2018年6月2日土曜日

5月書評の3





柿の花。大きな若葉に隠れて見つけにくい。この季節は、植物の生命力、その強靭さを感じるな。

エドガー・ウォーレス

メリアン・C・クーパー「キング・コング」


幼い日の思い出。1976年版のキング・コング。


映画のキング・コングは1933年に製作・上映され、何度かリメイクされている。1976年のリメイク版は巨大なコングのロボットが作られ、話題となった。(実際は撮影にはほとんど使われなかったらしいが)。たぶん日本公開の時に出た本。


私にとって、子供向けでない一般作品として初めて観に行った映画だった。キングギドラやモスラ、またはまんが祭りみたいにお客さんが小さい子と親御さんばかりでないもの。


父に連れられ、姉弟たちと、福岡の中州の映画館で観た。いつもとは違う匂いがする暗い劇場で食い入るようにスクリーンを見つめていた。


この小説は1933年版の監督と作家が脚本を共同執筆し、それをノベライズしたもの。映画封切りの直前に発表されたとか。元の小説があって映画化されたわけじゃなかったんですね。


映画監督のデナムは、町で飢えていた女優、アンを連れて、はるかな海へと映画撮影のための航海に出た。目指すは地図に載っていない島。霧に隠れた島を発見、上陸してみると、住民は「コング、コング」と叫びながら生贄の儀式をしていた。いったん船に帰った一行だったが、その夜アンが拐われるー。


アンはコングへの生贄としてコングに連れ去られ、追ったデナムや航海士のドリスコルらは恐竜や巨大な昆虫、そしてコングのために全滅しかかる。ドリスコルはスキを突いてアンを救い出し、デナムは追ってきたコングを捕獲、ニューヨークに連れ帰る、というお話。


もうSFの王道のような未知の島の描写が活き活きとしていて大部分を占める。捕獲してからはとても展開が早く、ちょっと雑(笑)。


映画では、やはり霧に包まれた山深い島、というイメージと、たぶん恐竜や昆虫は出てこなかったんではと思うが、探検隊が全滅しかかり、生き残った1人が、皆はどうした、と聞かれて、呆然と親指を首の前で横に動かす、というシーンが心に残っている。落ちた後の横たわるコングも印象的だった。


図書館でふと見ると目の前にあったから思わず借りた本。きっと私のことを知っているこの本に呼ばれたんだろうと思う。


黒岩重吾「紅蓮の女王」


お気に入りのお出かけ先・奈良。古代への興味が出てきた。


蘇我馬子を伯父に持ち、敏達大王の皇后となった炊屋姫(後の推古天皇)は585年の夫の死後、宮廷警護長を務める三輪君逆(みわのきみさかう)に恋心を抱く。一方かつて炊屋姫を力ずくで抱いた穴穂部皇子は炊屋姫が籠っている殯宮に入ろうとするが三輪君逆に止められ、恨みを募らせる。一方蘇我馬子は仏教を信奉し、国つ神を奉じて仏教に反対する、ライバル物部守屋を孤立させようと策謀を巡らす。


ここ数年、飛鳥、斑鳩の法隆寺、三輪大神神社などを訪ねている。雅やかで独特の雰囲気がある京都に比べて地味ではあるが、悠久の雰囲気がある奈良・大和の地はお気に入りだ。蘇我氏の屋敷があったと言われる甘樫丘からの眺めは素晴らしかった。行くと知りたくなり、今回黒岩氏の著作を読んでみた。今回の舞台も地理的に、また雰囲気もある程度分かって楽しかった。


炊屋姫は聡明できっぱりとした人物とされているが、この作品では三輪君逆との激しい恋に溺れる女性としての面を中心に描かれている。その感情と権威を蘇我馬子が巧みに利用する、という形である。穴穂部皇子が、炊屋姫を犯そうと殯宮に入り逆に阻止されたことは日本書紀に書かれているらしく、それを膨らませたストーリーにしている。


異国の蕃神を信じる仏教と権力、また大王擁立に絡む争い、陰謀、朝鮮半島や中国の情勢など詳しく、読ませる古代時代劇である。年少の厩戸皇子も登場する。


面白かったが、個人的には推古天皇の聡明さと豪族たちに囲まれながらの世渡りの成り行きなどの面をもう少し知りたかったかな。


ここから蘇我氏と聖徳太子、推古天皇との絡みが始まりそうで、続きを読みたい気分マンマン。そもそも大化の改新は知ってても、蘇我入鹿や中大兄皇子に焦点を当てた作品は読んだことがない。黒岩氏のほかの著作も読もうと思う。


ブリタニー・カヴァッラーロ

「女子高生探偵 シャーロット・ホームズの帰還 <消えた八月>事件 上下


シリーズ第2作。本を読むときはもちろんブックカバーをするが、このタイトルは何かの拍子で人に見られた時恥ずかしい。


ズンズン進む感じの書き方でラノベ的。ホームズ家、モリアーティ家、ワトスン家の間に横たわっているもの。


アメリカのハイスクールで学ぶ16歳のシャーロットとジェイミー(ワトスン)は休暇でイギリスに帰る。サセックスのホームズ家に2人で滞在している時、ホームズの叔父で探偵のレアンダーが失踪し、母のエマが毒を盛られる。レアンダーはドイツの贋作偽造団を摘発するため潜入捜査をしていたらしい。2人はベルリンへと飛ぶ。


1作が出てすぐ読んだのが2年前の秋。この作品は続きの色合いが強く、あまり思い出せなかった。


舞台は現代でスマホも普通に使用する。シャーロット・ホームズ、ジェイミー(ジェームズ)ワトスン、そしてオーガスト・モリアーティともに原典から5代目の子孫。シャーロットは16歳で、はや麻薬に溺れた過去を持つ。言葉遣いは男の子っぽく頭脳明晰だが、捜査上必要な時には女性的な仮面を被り、男を誘惑したりもする。ワトスンはやはりホームズが好きで騎士的心配をしまくる、親友兼恋人といった感じで、オーガストはシャーロットの初恋の人、という設定で、悪の家系に悩んでいる。


現代的な舞台と小道具や、若さゆえの感情と、コスプレ的なものも多分にある捜査、因縁ある3つの家系の関係性を絡めて展開している。そこはラノベ、セキュリティ会社社長であるシャーロットの兄マイロ(原典ではシャーロックのお兄さんはマイクロフト)やシャーロットのルームメイトで超大金持ちのリーナ(アイリーン・アドラーからであろう。しかしその恋人のトムにゴドフリー・ノートンらしい色は見えない)らの万能性を使いにぎにぎしく捜査する。


えー、書き方としては、シャーロットは特に余計な説明をせず、ズバズバと言い切って進むので、何を意味しているのか考えてしまうところもある。ここは1作めと同じで決して優しい文章ではない。しかしあるブロックを読み終えた後には状況の概要はおおむね把握できている、という不思議な感覚の進め方だ。


ただまあ、物語の流れとしては、なんでそういうことになるの?というのもあって、決して整理はされていないかな。で、どうなるのかと思ったら、謎と成り行きが解決しないまま第3作に続く、と。おいおい。


「帰還」ときたから次は「最後のあいさつ」かなあ、いや意味合い違うしなあ。


ラノベです。「おやすみなさい、ホームズさん」のようにシャーロッキアンものとしておススメというわけではありません。読む際には第1作と続けて読むことを推奨致します、っつーか、おそらく完結編の第3作が出た時にまとめて読んだ方がいいかも。


鏑木蓮「イーハトーブ探偵I」


沁みるなあ。宮澤賢治探偵の推理手帳。舞台は、大正11年の岩手県ー。


読書はここ10年で習慣になったから、昔からの本読みの話を聞くと、私は時の話題作を読んでなかったんだなと感じる。でも本読みとさえ、世界の名作とか、大正昭和文豪の作品ってあまり読んでないよね、という部分で一致したりする。


最近は文豪ものに惹かれている。おととしはシェイクスピアを読み始め、昨年は太宰治の年だった。いまは宮澤賢治に興味が向いている。


前置きが長くなったが、宮澤賢治が持つ作品の理系的異世界さ、イーハトーブを礎にした岩手の自然と、本格トリックが混ざった感じで、実にいい味が出ていると思った。


花巻に住み農学校の教師をしている宮澤賢治は、チャップリンの「犬の生活」を観た直後、親友の藤原嘉藤治が勤める隣の女学校の生徒が言っていたという不思議な話を聞く。夜の山中を電信柱が歩き、河童が川を流れていったというのだ。ケンジとカトジは、話を聞いた真智子を連れて、現場に赴くー。

(ながれたりげにながれたり)


解説でも触れられているが、宮澤賢治のキャラクターはたしかに見えにくい面がある。「雨ニモマケズ」のイメージが強いのか聖人君子で根暗、と言われれば有名な写真とも相まってそうかも、と頷いてしまう。


この物語では、ちょっとした変人ではあるがしっかりと落ち着いた人物として造形され、鉱物や植物詳しく、さらに文学的でクラシック好き、法華経への興味など賢治の好みや性向を良い方向で味付けしていて好ましい。また貧しさや密造酒などについて農民の目線に立っている。


もともと推理ものの雑誌に応募した作品のから生まれているそうで、トリックは大胆で本格的なのにちょっとびっくりした。「探偵ガリレオ」風味まである。でも好きな方向だ。


3つめの「かれ草の雪とけたれば」に出てくる「税務署長の冒険」はついこの間読んだところで、農村の事情が沁みた。


シャーロック・ホームズも愛用するインバネスのコート、革のトランクに入ったルーペや方位磁石、科学的で演繹的な考え方と、朴訥な当地弁と人物像、数々の著作を感じさせるストーリーの味付けなど、実にうまく噛み合っていて、興味を持っている時期だけに、ワクワク感が半端ない。


早く次を読みたいな。宮沢賢治はホームズを読んだことがあったのかな。


森博嗣「彼女は一人で歩くのか?」


フラットに、人類の未来を考えるSF。そんな言葉が浮かんだ。シリーズものと初めて知った。


これって、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んでから手にした方が良かったのかな。


遠い未来ー。人工細胞が実用化され、人類は飛躍的に寿命が延びた。またウォーカロンと呼ばれる人間とほぼ変わらない生物がすでに数多く産みだされ活動していた。人工細胞が人体に取り入れられるとともに、なぜか人間は子供を産めなくなり、人口は減少していた。人間かウォーカロンかを判定するシステムを研究していたハギリは爆発物により命を狙われ、情報機関の女ウグイとともに避難する。


命を狙われるがどこかのんびりした科学者ハギリと怜悧なボディガード、ウグイの噛み合うような噛み合わない関係性と幾度もの襲撃がこのSF小説の、ひとつの流れだ。


ハギリを狙う組織はヒントは示されるものの、この巻では結局分からない。どうやらそれらしい動機は示されるが、ホント?という感じである。正味分からない。


自分を狙う犯人の動機を考える中で、この異世界での、人間とウォーカロンの在り方についてハギリが考えるのが一つの芯だろうとも思う。人工細胞で産みだされ、感情をも持ち人間と変わらないウォーカロンと人間を区別しておくべきかどうか、区別するとはどういうことか、今巻でもだいぶ出てきたが、シリーズ中で常に考えられることなのだろうか。


なんとなく雰囲気は掴んだし、このままではさっぱり分からないしなので、とりあえず次の「魔法の色を知っているか?」を読んでみようかな。


ところどころに「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」からの引用が出て来る。ディックを先に読むべきか。うーむ。


森博嗣は「すべてがFになる」を数学的思考に感心しつつ楽しんで読んだ。少し前に新聞でこの作品の書評を見て気になっていた。


今回も理系研究者の視点が入っていて特徴的だが、どう展開していくのかな。ウグイに期待。


0 件のコメント:

コメントを投稿