2018年10月8日月曜日

9月書評の4





月に一度は美味しいパスタ食べなきゃね、のランチ。いつもながら見目も実においしそう。満足。

ポール・オースター

「シティ・オブ・グラス」


快適に暮らしていた作家。事件が唐突に始まり、理解の難しい依頼者で、張り込みはそれなりに面白い謎があって、破滅して終わる、みたいな。。


ポール・オースター3作め。ニューヨーク三部作のデビュー作。2作めの「幽霊たち」を偶然先読んでおいて良かった、とちょっと思った。


作家で妻子を亡くしたダニエル・クィンのもとにポール・オースター探偵事務所へ間違い電話がかかってくる。一度は普通に対応して切るが、結局クィンは「殺されそうだ、守ってほしい」という依頼を探偵オースターになりすまして受けることにするー。


待ち合わせ場所では依頼者のピーター・スティルマンという男が哲学的というか、わけの分からない話をして、妻のヴァージニアというコケティッシュな夫人が、幼い頃にピーターを監禁した父が警察の病院から出てくると話す。


クィンは監視に入るのだが、父スティルマンがうろうろと歩く経路を図にしてみると驚くべきことが分かってー。


最初の展開は面白く受け取った。作家本人の名前で活動するというのは例のないわけではないが、取っ掛かりとして興味を惹く。


説明が分からない依頼人に妖艶な女、退屈な尾行に驚くタネ、さらに破局から破滅へと道筋がついていて飽きさせない。やっぱり意味分からないまま終わる。でも何らかのものが心に響いて残る。


破滅的なのは「ムーン・パレス」もそうだったし、依頼の内容とか意味がはっきりと分からないのは「幽霊たち」も同じ。「幽霊たち」は仕掛けがもう少しスマートで整備されていたけど、やっぱ同じニューヨーク三部作、よく似ているよね。


確かに、この物語の押し引きや孤独感、さらに世間に踊らされているかのようなメタファーを考えさせる構成だては独特で、読みながら考えるのが楽しい。


もっと読んでみよう。


伊坂幸太郎「ジャイロスコープ」


漫画「Major」にハマってた野球好きの息子に「ジャイロ」と言ったら「ジャイロボール」「ジャイロフォーク」と発想が向くんだろうな、なんてどうでもいいことを考えてみる。


んー、私としてはどちらかといえばマイナス方向なのだけれど、飽きなかったな。そこはさすがというべきか。


「浜田青年ホントスカ」は味付けは伊坂なんだけど、オチは外国小説のようにも感じた。短編なので、完璧な伏線の回収とかはそもそも望んでないけれど、ラストがうーむ。クライマックスの逆転は鮮やかなんだけどね。


惹かれたのは「彗星さんたち」か。ホームドラマみたいで、でもちょっと変わってて、新幹線清掃係の世界が垣間見れて、伊坂らしいウンチクも力技もあって、オチ強引め。


伊坂幸太郎は独自の技を持ったエンターテイナーだと思う。「アヒルと鴨のコインロッカー」「チルドレン」「サブマリン」「ゴールデンスランバー」「バイバイブラックバード」に共著の「キャプテンサンダーボルト」は面白かったし、「サブマリン」なんかは半期のランキング1位にしたこともある。


熱烈な読者がいるその一方で、たまに「僕(私)伊坂ダメなんすわ」という人に出会う。その理由は私にも分かる気がする。そしてそれは今回も当たるやも。唐突な発想に展開も不思議、けっこうラストもスッキリしない感じ。全部が全部そうではないのだが。


今回ちょっとそんな気で読んでたけど、いつもの伊坂風味は味わえたし、まったく退屈はしなかった。不思議なもんだ。案外ハマっちゃってたのかも知れない。


高田崇史「鬼神伝 龍の巻」


時は鎌倉、不穏な世情。少年少女向けだけど、この黒いベースはいいね。


鎌倉時代、朝廷が覇権の奪回を匂わせ、大陸の蒙古・クビライは日本を狙っていた。執権北条時宗は武器の素材となる鉄、水銀の入手のため、鬼たちの領域に踏み込み、激しく戦っていた。そんな中、現代からタイムスリップした素戔嗚の子孫で雄龍霊(オロチ)の使い手、天童純の行方はー。


鬼神シリーズ第三弾、中学生だった天童純は高校生となり、今回タイムスリップする先は平安時代から300年後の鎌倉時代。舞台は鎌倉・湘南。鎌倉武者と鬼との戦いにやはりというか、帝釈天や阿修羅が加わる。


相変わらず人間と魔物の中間のような小野篁(たかむら)が影のボスとして暗躍し、今回は異端の僧日蓮も大きな影響を及ぼす。


歴史は強者によって創られる、鬼たちを魔物として迫害する人も根を辿ると同じ、という史観を貫いている。まあ戦いは、ゲームのような荒唐無稽と言ってもいいものだが、QEDシリーズをものした高田崇史氏の研究、史実に関する確固とした態度がほの見える。


今回は、日蓮が面白かったかな。あと、やっぱ内憂外患の不穏な雰囲気がいい。平安時代などのうらぶれた京の都の暗さ、黒さはよくあるし、壬申の乱前後の、大陸の脅威に晒されて見えない敵の恐怖が世にある世情にも惹かれるが、この時代は珍しいかも。もっと広げられそうな気もした。


フィリップ・キンドレッド・ディック

「流れよわが涙、と警官は言った」


ハードボイルドな作品で共感する部分も多かった。これまでとちょっと違って、あまり迷わない。


これまで読んだディックの作品「高い城の男」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」「ユービック」はまずその世界に慣れるまでに時間がかかった。また途中でハシゴを外すようなアイデンティティの崩壊があったりした。今回それが少なかったと感じたのは、私がディックに慣れたのか、それともこの作品が異質なのか。


歌手にして火曜夜のテレビ番組の司会者、有名人のジェイスン・タヴァナーは女性関係のトラブルからケガをし病院に運ばれ緊急手術を受ける。目覚めてみると、そこは彼という人物が存在しない世界だったー。


ちなみに年代はこの作品が書かれた1974年から14年後、1988年のアメリカが舞台。車は空を飛び、会話はテレビ電話でなされる。確かにいくつか、いつものよく分からない近未来部分はあったが、先に触れたように今回は気にならなかった。


さて、タヴァナーはキャシイという腕のいいIDカード偽造者に各種証明書を作ってもらうが、警察に目をつけられる。警察の方も彼に関するデータが無いのに気づきマークする。そしてある日突然、かつての彼を知っている人物に出会うー。


物語の進行が自然に見え、するすると流れて行った。途中から警官の方が主人公のようになる。ちょっとハードボイルドな展開。この人なんでこんな事すんの?という、おなじみの迷いどころはあるものの、これまで読んだ作品のように、主役クラスの者の現実そのものを大きくグラつかせ、読者に不可解さを強く与える、という展開ではなかった。


劇中ルース・レイという女性がタヴァナーに説く言葉、傾けた愛情が深いほど大きな悲しみが残る、深い愛を経験するイコール大きな悲しみがあるということなので私は悲しみを求めて生きている、という意味合いの言葉にはどこか人生の真理的なものを感じてしまった。それが狙いなのかも知れないが。また陶芸家の女性の存在感も際立っている。


終盤はタヴァナーを追う警察本部長、バックマンが主役である。物語は急速に展開し収束する。


面白い、分かりやすい作品だった。アリスのくだりはもう少しだけ説明があっても良さそうなものと、色々な意味で思ったが、それもまた味に見えるのがディックの偉大なところなのかも。


セレクトショップ的な古本屋さんに行ってホームズものを見ていたらその向かいの棚にあってちょっとびっくり。


事前にお教えいただいてたんで、迷わず購入だった。当たりでしたね~。


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