宮沢賢治「ビジテリアン大祭」
宮沢賢治は一時ベジタリアンだった。また、法華経をはじめとして、宗教に造詣が深かった。そんなベースで描かれた表題作。
私は日本を代表して、ニューファウンドランドの菜食主義者の大祭に出かける。祭典では、ビジテリアンと、ビジテリアンに疑問を投げかける人びとの論争が行われた。私はついに腰を上げて壇上に上がるー。
表題作が長めで、他に「二十六夜」など10作が収録されている。舞台もフランスなどに及ぶ。
「ビジテリアン大祭」はまさに論争が焦点で、戯曲のような雰囲気を持つ。途中キリスト教や仏教の話も詳しく入り、オチはどこか気の抜けたような雰囲気だ。
「二十六夜」は哀しさを交えた童話だが、やはり仏教の教えが展開されている。
他はまずまず童話っぽいが、エピソード的で、印象を醸し出している話が多い。
「よく利く薬とえらい薬」
母のためにばらの実を獲っていた清夫が病に効く不思議なすきとおる実を見つけ、評判を聞いた欲張りな金持ちが森に探しに行くという日本昔話のような話。
「税務署長の冒険」
密造酒製造の疑いのある村に税務署長が変装して調査に行く、昔風サスペンスもの。
「フランドン農学校の豚」
屠殺される家畜は死亡承諾書に印を押さなければならないという法律ができ、爪印を迫られる豚目線のもの哀しいストーリー。
あたりが心に残ったかな。
密ワイン製造「葡萄水」そして素朴な「虔十公園林」なんかも印象に残った。
オチは素直なものではなく、おっとと、という感じのものもある。これまで読んできた作品たちに比べればバンピーで、刹那的なイメージを与えるな、と思った。
宮沢賢治の童話は自然の厳しさ、死への予感、また動物へ同化したかのような感覚などを含んだ独特の異世界感を持っていると思っている。「非人間(イニューマン)なものへの恐ろしく鋭い感受性」と中沢新一氏が解説で書いているが、今回も確かにそんな雰囲気を感じるな、とうなずいてしまった。
いわば宮沢賢治の引き出し、的な作品集かな。色々な感受性、世界観を見て考える。
童話を何回も推敲して書き直したという宮沢賢治、これらの物語は何を心中におき、どんなものを目指して推敲したんだろう。
百年文庫2「絆」
完成度の高い、劇的な物語。いいなあ、と温かい気持ちになる。
黒田如水、長政親子に仕えた2人の家老。分別があり有能な栗原備後、少年の時の名は善助。そして乱暴だが誠実で忠義一途な母里(もり)但馬、同じく万助。如水は2人に兄弟の契りを交わさせる。後年、長政は因縁のある但馬と桐山丹波を仲直りさせようとするが、但馬は頑としてはねつけるー。
(海音寺潮五郎「善助と万助」)
黒田如水は稀代の軍師、黒田官兵衛のことである。黒田家は私の出身地、福岡の殿様であり、また若き頃は私が住んでいる関西の姫路あたりが所領だった。「入り」からすっとなじむことが出来た。
さて、対照的な性格の2人。物語の設定と成り行きが面白い。但馬の「いやでござる!」セリフが鮮烈で、非常に強い印象を残す。読みやすく、収まりのいい、人情話。
シャーロック・ホームズ以外のコナン・ドイル、昔は短編を読んだことがあるが、実は私は求めて読まない。なんかホームズのイメージが壊れるような気がして・・。というわけでチャレンジャー教授すら未読である。
この「五十年後」は劇的である。よくありそうな構造だが、ラストがどうなるのか?と思いながら読み進む。ドイルはホームズもので、オーストラリアやアメリカ、インドなどの因縁をよく使うが、この話も大陸をまたがっている。エンドは、予想していた以上に心に沁みる。
山本周五郎「山椿」は前の2作に比べ、やや捻ったストーリーかなと思う。万事に事務的な梶井主馬が結婚するが、妻がまったくなじまない。懊悩する梶井は妻の告白を聴き、人を奮起させ自分もまた成長する。淡々としていて、しかし仕掛けに無駄がなく鮮やか。とぼけたような味も心憎く、これも良いなあ、で終わる。
落ち着いて、ドラマチックな話が詰まっている。短編集というのはおおむね構成が考えられていて、幸せがあればアンハッピーエンドもあったり、暖かなものがあれば皮肉も混じっていたりする。しかしこの本は、テーマに沿った、似た話が集まっている。こんな味もいいなと感じた。
良さそうなの、探してみよう。
佐藤亜紀「天使」
うわさの佐藤亜紀。どんなもんだろうと読んでみた。ふむ。正直書いちゃいます。
佐藤亜紀は、デビュー作「バルタザールの遍歴」で1991年に日本ファンタジーノベル大賞を受賞した。またロシアの貴族社会を舞台にした「ミノタウロス」で話題となり、吉川英治文学新人賞を獲得した。この「天使」も芸術選奨新人賞に選ばれている。
にもかかわらず、ここまでほとんど聞いたことがなかった。「ミノタウロス」は記憶のどこかに引っかかってたが・・。読書好きの後輩からおすすめとして最近聞いて、見え出した感じである。この本の
前置きはここまでであらすじ。20世紀初頭のヨーロッパ。ヴァイオリン弾きの男と住んでいたジョルジュは、男の死後、ウィーンの諜報機関の「顧問官」に引き取られ成長する。ジョルジュは一種の超能力者であり、「感覚」で様々なものを読み取れるのだった。
ジョルジュは自分同様の異能者の中で成長し、顧問官の手駒となり、第一次世界大戦戦の中で諜報活動に従事する。
彼はまた大人の前の段階の少年ぽい心を引きずり、プライドの高さや無謀さ、反発心を大いに発揮する。そして美丈夫、イケメンキャラで数々の女性とアバンチュールを演じる。そして大戦末期、最後の対決が・・。
先に出た芸術選奨新人賞受賞の際には、「稀に見る文学的達成」と絶賛された、と裏表紙に書いてある。
私の最初の感想は「少女マンガみたい」といったものだった。超能力は、数々の言葉を駆使してチャレンジングに表現しているが、特に戦いの場面ではもうひとつ掴みきれない。それに、これ言っちゃダメかもだが、超能力はストーリーを簡単にしてしまうきらいがやはりある。
ある種壊れてしまいそうな感覚や、第一次世界大戦前夜からさなかの雰囲気の出し方、歴史の部分、ほとんど説明らしい説明をせずどんどん進んで行くところ、などは認めるべき特徴かと思う。
また物語の成り行きにジョルジュの出自や強敵との宿命の対決を入れている部分はテクニカルにドラマを織り込んでいるなと感じた。
初見なのでまあ、評価は後々にして、まずは名作の香り漂う「バルタザールの遍歴」読まなきゃね!
室生犀星「かげろうの日記遺文」
王朝もの。川端康成をして「言語表現の妖魔」と言わしめた作品。ネタのわりに、とてもよかった。
平安時代。藤原兼家の第二夫人に迎えられた紫苑の上は文才豊かな女性だった。しばらくは夫兼家と幸せな通い婚の生活を送るが、やがて妊娠すると、兼家は別の妻妾、小路に住む冴野のところに通い詰めるようになる。
紫苑の上は藤原道綱母で、彼女が書いた「蜻蛉日記」をもとに、原典にはわずか数十行しか出てこない第三の女の部分を膨らませて長編とした物語。
兼家の第一夫人、時姫と紫苑の上、そして冴野。主に紫苑の上と冴野の視点から物語を進めている。移り気で女にだらしない兼家を巡り、紫苑の上は時姫と文を通じたり、冴野と会って話をしたりと不思議な関係性を持ったりする。
冴野は男に縋って生きざるを得ない下賤の身であり、それゆえに高貴な時姫、才がありおカタい紫苑の上にない柔らかさを持つ。時姫に迫られ、自分の運命を悟って身を引く。
ところどころ分からないところはあったが、その表現の感覚の美しさに引き込まれた。
また、物語の成り行きにハッとするところもあった。愛憎の時期、兼家の子を死産してしまった直後、冴野は紫苑の上を訪ねて諭す。要旨はこうだ。
「殿が来た時、なぜ優しくお迎えにならないのですか。それをなさらないために、その日のはじめのお眼見えがつぶれてしまうのです。あなた様が優しくようこそと仰せられれば、もうそこには殿はご自分のお悪いところがお気付きになられます・・」
「殿ははだかが見たいと仰せられているのに、あなたはそれを失礼にさえかぞえられていられた。ではあなたの豊麗なものは、死ぬまで誰にお見せになるつもりだったのですか。」
ここは悲しみにくれた冴野が、時姫や紫苑の上の嫉妬心を受け愛憎の間にいる心持ちをぶつけている。たおやかで優しく、身分の違いと自らの運命を悟っている冴野に、犀星は自らの行方を知らない母をだぶらせて造形している。
私が読んだ室生犀星のはじめての小説は「幼年時代」だった。もらわれていった犀星は実家が近くにあったため、よく訪ねては屈託無くおやつをねだったりしていた。実父母はやった息子の行いに困りながらも、甘やかして接していた。しかしもとは手伝いか技芸だったという実母は父の死後、親戚達から追い出され、犀星はそれ以後行方を知らず会うこともできなかった。このくだりを読んで、ショックを受けた。蜻蛉日記の第三の女に母を感じていることは著者の「あとがき」にも触れられている。
藤原道綱母の、百人一首にも選ばれた歌のエピソードもやわらかに、上手に語られている。
「嘆きつつ ひとりぬる夜のあくる間は
いかに久しきものとかは知る」
これって、訪ねてきた兼家を無視して返したにもかかわらず直後に追っかけで作った歌なんだよねー。
美しい表現と、激しい嫉妬と不思議なやりとり、はかなく消える展開。感じ入る作品だった。良かった。
まあその、次々と愛人をつくる賢しらな兼家と、女達の嫉妬の話で、ネタ的にはあまり好きなものではないんだけど。冴野がいなくなって我を忘れた兼家は紫苑の上に向かって「冴野を返せ」なんて言ったりするんだから。
ただ、着想と、言葉のつむぎと成り行きには圧倒されたかな。犀さん、小説やっぱりおもしろいな。
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