門井慶喜「銀河鉄道の父」
くすっとしたりうるっと来たり。なるほどこの目線は新鮮で、普遍的。直木賞受賞作。
宮沢賢治は言うまでもなくものすごく多くの人を魅了している。心に残る童話はどこまでもピュアな一方、理系的で冷徹な視線を持ち、誰にも書けないサイエンティフィックかつロマン溢れる詩や物語をものし、イーハトーブという異世界を創造した。
しかし見方を変えてみれば、あちこちに興味が移り、頼りなくて自立できない、身体の弱い息子だった。
賢治が父親、この小説の主人公である宮沢政次郎と折り合いが良くなかったのは作品でもよく解説されているところであり、質屋を営む父は現実的だったと言われる。
しかし作中の政次郎は決して自己中心的でも融通が利かないわけでも、ましてや冷酷なわけでもない。強くて頼り甲斐があって世慣れてはいるが、その内実は甘く、迷い続ける父親だ。ちょっと現代的にデフォルメされすぎてるかなと思わないでもないけど。
父は息子が、なんとか1人で食べていけるようにならねば困ると思う一方で、多少親に迷惑をかけても、迷いなく自分の道を進むことを心から望んでいるということを、本書はゆっくりと語っている。
よく知られる宮沢賢治の、妹トシを失った際の悲しみや作品、農学校教師、物書きとしてのあり方なども網羅されて興味深い。
親は子供の壁となり、いろんな見方を示す一方で感情的ともなり、わずかな所作や表情にもいろいろ考え迷う。ケンカもする。その一つ一つが、親にとっての、自分とわが子の間だけの物語。ありふれたものであっても、だ。
宮沢賢治のおかれた環境を客観的に別角度から見る。作品はネタが大事で、目の付け所が素晴らしく、新鮮だ。また、内容的に特別でないのがいいかな。感動とか感涙とかいう類のものではないが実に楽しく読めた。
東山魁夷「日本の美を求めて」
とても面白かった。
川端康成「古都」を読んだ際、当初刊行の口絵を東山魁夷が描いていた、というのに興味を持った。偶然にも東山魁夷展が開催されるという。
「本当の『あお』に出会う」というキャッチコピーにも魅かれ、堪能してきた。
東山魁夷の随筆と講演集。魁夷が日本の美について、自身の考え方・感じ方を述べ、さらに簡略な日本美術史に基づいて考察している。
最初の随筆では、少年期の頃、自分の中での日本的美に対しての原点のようなものの形成を振り返っている。
魁夷は39歳の時日展に「残照」が入選、政府買い上げとなってから、東宮御所や皇居宮殿の障壁画を描き、国民的風景画家としての地位を確立した。そして鑑真の寺、奈良西の京の唐招提寺御影堂の障壁画を描いた。
唐招提寺で描く際、奈良という土地への理解を深めたほか、山と海の絵のモチーフを探して日本中を旅した。「濤声」は能登西海岸 輪島と曽々木の間、また「山雲」は飛騨の山奥の天生峠 で自分の感覚に合う風景に出会ったという。この障壁画も展示されていたが、「山雲」は水墨画のタッチで、「濤声」は得意とする「あお」を生かした壮大な作品だった。
鑑真が日本にこだわったのは教義的なものだけでなく日本的な風景に惹かれたからで、しかし日本に辿り着いた時には鑑真は全盲であった。その鑑真が強く望んだ、見せてあげたい光景を考えた、というのが伝わってくる。
講演の大半は奈良でのもので、古事記で倭建命が故郷を偲んで詠んだとされる、
「大和は国のまほろば たたなづく青かき
山ごもれる 大和し美し(うるはし)」
をキーワードとして挙げている。
江戸時代の大和絵の第一人者、土佐光起「異国の絵は文のごとく、本朝の絵は詩のごとし」と評した言葉を取り挙げ、日本美術史をかけあしで分かりやすく説明する。
その上で日本人の特質を「外来文化の積極的な摂取と、それに対する強力な咀嚼力と、柔軟性のある融和力にある」と述べる。その根源が大和の地である、と。
奈良に関するくだりにはここ数年で訪れた地が多く出てきて読みながら光景が目に浮かんでくる。特に唐招提寺に独特の清潔感がある、とした部分は共感した。この多分に聴衆を意識した講演は、素朴ではあるけれどよく整理され、知的で、オリジナリティをもうかがわせ、ストンと落ちる。
展覧会はとても良かった。絵葉書やポスターでは感じることが出来ない感覚を大いに味わえた。代表作の「道」はまだ私に修行が足りずあんまし響かなかったが、「曙」「月篁」なんかは感じ入った。人それぞれだけどおススメだと思います。
「あお」は深緑から青、ブルーグリーンなど確かに魅入られる。この書でも群青と緑青について少し触れられている。
「古都」でふれられた京都に関しては、川端康成に京都を描くべきだと強く勧められたと館内の解説にあった。ひとかたならぬ関係であり、両者が日本の美を強く意識していたことが分かる。
川端の「美しい日本の私」もぜひ読んでみよう。
ジョルジュ・シムノン
「モンマルトルのメグレ」
どこか心理的な面が面白い。サスペンスフルに、さらり。厳密なミステリというよりは小説を愉しむイメージ。
1950年の作品。シムノンはフランスの著名な推理小説家であり、有名な探偵役はパリ警視庁のメグレ警視。
パリ・モンマルトルにあるショーキャバレー「ピクラッツ」の踊り子アルレットが、早朝警察署に立ち寄り、客のオスカル、という名の男が伯爵夫人を殺害する話をしていたと訴え出る。メグレも話を聞き家に帰すがまもなくアルレットは自宅で死体となって見つかったー。
赤とピンクで彩られたストリップを見せる店から始まった犯罪。謎のオスカルはどこにいるのか、アルレットの生い立ちは、などの情報が徐々に集まる。情報を寄せるいわばバイプレイヤーたちの描き方が刹那的。
そして、ロニョン、リュカ、ジャンヴィエ、ラポワントといった、それぞれクセを持つ部下たちがメグレの命を受けて捜査を全うするのも構成要素の一つだ。
ラスト近くの狭いエリアで場所が移り変わる、焦れたような、結末が近づいてきているようなムードの作り方には上手さを感じた。
ラストはややあっけなく、いわゆる新本格のようなミステリではない。しかし至る所に心理的な効果を感じる部分があり、小説的と思わせる。
メグレに興味を持ったきっかけはふた昔前に人気があったフランス映画監督パトリス・ルコントの「仕立て屋の恋」という作品。引き締まった良い作品で、劇場で2回観た。その原作がシムノンのメグレ警視ものだった。
それからメグレものは常に頭にはあったが、意外に入手しにくくて、ここまであまり読めていない。
あまり明るい中身ではなかったが暗くもなく、昔風で、さらさらと読めて、しぶい印象を残すシムノン作品。次に読むのはいつになるかな。。
初野晴「初恋ソムリエ」
ラノベだから意外に鋭く思えるのか、鋭くなければラノベじゃないのか。高校吹奏楽部、ハルチカシリーズ。
高校2年の穂村千夏は初心者で入った吹奏楽部のフルート。幼なじみの上条春太はホルン。2人はなぜか恋のライバル。音楽室に誰かが忍び込んでいるような形跡を見つけたある日、ハルタ、オーボエの成島、サックスのマレンの練習のメロディーに外から絡んでくる出所不明のクラリネット音があった。プロ志望の部外者、芹沢直子だった。以前から彼女を知るマレンは、その音色に違和感を覚えるー。(スプリングラフィ)
まっすぐでにぎやかし役の主人公・チカ、美形で探偵役のハルタと仲間たちがなにかと発生する校内の問題を解決するために動くハルチカシリーズ第2巻。
この巻の第2話「周波数は77.4MHz」は美貌の部長が仕切るひきこもりたちの部活、地学研究会とコミュニティFMのお話。第3話は名門吹奏楽部の熱血先生とかつてドロップアウトした教え子と頻繁な席替えの謎。第4話は40年前の初恋を鑑定する部活、初恋研究会の不思議な話。クライマックスの舞台は岩手・花巻。となればあの文豪が絡む。
この有り得なさそうな部活といい、席替えというネタといい、まさにラノベ的ハイスクールの世界が構築されている。しかし、その感触は良い。第2話、第3話の噛み合わせと展開はなかなか絶妙だと思う。第4話は謎が多いまま終わるが、一つのカギはほう、というものだった。
この謎の解答はこれだー、と昇華せず大上段でないのがまたラノベチックではある。女子の主要登場人物に色気がないのもまた独特かも。
久しぶりに読んだが、変わらず鋭さと面白さ、頭のどこかをチクっと刺すようなちょっした違和感まで覚えていた。次はもう少し間を詰めて読もうかな。
日本のラノベは優秀だ。
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