2018年6月2日土曜日

5月書評の1





土日の夕方は、犬たちを連れて、坂を登るコースの散歩をする。眼下にたそがれ時の大阪平野を一望するのが好きだ。

日中は最高気温28度とかで暑いが、朝晩はまだ半袖1枚では涼しい。真夏になると、道路の気温が上がるので、脚の短いダックスは連れて行かないこともある。早朝がいいかも知れないな。

ポール・オースター「ムーン・パレス」


圧倒的な孤独の青春。ここからだと思った。


父はおらず母を早くに亡くしたマーコ・スタンリー・フォッグはクラリネット吹きの伯父に育てられるが、ニューヨークのコロンビア大学入学後に伯父も死に、やがて経済的な苦境に追い込まれ、宿も失い、公園で残飯を漁るなどして過ごすようになる。危ういところで親友のジンマーとのちに恋人となるキティ・ウーに救われるー。


やがて住み込みのアルバイトにありついたマーコ。しかしここから運命は急激な変転を迎える。


成り行きに任せるマーコの姿勢がある意味リアルで、人生的で、時代の雰囲気をも感じる。それは全編にわたり、登場人物たちに垣間見える。


また、次々と襲い来る絶対的な孤独には惹きつけられてしまう。自分や我が子に置き換えてみた時に、安心できる空間があるか無いかとうのは、かなり大きな事だと思う。主人公は家族の喪失と、変転を繰り返す。


マーコと巡り会った大学講師ソロモンとマーコが過ごす時間、熱心に世話をするソロモンの気持ちは痛いほど分かる。伝わってくる。そんな気がした。


壮大さ、ロマン、人生の上から下まで。様々な事を感じさせる物語だが、惹きこまれて読んだものの、そこまで大きく感じ入るというわけではなかった。


村上春樹に似ている、という方もいる。私が初めてハルキ氏の「羊をめぐる冒険」を読んだときは、面白い物語だとは思ったものの、読後同じように立ち止まってしまった覚えがある。


洞窟のシーンはどこかで、という感覚があった。うーん、坂東眞砂子「山妣」かなあ。それだけではないような・・思い出せない。


ポール・オースターがここからどう深く入り込んで来るのか?何かはある。ハルキ同様、もっと読む事でそれを形として捉えたい、というとこだろうか。


ヘルマン・ヘッセ「デミアン」


最近、ある方に、たまに私の書評を参考に読んでる、あれ読んだ、これ読んだ、と言っていただいた。ちょっとびっくりした。書き手としては正直嬉しいが、ちと責任が伴う気もした。


少年の自我と時代。ファンタジーだなこれ。アプラクサス。ちょっと小難しい。


私・シンクレールは、少年たちがいたずらや武勇伝を披露していた中で、自分はリンゴを盗んだと嘘をつく。その嘘がもとで不良少年に脅されるが、年長の不思議な友人・デミアンが苦境を救ってくれるー。


「車輪の下」ほかの著作があるヘルマン・ヘッセは、この「デミアン」で転換期を迎えたそうだ。その原因は、第一次世界大戦の不幸な経験だという。


シンクレールは、少年期、高等中学校という自我の成長過程で、時折デミアンから大きな影響を受ける。デミアンはなんでも分かっていて、シンクレールは時に宗教的でファンタジックな世界で考えることで自分を確立していく。


高等中学校の寮生活などは、ありそうな堕落とそこからの復活で分かりやすい。しかしデミアンとその母?エヴァ夫人の絡み方は本当にファンタジーだ。全部が説明されておらず、人間的な部分と寓話的なところが混在している。ヨーロッパ的、という気もした。


アプラクサス、というのはウィキペディアによればエジプト神話に源を持ち、中世の正統派キリスト教ではデーモンとされた。しかしアプラクサスを石に刻んだものは、幸運のお守りとされると書いてある。挿絵を見ると、頭部が鳥、体部が人間である。アプラクサスは物語中で重要な意味を持つ。


物語は、避けようのない大きな不幸で終わる。デミアンもシンクレールも出征する。


丁寧な思索と成長、そして戦争への突入がストーリーとして練度が高く、その底になにかを潜ませているようにも思えるが、理屈の部分というか、精神的な表現ひとつひとつが小難しく、読むのに時間がかかった。


ウィリアム・シェイクスピア

「お気に召すまま」


アーデンの森の魔力。男装のロザリンド。喜劇的恋物語。


弟に地位を追われ今は従者とともに森に住んでいる前の公爵。しかしその娘、ロザリンドは現公爵の娘で従姉妹のシーリアの願いで現公爵家に住んでいた。前の公爵の忠実な騎士の息子オーランドーは力士の大会で、公爵お気に入りの無敗の力士に勝ってしまい、追放となる。オーランドーに恋したロザリンドもまた追放となり、男装したロザリンドとシーリアは前の公爵の居るアーデンの森を目指す。


シェイクスピアらしい、パタパタとした喜劇。男装したヒロインという前に見たパターン。道化もいい役で出演し、機知のきいたセリフを繰り出す。


オーランドーもまたロザリンドに恋していて、男装のロザリンドに気持ちを打ち明ける。ロザリンドはオーランドーから嬉しい告白を聞きながら翻弄し、着々と作戦を練る。その遊びの部分は平和で好ましい。


しかし、突然前の公爵が悔い改め、前の公爵が戻れるようになったり、冷酷な兄をオーランドーが助けたことで2人の関係がすごく良くなったりと、間接的なシーンばかりで構成され、ちょっと読み手としては違和感を抱いてしまう。「解題」等ではそれをアーデンの森の魔力だとしている。んー・・。


まあここも、事態が好転した最中、ラブアフェアはロザリンドが一気に解決する。この辺が見せ場なのだろう。セリフ遊びのような掛け合いもあって、これも面白い。  


シェイクスピアの喜劇時代はこの作品と、先日読んだ「十二夜」で終了し、悲劇時代の幕が開くそうだ。


まあその、魅力的で頭の良いロザリンドが主役の、女性中心の物語。例えば映画化するなら、キャティングなんか面白いかもな、と思った。


東郷和彦「北方領土交渉秘録」


たまにはゴツい国際問題を。


ブレジネフ冷戦体制からゴルバチョフの登場、そしてソ連邦崩壊、エリツィンと、プーチン。


筆者は先の大戦で、開戦と終戦時の東郷茂徳外務大臣の孫。外務省でソ連課長、条約局長や欧亜局長といった要職にあった。


その際情熱を持って交渉に当たった北方領土問題の経過や、各指導者の反応、なぜ未だに解決出来ないのか、等々を時系列で述べている。その記述は歴史的な部分だけでも面白い。


私が学生の頃、ゴルバチョフの登場、天安門事件や東西ドイツ統一、東ヨーロッパの激動などがあり、社会人になってソ連邦の崩壊があった。あまりに大きな歴史のうねりを改めて、整理された形で読むと当時とは別の感慨が湧いてくる。


地道に続けられた北方領土問題の交渉は非常に微妙な表現の繰り返しで、何度も粘り強く展開されている。そのわずかずつの進展具合がよく分かる。


93年、エリツィン大統領来日の際の東京宣言では、北方四島の帰属に関する問題について真剣な交渉を行ったこと、この問題を解決することにより平和条約を早期に締結するよう交渉を継続し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきことに合意する、との明記がなされた。


エリツィンは2000年までに平和条約を結ぶ、と問題解決にやる気まんまんだったようだが、健康状態が思わしくなく、辞任してしまった。


後継者プーチンは2001年の日ロ首脳会談で、東京宣言に加え、1956年のソ連側の提案、歯舞諸島、色丹島を引き渡すとした日ソ共同宣言を会談の共同声明に明記することに合意した。


二島引き渡しの確認、国後島、択捉島を含む四島の帰属が問題であることのそれぞれ明記。これが最大の前進だったようだ。


ところがその後、田中真紀子外務大臣体制では信頼関係が崩れ、鈴木宗男議員のムネオハウスで世論は騒然となり、外務省の佐藤優氏が背任の疑いで逮捕され、筆者にも捜査の手が伸び、外務省も免官処分となる。


以来進展はない。


惜しい、と思ってしまう部分もあるが、そもそも我々はなぜ北方領土返還を求めるのだろうか、という提起には、素直に考えさせられた。冷戦時代には対ソ連プロパカンダの材料という側面もあった。では今どうして我々はそう思うのだろう。


大して研究しなかったが、大学の最終論文のテーマは北方領土だった。


社会人になってから、北海道の野付半島で、目の前に巨大な国後島を見たことを思い出す。北方領土問題は非常にデリケートな問題で、また、往々にして隣国というのは仲がよくない(笑)。

 

誠実な文章の展開に思えるが、佐藤優の解説を読むと、また別の側面もほの見えて面白い。


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