太子 世間は虚仮にして」


聖徳太子の少年期から薨去まで。初めてじっくり読んだ。


聖徳太子といえばやっぱり一万円札。そして歴史の授業で冠位十二階、十七条の憲法を定めたこと、隋の煬帝のもとへ「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書を送ったことなどは習って知っている。


乙巳の変、その後に至るまで中心の1つは蘇我氏。聖徳太子は、豪族たちに囲まれ、抜き差しならぬ世情の中をどう渡っていったのか、ということには、歴史作品を読むたび興味が募った。よくある肖像からは、奥が見えないが、優しい人物という印象を受けていた。


574年に生まれた聖徳太子。幼少の頃から漢籍や仏教の経典を読む天才少年だった。用明天皇の第2皇子で、父、母ともに蘇我稲目を父とする異母兄妹で、自然蘇我氏とのゆかりが深い身の上だった。聖徳太子は後世の名で厩戸皇子、この物語では上宮王(かみつみやのみこ)となっているが、この評では太子、とする。


大陸の新しい宗教、仏教を広めようとする蘇我氏と廃仏派の豪族・物部氏は激しく対立、やがて国を二分する戦となり、太子は蘇我氏側に立って参戦し勝利する。やがて推古天皇が初の女帝として立ち、太子は蘇我馬子とともに政務を補佐する。


やがて韓半島三国、高麗、百済、新羅が激しく相争う中、任那を救おうと出兵を推し進めようとする馬子と、戦を避けたい推古天皇・太子サイドの間には深い溝が生まれ、太子の身も危険になり、蘇我氏の本拠、飛鳥から距離を置いていまの法隆寺がある斑鳩に移り住む。


天皇のもと豪族が寄り集まっているだけの日本には制度と法が必要だとして太子は冠位十二階や十七条憲法の憲法を作成・施行する・・という流れである。


物語を貫いているのは仏教で、太子の口から、また太子が師とした高麗の高僧・慧慈から仏の教えが詳しく、理路整然と語られる。筆者はかなり通暁しているようだ。仏教でいう世間は虚仮にして一切は幻影である、との真理がタイトルとなっている。


思ったよりも「老成して強い」性格の太子だった。最初の方は気配を消して木の枝に佇むなど超人的なシーンがあったりして、ちとファンタジー要素も入ってるかもと思ったが、その後冷静に理詰めで馬子と渡り合う姿が繰り返されるのを読むにつけ、これだけ強くなければ、天皇であろうが排除する蘇我氏に対抗できないだろうな、そりゃそうだ、とも考え直した。太子も少年期から馬子に強い物言いをするが、この物語の性格か、若い入鹿も太子には横柄な態度をとる。


多くの弁舌があり、やや理論が多い向きもあるなと感じた。強く賢くあり、なおかつその裏に持っている母への愛情の飢えがあったり、寂しさ、弱さも描かれる。


物部氏との戦で立てた誓いどおりに建立された大阪の四天王寺、斑鳩の里の法隆寺と夢殿、下賜された仏像のため、京都にいた豪族秦河勝が寺を築いた話など、記された歴史に沿い、各地の地名などもこの時代のファンの心を大いにくすぐる。


蘇我入鹿の物語を読み、壬申の乱と後に連なる藤原氏の台頭の頃の作品をいくつか読んだ。今回その前の話に目を通したことで、時代が繋がった気分だ。


法隆寺や飛鳥を訪ね、さらに大和路を巡ってきて、中核の1つへたどり着いた感もある。ちょっとおおげさだけどね。


この作品を読了した日には、秦河勝が建立したという京都太秦広隆寺で、下賜された弥勒菩薩半跏思惟像を見てきた。京都最古の寺院、最古の像には不思議な笑みのようなものが浮かんでいるように見え、いつまでも眺めていたい気になった。この作品のおかげで少し仏像に詳しくなっていて他に並ぶ像のことも多少理解できて満足。タイミングが良かったな。清凉寺という寺にも行ったのだが、法隆寺から派生した?夢殿を模した八角堂があり、聖徳太子の碑が立っていた。後代へと影響力はやはりあったのかなと感じる。


四天王寺が保持しているという聖徳太子の七星剣はぜひ見てみたい。また大阪の磯長(しなが)というところにあるという墓も見に行きたくなった。


太子の死後20年後に、蘇我入鹿の襲撃により太子の嫡子山背大兄王一族は死し、上宮王家は滅びる。そして 蘇我氏は討たれ、討った天智天皇らの勢力は壬申の乱で天智天皇に敗れる。いつの時代も歴史にはドラマ性があるが、この時代の変転が見せる黒く悲劇的なかたち、黎明期が放つ不思議な色の光は、私を魅了する。


もちろん伝説の類もあろうし、現代のものは当時の姿そのものではないが、奈良、飛鳥、斑鳩や河内に続くエリア、さらに京都に滲む神性ともいえる印象には強い引力がある。


聖徳太子の物語を読んで良かった。もっと読みたいな。

2020年1月25日土曜日

1月書評の5






回廊って好きなんだよね。早咲きの梅も見られる1月下旬。

図書館に、読みたい本が、多すぎる。おお五七五。

◼️中尾真里「ホームズと推理小説の時代」


ふむむ。ミステリー史は何度読んでも面白い。読みたいのがまた増えた。


シャーロック・ホームズとワトスンの、常識的紳士2人のコンビを軸に、次々と生まれてきたミステリ作家やその珠玉の作品、魅力的な探偵たちを紹介する。


通常ホームズのパスティーシュ・パロディには惹かれるが、ホームズ雑学、ホームズ紹介、または今回のような関連本はほとんど読まない。上から目線ではないけれど、知ってることが多いから。今回図書館で目に留まり、出版がおととしと比較的新しいこと、関西発(著者は奈良大学名誉教授にして日本シャーロック・ホームズ・クラブ関西支部会員)、そして読んだ方がいいんじやないかな〜という良い予感がしたので借りてきた。


1887年、ビートンのクリスマス年鑑に「緋色の研究」が掲載されてからの流れ、ホームズやワトスン、その他の登場人物の紹介・ちょっとした深掘りに、ホームズが物語中にこき下ろすポーら既存の探偵小説にドイルがいかに影響されたか、というのは面白い。


そこから本書の主題でもあるミステリー史へと展開する。まずはイギリス。泥棒紳士ラッフルズ、オルツィの「隅の老人」、ブラウン神父のチェスタトン、「トレント最後の事件」のベントリー。さらにアガサ・クリスティーのポアロとミス・マープル、ドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿、「赤い館の秘密」のミルンに「陸橋殺人事件」のノックスと華やかな黄金時代。


さらにアメリカではヴァン・ダインとエラリー・クイーンがライヴァルとしてアメリカの推理小説の水準を引き上げた、というのは興味深かった。そこへまたディクスン・カーが登場する。すごいメンツだこと。


だんだんと推理小説もハードボイルドや怪奇風のもの、法廷もの、頭脳よりアクションで活躍する探偵の登場などなど広がりを見せていく。イギリスでもアメリカでもミステリは文学史に数えられるものではないのは共通だが、イギリスでは知的な読み物とされているのに対し、アメリカでは、人気はあるもののより大衆的な読み物とされている、必然的に求められる探偵像も違ってくる、という論はふむふむとなった。


さて、自分はミステリーは好きなジャンルではある。でもあんまり読んでないな、と今回も思わされた。クイーンの館ものシリーズは若い頃制覇したが、どうもトリックのために設定を強化しているような気もしてあまり読まなくなった。それなのにアヤツジストだったりして、どうも推理小説に対する意識はアンビバレントだな、我ながら。


クリスティーは有名作も再読したいし読んだことないのも多い。カーは散発的で「夜歩く」読みたい。ミルンの「赤い館」も読まなければ。今回興味を惹かれたのは読んだことのないドロシー・L・セイヤーズで「学寮祭の夜」等代表作とされているものは読んでみたくくすぐられた。んー、たたでさえ図書館で読みたい本が溜まってるのに、また読みたいのが増えた。そもそも古典の読書は未読があまりにも多く、読んでも読んでも減らない感触で、推理小説まで手を広げる余裕がいまないな。まあまあ、少しずつ、なんとか。


最後に、当然のように日本のミステリー史に行き着く。


日本にはホームズものは明治時代から紹介されてはいたが、日本ミステリーの黄金時代は第二次大戦後。ホームズが発火点となり、類似作品がたくさん生まれ、一次大戦後に隆盛を迎えた欧米に比べ、翻訳・翻案の時代が続き、日本オリジナルの純粋ミステリーが育つのに時間がかかったというのは興味深い。江戸時代の鎖国政策の薄い影響が見えるような気もする。


著者が楽しんだという戸板康二の「グリーン家の子ども」なども読んでみたい。


実は今回やはり知っている話が多くはあった。しかし、改めてつぶさに読んでみると、ミステリー史はやはり面白い。錚々たる個性豊かな作家たちに煌めく作品たち。著者が実に楽しそうに書いているのがよく分かる。細かい作品やその評価もあって参考になった。


ミステリーは熱かなやはり。



◼️朝倉かすみ「田村はまだか」


田村は来るのか?アダルトな上手さで、なんだか舞台劇みたいだなと思う。


吉川英治文学新人賞受賞作品。同級生の本友が著者の作品を読んでたので手に取ってみた。同氏は2019年上半期、大島真寿美氏が「渦  妹背山庭訓  魂結び」で直木賞を受賞した回、「平場の月」という作品が候補作となった。


まずタイトルを見て本読みなら多少考えるでしょう。私の中では田村は来ないだろうな、と思った。朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」とかブッツァーティの傑作「タタール人の砦」を思い浮かべる。田村は来るのか、待っている間が小説になるんだろうな、と。解説ではベケット「ゴドーを待ちながら」が取り上げてあった。


まずそこをくすぐっておいて本編。設定の絶妙さが光る。北海道の小学校同窓会の三次会。深夜にススキノ場末のスナック。満40歳の男3人女2人。掘ればいかにもワケがありそうだ。若くはないが、老け込むトシでもない。社会的地位も出来て落ち着いているが、まだエネルギーがある年齢。遠方から来るはずの同級生・田村を待っている。


5人のうち店常連である永田以外の4人には最初それぞれに腕白、コルレオーネ、エビス、いいちこという仇名がついていて、エピソードとして取り上げられた者から本名に変わるようになっている。スタート時はちと戸惑うが、まあ粋な仕掛けと見える。


田村とその妻のやはり同級生・中村理香の紹介的で強烈なエピソードから始まり、エロも混じったオトナの話が続く。ありふれた話の中に、うーん、ストレートではないヘンな部分をわざと混ぜてある。また文章や設定に細かい仕掛けを用意し変化をつけている。スナックという密室、深夜の同窓会三次会という異空間的な部分、マスターを含めた1人ずつの刺激的な話は、まるで舞台劇を観ているような感覚にもさせられる。


ドロっとしたなか、男子校の保健室教諭をしている女性の、男子生徒との間の話は可愛いすぎて異彩を放っていた。ユーミンとか江國香織テイスト。


そして田村はついにー。


この部分も、もちろん目立たせてはいるが、腑に落ちる展開であって、でもちょっとだけヘンかも、ってとこだろうか。


2008年の作品であり、登場人物たちは丙午の生まれとされている。であれば1966年世代の話だ。うわー、いやトシがバレるからなにも言うまい。^_^ 時代感は懐かしいな、やっぱり。


味とクセのある佳作で、大人の読み物だなと思う。仕舞いも見事。他の作品も読んでみたくなったな。

2020年1月19日日曜日

1月書評の4







上は梅田ビスキュイテリエ  ブルトンヌのフィナンシェ。妻が「焼きたてですよー」という呼び込みについて買ったそう。外はサクサク、中は柔らかくで、珍しく息子が食べてすぐ美味いと言った。ビスキュイはフランス語でビスケット、ブルトンヌはブルターニュの、ということらしい。

下はローカルに人気の芦屋竹園の揚げたてコロッケ。

土曜の夜にNHKで阪神大震災がテーマのドラマをやっていた。タイトルはわが青春の神戸。あれ私と重なるな、と。ドラマもまあ良かった。ヒロイン役の尾野真千子へ主人公がプロポーズするシーンは新神戸からハーブ園へ向かうミニロープウェイ、神戸夢風船がバックだった。

日曜日、業平の祠を訪ね、震災の時住んでいたコーポや芦屋の街を訪ねた。JR芦屋駅前の歩道の舗石がうねっているのは震災の名残り。色々なものが変わった。

竹園のコロッケを買って、きれいに開通した山手幹線をひと駅分歩いて帰った。

震災から四半世紀か。ウソみたいだな。

◼️「植村直己 地球冒険62万キロ」


スカッとする冒険と、喪失感。


植村直己といえば子供の頃誰もが知る冒険家で新聞にもよく記事が出ていた。特集で取り上げられていた「思い切り故郷の言葉でしゃべりたい」という日記の文言が長く心に残っていた。日記の言葉と、雪山や北極に挑む人、というイメージからてっきり東北あたりの人かと思っていたら、兵庫県の出身だそうだ。


植村少年は高校を出た後明治大学山岳部に入り、アメリカやフランスに出て働きながら冒険を始める。


明大山岳部の登山隊でヒマラヤのゴジュンパ・カン7246mに登り、その後ヨーロッパ最高峰のモンブラン4807m、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ5895mに登頂、続いて南アメリカ大陸最高峰のアコンカグア6959mに登頂、さらにアマゾン川6900kmを舟で河口まで下る。単独である。


登頂隊の一員としてエベレスト8848mを制覇、次は単独で北アメリカ大陸最高峰、アラスカのマッキンリー6194mに登り、5大陸の最高峰を制覇する。


次はと定めた南極大陸単独横断の野望を胸に、極地の訓練としてグリーンランドのエスキモー村へ飛び込んで犬ぞりの操り方、極地の自然を体感する。さらに南極大陸3000kmを体感するために、北海道の稚内から鹿児島市まで徒歩で歩き、ふたたびグリーンランドに飛ぶ。この間結婚するのだが、


「次のグリーンランドは半年?1年?」と新妻に訊かれた植村は


「まあ、3年ぐらいだな。」と平然と答えたらしい。いやーなんというか、そういう執着ないのねって感じで微笑。


グリーンランド北端から北極圏沿いにカナダを通ってアラスカへ。もちろん単独の犬ぞり。ロマンある6000kmの大旅。途中犬が離散したり、氷の割れ目にそりと犬が落ちてしまったりと命に関わるトラブルに見舞われるがついにやりとげる。約5ヶ月、その間太陽はほとんど出ない。犬との絆、ことにメスのリーダー犬、アンナには思い入れは深く、セイウチやアザラシの肉をともに食う旅だった。


さらに白クマに襲われる体験をした北極点単独到達、グリーンランド縦断と偉業は続く。冬のエベレスト制覇に挑んだがこれは失敗。しかし心は南極大陸へと勇む。軍の基地のあるアメリカからの協力は取り付けられず、アルゼンチンはいったん受けてくれたものの、折悪しくフォークランド紛争が勃発、その余波でダメになった。


植村は2度めのマッキンリーへ。真冬のマッキンリー単独登山に初めて成功した・・が、行方不明となったまま、帰らなかった。遺体は見つかっていない。


登山やグリーンランド縦断の許可は最初は出なかった。交渉を繰り返し、技量があるのを証明するために、近くの同レベルの山に登ったり、デンマークの首相にかけあったりして実現してきた。誰もが驚くほどの努力をし、原始的な生活を送り続けて目標を達成するー。植村直己は子供心にもヒーローだった。


図書館でいつも座る席の近くは、児童書コーナーである。たくさんの伝記がある。見かけて即借りた一冊。今回の作品は、おそらく小学校中学年〜高学年対象の児童書だった。会話も文もいかにも子供向け。でもだから、植村直己が消息を絶った記事を読んだ時のあの頃の喪失感を思い出す一助となったのかもしれない。


ちょっとカッコつけすぎかなっ。^_^



◼️杉本苑子「天智帝をめぐる七人」


心から楽しんだ。珠玉の飛鳥譚。


飛鳥譚、は一部近江わずかに難波、ほんのちょっと吉野です。久しぶりに終わってほしくないなと思いつつ読了。


乙巳の変(大化の改新)から壬申の乱前夜まで、タイトルのとおり、軽皇子(孝徳天皇)、有間皇子、額田大王、常陸郎女、鏡女王、中臣鎌足、鵜野皇女を主人公とした7つの短編が収録され、時系列順に進行する。


軽皇子は盟友の秀才、蘇我鞍作(入鹿)を乙巳の変で失う。さらに旧蘇我派の反発などの情勢を落ち着かせるため皇極天皇に替わって帝位に就き、鞍作の構想に沿った政策を推し進めるがー。

(風鐸ー軽皇子の立場からー)


軽皇子の心の支えとなっていた小足媛、2人の子である有間皇子もまた悲劇的な運命を辿る。


戦国好き、幕末好き、歴史は魅力に溢れているが、古事記、日本書紀、さらに聖徳太子から壬申の乱の時代好き、という人も多いのではないだろうかと最近思う。永井路子、黒岩重吾らによるその時代の作品群を読んでいると、エピソードの方向性、登場人物の性格づけなどに、作品による差を感じられたりして嬉し楽しい。


3篇は額田大王。ここまでの2人は歴史の狭間で残酷に切り捨てられた人たち。美貌と歌才に恵まれ、大海人皇子(のちの天武天皇)と中大兄皇子(のちの天智天皇)と父母が同じの兄弟に愛され、憂愁の歌も、色気と遊び心をにじませた歌も残している、ちょっと突き抜けた女性をどう描くか。短く強烈なインパクトというよりは、全編にわたってあしびきの長い尾を引くような存在で、しかも魅力を浮き立たせている印象だった。


常陸郎女は有間皇子を陥れた蘇我赤兄の娘で中大兄皇子の妃の1人。鏡王女は額田大王の姉で妹に対抗するかのように中臣鎌足の妻の1人となる。子は十市皇女。女たちの愛憎にスポットを当て掘り下げながら、歴史の動きを語る。特に百済・高句麗・新羅に唐が絡む激動の国際情勢の中、ともすれば軽く扱われがちな蘇我赤兄が落ち着いた切れ者として描かれているのが興味深い。


ラスト2つは中臣鎌足と、大海人皇子の妃で後の持統天皇である鵜野皇女。仲の悪い中大兄皇子と大海人の仲裁役の鎌足は没し、吉野に下った大海人に付き従った、かたくなな性格の鵜野に運が向いてくるような流れは歴史の向きを感じさせる。鎌足が額田の存在を苦々しく思っているのもされば、と腑に落ちて微笑んでしまう。


前半は百済出兵を主導した皇極・斉明女帝が中心の1人。中大兄皇子がなかなか帝位に就かなかった理由を同父同母の間人皇女と純粋な恋愛関係にあり子まで成したことに求めていて、その憂いは全編を貫いている。またなぜ中大兄皇子は早々に大海人皇子を殺してしまわなかったのか、という大命題は謎のままにしている、という気がする。大海人、さらにその子の大友皇子がやや激情型の設定なのも面白い。


この時期の主要な事件を取り上げながら、豊富な知識と細かな描写で大きな流れを作り、深い味を感じさせる佳作だと思う。そんなに長い作品ではないが、すっかり呑み込まれてしまった。


この時代は、やめられないな。満足。




1月書評の3






若い頃を過ごした芦屋市には、業平橋とか公光町とか平安時代っぽい名前が多い。どしてかなという疑問を放っておいたのだが、どうやら在原業平は別荘を持っていたらしいと最近知った。この辺りは別荘地、保養地だったのね。源氏物語みたく須磨明石まで行くと流罪の地みたいなもんなんだけど。まあそれも、平清盛が兵庫の港を整備してからは変わったのかな。

◼️西岡文彦「簡単すぎる名画鑑賞術」


クリムトに、感じ入る。


モナ・リザ、つまりレオナルド・ダヴィンチ、ウォーホル、モネ、マネ、ドラクロア、レンブラント、スーラ、ゴッホ、クリムト、セザンヌ、ピカソ、そしてモンドリアンと現代アートを、美術史の流れに沿って簡単に解説していく本。


美術は好きで、美術史上の事件はだいたいわかるが、忘れっぽいので(笑)、たまにこうしてなぞったり、知らないエピソードを読むのは楽しい。


モナ・リザの伝統的かつ超人的な薄塗があって、マネやモネのベタ塗りの異質さが分かる。ドラクロアのフランス革命にまつわる有名な「民衆をひきいる自由の女神」がきれいなピラミッド構図に収まっているのにほうーとなり、改めて補色の原理にうなる。レンブラントの劇的な明暗を再認識して、厚塗り、なぐり書きにまたモナ・リザとの差を見る。


現代印刷に通じるスーラの点描、三原色と黒、その濃淡でですべての色彩を再現する手法はなかなかエウレカだった。


そして興味を惹かれたのがクリムト。クリムトは若い頃は、あ、女子が好きな絵を描く人だね、クリスマスなんかよく合いそうだし、程度に思っていた。しかしここ最近はともすれば印象派でも没個性な作品が多い中でよくこんな形で他とは違う確固としたスタイルを確立したものだと感心している。


濃淡がつけにくく写実的なヨーロッパ近代絵画にとって天敵のような存在だった金を、日本美術の金屏風や絵巻物、蒔絵といったものの平面的な美しさを看破し、さらに文様がこちら向きになっているのを参考に、二次元的な造形をしたというその独自性には、今回感嘆した。


カンディンスキーやモンドリアンといった現代アートも新鮮だった。モンドリアンの「赤・黄・青のコンポジジョン」のパターンはたしかになじみ深い。


ピカソの項で取り上げられていた、結城昌子氏の絵本「ピカソの絵本 あっちむいてホイッ!」もすぐに図書館で見た。確かにキュビズムの人の顔の絵はあっち向いてホイ。ぴったりだと笑った。


ウォーホルの解説時に1枚も絵がなかったり、またちょっとこじつけ的理屈?などと思ったり、も少し文章整理できるでしょ、という部分に多少不満も感じたが、どうしてどうして、核心とされているものがよく分かる、面白い本だった。


去年東京出張時にチャンスがありながら見逃したクリムト展、悔やまれるなあー。


◼️西加奈子「窓の魚」


いきなりつかまれた。上手いなあ、と。


さまざまな要素が、感性をチクチクさせてくる。暗示が至る所にあって、絵の具が混ざり合ったような、複雑な色味を浮かび上がらせている。


アキオとナツ、トウヤマとハルナの2組のカップルが一緒に山の鄙びた温泉に出かける。それぞれのモノローグで4章が構成してある作品。名前もなにやらあるような。


冒頭、山の風景を説明的に描写している際の


「川は山の緑を映してゆらゆらと細く、若い女の静脈のように見える。」


という表現にいきなり心をつかまれてしまった。詳細は忘れたが、かつて宮下奈都の名作「スコーレNo.4」に同じような感触を得た気がする。


この一文が語るように、物語には不穏な雰囲気が流れている。ホラー、セックス、煙草、死というものが表象として書かれ、さらに小道具と、それぞれの境遇と過去、4人の関係性を深く掘っていくにつれ、さらに不穏さは濃くなり、ささやかな光も織り交ぜられている。


明るいアキオ、受け身でクールなナツ、はしゃぐガーリーなハルナ、ぶっきらぼうで無口なトウヤマ。ナツ以外は家族にまつわる過去を持つところが秘めやかで面白い。


風呂よりも水面が高く鯉が水中に鯉が泳いでいるのが見える仕掛け、猫の声、温泉の女、花のタトゥー、女将の過去などなど、小道具もこれでもかとばかりに展開させられる。セックスに絡む話が多く出てくるのもアダルト風味でリアルだ。


心のうちは、クルクル変わる。10そう思っているわけではなくて好きと嫌な感情は通常ないまぜになり、人は短い時間で次々と本当に多くのことを感じ、思う。それをストーリーとして表し、全体にニヒルな匂いを纏った作品。


上手いというのはこういうことなのかなあ、と思った。


西加奈子は、「円卓」のようなほっこり系、「通天閣」のような最後に笑えるもの、そして感性系と書き分けているが、その感受性を表す筆致と物語の進行の戦術は読者を惹きつける。


ある意味これまで読んできた西加奈子らしくはないものだが、懐の深さを覗いたという感慨を持った。

1月書評の2




先週の3連休はなにもしなかった。ちょっと身体が風邪ひきたがっているような気がしたし。もくもくと図書館やブックオフに行ってたな。。まあまずこんなもんか。

◼️紅玉いづき「MAMA


2020ラノベ始め。良き作品に泣き入る。


春高バレーのさなか、「ハイキュー!」の最新巻を読んでホロリ。1年生の主人公、背は低いけれど高く跳べる日向(ひなた)くんが、春高まで走り続けてきてついに・・。息子がバレーボールを始めるきっかけとなったマンガで、アニメも全編見て、思い入れのある作品。


その後このライトノベルをあとがきまで読んでまたホロリ。ちと涙もろい時期かも^_^


ガーダルシア王国。由緒ある魔術師集団サルバドールの落ちこぼれ、少女のトトは人喰いの魔物の封印を解き、ママになってあげる、と自分の耳と引き換えに契約をする。トトが彼に与えた名前は、ホーイチ。ホーイチを手に入れてからトトは強く変わっていく。成長した彼女にはやがて敵と親友と、恋する相手が現れてー。


ベタな魔法ファンタジーではある。しかし、紅玉いづきには、彼女にしか出せない、確固とした世界がある。今回もそこに感じ入った。


紅玉いづきを知ったのは、新聞の書評欄。デビュー作「ミミズクと夜の王」が電撃小説大賞を受賞し精力的に作品を発表している、という記事だった。さっそく「ミミズク」を読んで、その世界観と美しさと、ストレートな愛情表現に好感を持った。続編の「毒吐き姫と星の石」も読んだ。「MAMA」は長編2作めで、こちらもよく音に聞こえた作品。


名門の娘だができが良くなく、親にも見捨てられようとしたトトが他者が立ち入れない愛をつかみ、ちょっと歪んだような、でも必要な温もりを守るために自らの意思で成長していく。強力な使い魔・ホーイチにも、かつて喰らった少年の悲しい記憶が張り付いている。


悲惨をベースに、愛情を求める動機を作る。俯瞰してみると、トトは強力な使い魔をパートナーにしたおかげで人生が好転していったようにも思えるが、かたくなな、若者らしい無常観を抱いている。「ミミズク」のような美しさとはまた違い、より愛情がエレメンタリーでピュアに表され、物語の道行きも魔物の残酷で妖しい気配をファンタジー世界としてうまく構築したサスペンス感溢れるものとなっている。最初はもっと母性溢れるものかと思ったが、少し違い、より普遍的にも見える。長くなく、でも記憶を残すストーリーだ。


「ミミズク」「MAMA」ともに児童向けといっても良さそうな作りではあるが、大人の心にすうっと届く。ほどよい世界観と、少しラノベチックなアウトサイダーぶり。今巻には後日談でスピンオフ作品の「AND」も併録されている。


加えて著者のあとがき、も良かった。悲惨、残酷さはあるが、気取らずおごらず高ぶらず、自然で素直でまっすぐな感を持った。


2020年ライトノベル始めは満足の読書だった。「ミミズク」「MAMA」と並び人喰い三部作とされる「雪蟷螂」も読もうと思う。



◼️深緑野分「ベルリンは晴れているか」


ボロボロの、想像を超える緊迫感。心は動いた。最後まで謎を残す凝った設定。


評判の良い長編。直木賞候補作である。前作「戦場のコックたち」も直木賞候補作で、二次大戦のアメリカ軍兵士を描いたもの。賞の選考では、どうしてアメリカ軍の兵士を書かなければならないのか、借り物にしかならない、という意味合いの発言があり物議を醸したらしい。面白ければ、題材はなんでもいいと私なんかは思うのだが。


そして、今回も二次大戦のヨーロッパ戦線が題材。ドイツ降伏後すぐのことでポツダム会談に絡めてある。


ドイツ人でベルリンのアメリカ軍兵員食堂に職を得ている少女・アウグステはソ連軍内務部に連行される。両親が死んだ時、アウグステを匿ってくれたフレデリカ・ローレンツの夫でソ連文化省のためにチェロを演奏していたクリストフが、アメリカ製の歯磨き粉に仕込まれた毒で亡くなったという。


アウグステはドブリギンという大尉に、ローレンツ夫妻がかつて引き取ろうとした彼らの甥で後に脱走、別の家庭の養子となったエーリヒを探し出すよう命じられる。連合国に混乱を引き起こす組織「人狼」に関係しているかも知れないのだと。アウグステはドブリギンの勧めに応じ、エーリヒがいる地域に詳しいという理由で、うさんくさげな元役者のユダヤ人カフカと連れ立って出発する。


深緑野分は「オーブランの少女」で出てきて先出の「戦場のコックたち」が人気を博した。参考文献が異常に多く、周到な取材・準備をする印象がある作家さんである。にしては知識も鼻につかず、主人公が等身大で、ストーリーが生み出す緊迫感をリアルに感じさせる術を持っている。


今回も、ヒトラーとナチ、そして進軍してきたソ連の赤軍により大きな被害を受けた少女の生き方を綿密に織り成している。さらに廃墟と化した街と旅の道行きの描写、駐留しているアメリカ軍、イギリス軍、ソ連軍の兵の様子、過去のナチの脅威、恐怖と悲惨な体験のディテール、軍事的な戦車、武器、市民の複雑な感情構成と、表現面で気が行き届いていていて、絶大な効果を読み手に及ぼす。


エーリヒを訪ねる苦難の旅とウグステの過去の章が交互に来て最後につながるという凝った構成である。


率直に、楽しめた。アウグステが自分の原罪を感じるシーンには心が動かされた。まごう事なき佳作だろう。私は、ヨーロッパの子孫たちがこのような小説を描くのが本筋、という意見も分かる気はするが、深緑野分は日本の読者の理解が進むような手法を以って書いている。そこには明確な差が存在すると思う。


もちろんかなり都合の良さはあるし、登場人物の性格は日本人的なものも多分に感じるし、最後の最後、の場面は疑問符が付いたし、犯罪の動機などはっきりしない部分はいくつかある。


この作品が落選した直木賞の選考会でも、良さは認めつつも、受け入れるのにまだまだためらい、忌避感のある委員もいるな、と思う。


裏を返せばそれだけ新しい手法だということだ。個人的には100点満点ではないものの、おもしろい作品を書く作家さんなのは間違いがないので、行き詰まるまでは独走してもいいのではという気がしている。

2020年1月7日火曜日

1月書評の1







例年どおり、ルーフテラスからUSJの花火を見て新年を迎えた。息子は遅くまで起きている。去年は朝まで起きてたから夜爆睡で「格付けチェック」身損ねたと不機嫌だった。

正月は家にいて、2日は息子とバッティングセンターでストラックアウトと卓球。

3日4日と午前本屋へ。地域のパワースポットである神社へ初詣。ここは巨大な"霊岩"がある。いつもどおり触って霊力を補充。5日図書館が開いたので初図書館。落ち着くな、やっぱり。

◼️ナイツ塙宣之

「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」


M-1グランプリを見ていると、勝負を、芸を語りたくなる。


M-1グランプリを論理的に分析した本。かつて関東からナイツとして出場し決勝進出、現在は審査員として参加している塙氏がM-1グランプリの性質、歴史、はては出場芸人の芸風にまで切り込んでいます。


各賞のタイトルを見るだけで、好きな人には興味あるネタが満載ってことが分ります。


第一章 「王国」大阪は漫才界のブラジル

第二章「技術」M-1100メートル走

第三章「自分」ヤホー漫才誕生秘話

第四章「逆襲」不可能を可能にした非関西系のアンタ、サンド、パンク

第五章「挑戦」吉本流への道場破り

第六章「革命」南キャンは子守唄、オードリーはジャズ


どうですかー?私も関西在住でM-1は第1回からずっと見てます。すっごく面白い、著者の言葉を借りれば「うねる」ネタもどんな感じか分かります。また、その場の勝負、漫才日本一決定戦の緊張感はえも言われぬものがあり、新しいお笑いヒーローが飛び出してくる可能性に胸躍らせ、その瞬間の悦びを強く味わいます。1本めのネタはすごく良かったのに、最終決戦、2本めはそうでもなくて優勝できなかったという場面もありました。毎年とても楽しみにしています。


サブタイトルにもある通り、塙氏が吉本ではなく、関西の芸人でもない、という視点はこの本の興趣を一段高めていると思います。


また過去の優勝者の強い点を的確に分析しているのみならず、点が伸びなかったコンビについて、名指しでその原因をも批評していて、なるほど、そうかと思わせます。南海キャンディーズの解析は個人的に楽しめました。


私も九州から関西に移住して、たしかに関西の会話は普段から漫才してて、そのふつうさかげんに慣れてしまってます。文化として根付いている土地柄は、漫才という世界ではまさにサッカーでいうブラジル、ですね。でもその素地があるからこそ、特に関東の芸人が爆発した時は売れっ子になりやすいのかなとも思います。


2018年は20代半ばのコンビ、霜降り明星が優勝、一気に売れ、テレビで顔を見ない日はないくらいです。先日の2019年大会では私もまったく知らなかった無名のミルクボーイが優勝しました。最近感じるのは、M-1の熱量が高くなり、どんどんネタと形の種類が増えてなおかつ、精度が高くなっていることです。また今年の末には新しいもの、新しい形が見られるんでしょうか。


とても楽しい本でした。



◼️川端康成「舞姫」


複雑に、感情が入り乱れる。あくまで静かに。「魔界」の入り口的作品。


川端康成の作品というのは、断片的で直截でない台詞やシチュエーションから運命の成り行きや大きな感情のうねり、暗喩を見せていくものが多い。この作品は極めつけとも言えるもので、断片的に印象を残す役割だったり、ほとんど出てこないが影響の強い出演者もおり、その要素は数が多くて複雑だ。


波子には夫の八木、品子と高男という2人の子がおり、バレエを教えている。八木とは寝室が同じで時折抱かれているものの、心中は冷え切っており、かつての家庭教師・竹原と付き合っていて、八木も知っている。八木は学者だったが、生活費は波子の財産と稼ぎに頼っていた。バレエの上級者である品子と波子は、弟子の友子が、バレエをやめ妻子ある恋人を経済的に援助するためいかがわしい商売に手を染めると言い出したことにショックを受ける。


んーまあ、さわりだけでもこんな風だ。この作品は昭和25年から26年にかけて朝日新聞に連載されたもので、戦後間もなくの世相が強く反映され、朝鮮戦争の報道から日本の強い危機感も伝わってくる。いまや想像もできないところがあるが、そういう時代だった。八木は次にまた戦争が起きると怖れている。

 

お嬢さま的な波子の心理、皮肉屋だが、波子にいやらしい執着も見せる八木、海外に留学するという高男、そして基本的に母と行動をともにするが、かつてのバレエダンサー香山に恋心を抱き、母が竹原に走るならと離別をほのめかす品子。家庭が崩壊していくという、戦後の家族の様子を象徴的に描写している。


川端はノーベル賞を受賞した時の演説「美しい日本の私」で一休禅師の


「仏界入り易く、魔界入り難し。」


という言葉を引用して、人間が関係する「魔界」に惹かれていると表明している。


この言葉が初めて出てくるのが「舞姫」で八木がかけた一休の掛け軸に書かれ、品子が見て怖れるシーンがある。


たしかに、川端の編む話には、仏像や骨董の知識がよく散りばめられて、深みを形作っている。今回はまた、やはり川端の趣味であった踊り、舞踊、バレエが主題で、専門用語もそこここに出てくる。「雪国」の主人公島村も舞踊研究家だった。


さて、私的には小説としては錯綜しすぎにも思えるが、うじゅっとあまりにもたくさんのファクターが絡み合ってなんらかのはかなさ、虚脱感、破滅的雰囲気を醸し出してはいるな、とも感じた。


チャイコフスキーのように何度も同じフレーズが出てくるのと違い、同じメロディーはあまり使わず長い曲の中になにかが浮かび上がってくるマーラーの交響曲5番のよう。


うーむ、捉え方が難しいが、川端らしいとも思えてしまうのが不思議である。

2020年1月6日月曜日

2019各賞







年末に姉と2人の弟、姉の子が男女2人ずつの4人兄弟勢揃いで8人の京都探訪。激混みの伏見稲荷、金閣寺(私は先日行ったので離脱して竜安寺)と洛南から洛北へ移動、金閣の近くでごはん、下鴨神社から祇園寄って帰った。よくこの年末は京都に行った。いずれも楽しい思い出。来年もこうありたいものだ。

下で同じ写真使ったり、年越しているのに「来年も、読むぞ」と書いたりしてるのは見逃してね。

では各賞。

【各賞】私的読書ランキング2019


<表紙賞>

皆川博子「蝶」


見ての通りのシンプルな妖し美しさ。内容は幻想小説。鮮烈だった。写真はないのでwebで調べましょう。


<シャーロッキアン賞>


去年は12も読んだのに今年は5作品6冊。

その中では「わが愛しのワトスン」を推したい。ホームズが女性、という突飛な設定だが、意外に文調が細やかだった。表紙も良かった。


マーガレット・パーク・ブリッジス

「わが愛しのワトスン」

・北原尚彦「ホームズ連盟の冒険」

・キャロル・ネルソン・ダグラス

「ごきげんいかが、ワトスン博士」上下

・ボニー・マクバード

「シャーロック・ホームズの事件録」

・ローズ・ピアース「わが愛しのホームズ」


<学術賞>

土屋健「海洋生命5億年史 サメ帝国の逆襲」

蒲池明弘「邪馬台国は『朱の王国』だった」


甲乙つけがたし。ビジュアルも含め、海の覇権争いはロマンに訴えかけたし、邪馬台国は自分の出身地エリアが強くからむし、画期的で興奮した。


<街味賞>

平松洋子「焼き餃子と名画座」


いやーこの本に書いてある東京グルメにはだいぶ影響された。神保町餃子、天鴻餃子房のギョーザは堪能した。


<ラノベ賞>

いぬじゅん「奈良まちはじまり朝ごはん」


奈良を舞台にした人間模様。大和野菜なんかにもこだわりがある。ごはんも美味しそう。キャラも面白いし奈良のご当地ラノベとして続いて欲しい。


<別格ミステリ賞>

アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」


うーむ、やはり別格。短い文章でテンポよく、上手に連続殺人事件を組み立てる。綾辻行人の「十角館の殺人」を思い出したな、やっぱり。


<漢詩賞>


「白楽天」

    「杜甫」

    「李白」

  源氏物語に影響を与えたのは貴族に流行した「白氏文集」だそうで興味を持ち、高校生ぶりにトライしてみた漢詩。それぞれ良かった。まさか自発的に漢詩を読んで感銘を受けるなぞ予測出来なかった。どれかといえば、やはり白楽天かな。枕草子、香炉峰の雪、ですな。


<令和賞>


斎藤茂吉「万葉秀歌」


令和は思い出深い。新元号が発表されたのは41日。その20日前に母が亡くなった。新元号名を知らずに逝った母の名前は玲子。こじつけかもしれないが、ひどい喪失感の中、なんの冗談だ、と思ったものだった。母は亡くなり、名の一部は日本史上永遠に残った。


以上、2019年の各賞でした!

2019年間読書大賞!







【私的読書ランキング2019!】


今年もやってきました年末恒例、が年始になりました。てへ。文豪ものや古典も多いのですが、なんとかランキングをつけてみようかと思います。159作品168冊からのセレクトです。


まずですねー。紫式部作・與謝野晶子訳の「全訳源氏物語」一〜五は別格ということで

永世グランプリの座に就けておきます。一生の読書体験となったでしょう。もう2回くらいは読みたい。


だってあれ、恋愛小説でしょ?と敬遠する人も多いけど、読む前と後では感覚が違った。いやーすごい小説で、いま京都の源氏物語めぐりにハマってます。こないだは宇治に行きました。


さて、で、年間グランプリは、というと!


オルハン・パムク「雪」でした!


少し前のトルコを題材とした物語で、雪で地方都市が孤立状態となり、軍がいわばクーデターを起こします。自国の宗教と政治を題材に、自殺した女子学生の取材に訪れた詩人の前に次々と謎めいた人物が現れ、現実的な恋模様も描かれます。


オルハン・パムクは「赤」でも文明の衝突をモチーフに魅力的なミステリー仕立ての物語を編みました。「雪」は詩人のキャラも、設定、仕掛けも工夫があり、オチもプリミティブで納得できます。そもそも雪で外界と途絶ってミステリーの王道かってとこですね。ノーベル賞作家パムクの作品はこの2冊しか読んでませんが私にはとてもよく合います。読みにくいという評もあるようです。


過去の大賞作品は


2011   北村薫「リセット」

2012   熊谷達也「邂逅の森」

2013   藤原伊織「テロリストのパラソル」

2014   朝井まかて「恋歌(れんか)」

2015  朝井リョウ「何者」

2016  宮下奈都「終わらない歌」

2017  東山彰良「流」

2018  川端康成「古都」


今回は初の外国作品となりました。


では以下のランキングを。この賞と該当作品はあくまで個人的なもので、読んでみたけど面白くなかった、は免責とさせていただきます(笑)。


1 トレイシー・シュヴァリエ

「真珠の耳飾りの少女」

2 永井路子「裸足の皇女」

3 佐藤泰志「海炭市叙景」

4 長野まゆみ「レモンタルト」

5 松村栄子「僕はかぐや姫」


実はグランプリが飛び抜けてて、他は思い浮かばなかったんでランキングはかなり悩んだ結果。

「真珠の耳飾り」はフェルメールの代表作を先に知っていると相当楽しい。

「裸足の皇女」はもう、奈良の歴史好きならかなわんな、という切なさと面白さ。

「海炭市叙景」は原点の日本映画的な、生のエネルギーがあったので高めの評価。「レモンタルト」はコメディだが絶妙なコミカルさ、「かぐや姫」も新鮮さを買ったかな。


6 川端康成「愛する人達」

7 恒川光太郎「金色の獣、彼方に向かう」

8 村上春樹

「騎士団長殺し 1 顕れるイデア編」

9 森下典子「日日是好日ー『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」

10 ルイス・サッカー「穴」


文豪は安定の良き味だし、ハルキは前半はすごく面白かった。「日々是好日」は今年ならではの面白さだった。茶菓子に興味持って京都まで松風ってお菓子を買いに行ったし。恒川光太郎は売れた「夜市」よりもこっちが好きだったりする。


11 深沢七郎「楢山節考」

12 泉鏡花「歌行燈・高野聖」

13 井上ひさし「イーハトーボの劇列車」

14位「川端康成初恋小説集」

15 三島由紀夫「仮面の告白」


「楢山節考」は映画がカンヌでパルムドールを取ったから覚えていた。小説もすごく良かった。泉鏡花幻想と独特の文調の美しさ。「イーハトーボ」やっぱ宮沢賢治を客観的に見るのはいいなあ。川端の初恋は切なすぎる。


16 クリストファー・プリースト

       「逆転世界」

17 近藤史恵「スティグマータ」

18 エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」

19 青山文平「つまをめとらば」

20 堀辰雄「菜穂子・楡の家」


実力派のリキが入った作品が多い。堀辰雄は、青くさいが(笑)すごく読ませる作品だった。


今年はあまり現代小説を読めなかったのが反省かな。数は昨年の201作品よりはかなり減ったが、もっと減らしていいかなと思っている。数を目標にするのはダラダラ読まないようになるからいいことではある。ただ数ばかり恃むとじっくりと長い作品を読めなくなってしまう。


また三島を読む!と宣言したにもかかわらず34作品しか読まなかった^_^懺悔します。


まだまだ、本のことを知れば知るほど、全然自分が読んでないことが分かる。読みたい本たくさん。


来年も、読むぞ〜!

12月書評の6







12月は京都に行くことが多かった。そのうちの一つ、宇治。平等院鳳凰堂も荘厳ではあったが、なんと言っても宇治川。

源氏物語の最後の十の章は「宇治十帖」といってとても美しいとされている。薫の君と匂宮に愛された浮舟は宇治川に身を投げる。

宇治十帖はずっと宇治川の重い流れが心にあったが、ついに逢えたという心持ちだった。思ったより水流が多く、下流の山に向かって風光明媚。紫式部もこの地を見て、物語の舞台に選んだんだなと感慨に浸る。中の島があって、木造の橋、朱の欄干の橋などがかかっていた。

対岸に渡り、世界遺産、平安最古の神社、宇治上神社にさわらびの道を歩いたら源氏物語ミュージアム。出て下ったらすぐ京阪京橋。観光しやすい。

なかなか良かった。

◼️クリスファー・プリースト「逆転世界」


認識の変革。SF好きな人のSFか、な?!


本読みの友人の熱烈推奨、プリースト。図書館でこの作品を借りてきた。


「認識の変革」とは解説の言葉を借りてきたものだが、言い換えると、「SFファンならわかる、"あのなんともいえない感覚"を指している」らしい。ふふふと笑ってしまった。


主人公のアイデンティティを揺らすフィリップ・K・ディックとか、私が乗り切れなかった「タイタンの妖女」とか、言っていることはなんとなく分かる・・と思う。


「地球市」という都市の託児所で育ったヘルワード・マンは成人し、規律の厳しい組織ギルドの見習いとして働き始める。同時に都市は大きな構造物で、敷かれたレールの上を「最適線」の位置に近づけるべく移動していた。都市では男子の出生率が異常に高く、このため近隣の原住民が住む集落に食糧などを与える代わりに女たちを連れてくる「交易」が行われていた。ヘルワードはこの女たちをもとの集落に戻すよう命じられ、南へと向かう。これは「過去への旅」と呼ばれ、大きな経験のひとつとされていたー。


文系にはややハードル高いかなという設定で、南に行くほど強くなる遠心力は理屈が分かったような気がしたが、最適線は動いていない、動いているのは地面の方だ、というのは最後まで分からなかった。


まるでラピュタのような都市、相対性理論、原住民の襲撃と政治的分裂などSF的要素満載で、ラストで一気に明かされる真実は壮大で、分からないながらほ〜と感心した。


私は、例えば天文学関係の本なんかを読んだ時、「分からなさが楽しい感覚」にカタルシスを覚えたりする。似たようなものかなとも思うが、"あのなんともいえない感覚"を求めて、たくさん読みたいと思っている。このへんSF好きな方にまた伺ってみたい。


虚構の作り方、科学が進歩しているのかどうなのか分からない感覚、ギルド民兵の武器の石弓には思わず心がツッコんしゃったし、ヘルワードの凝り固まり方などなど微妙な要素の配し方もピリピリ来るような。


また読むぞ、プリースト。


◼️ローズ・ピアース「わが愛しのホームズ」


クリスマスに、ホームズを。


決まった?笑


有名作のサイドストーリーを編みつつ、女性作家さんがホームズ&ワトスンの感情的な面にスポットを当てた作品です。


ベイカー街の部屋にやって来たのは若く聡明な女性、アン・ダーシー。自分のパートナーの女性が慌ただしく出て行ったまま戻らず、消息も分からないという。ホームズの命でアンの家の捜索にあたったワトスンはアンにホームズに対する気持ちを見抜かれ、救いを求めて告白するー。(極秘調査)


170ページくらいの話が2話入っている。最初の「極秘調査」はドイル原作「四つの署名」の前夜に起きたという体で、そして2つめのタイトルは「最後の事件」だ。


もうここまででお気付きの方もいるかと思うが、同性愛の話である。ひょっとして、同居していたホームズとワトスンは愛し合っていたのではないかという、まあよくある予想を現実化した連作の物語である。


ホームズは女嫌いで独身主義者、というイメージは奇しくも「四つの署名」でワトスンが事件のヒロイン、メアリ・モースタンと結婚することになった時のセリフで決定づけられたと言っていい。悦びの報告をし、君の手法の研究もこれが最後になるかも、と言ったワトスンに


「到底おめでとうとは言えないな」と言った後、


愛とは心を乱す感情だ。しかも、どんな種類であろうと心が乱れる事は、僕が全てに優先している冷静な判断力とは相容れない。僕は結婚したりはしない。判断に隔たりが出るからね


とのたまう。


さて、今回の作品、保守的シャーロッキアンの傾向がある私は、どうしてこの手の長編パスティーシュが少ないんだろうな、と考えてみた。


18世紀末から19世紀初頭のイギリスはまさに全盛期、科学、芸術も栄えており、階級社会の中、イギリス紳士道を反映させた優しくてワクワクする物語たち。大人だけでなく全世界の子供たちの胸を躍らせてきたホームズ譚。ホームズとワトスンは互いを苗字で呼び合っている。そんな中で寝室が別とはいえ同居している同性2人が愛し合ってしまうのは身もふたもなく、話のテイストにそぐわない、といった感覚が根強いのでは、と思う。


当時はなんと法律で男性同士の同性愛は厳しく取り締まられていたという。その世相はこの作品に盛り込まれている。だから、ワトスンは結婚して別居することを選んだー。


もちろん「最後の事件」の裏側や、シャーロッキアンの間で議論かまびすしいメアリの行方、など語られていない部分の創作は好きな読み手の心をくすぐってくれる。


しかしこの話の中心は感情だ。抑えなければならなかった強い気持ち、その中で最後の事件のようなことが起きたらどうなるか。恋愛という意味で2人の関係が表面的には発展しないからこそ醸し出されるもの。


女性作家さんならでは、の表し方とも言えるかな。


この作品が訳されたのは20年以上前だという。LGBTの解放が叫ばれるこの時代に読むとまた違う感慨もある。今回誤解を恐れないで書いてます。


シャーロッキアン的要素が散りばめてあるけれど、恋愛感情が中心なので、トリックは、とかストーリーの緻密さは、といったものはあまり気にならなかった。ただ取り上げたシーンがホームズものの核心を衝く部分というのもあってサクサクと読めた。


ふううむこんなアプローチもあるのね、と。



今年前半に、やはり女性の別作家の「わが愛しのワトスン」という話を読んで、年末、偶然見つけた「わが愛しのホームズ」を読む。


なんか面白いな、と思った。