2018年6月29日金曜日

文芸の出逢い





写真は東京の定宿のひとつ、学士会館ホテルの朝ごはん。


このところ細かい仕事が積もってて時の経つのが早い。まったくサボってないとは言わないが特にこの週末は東京出張のためスピードを上げる。


いつも通りリュックひとつで1泊。スペースにあまり空きがないのが気になるが、まあいいかといつものように。東京は天気いいようだし折りたたみ傘は置いていく。


行きの新幹線で熊谷達也「まほろばの疾風」読み終わる。以前著者の「荒蝦夷」という作品を読んだ。東北蝦夷のヒーロー、アテルイの前、反乱を起こしたの呰麻呂(アザマロ)の話。これが権謀術数に優れ、残虐なこともいとわずのリーダーなのだが、面白かった。「まほろばの疾風」は呰麻呂のあと出てきたアテルイの話。呰麻呂の息子という設定になっている。


書かれたのは「まほろば」が先で続いて書いたわけではないが、セット、続きみたいな感覚がして、探して買った。さて、このアテルイものは、若き主人公がピュアに悩むものだった。正直甘っちょろい。まあまあ、対になってるな、と思いつつ読み終わり。


アテルイものは高橋克彦「火怨」上下巻ですべて描き尽くされているし、ことさら得るものはなかった。でもまたこのモチーフのものは買うだろうな。好きだから。


宵は昔の文芸仲間と席を持つ。やっぱめっちゃ面白い。こたえられない。作品に対しての意見の違いなんかとてもいい。詩を読む人もいて、多角的。文芸の夜、大いに楽しんだ。


ホテルに帰ってワールドカップのポーランド戦。スタメン6人入れ替えにびっくり。試合は裏カードのコロンビアーセネガルをにらみつつ、最後は負けている状態でボールを回し時間切れを待って終了。コロンビアがセネガルを破り勝ち点61位抜け。同勝ち点4の日本とセネガルはイエローカードなどで換算したフェアプレーポイントの差で日本が2位となった。裏カードでセネガルが追いついたら敗退だったからリスキーだったが、うまく結果が伴った。


批判もあるようだが、ドイツが落ち、アルゼンチンもギリギリの危機にさらされたグループリーグでこの状況では、中途半端な指示が最も危ない。それを西野監督は分かっていたのではないか。それよりもこの試合に臨んだ日本チーム、采配への意見を書いてみたい。


スタメン変更を聞いた時二兎ならぬ「三兎を追った」と思った。①主要メンバーの一部を休ませる②守備的な布陣で引き分けに持ち込みグループリーグを突破する。③サブメンバーを大会に慣れさせあわよくば自信をつける、という三兎。


①はやはり日程が厳しいから。第3戦は2試合同時キックオフで合計4試合を行うことから中3日となったが、これはプレイヤーズファーストではないだろう。間の日にちが動くとコンディション調整は難しくなる。しかも気温は異常に高いボルゴグラード。2位抜けとなったらまた中3日。日本は首位に立っていた。これが優位な状況でなければここまで大幅な変更はなかっただろう。グレードの高い大会では選手起用はデリケートな問題で、いきなり入って強い相手にすぐいいプレーができるものではない。思い切った起用だが、変えた枚数が多すぎたと思う。


②は、4-4-2として、なおかつ右のハーフに酒井高徳を置いたこと。攻撃時、ゴール前にクロスを上げても跳ね返される。となると2トップの狙いは前線から追い回す守備を想定していると思う。中盤1枚をサイドバック本職の選手にしたのはやはり守備に力点を置いていると言える。柴崎から狙うポイントを増やして、宇佐美が絡んで、という形を期待したのかも知れないが、実戦で試していない攻撃は機能しなかった。もちろん攻撃陣は張り切って動き回ったが、時間が経つにつれ迫力は薄れ、得点の匂いは最後まで感じられなかった。


うまくいかなかったから後半から大迫を早めに投入したが状況は変わらず。次のカードは乾。乾が左サイドで組んできた長友はいたが、ここまで中盤から攻撃を組み立ててきた香川と逆サイドの原口がいない中、単独で投入するのはどうかと、瞬間的に思った。パスをさばく柴崎はいるが、攻撃のディテールをコーディネートする選手がいなかったのだ。香川を休ませたいなら、なぜ本田でなかったのかと思う。どちらも休ませるのはちとぜいたくだ。


ポーランドの先制点は崩されたものではないが、これで相手は調子に乗ってしまった。日本が敗退に怖気づいているという心理につけ込んできたようにも見えた。日本は追い込まれる。裏カードがスコアレスドローに終わった場合は敗退となるからだ。もちろんポーランドのカウンターでもう1点取られたらジ・エンド。このメンバーでは得点は取れない。


結果は先に書いたとおり。薄氷だった。形は問わないしはっきりした指示は認めるべきもの。別に文句はない。なにせ突破しないと、6人を休ませた意味がなくなるから監督も必死だった。ただ先発メンバーから試合の采配については書いたとおり、いいとは言えなかったと思う。


でも、結果的に①は達成できた。大きなプラスである。マネジメントはよくなかったが、薄氷を踏んだ甲斐はあった。ただ、これまで通り主導権を持ってボールを保持しないと優位には立てないこと、使える選手は限られてくるというのがよく分かる試合だった。


次は縁を感じるベルギー。強い。しかし、6枚のスタメン変更は、ノックアウトステージを意識してこそのものだ。この意味は大きい。フルパワーで出し惜しみなくプレーして、ベスト8を勝ち取って欲しい。


東京はかなり早い梅雨明けとかで暑かった。宿の冷房は寒かった。でも切るとすぐ暑くなる。調整難しい。学士会館ホテルはトイレとお風呂が別で好ましい。昔のクラブ風のレトロな建物で、朝食がまたきれい。


帰り、名古屋を過ぎたら突然車窓の外が大嵐になった。午前は関西が暴風雨というのをテレビで見ていた。新幹線止まるなよ、帰り雨降るなよ、傘持ってきてないのにと思っていた。幸い京都を過ぎたら雨はやんだ。


東京よりも多少はましだが、湿度が高くて気持ちはよくない。帰りの山道はヒンヤリした風も吹いて、山に住んでてよかったと思った。

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2018年6月25日月曜日

TOMORROW





月曜日、バス停に居た。足元が振動しているような感覚があった。歩道橋を歩くと揺れる、あの感じ。目の前の県道をダンプカーが通ってるのかなとスマホから視線を上げると、ガタガタガタと横揺れが来て、バス停の表示板に思わず片手でつかまった。


地震だ。しかし経験からも震度4くらいかなと思えた。妻にLINEをして、すぐwebを引いたら大阪で震度6弱。えっ?!と驚いたところにバスが来た。少し迷ったが乗り込む。


バスの中でアナウンス。電車止まってますと。JRよりは早く動くだろうと阪急で待つ。が、動きそうもない。ではバスで大阪まで行く道を探ろうとJRの、快速が停まる駅に行く。ここで上司に連絡すると、無理せず鉄道の復旧を待てとのことだったので長期待ち体制を引く。コンビニで缶コーヒー買って一服。しばらくしたらショッピングビルが開いたからそちらへ。喫煙室もあり、椅子もある。ビジネスマンらしき人がけっこう居る。あっという間に時間が経ってお昼。地下のスーパーでお弁当買ってテーブル席で食べた。


電車が動けば20分で会社の最寄駅。しかしこの時点で日中は動かないのではと思った。様子を見て、歩いて地元駅へ移動し、お茶して、帰りのバスに乗り込む。帰宅した頃、私鉄は動き出したが、今から行ってもすぐ夕方。家でニュースを見ていた。震源は高槻付近。


阪神大震災の時は兵庫が震源で街はそれはひどい有様で、なんとか大阪に辿り着いてみると普通に飲食店が開いていたからびっくりした。しかし今度は京都寄りで被害が多いらしい。ある種不思議な気分だ。


JRは夜から動き、翌朝は遅れはあったが混乱はなく無事出社する。駅で遭った後輩は、会社まで歩いて行ったそうだ。


この日はワールドカップのコロンビア戦。私はこれまで、負け前提で落ち込まず、他の2試合で何とか勝ち点を上げること、引き分けなら万々歳、勝ったら奇跡、と言ってきた。


しかし開始3分、カウンターから日本のチャンスで香川のシュートをDFPA内でハンド。得点機会阻止でPKとレッドカード。何ということだ!


俺が蹴る、とボールをがっちりと持っていた香川は見事に決めた。ここまで代表で目立った活躍が出来ず、得点も取れず鬱屈としたものが溜まっていた香川の、日本を救うプレーに感動した。しかも本番の緒戦。良すぎるタイミング。同時に、勝ち点3を計算していたはずのコロンビアは、大会初戦の入りの時点で乱されたことで、このワールドカップでのペースをいきなり狂わされたと言えるだろう。


日本は同点に追いつかれるが、香川と交代した本田がCKを蹴る。これを大迫がヘッドで勝ち越し弾。残り時間は肉弾戦となったが守り抜き、信じられない勝ち点3を獲得した。


すみません西野監督、選手たち。私が間違ってました。とても嬉しい。こんなことがあるなんて。インパクト強すぎた。


木曜日は株主総会。朝早くからお仕事。


なんやか色々ある週。暑くなった金曜に帰ると、妻が暑かったでしょうと缶ビールを出してくれた。呑んで酔っ払って早々と寝てしまう。ひさびさに朝方起きて風呂入る。


王子公園から海に向かってずっと下っていく、運河沿いの兵庫県立美術館。朝一番にプラド美術館展を観に行った。入るとすごい人でびっくり。って、同館別展示場でジブリ展やっててそちらが激混みだった。プラドは余裕を持って見れた。少し寂しい笑。


ベラスケス、ルーベンス、ティツィアーノ。去年秋、ここで観たエルミタージュ展で好印象、しおりを購入した「聖母マリアの少女時代」作者のフランシスコ・デ・スルバランも何点か出ていた。


この時代の画家は宮廷用の肖像を書くこともあり、服や装飾品、手足その他の描写がリアルでめっちゃ上手い。しかし絵画では表情はどうしたって「絵」である。そこにどんな表情がつけられるか、なのかなーなどと思った。「フランダースの犬の少年」ネロの憧れルーベンスは、確かに印象的な表情をつける。またダイナミックに描くので一般ウケしやすいのではと思えた。


まずまず興味深く、展示もそれなりに多めだった。ベラスケスの手法はマネが認めていて、印象派の先駆けともされるようだ。


絵葉書4枚。

ルーベンス「聖アンナのいる聖家族」写真左側

ルーベンス とヨルダーンス

「アンドロメダを救うペルセウス」

ベラスケス「バリェーカスの少年」

ティツィアーノ「音楽にくつろぐヴィーナス」


ベストワンは「アンドロメダ」だったが、やはり本物とは迫力が違う。


帰って野球。川口和久「投球論」読了。けっこう面白かった。陽のあるうちに筋トレを済ませた。阪神は大敗。深夜11時過ぎに余震。高槻市付近の震源に近いとこは震度3。西宮は震度2。まったく気づかなかった。韓国vsメキシコ。韓国0-2で敗れ連敗で勝ち点ゼロ。自力突破はなくなった。ちょっとだらだらして寝るのが遅くなる。


翌日は朝一番から髪チョキチョキ。しばひコロンビア戦の話をする。いつもの店員さんは、やはり監督交代に不満が燻ってるようだ。2010年南アフリカワールドカップで岡ちゃん監督が勝った時、メディア方面から「チッ」という声が聞こえてきたというのを岡ちゃんがロングインタビューで語っていた。今回もジャーナリストの方々は不満を抱えて消化できてないようにも思える。まあこの辺は大会が終わってからね。


昼から夕方は寝る。寝だめ。ワンコを散歩に連れてってできることは早く済ませていよいよセネガル戦。


セネガル上手い、強い!序盤先制されたあたりは試合に入り切れてない気がしたし日本、シュートないなあと思っていた。しかしだんだん、主導権は日本に移ってくる。中盤へのパスがポンポンと通る。最初はなぜかと考えてしまったが、キーは柴崎かと思った。


柴崎はディフェンス陣の裏に走り出す長友や原口を狙ってサイドへ長いパスを出す。これかセネガルディフェンス陣に脅威を与えたようだ。ピッチ中央付近への速い縦パスが通るようになった。プレッシャーが弱く、そこからサイドへの展開は練習してたな、と思わせる精度だった。


アフリカ勢と日本は、決して相性は悪くない。怒濤のような攻撃を防ぐためにはやはり相手を下げさせることが大事だ。


乾が左45度、得意の角度から同点シュート、1-2になった時はダメかと思ったが、本田の同点ゴール!いやー興奮した。


セネガルは日本の粘り強いディフェンスに焦れが目立つ。また前半から日本の攻撃に振り回されて集中力も続かなかったようだ。アフリカ人はそもそも、抜かれてもすぐ追いつけるさ、という意識があるからボールは繋げると思ってはいた。長い足とスピードにたびたびカットされていたものの、速いパスを繋げていたと思う。セネガルの攻略法を見せたい、と言っていた強気の西野監督、その言葉どおりに試合は進んだ。


こうしてみると、日本人選手の能力は高い。どういうサッカーをすればその能力を引き出せるかという手腕を発揮した西野監督の能力は白眉だと言える。ポゼッション、といってもブラジル大会とはまったく違い、有利に試合をはこんでいる。南アフリカ大会の時も思ったが、ボールを持てる、キープできる選手はチームに絶対必要だ。南アフリカでは松井、今回は乾がいるからそれが出来ている。


ああもうこれくらいで。頼もしい日本。3戦目のポーランドとの戦いが祝福の日になりますように。そして、その先、ラウンド16で勝ち、後に続く者に「ラウンド8までいける実力は十分ある。」という自信をつけてくれますように。




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2018年6月20日水曜日




写真は期間限定につられて買った、ロングセラー「雪の宿」レモン味。
甘辛いからうまいんであって、「すっぱ辛い」のはおいしくないと分かる。息子も私も好きでよく買うが、息子はこれを1枚も食べようとしない。今回は日曜夜にアップするはずのものをいま上げてるので、今週のトピックスが抜けてます。いま執筆中。

福岡に行ってきた。母は、胆管に腫瘍が出来て胆汁が流れず黄疸が出て入院、その際発熱や患部に痛みが出たりすると危なかったが、胆汁を出すストローを入れる手術がうまくいき、経過も良好。固形の食事も許可が出たとか。とりあえず今日あすという状況ではなくなった。


母が読むものを欲しいと言ったので、弟の運転で本屋を回る。弥永団地から下白水を通ってブックオフや本屋。母と弟が愛読しているマンガ新刊を探すがまったくなし。途中牧のうどんで昼食。丸天うどんは麺が太く量が多かった。かしわめしとコロッケ食べたら満腹だった。この弟とは昔から気が合い、突っ込みがいのある相手。結局JR春日に近い西友でクロスワードパズルの本を買う。母はたまにやってたから。「太宰府天満宮の謎」という文庫が売ってたので買う。


母としばし話をする。寝ることもなく、元気そう。夕方に帰る。エレベーターまで送ってきた母は涙ぐんでいた。


帰りの新幹線で「謎」読む。古代の学者本は推測と入れ込みが多い。そこには注意したが、知らなかったことばかりで目から鱗だった。菅原道真が権力争いに敗れ左遷され失意のうちに当地で亡くなった、その後京の都に祟りと言われる凶事が相次いだ・・というのは誰でも知っている。


そもそもその権力争いはどんなものだったか、菅原氏とは、から掘り起こし、一つ一つ説明があるから分かりやすい。祟りがどんなものだったか、朝廷の対応などなどもよく分かる。


道真は幽閉同然で大宰府政庁の南の外れ、榎社に住んでいた。

昔、榎社の名前を付けた少年野球チームがあり、そんな地名あったっけと思ったことがある。今にして納得。


大宰府政庁は壱岐対馬と全九州を統べる役所で、地方コンプレックスとともに権威は朝廷の代役という強烈なプライドがあった。また対中密貿易の利潤があったため財政的にも潤って勢いがあった。

ゆがんだプライドなんか分かるな、と。また万葉集などでは赴任する役人や家族の哀しい別れの歌なんかがあってマイナスイメージがあったが、ゴタゴタも含めて活気ある政庁だったのね、とちょっと見直し。


竈門神社があり、政庁から北東の鬼門にある宝満山は、比叡山延暦寺なみの権力があり、高僧が来たこともあった。

ちょっとびっくり。そこまでとは。盛ってない?


道真は近くの天拝山に登ってはリベンジを誓っていた。

うーん、どこかで聞いた話だった。だから天拝山。遠足で登ったと思うが記憶がない。宝満山は何度も登って覚えてるけど。


道真が亡くなり、部下の味酒安行が遺体を牛車に乗せ、東北方向の宝満山へ向かっていた。すると途中で牛が止まり、動かなくなったため、そこを墓所と決めた。現在の太宰府天満宮の場所。

知らなかった。政庁と榎社と天満宮、方角と距離感は分かる。政庁の南からあの方向、結構離れたとこになぜ向かっていたのか、と読みながら疑問に思っていたが、権威ある宝満山と知って納得がいった。それでも少し外れてるんだけどね。だから新しそうな牛のオブジェの前で皆写真撮ってたのか。


などなど。読んでよかった。保存版。自分は筑紫の人間だな、と思う。私の心象風景は政庁から天満宮までのエリアなんです。


次は宮沢賢治「イーハトーブ農学校の春」を読んだ。若い教職時代に書いた物語。明るい話が多い。それにしてもこの宮沢賢治シリーズの表紙絵はセンスが悪い。


帰って、出血があり輸血したと連絡が。まだ事態は動いているのだ。弟が関東から福岡に帰って来ている。


なんかまた最近ボーッとしている。どこかにストレスがたまってる感覚。でも、自分はメンタルはだいじょぶちゃうかと心のどこかで思っている。ただボーッとしてるだけだ。何もしないわけではない。フツーに乱れずに仕事してるし、本読んでるし。


ワールドカップが開幕した。妻が髪をバッサリと切った。私もなにか、欲しい気がするな。


吉野源三郎「君たちはどう生きるか」を読み始め、夜までに読み切った。ふむふむ。今日は母子夜食べるそうで留守番。その前に図書館行って本読んで、買い物して帰ってきた。明日もかな。


涼しい。朝は特に、薄いパーカー着て行ってちょうど。昼は暑いが、風が吹くと少し肌寒い。オホーツク高気圧の影響で晴れてるからとのこと。


昼はプロ野球。森友哉の満塁ホームラン見る。ライオンズ快勝。明日は松坂vs榎田。阪神も連勝。夜はサッカー。まずカレーライス食べながらフランスーオーストラリア観る。2-1でフランスの辛勝。合間に筋トレ済まして22時からアルゼンチンーアイスランド。あっさりアルゼンチンが先制してひょっとしてワンサイドか、と思ったらアイスランドがすぐ同点に追いついてそのあとはスコアレスで引き分け。メッシPK止められる。アイスランドはものすごくファイトしていた。上手かった。さすが人口35万人(!)の国にして厳しいヨーロッパ予選を勝ち抜いただけのことはある。初出場でも世界上位とやり慣れている。


夜「現代詩手帖」6月号読み始める。文芸雑誌初めて、しかも詩てと我ながらたいへん喫驚り。「月に吠えらんねえ」の特集があるのである。でもま、決して安くない雑誌。ちなみにハードカバー1冊買えちゃいそうなお値段です。ま、たまにはいいか。いまの文芸思考ちょっと楽しいし。


日曜、前日より1時間遅いバスで行く。前の晩は遅くまで起きていてこの日は息子いつもより早く対抗戦に出かけていったから寝不足もいいとこ。倒れないやろなと思いながらブックオフ。んーあまり目的がなかったし自己啓発ものと寺山修司「ポケットに名言を」だけ買って帰った。古いのはだいたい図書館にあるか青空文庫で読めるから、最近は買い方変わった。


で、帰る。だいぶ暑い。昼ごはん食べてしばらく「現代詩手帖」読み終わる。もうきょうは本読まないっと。しばし夕方眠る。


明日からはちっと忙しい。やれやれ。がんば。睡眠時間を気にすること、だな。

2018年6月10日日曜日

ムシっと




写真は会社のイベントで当たったハンバーグ。美味しく食べさせていただきました。

初っ端からビロウな話で恐縮だが、便秘ぎみである。下腹が出てたりはしないが、大腸近辺が重い。で、土日に解消するというパターンがここ2週間くらい続いている。うーん、牛乳飲んだほうがいいのかな。


そろそろ夜もなんとなくムシムシとなってきたが、まださほどでもない。深夜になると涼しいし、寒がりの私はまだ冬布団で寝ている。


金曜日遅くまで起きてサッカーのスイス戦を観る。途中意識がかなり飛んでいた。ううむ、ダメだ。


西野監督になっての初戦ガーナ戦はテストの意味合いが強かったし、後半それなりに攻めた。しかし、今回はFIFAランキング6位のスイス、わけが違った。ディフェンスは4バックに戻して少し安定した。ただ、流しているとはいえ相手は厳しいヨーロッパ予選を勝ち抜いてきたチーム。こじあけ方もよく分かっていた。見ての通りである。


日本は0-1のあと攻勢をかけたくて、前へ運ぶ意識を強くしたが、ボール保持者のところに球が落ち着かない。相手のDFも強く、中央突破できずそれならサイドへ、という決まりきった流れ跳ね返され続け手詰まり、というパターン。前がかりになったところで2点目をガスーンと決められジ・エンドであった。監督が変わってもサッカーが劇的に変わるわけではない、というのを実感した試合となった。


2010年南アフリカ大会の時も、練習試合のガーナ戦で、相手のフィジカルの強さに手も足も出ず敗れた、というのはあった。現地に入って1週間の初戦であるし、まだ期待する要素はないでもない。これから身体が順応し、あと10日でコミュニケーションは高まっていくはずだからである。そもそも代表は普段長く一緒にいる時間がほとんどないわけで、大会前の合宿は大きな意味を持つものだ。


しかし2010年と違うのは、岡田監督に交代してからそれなりの期間があり、ワールドカップ予選を含めて何試合もこなし、すでに試行錯誤した後の大会だったということ。岡ちゃん辞任騒ぎにまで発展したんだから。苦しみ悩んだ末に割り切ったシステムを選択した。


今回は付け焼き刃の印象は拭えない。後は選手、コーチがブレないよう間違いなく詰めの作業をしなければならない。


前も書いたが、どこでボールを取るのか、とどうやって点を取るのか、である。経験豊富な主力選手たちの見識が試される。


中央突破ちょっとやってできないからサイドからセンタリングして偶然に賭ける、だけでは安易。


ドリブラーがペナルティエリア近辺で突っかけてFKをもらうであったり、CKFKの時にセットプレーを試すであったり、ワンツーやおとりのジャンプの決めごとなど、過去代表がやってきた手段が経験則としてあるはずだ。シロート考えかもしれないが付け焼き刃ならせめてそこまでやんないと勝てない。


サッカーになると長くなるな。^_^


土曜は図書館に行ったら、自由にお持ち帰りOKの大放出をしてたので4冊ほどお持ち帰り。


その後阪神-ロッテをナナメに観ながら室生犀星「あにいもうと・詩人の別れ」を読み終えた。文豪たちとの関係性が多くふむふむ。あにいもうとは映画化されたそうだが、こんなに激しい話とは知らなかった。


「月に吠えらんねえ」の特集がしてあるという現代詩手帖という雑誌を探すが売り切れ。ネットでも在庫なしとなってて買えない。鳥渡喫驚りである。


文学・文芸に傾倒したい今日このごろ。芥川龍之介はもっと読もうっと。


日曜は前日お持ち帰りの中からサッカーもの、宮本恒靖「主将論」を読んだ、タイムリーだ。最近スポーツもの少ないと思ったとこだった。


ぼーっとしている。このブログは読者もいないようだから記録しておきたいと思う。


母が体調が悪く、病院に行ったところ、胆嚢がんと診断され、相当進行していてもう手の施しようがないとのこと。本人は意外に元気で、でももう固形の食事が出来ない。入院して対症療法の簡易手術をするが、熱が上がるなど、次に体調が変わったらもう危ないと。


いつか来るとは分かっていたが、ひょっとしてもう母と会話をする機会がないかもしれないと思うとぼーっとして、気を抜くと情けないことに涙がにじんできたりする。


とにかく月曜、会社に出て、事情を話して仕事を整理しておかねば。。


2018年6月2日土曜日

5月書評の4




5月は17作品18冊とたくさん読んだ。よく言うが、おととしシェイクスピアを読み始めてもう2桁冊に手が届いた。去年は太宰治の年だった。今年は、宮沢賢治と室生犀星。岩手青森金沢と、回ってみたいもんだ。

我が家の紫陽花は、育てて5年めでやっと花をつけたとか。やがてたくさん咲くのかな。

おそらく次の雨で梅雨入り。今週は天気が悪くとも、北からの低気圧だから朝晩涼しかったが、梅雨前線が上がってくると蒸し暑い。いやだなっ。朝晩は年中これくらいでいいのに。


ミラン・クンデラ

「存在の耐えられない軽さ」


ソ連の弾圧の中で、チェコスロヴァキアのアイデンティティ。媒体は恋愛。


プラハの春に対して、ワルシャワ条約機構軍が侵攻し改革勢力を弾圧した史実。それをベースとした物語ではかつて春江一也の佳作「プラハの春」を読み感銘を受けた。そういえば、こちらも激しい恋愛ものだった。読みながら春江作品のシーンや出来事などを思い浮かべていた。


名作と謳われるクンデラの「存在の耐えられない軽さ」は同国の知識人として「プラハの春」を支えたため全著作を発禁とされ、さらに国籍を剥奪された著者が想いを込めた作品である。恋愛という媒体を使って国民の心のゆくえを追ったものでは、という気もする。


1984年、つまりソ連を中心とした軍の侵攻から16年後に書かれていることが、その後市民レベルで起きたことを冷静に観察させ、必ずしも単純でない人の想いを描いている。


医師トマーシュの愛人だったサビナはやはり愛人の大学講師フランツの元を去った時、天涯孤独な身の上で祖国をも無くした自分に大きな虚しさを感じる。彼女は描く絵にチェコの国内事情を反映させていると見られたくないためにアメリカに渡り、出身をも隠して過ごす。


トマーシュの妻、テレザはカメラマンとしてチェコへの軍事侵攻をカメラに収めた。テレザは女遊びのやまないトマーシュのもとで苦しみながら過ごす。


トマーシュにもフランツにも、時代に翻弄されるような想いと行動があった。


エロティックな場面もあるし、恋愛について哲学的に語っている。そうだよなあ、口には滅多に出せないけど、というふうに感じる文章もあった。また、運命的なファンタジーシーンも効果的だな、と思う。


犬のカレーニン、重さと軽さの暗合、ベートーベンの言葉など、さまざまな要素を組み合わせた作品で、ギュッと濃縮されている。文章のブロックが短めに区切ってあるので内容に比して少なくとも外面的な構成としては読みやすい。


哲学的、教訓的な文章も、特に後半には多くと全部を理解するのは難しい。生な肉体とか現実、幻想的なシーンを織り交ぜながら語られるストーリーに、社会情勢とか、人の性向とかを感じようとするのも読書だな、と思う。


森博嗣「作家の収支」


ほ~こうなってるのかと。。初めて知った。作家の収入、その内容。


まあ誰が見ても人気作家の森博嗣氏が赤裸々に書いた作品である。


原稿料の相場、その根拠、「印税」の計算、そして森氏がいくら印税を稼いだかの(大体の)情報が公開されている。さらに作品が漫画化されたら、ドラマ化されたら、アニメ映画化されたら、対談の場合、入試問題に使われた場合、さらに講演料はいくらか、他の作家の作品の解説を書いたら、推薦文を書いたら、また飲料メーカーのオファーで作品を書いたらいくらか、約であるが、具体的な金額が掲載されている。


それにプラスして出版界を取り巻く状況の分析や未来予測もある。


森氏の体験や近況も綴られているが、成功者だよなあ、と思う。その語り口はドライにも感じられるが、理論的で自らのやり方が確固としている。ちょっとガンコかも(笑)。取材したり資料を揃えたりしない、というのにはちとびっくりしたが。


作家を目指す人へのアドバイスもなるほどなかなか面白かった。


サクサク読めて楽しめる。


知念実希人「黒猫の小夜曲」


シリーズもの女子系サスペンス。事件部分はハードめだけど、かわいらしい。


死者の魂を「我が主」様のもとへ案内する、高位の霊的存在の僕は、上司の命令で人間界に降りることになる。彼の地上での姿は、黒猫だったー。地縛霊を説得して導くのがお役目。彼はある女性の魂と出会い、彼女の希望で昏睡状態にある人間の身体に乗り移らせ、ともに事件の解明に当たる。


このシリーズ最初の巻は「死神の優しい飼い方」。犬に姿をやつす話で舞台はホスピスだった。今回「僕」は前巻の主人公レオに知らぬ間に推薦されて黒猫になる。


事件は製薬会社の極秘の開発に絡むストーリーで、連続殺人もの。最初は人情的なエピソードだったはずが、謎が謎を呼び、複雑に絡み合い・・という展開。


そもそも死に関わる設定で、死者と残された者それぞれのドラマがいくつも重なっていく。救ってあげて欲しいけど救えない、別れの割り切り、という感覚もまた特徴。もうひとつは、人間なんて不合理で愚かと思っていた僕が、人間界での触れ合いによって変わって行き・・というのがポイントかな。


高位の存在と、犬猫のコミカルさが上手く折り合い、時にくふっと笑いつつ楽しめるエンタテインメント作品になっている。緻密だったり怜悧さなどの向きではないが、女子系本読み、このシリーズけっこう好きである。


レオも大活躍。我が家の犬が同じような名前だからちょっとシンパシー、ってとこなんだけどね。今回もう少し猫的な部分があってもよかったかな。まあまずでした。



鏑木蓮「イーハトーブ探偵 山ねこ裁判」


妹トシを失った哀しみ。読後胸の中が鈍く震えた気がした。


妹トシを亡くして3ヶ月後の大正12年2月。宮澤賢治のもとを産馬組合長の菅野高清が訪れる。事故で亡くなった石工の保険金支払いを保険会社が渋っており、故意の事故ー自殺でないことを証明してほしいと依頼される。

(哀しき火山弾)


「哀しき火山弾」「雪渡りのあした」「山ねこ裁判」「きもだめしの夜に」「赤い焔がどうどう」の5編が収録されている。


「雪渡り」はシリーズ初のロッキングチェア・デテクティブ、いわゆる安楽椅子探偵。ケンジは現場に出向かず推理して結論を出す。他の話ではかなり精力的に動き、科学的な知識を活かして結論を導くのだが、新鮮さを狙ったか。


あからさま過ぎることはないが、いやそんな場面もあるにはあるが、ケンジが24歳の妹トシを失って、全編にわたり抑えた哀しみを感じさせる。若い娘が絡む、特にラストから2つの作品は、ケンジが娘たちにトシを重ねていて、ムキになって事件を解決している。そういったケンジの心に寄り添う塩梅が良かったな、と思った。


「雪渡り」「山ねこ裁判」の童話はお気に入り。童話の内容とつながりがあるかと聞かれればあまり直接的でもないような印象を受けたが、いつかの再読でまた探すことになるんだろう。


実は科学捜査かつ大胆なトリックはパターンだったりするし、安楽椅子探偵ものとは、変化をつける意味合いもあるけど、パワーダウンにも見えてしまった。しかし、読了すると表現しにくい感動があって、心が揺れ動いた。


朴訥な当時の花巻弁もかなり好感。やはり、キャラクターが見えにくかった宮澤賢治を探偵として活き活きと描いていることが最大の魅力である。創作につながる部分も、研究がなされてあって慎重&新鮮だ。


物語中、賢治は樺太に向かう。トシの面影を探してー。


まだまだ読みたいけど、続き、あるんだよね??

5月書評の3





柿の花。大きな若葉に隠れて見つけにくい。この季節は、植物の生命力、その強靭さを感じるな。

エドガー・ウォーレス

メリアン・C・クーパー「キング・コング」


幼い日の思い出。1976年版のキング・コング。


映画のキング・コングは1933年に製作・上映され、何度かリメイクされている。1976年のリメイク版は巨大なコングのロボットが作られ、話題となった。(実際は撮影にはほとんど使われなかったらしいが)。たぶん日本公開の時に出た本。


私にとって、子供向けでない一般作品として初めて観に行った映画だった。キングギドラやモスラ、またはまんが祭りみたいにお客さんが小さい子と親御さんばかりでないもの。


父に連れられ、姉弟たちと、福岡の中州の映画館で観た。いつもとは違う匂いがする暗い劇場で食い入るようにスクリーンを見つめていた。


この小説は1933年版の監督と作家が脚本を共同執筆し、それをノベライズしたもの。映画封切りの直前に発表されたとか。元の小説があって映画化されたわけじゃなかったんですね。


映画監督のデナムは、町で飢えていた女優、アンを連れて、はるかな海へと映画撮影のための航海に出た。目指すは地図に載っていない島。霧に隠れた島を発見、上陸してみると、住民は「コング、コング」と叫びながら生贄の儀式をしていた。いったん船に帰った一行だったが、その夜アンが拐われるー。


アンはコングへの生贄としてコングに連れ去られ、追ったデナムや航海士のドリスコルらは恐竜や巨大な昆虫、そしてコングのために全滅しかかる。ドリスコルはスキを突いてアンを救い出し、デナムは追ってきたコングを捕獲、ニューヨークに連れ帰る、というお話。


もうSFの王道のような未知の島の描写が活き活きとしていて大部分を占める。捕獲してからはとても展開が早く、ちょっと雑(笑)。


映画では、やはり霧に包まれた山深い島、というイメージと、たぶん恐竜や昆虫は出てこなかったんではと思うが、探検隊が全滅しかかり、生き残った1人が、皆はどうした、と聞かれて、呆然と親指を首の前で横に動かす、というシーンが心に残っている。落ちた後の横たわるコングも印象的だった。


図書館でふと見ると目の前にあったから思わず借りた本。きっと私のことを知っているこの本に呼ばれたんだろうと思う。


黒岩重吾「紅蓮の女王」


お気に入りのお出かけ先・奈良。古代への興味が出てきた。


蘇我馬子を伯父に持ち、敏達大王の皇后となった炊屋姫(後の推古天皇)は585年の夫の死後、宮廷警護長を務める三輪君逆(みわのきみさかう)に恋心を抱く。一方かつて炊屋姫を力ずくで抱いた穴穂部皇子は炊屋姫が籠っている殯宮に入ろうとするが三輪君逆に止められ、恨みを募らせる。一方蘇我馬子は仏教を信奉し、国つ神を奉じて仏教に反対する、ライバル物部守屋を孤立させようと策謀を巡らす。


ここ数年、飛鳥、斑鳩の法隆寺、三輪大神神社などを訪ねている。雅やかで独特の雰囲気がある京都に比べて地味ではあるが、悠久の雰囲気がある奈良・大和の地はお気に入りだ。蘇我氏の屋敷があったと言われる甘樫丘からの眺めは素晴らしかった。行くと知りたくなり、今回黒岩氏の著作を読んでみた。今回の舞台も地理的に、また雰囲気もある程度分かって楽しかった。


炊屋姫は聡明できっぱりとした人物とされているが、この作品では三輪君逆との激しい恋に溺れる女性としての面を中心に描かれている。その感情と権威を蘇我馬子が巧みに利用する、という形である。穴穂部皇子が、炊屋姫を犯そうと殯宮に入り逆に阻止されたことは日本書紀に書かれているらしく、それを膨らませたストーリーにしている。


異国の蕃神を信じる仏教と権力、また大王擁立に絡む争い、陰謀、朝鮮半島や中国の情勢など詳しく、読ませる古代時代劇である。年少の厩戸皇子も登場する。


面白かったが、個人的には推古天皇の聡明さと豪族たちに囲まれながらの世渡りの成り行きなどの面をもう少し知りたかったかな。


ここから蘇我氏と聖徳太子、推古天皇との絡みが始まりそうで、続きを読みたい気分マンマン。そもそも大化の改新は知ってても、蘇我入鹿や中大兄皇子に焦点を当てた作品は読んだことがない。黒岩氏のほかの著作も読もうと思う。


ブリタニー・カヴァッラーロ

「女子高生探偵 シャーロット・ホームズの帰還 <消えた八月>事件 上下


シリーズ第2作。本を読むときはもちろんブックカバーをするが、このタイトルは何かの拍子で人に見られた時恥ずかしい。


ズンズン進む感じの書き方でラノベ的。ホームズ家、モリアーティ家、ワトスン家の間に横たわっているもの。


アメリカのハイスクールで学ぶ16歳のシャーロットとジェイミー(ワトスン)は休暇でイギリスに帰る。サセックスのホームズ家に2人で滞在している時、ホームズの叔父で探偵のレアンダーが失踪し、母のエマが毒を盛られる。レアンダーはドイツの贋作偽造団を摘発するため潜入捜査をしていたらしい。2人はベルリンへと飛ぶ。


1作が出てすぐ読んだのが2年前の秋。この作品は続きの色合いが強く、あまり思い出せなかった。


舞台は現代でスマホも普通に使用する。シャーロット・ホームズ、ジェイミー(ジェームズ)ワトスン、そしてオーガスト・モリアーティともに原典から5代目の子孫。シャーロットは16歳で、はや麻薬に溺れた過去を持つ。言葉遣いは男の子っぽく頭脳明晰だが、捜査上必要な時には女性的な仮面を被り、男を誘惑したりもする。ワトスンはやはりホームズが好きで騎士的心配をしまくる、親友兼恋人といった感じで、オーガストはシャーロットの初恋の人、という設定で、悪の家系に悩んでいる。


現代的な舞台と小道具や、若さゆえの感情と、コスプレ的なものも多分にある捜査、因縁ある3つの家系の関係性を絡めて展開している。そこはラノベ、セキュリティ会社社長であるシャーロットの兄マイロ(原典ではシャーロックのお兄さんはマイクロフト)やシャーロットのルームメイトで超大金持ちのリーナ(アイリーン・アドラーからであろう。しかしその恋人のトムにゴドフリー・ノートンらしい色は見えない)らの万能性を使いにぎにぎしく捜査する。


えー、書き方としては、シャーロットは特に余計な説明をせず、ズバズバと言い切って進むので、何を意味しているのか考えてしまうところもある。ここは1作めと同じで決して優しい文章ではない。しかしあるブロックを読み終えた後には状況の概要はおおむね把握できている、という不思議な感覚の進め方だ。


ただまあ、物語の流れとしては、なんでそういうことになるの?というのもあって、決して整理はされていないかな。で、どうなるのかと思ったら、謎と成り行きが解決しないまま第3作に続く、と。おいおい。


「帰還」ときたから次は「最後のあいさつ」かなあ、いや意味合い違うしなあ。


ラノベです。「おやすみなさい、ホームズさん」のようにシャーロッキアンものとしておススメというわけではありません。読む際には第1作と続けて読むことを推奨致します、っつーか、おそらく完結編の第3作が出た時にまとめて読んだ方がいいかも。


鏑木蓮「イーハトーブ探偵I」


沁みるなあ。宮澤賢治探偵の推理手帳。舞台は、大正11年の岩手県ー。


読書はここ10年で習慣になったから、昔からの本読みの話を聞くと、私は時の話題作を読んでなかったんだなと感じる。でも本読みとさえ、世界の名作とか、大正昭和文豪の作品ってあまり読んでないよね、という部分で一致したりする。


最近は文豪ものに惹かれている。おととしはシェイクスピアを読み始め、昨年は太宰治の年だった。いまは宮澤賢治に興味が向いている。


前置きが長くなったが、宮澤賢治が持つ作品の理系的異世界さ、イーハトーブを礎にした岩手の自然と、本格トリックが混ざった感じで、実にいい味が出ていると思った。


花巻に住み農学校の教師をしている宮澤賢治は、チャップリンの「犬の生活」を観た直後、親友の藤原嘉藤治が勤める隣の女学校の生徒が言っていたという不思議な話を聞く。夜の山中を電信柱が歩き、河童が川を流れていったというのだ。ケンジとカトジは、話を聞いた真智子を連れて、現場に赴くー。

(ながれたりげにながれたり)


解説でも触れられているが、宮澤賢治のキャラクターはたしかに見えにくい面がある。「雨ニモマケズ」のイメージが強いのか聖人君子で根暗、と言われれば有名な写真とも相まってそうかも、と頷いてしまう。


この物語では、ちょっとした変人ではあるがしっかりと落ち着いた人物として造形され、鉱物や植物詳しく、さらに文学的でクラシック好き、法華経への興味など賢治の好みや性向を良い方向で味付けしていて好ましい。また貧しさや密造酒などについて農民の目線に立っている。


もともと推理ものの雑誌に応募した作品のから生まれているそうで、トリックは大胆で本格的なのにちょっとびっくりした。「探偵ガリレオ」風味まである。でも好きな方向だ。


3つめの「かれ草の雪とけたれば」に出てくる「税務署長の冒険」はついこの間読んだところで、農村の事情が沁みた。


シャーロック・ホームズも愛用するインバネスのコート、革のトランクに入ったルーペや方位磁石、科学的で演繹的な考え方と、朴訥な当地弁と人物像、数々の著作を感じさせるストーリーの味付けなど、実にうまく噛み合っていて、興味を持っている時期だけに、ワクワク感が半端ない。


早く次を読みたいな。宮沢賢治はホームズを読んだことがあったのかな。


森博嗣「彼女は一人で歩くのか?」


フラットに、人類の未来を考えるSF。そんな言葉が浮かんだ。シリーズものと初めて知った。


これって、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んでから手にした方が良かったのかな。


遠い未来ー。人工細胞が実用化され、人類は飛躍的に寿命が延びた。またウォーカロンと呼ばれる人間とほぼ変わらない生物がすでに数多く産みだされ活動していた。人工細胞が人体に取り入れられるとともに、なぜか人間は子供を産めなくなり、人口は減少していた。人間かウォーカロンかを判定するシステムを研究していたハギリは爆発物により命を狙われ、情報機関の女ウグイとともに避難する。


命を狙われるがどこかのんびりした科学者ハギリと怜悧なボディガード、ウグイの噛み合うような噛み合わない関係性と幾度もの襲撃がこのSF小説の、ひとつの流れだ。


ハギリを狙う組織はヒントは示されるものの、この巻では結局分からない。どうやらそれらしい動機は示されるが、ホント?という感じである。正味分からない。


自分を狙う犯人の動機を考える中で、この異世界での、人間とウォーカロンの在り方についてハギリが考えるのが一つの芯だろうとも思う。人工細胞で産みだされ、感情をも持ち人間と変わらないウォーカロンと人間を区別しておくべきかどうか、区別するとはどういうことか、今巻でもだいぶ出てきたが、シリーズ中で常に考えられることなのだろうか。


なんとなく雰囲気は掴んだし、このままではさっぱり分からないしなので、とりあえず次の「魔法の色を知っているか?」を読んでみようかな。


ところどころに「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」からの引用が出て来る。ディックを先に読むべきか。うーむ。


森博嗣は「すべてがFになる」を数学的思考に感心しつつ楽しんで読んだ。少し前に新聞でこの作品の書評を見て気になっていた。


今回も理系研究者の視点が入っていて特徴的だが、どう展開していくのかな。ウグイに期待。